♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)

生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等

2008年03月

みんなが好きなジャズ曲 その3

マイク 日本の女の子のジャズ歌手の玉子が歌いたい第三番目の曲は?となると、結構難しいが、多分、「Day by day」だろう。この曲がなぜ好かれるかというと、これまでの「You’d be so nice」や「All of me」同様、メロディーが難しくなくて素人的にも歌いやすいのと、あとは、多分この曲の歌詞が単純明快のラブラブソングだからだろう。

音符 歌詞を前半だけ書いてみると: 「Day by day, I’m falling more in love with you. And day by day, my love seems to grow. There isn’t any end to my devotion. It’s deeper dear by far than any ocean.」 という具合で、日本語にすると、「日に日に私は貴方に惚れていくわ。日に日に愛が強まるわ。私は貴方に限りなく尽くすわ。その想いは海よりも深いのよ。」と、まあアホらしい、女の子の愛の告白ソング。ハート

譜面 これが、分かりやすいメロディーとコード進行で展開される。コード進行は、またまた専門的で悪いが | Am7 | D7 | Am7 | D7 | G | C7 | Bm7 | E7 |
といった調子で、単純で典型的なジャズコードだ。

笑顔  この曲は元々は4ビートだけど、ちょっと飽きられてきているせいか、8ビート、ボサノバのリズムに、なんてのを所望する人も多い。

笑い そして、この曲のことを書いていて、有名なアメリカのジャズの歌手や演奏家の名演奏のことを書こうと思ったが、案外思い出せない。それくらい、この曲はいわばcommodity(どこにでもある商品)化しているということだろうか。今晩も六本木あたりのジャズクラブで誰かがこの曲を歌っているに違いない。 Nat

みんなが好きなジャズ曲 その2

音符 日本で歌の女の子が歌いたいもう一つの曲は「All of Me」だ。この曲は、日本の女の子に限らず、多分アメリカでもジャズ曲の中で一番歌われてきた曲だろう。

マイク 1931年に作曲されて以来、無数の女性歌手によって歌われてきた。まず多分、歌詞がいいのだろう。All of me, why not take all of me ? Can’t you see I am no good without you. Take my lips, I want to lose them. Take my arms, I’ll never use them.----  女性が言うにしては、結構露骨。「私の全部を愛して。あなたがいないと私ダメなの。唇を奪って。私の腕をとって。もう私は使わないから。――」この悲痛の女性の叫びを、数多くの歌手が歌ってきた。特に私の大好きな女性歌手ビリー・ホリデイの、あの訴えるような歌は忘れられない。聞いたことない人は、CDが見つかると思うので一度聞いてほしい。

笑顔 この曲を知らない人は、多分、しんみりした暗い曲かと思うかもしれない。しかし、実はこの曲は、典型的な昔のディキシーランド風ジャズのスタイルの曲なのだ。昔のジャズ曲の構成なのだが、それだけに、ジャズーーーという感じがするのだろう。日本の女の子が歌いたいのは、そこに理由があるように思う。(実はこれも、前回のYou’d be so nice to come home toよりも更に単純な音の動きで、素人にも歌えそうな気がする点もあるのだろうが。)そして、この曲は、普通結構明るい感じのテンポとスタイルでやる。明るい曲の感じなのに、歌詞の意味は悲痛な女性の叫び。そこがいい。そしてコード進行が、You’d be so niceは日本の歌謡曲に似た部分があったが、これには全くない。また少し専門的になるが、|  C |  C | E7 | E7 | A7 | A7 | Dm | Dm | という風に、4度進行と言われるジャズっぽい進行だ。日本の歌謡曲にはないこの古典的ジャズ風の進行が、日本の女の子にも「ジャズの歌だ」と感じさせるのだろう。

笑い 但し、先に書いたとおりの露骨な歌詞なのだが、日本の女の子たちは歌詞の英語の意味を多少とも分かって歌っているのだろうかと若干気になることもある。特に最後の部分、You took the part that once was my heart, so why not take all of me~~~ と叫ぶ部分が圧巻。 ハート割れ 「あなたは、前は“私の心”だった私の部分を奪ってしまった。それなら、心だけ持っていくのじゃなくて、私の全部を持っていって!!」という意味なのだ。何と悲痛で熱烈な叫びだろう。私はいつも、この最後の部分を伴奏する時、ぐぐっとこみ上げる。ビリー・ホリデイに至っては、最後の所を更に自己流に変えて、you just kiss me, why not take all of me ~~~ (あなたはキスしかしてくれない。私の全部を奪って!!)と、もうこれはヤバイという迫り方をしているが、それだけにぐぐっと心に迫るのだ。

にっこり 日本の女の子の歌いたいAll of me。 ダンス  実は、すさまじい女性の叫び声の曲だ。 Nat

みんなが好きなジャズ曲 その1

譜面 ジャズ曲は、割りと知られているものだけでも軽く1000曲はある。でも、その中で、日本人が特に好きという曲があるように思われる。一般的に言うと、日本人の好きなジャズ曲は、マイナー(短調)を基本として、でもそれだけじゃなく、途中にメージャー(長調)を絡めた展開があるようなものが多いのではないか。日本の歌謡曲も、最初から最後まで長調のものよりも、短調系のもの(例えば「津軽海峡冬景色」)が好まれるから、日本人のマイナー・短調好きは、かなり明瞭な傾向ではないかと思う。

マイク 私は時々六本木あたりのジャズのピアノバーなどでピアノを弾いて遊んでいるのだが、ジャズの歌を習い出している女の子などが飛び入りで歌うのを伴奏してくれというようなことがある。そういう時に一番多く出てくる曲が、You’d be so nice to come home to という曲だ。ご存知だろうか。1950年代に、ヘレン・メリルという白人のハスキーボイスの歌手が歌ったのが一世を風靡した。なぜゆえに、現代日本の女の子がこの曲にあこがれるのか。その秘密は、多分この曲のコード(和音)進行にあるのではと思う。

音符 ちょっと、専門的な表現になって申し訳ないが、この曲の最初のコード進行は、| Dm | Em7-5 / A7 | Dm | Dm | という何の変哲もない、どこにでもあるマイナー(短調)の曲のコードだ。昔、南こうせつが歌った「神田川」の最初の「あなたは、もう忘れたかしら」と同じ。問題はこのあとだ。神田川では、この後の「赤い手ぬぐいマフラーにして」の部分では、これまた良くある展開で | Gm7 | C7 | F | となる。ところが、「You’d be so nice to come home to」の続きの部分、「You’d be so nice by the fire」の所は | Cm7 | F7 | Bb | となる。ギターなどで和音の弾ける人はちょっとやってみて欲しいが、これは絶対に日本の歌謡曲にはないコード進行だ。ちょっと“あさって”の方に飛ぶ感じがする。粋だ。この曲のカッコ良さの半分は、ここから来ている。

笑顔 カッコ良さの後の半分は、メロディーの中に短調の曲にとってのブルーノートにあたる5度フラットの音程が2回ほど出てくることにあろう。これも日本の歌謡曲には先ずない。ということはどういうことかというと、You’d be so nice to come home toという曲は、基本は日本の歌謡曲的なものを持ちつつ、それにジャズならではのコード進行と音程を盛り込んだもので、日本的良さにアメリカ的なバタ臭さが混じったものなのだ。そして、最後に又Dmの短調コードに戻ると日本的な寂しさになるが、この曲はFの長調で終って希望が持てる。もっとも神田川も最後は長調で終るので同じだが。

にっこり ということで、日本の女の子が、みなこのYou’d be so nice to come home toをカッコいいと思い、歌いたがる。でも、それには理由があるというわけだ。(あと、本当はそれ以外に、あの曲は音程の変化が緩慢で、素人の子にも歌い易いという隠れた理由もあるのだが、それを言うと白けるので、今回は置いておこう。)  Nat

お墓って何だ? その5

笑顔 これまで「日本では」という話を書いてきたが、日本の中でも沖縄はだいぶ違う。ご存知の通り、お墓の形が本土のような石柱を立てたのと全然違い、亀甲墓といわれる、大変大きな亀の甲羅を斜めに設置したようなお墓が伝統的な形だ。そして、更に違うのが、洗骨といって、一旦土葬した遺体を時間がだいぶ経ってから掘り起こし、骨をきれいに洗ってからお墓に設置し直すのが特徴だ。

笑い そういうお墓や葬りの伝統は、中国南部(福建省など)から端を発し、東南アジアに広く拡がっている。私は一時、仕事で沖縄に良く行って、亀甲墓を見慣れていたが、ある時、インドネシアのジャワ島の田舎のほうを車で通っていて驚いたことがある。沖縄の亀甲墓そっくりの墓が、丘の中腹にずらっと並んでいたからだ。その瞬間に、南中国の文化がかなり広域に海を渡って拡がったことを実感した。ちなみに、ジャワのロウケツ染めであるバティック(ジャワ更紗)と、沖縄の紅型(びんがた)は非常によく似た技法だ。昔、琉球の人がジャワまで交易して交流した結果のようだ。しかし、亀甲墓はジャワから沖縄に来たのではなく、中国南部の伝統がジャワにも沖縄にも伝わったものと思われる。

びっくり 洗骨の風習も、中国南部やベトナムなどにある。死んだ人の遺体を土葬したり風葬しても最後まで残るのが骨だ。だから、骨を大切に洗って葬り、魂が迷わず天に昇るように祈った。また、洗った骨を墓に入れ直すのは、中国文化の伝統である家族単位の墓ということに関係する。沖縄でも亀甲墓は家単位だ。(その点は日本本土の墓と同様。)洗った骨を死んだ人の象徴として家族の墓に入れ、そこで仲間に入れてあげてくださいと祖先にお願いする。こうやって考えてみると、日本や東南アジアに、中国の伝統文化である道教・儒教の考えが如何に広く影響しているかに気がつかされる。家族墓、骨の重視、墓参りという風習だ。インド発祥の火葬と骨灰の非重視は、その筋を引く仏教としては伝わっているが、中国でも日本でも基本的には劣勢だった。最近、火葬だけが衛生上の理由で普及しただけだ。沖縄でも本島では今や火葬になっているらしいが、周辺の島では未だ土葬・洗骨をしているという。

幽霊 人の死者への思いは深い。それが葬儀、お墓をめぐる風習に表れている。しかも、インドの輪廻転生、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の最後の日の復活、そしてエジプトや中国の死者への想い。お墓の違いは、そのまま死生観の違いだ。こうやって整理してみて、それがよく分かった。そしてまた日本がよく分かった。 にっこり (本稿 了) Nat

お墓って何だ? その4

国旗 日本では、今は殆どが火葬して骨灰を壷に入れて埋葬というスタイルになっている。そしてお墓には家の名前などを書いた石塔が立つ。キリスト教式の私の家でもこれだ。ところが、日本中が火葬の後、骨灰を埋葬する方式になったのは、明治以降である。石塔も江戸時代以降。昔は、死体を土葬して終わりだった。それが先ず江戸時代にお寺の檀家制度が広まり、先祖の供養、仏事がお寺の仕事として確立するにつれ、庶民の墓にまで石塔が立つようになる。そして、明治政府が、もっぱら衛生の観点から火葬を推奨し、それまでは浄土真宗などに限られていた火葬が一般的になっただけだ。

はてな 古代日本ではどうか。まず縄文時代は死体を折り曲げて埋葬する土葬、弥生時代ではお棺に入れた埋葬も出てくるようだが、土葬には変わりない。やはり日本でも最初は、一番自然な、死体を埋めるという方式であったようだ。その背景にある古代日本人の死生観はどんなものだったのだろう。古事記にあるように、人は死んだら、魂は死体を離れ黄泉の国に行く。しかし、イザナギが黄泉の国までイザナミを探しに行ったように、黄泉の国はこの世と繋がりがあり、行き来も出来る。だから場合によっては死者がこの世に戻ってくる期待もある一方、悪霊のように戻られても困る。そんな感覚で死者の魂を見ていたようだ。そして、死体を埋葬した墓は、いわば、黄泉の国への入り口でもある。古代日本人の死生観、そして墓への思いは、こんな所かと思う。しかし同時に、既に中国の考え方が常に流れ込んでいたとも思われる。前回書いた通り、中国では祖先の霊を尊び、墓を地上における拠点と看做して、定期的にお参りをする。このような考え方が昔からの日本の墓観に影響してきたと思われる。

笑い そこに仏教が入ってきて、7世紀からは貴族を中心として火葬も行われるようになる。しかし、日本に伝わった仏教は、既に大元のインドの古代仏教とは違っていた。古代インドでは輪廻転生を想定したので、意味のない死体は焼いて捨ててしまった。古代日本では、死者はこの世と行き来のあり得る黄泉の国に行っているので、その入り口的に土葬の墓を残した。しかし、浄土系の伝来仏教では死者は遠い極楽浄土に行ってしまっている。だから、インドのように捨てないまでも、本来、骨を大切に保管する意味はなかったはずだ。しかし、実際には日本では仏教式でも骨や灰を大切に埋める。ここには中国儒教の強い影響があると思われる。儒教では骨を大切にする。そういうことで日本でも、仏教式で火葬した後も、儒教式に骨灰を大切に埋めて尊重したのである。この辺に日本のミックス文化の面白さがある。

笑い 更に江戸時代から、石塔を立てた墓に参る風習が出来た。中国の墓は基本的に盛り土(墳墓)であって塔はない。日本人は、仏式ではインド流の火葬を取り入れたが、中国式に骨を大切にし、家族単位で墓参りをした。ところが江戸時代からの、仏教寺が運営する墓形式にインド式の石塔が登場するから面白い。インドの石塔は、言うまでもなくお釈迦様を礼拝するストウーバから来ている。これを日本独自の墓形式に取り入れた。いよいよ日本の墓はインドと中国のミックスである。

笑顔 明治になって、火葬を普及させたので、日本では古代からの土葬はなくなった。そしてインドの火葬と石塔、中国の大事に家族単位で埋葬しお参りする風習、この複合形態が現在の日本の墓である。

にっこり ところで、その?に書いた一番最初の問いに戻る。もし私が亡き父や母が今や神のもとにあると信じるなら、何故墓などを作るのか?私も死んだら埋葬してもらう必要があるのだろうか?正直言って、私には墓というものは余り重要に思えない。しかし、古代から人類は、死体を埋葬し、墓こそが死者の霊のこの世の拠点と信じてきた。死んだ後、自分の霊がどういう状態になるかは、死んでみないと分からない。だから、もしかして死んでみたとき、墓がない為に自分の霊の拠点がなくてえらく後悔するなんて可能性は否定しきれない。ということで、一切墓なし等、余り変わったことをするのはリスクがある気もする。やはり普通に埋葬してもらおう。幸い私の教会はちゃんと墓地があり、もうそこに埋葬してもらえそうだから。Nat
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