♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)

生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等

2009年12月

日本のポピュラー音楽の質が低下してる? その1

 今日、テレビのレコード大賞の発表を見て、最近思っていることを、いよいよ痛感した。日本のポピュラー音楽界での音楽の質が確実に落ちているということを。歌のバックの伴奏のミュージシャンの演奏の技術や質のことではない。作曲、つまり音楽の曲そのものの質のことだ。日本はポピュラー音楽において、欧米諸国にまで流行する流行曲は生み出してないまでも、韓国・中国などで はやる名曲を生んできた。また、日本国内だけで見ても、今でもカラオケで80年代、90年代の曲が歌われており、日本人の心に残るポピュラーの名曲は多く出た。

 

 ところが、最近はその年にちょっと流行り、それで終わり。もう永遠に誰も覚えてないという「瞬間流行」だけの曲が非常に多いように思う。とても10年後のカラオケで誰かが頻繁に歌うというように思えないその時限りの曲が非常に多い。歌詞も大したことないが、ミュージシャンでもある私からすると、曲が非常に貧困。人の心にとても残る歌ではない。

 

 今でも歌謡曲の世界では一人がしっとり歌うのはある。しかし、歌謡曲の世界は聴く人が高齢化しているせいか、新しい試みが少ない。若い人に受ける新しいものが非常に乏しい。一方のいわゆる和製ポップスの世界では、EXILEを筆頭とする複数人間がダンスを絡めて歌うのが主流だ。おのずと、ディスコ風のリズムが曲の根幹を成しており、その次に、若者受けする単語が口走られる歌詞。最後に、多少メロディーがあり、単純なコード進行がある。つまり、音楽の根本であるメロディーとコード進行的には、実にプア・貧困なのである。(もっとも、次回に述べるがEXILEなど、比較的高い音楽性を持っているものもある。)

 

 更に、音楽の質を落としているのが、シンガー・ソング・ライター全盛のトレンドであろう。シンガー・ソング・ライターは作った人が歌うので、親しみを持ちやすく、それ自体は別に悪くない。私も自分の作曲したものを演奏したりもする。しかし、そもそも歌手(それも余り歌が上手ではない歌手が多いが)が、自分で歌を作るのが多い。辛口のコメントで恐縮であるが、はっきりいって音楽そのものに対して人並み外れたセンスがあるとも思えない曲作りだ。それがいいといえばそれまでだが。私だって音楽学校などで勉強していない。楽理のすべてを自己流で編みだした。だから、学のあるなしは問わない。しかし、音楽は超天才でない限り、極めて深く追求した蓄積からしかいいものは出てこないと思う。だから、世に出る曲の多くがシンガー・ソング・ライターの作曲という時代になると、確率的には後世に残るいい曲は少なくなる。これが今の世の音楽曲の貧困の一つの背景であろう。 しかし、他にも要因があるように思う。それを次回。 Nat

クリスチャンって品行方正? その2

 年末の休みになってから、ある本を読んだ。五木寛之と、カトリック司祭の森一弘氏との対話を本にした「神の発見」(角川文庫)だ。その本で森氏が書いている。明治時代に日本に伝道で来たカトリックの人たちは、17世紀のオランダの神学者ヤンセンという「聖なる人生を厳格に送る」ことを重視した、特にフランス系の人たちが主であった。そこで日本のカトリック教会は品行方正主義の人たちが多くなってしまったという。私はプロテスタントの方なので、このような日本のカトリックの歴史を知らなかったから、このヤンセン主義のことは新しい発見だった。

 

 しかし、プロテスタントの方でも類似のことが言える。日本に来たプロテスタント伝道師の多くは、アメリカ(あるいはイギリス)のピューリタンの流れを汲む人が多かった。しかも、明治の文明開化で西洋文化のトレンドの中で入ってきた。そこで英語や西洋文化を勉強したいインテリたち(そもそもの真面目人間)がキリスト教の担い手になった面があった。要するに英語で言うTop Down、つまり上から、外から新しい文化的枠組みとしてかぶせられたものだったのである。イエスの運動はユダヤの下層階級の日々の生活から湧き上がってきたBottom-upのものだ。しかし、日本では、一種の西洋文化開明運動的に上から降ってきたキリスト教であった。そして日本に来ていた伝道師がピューリタン的な向きが強く、それを受ける日本人側も当時のインテリ真面目人間が多かったから、結果はもう見えている。外から見ると、いかにも品行方正、謹厳実直なクリスチャンというイメージになるのも無理がない。

 

 私の父(学者だが牧師でもあった)も、そのような明治のクリスチャンの流れを汲み、お酒もタバコもやらなかった。パチンコ、賭け事もしない。しかし、イエスの当時も皆で親しくワインを飲んでいたわけだし、お酒を飲む、飲まないとクリスチャンであることと何ら関係はない。(注:パウロはさすがに手紙の中で「泥酔はやめましょうね」といっているが・・。)また、タバコは健康に悪かろうが、タバコを吸う、吸わないと信仰とは直接関係ない。タバコはイケナイが、日本茶はいいとか、ガムはいいとか・・誰がどう決めるのか?アホらしい。しかし、ひたすらに神を思って生きる上での一つのスタイルとして、ある人が酒・タバコを辞めて、禁欲的、修道院的に生きるとすると、それも個人の選択としてはないではないだろう。しかし、クリスチャンは全てお酒を飲むべきでない・・などということになると、イエスが命をかけて戦った、あのユダヤ教支配者階級の戒律と違わなくなってしまう。そういえば、父も私に、酒・タバコ禁止などと押し付けはしなかった。だから、私は両方やった。(タバコは辞めたが。)

 

 ということで、日本では、クリスチャンは、酒・タバコもやらない謹厳実直/品行方正人間というイメージなっているようだ。だから、教会には近寄りたくないらしい。とすると非常に残念だ。教会は、品行方正になれないけど神に愛されたいという人が来る所なのに。(もちろん、クリスチャンは神の愛があるから、どんなに悪いことをしても許されると思っているのですね・・・などというのも大いなる誤解だが。)この手の誤解を解き、教会も捨てたもんじゃないという風に持っていければと思う。そういうわけで毎年、ライブもしている。もしかして、あなたも誤解してませんでしたか?   Nat

 

 

クリスチャンって品行方正? その1

12月23日、私の行っている田園江田教会での私のクリスマス・ジャズライブは、お陰様で11年目の演奏を、地域の方、百数十人に聞いて頂けることが出来た。ところが、来場してくださった方の中から、後で あるコメントを聞いた。教会のライブということで、聴衆は殆どがクリスチャンと思われたようで、クリスチャンでないその方々は周りの“品行方正な”クリスチャンの中で居心地が悪かったという感想だ。実は私たちのクリスマス教会ライブは、いつもは教会に来ていない地域の一般の方に、少しでも教会になじんでもらおうという趣旨で来場を呼びかけているものだ。だから、結果的に多くの一般の方がお見えになる。ところが、その方々からすると、周りの人が“品行方正”なクリスチャンに見えてしまうというわけだ。

どうも、日本ではクリスチャンというと、倫理的な生活を追求する謹厳実直の人々という印象が強いようだ。事実、教会に初めて来られる人の中で「聖書は愛の倫理を説いていますよね」といったことを言う人がいる。私は「それって、ちょっと違うんですけど・・」と答える。でも、なぜ「愛」そのものではなく、「倫理」になってしまうのだろう?

まず実際にはクリスチャンは、「品行方正」や「倫理」を原理として生きているわけではないということをここで改めて押さえておきたい。いな寧ろ、クリスチャンは、自分が倫理的な基準ではとても「いい子」とは看做されない部類だとの自覚がある人たちだろう。私がその最たるものだ。そして、そこから自分の努力で倫理を追求するのでは、人は救われないことを知った人たちでもあろう。むしろ、神はそのままの私たち、「いい子」ではないかも知れない私たちを愛し、愛しぬいてくださっている。そして、親が出来の悪い子にも献身的な愛を献げるように、神は私たちを無条件に愛してくださっている。このことを信じたときから、私たちの人生は変えられていく。これこそがクリスチャンの信仰である。

イエスが登場した2000年前のユダヤの社会では、まさに「倫理」(ユダヤ教の戒律)を徹底追及するユダヤ教支配勢力と、「倫理」どころではなく、その日の食い扶持を必死に求める貧民・下層階級が、まさに対照をなしていた。イエスは、そのような支配勢力に対し「姦淫(今で言う不倫)をする奴は罪人だって? そうやって弱いものを裁くあなた方の、その女性を見る時のいやらしい目つきは何だ? 心の中で姦淫をしているのと同じではないか?」と鋭く非難しつつ、人間は皆、本能的欲求も、弱さももった小さな存在であることの自覚から出発し、その上で神の愛が注がれていることを知るべきことを説いたのである。そして最後には自らの命を捧げて、神の愛を証しした。このように、イエス・キリストが証ししたことは決して「倫理」ではない。倫理的に生きられない弱い人間に対する神の愛の救いである。それを信じて生きることになった弱い人間は、結果的に、信じる前よりも優しい人になったり、少しは愛の行為にも近づくかも知れない。しかし、それは信じた結果であって、目的ではないのだ。 それなのに、なぜ特に日本ではクリスチャン=謹厳実直=品行方正のイメージになってしまうのであろうか? それを次回に。  Nat

普天間移設問題は、どうなってしまうんだろう?

笑顔 11月11日・12日の当ブログで普天間移設問題について書いた。その時は、どうせ現案の辺野古に移設するしかないだろうゆえ、暫く代案を検討する政治的プロセスを入れつつ、国防について皆で考える機会になればと述べた。ところが結局、普天間問題は「暫く」ではなく越年し、5月まで検討することとなってしまった。1月24日には、現案での移設受入れ先の辺野古のある名護市の市長選挙があり、受入れ反対派の新市長候補(民主党など推薦)が勝ちそうな気配もある。そうなれば、本当に辺野古案の実現は困難になるだろう。その場合、米軍の海兵隊ヘリコプター基地はどうなってしまうのだろう?

落ち込み このことを少し皆さんと一緒に考えたい。そもそも米軍にとって、海兵隊のヘリ部隊は本当に沖縄に基地を持たねばならないのか、それともグアムでもいいのか? この根本問題が、実は国民には明らかにされてない点が大問題であると思う。私の表面的理解であるが、結論的には米軍にとっては、極東・アジアへの海兵隊展開上は、?ヘリ部隊含めて全てグアム集中と、?沖縄/グアム の二箇所に分かれるのとは一長一短。結局は日本からどれくらいの財政援助が出るかによって選択が変わってくるというのが本音ではないだろうか。

びっくり 11月11日・12日の当ブログ記事以降の11月26日に、普天間のある宜野湾市の市長が米軍の資料を使って主張声明文を出した。その要旨は、沖縄海兵隊のグアム移転に関する2006年の日米合意で、そもそも海兵隊の司令部だけではなく多くの部隊がグアムに移転することが合意されており、今回辺野古への移設が問題になっているヘリ部隊もグアムに移設することで本来問題はない筈ということだ。

OK どうも、この辺を辿ると、海兵隊ヘリ部隊を沖縄内に留め、且つ、ヘリパッドに留まらず、ついでに2500mの大滑走路つきの新基地を辺野古に作るという現在の案も、実は米国の希望というより、日本側の思惑でそうなった面が否めないようなのだ。その説によると、そもそも米軍は沖縄の海兵隊の全てをグアムに移転することが基本構想であったところが、日本側(自民党と地元の建設業勢力、及び、さびれつつある名護市に基地を誘致しようという勢力)の思惑から、海兵隊の一部に名護市に残留してもらい、しかも大滑走路もある大きな新基地を誘致、それで5000億円から1兆円とも言われる公共工事を沖縄に呼び込むことを画策した結果とも言われる。

お金お金 一方、米国は米国で、日本に新しい基地が出来ることで、駐留米軍へのいわゆる「おもいやり予算」(駐留費用を日本が負担)を確保でできる。更には、実はこれが米国の最大の眼目のようだが、グアムへの海兵隊移転費用(7000億円とか)を日本に負担させられる。というのは、そもそも米海兵隊が沖縄からグアムに移転するのは、沖縄の人への人道的配慮からではなく、米軍配置の世界的再編の一環からそうなるのであるが、その移転費用を日本に負担させたいことから、日本・沖縄との取引の形に持ち込んだということだ。その結果できたのが2006年のグアム移転に関する日米合意。その合意パッケージに、日本側の思惑である、海兵隊の一部(ヘリ部隊)を沖縄辺野古に残し、そのためという建前で新基地という大プロジェクトを呼び込む、このことも含まれたという解釈があり得るのである。

泣く この解釈が正しいとすると、2006年日米合意は、米国の打算と日本のある勢力の打算のやりとりの末の微妙な取引パッケージであるので、辺野古新基地だけを外すとパッケージ全体が崩れる恐れがあるということなのだ。米国にとって、今回の鳩山政権の「見直し」の最大の懸念は、多分、海兵隊本体のグアム移転の費用7000億円の日本政府負担までが見直しになることだろう。(逆にいうと米国に対し「7000億円はきちんと出します・・おもいやり予算もきちんと出します・・・だから、ヘリ部隊はグアムに行ってください・・」というと、案外通るかも知れない。違うだろうか?)

笑い 上記の構図は本当に正しいか分からない。しかし、要は、米国も、日本のこれまでの関連勢力も、日本の国防・安全保障のためのベストは?等という観点は殆どなく、利権や財政負担への思惑からの打算的政治合意をしてきただけかも知れないということだ。ここに鳩山政権が、「真面目」に、かつ超ナイーブにチャレンジしているという構図だろう。しかし、それも沖縄県民へのポピュラリズムであって、日本の国防・安全保障論はそこには全くない。 ああ、日本、どこへ行く?  にっこり Nat

NatのクリスマスJAZZライブ

音符音符 Natは、今年も教会でクリスマスJazzライブをします。音符音符 

キラキラ12月23日(水・休)の夜8時半から10時まで、横浜市青葉区の江田にある、田園江田教会でやります。入場無料。今年で11年目。クリスマス曲(サンタが街に、ブルークリスマス等)とか、有名ジャズ曲(Route66とか)、有名ボサノバ曲(いそしぎ、イパネマの娘とか)をやります。

譜面 Natはピアノと歌です。 マイク

OK 場所など詳しくは、田園江田教会のHP:

 http://www7a.biglobe.ne.jp/~eda-ch/

でご覧ください。そして、近辺の方は、ぜひお越しください。
 
笑い これの練習で、ちょっとブログを書けない日々が続きまして、すいませんすみません。    Nat     続きを読む
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