♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)

生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等

死んだらどうなる? その5

笑顔 この「死んだらどうなる?」シリーズは、前回の「その4」で当面は完了のつもりだった。ところが、なんと昨晩、私の古い友人が臨死体験をしていたことを知った。そこで興奮して、この「その5」を付け加えることにした。

車 彼とは久しぶりに会ったので、色々話を聞いたのだが、その中で彼は驚くべき話を始めた。暫く前に彼は一度ほとんど死んだという。駐車場で車を動かしていた彼は運転を誤り、大変なスピードで壁に激突したらしい。その瞬間、視界が超スローの画像のようになって、車のフロントガラスが粉々に砕けて飛散するのが実にゆっくりと感じられ、一つ一つのガラスのかけらが空中を飛ぶのまで見えたそうだ。その時彼は、自分は死ぬと分かったという。その後、駐車場の天井の辺りに自分は浮かんでいて、ぐしゃぐしゃにつぶれた自分の車に人が群がっているのが見えた。自分自身の姿は見えなかったらしいが。

日の出 そして、その後、彼はサーモンピンク色の世界に移る。そして、斜め上方向から親しかった人の笑顔が次から次へと出てきたという。そこで、その場面は終わり、ふと気がつくと病院に担ぎ込まれていたのだそうだ。そして、彼は、他の多くの臨死体験者が皆そういうように、死んだらどうなるか、もう分かったという。また、それ以降は自分の人生が少し違って見えてきたという。何かいつも、自分を客観的に見ることが出来るようになったらしい。


本 これまで、私は臨死体験の本は何冊か読んだ。特に有名なE・キューブラー・ロス博士の著作は印象深く覚えている。しかし、なにぶん本に書かれたことであって、書いているロス博士も私としては知らない人だ。だからどこまでが本当のことか分からなかった。ところが、私としては、初めて自分の知っている人が臨死体験をして、その体験を生々しく語ってくれたわけだ。割れたフロントガラスの破片のこと、壊れた車の上に浮かんでそれを見ていた自分、そして、サーモンピンク色の世界と親しい人の顔。全てリアルな体験として語られた。もちろん、ここまで聞いても、それらが全て、死に瀕したときの脳の特殊な機能から生じる幻覚と主張する人がいれば、本人も含めてそれを完全に否定しきれることはないだろう。

幽霊 しかし、それでも、「たましい」が肉体に宿る、そして、死と共に肉体を離れる、この仮説は、やはり有力なものだろう。まだまだ科学的には立証できていない。しかし、臨死体験を語る多くの人たちの証言が、一つの有力な状況証拠を提供していると思う。私の友人の証言は、私にとって貴重な状況証拠となった。    Nat

死んだらどうなる?  その4

幽霊 死んで、たましいが肉体を離脱した後、どうなるか? 前にも書いたが、臨死体験(一度心臓が停止したが生き返った時の体験)をした人の無数の報告がある。多くは、まず暗いトンネルのような所に落ちて行き、そこを通過すると明るいお花畑のような所に出るという。その先で、神のような神々しい存在に会ったという人もいるし、懐かしい死んだ親が向こうの方にいたという人もいる。彼らに「まだここに来ないで戻れ」と言われたと感じた人もいる。また、何か恐ろしい地獄のようなものが先に見えたという話もある。皆、その瞬間に現世に引き戻されて、蘇生している。科学者の中には、このような体験は、死に直面した時に最後に脳内に出る特別の物質の働きで幻覚が生じ、皆それぞれが信じている死後の世界へのイメージがそこで出てくるだけと説明する人もいる。しかし、本当かどうか知らないが、たましいが抜けて浮いている時に、病院の窓の所に運動靴が置いてあるのが見えて、息を吹き返した後、それを聞いた看護婦さんが窓の外を調べると、本当に運動靴があったので皆驚いたという報告もある。幻覚とも言い切れない。

本 前に書いたが、坂本政道さんの著作「死後体験」シリーズでは、もっと驚くことが色々書いてある。米国のモンロー研究所方式のテープを聴いていると、変性意識状態になり、たましいが体を抜けて、宇宙や、霊界に飛ぶ。坂本氏は毎回の体験を詳しくリアルに記述している。臨死体験と重なるものもある。興味深いのはいわゆる守護霊のようなもの、本ではハイヤーセルフ(より高い自分)と書かれているが、それに会い、それに導かれること。そして、更にその上の世界に行くと、無限の愛の存在に出会っているということだ。また、宇宙の多くの他生命体にも出会い交流している。このような体験こそが、死後に広がる世界だという。

日の出 人類は大昔から、死後には極楽浄土や天国のような世界、あるいは地獄のような世界があるのではと想像してきた。恐らく、チベットの修行僧など、高度の訓練で変性意識に達し、たましいの飛躍を体験した古代の人達が死後の世界を探求し、それを人類に伝えてきたのだろう。それが、人間の罪の意識と重なり、天国・地獄というような死後の世界観を生んできたのだろう。

学校 しかし科学の世界では、変性意識に対する認知も研究も進まない。だから、私たちの時代では、死後の世界が科学的に解明されないまま死を迎えることになると思う。結局、死んでみないと分からない。だから、考えると怖くなったりする。しかし、坂本氏の言う絶対的愛の存在、それをもし「神」と呼んでよいなら、生きている間から、そのような神としっかりつながっていることが出来れば安心だ。善行を重ねることでそれが出来ると信じる人も多い。しかし、私はあの2000年前のイエスが自らの命を十字架に捧げて証しした神の愛ハートを信じたい。ただただ、そのような神の愛を信じきって生きることで、しっかり神とつながり、その絆は、死んで切れることはない。こう信じて生き、信じて死ぬ。そうなると、死んだ後に、その神が私のたましいをどこに連れて行って下さるかは、もう神様にお任せ。楽しみにして死ねばいいだけとなる。

はてな 死んだらどうなる? このテーマで4回に亘って書いてきた。結局、答えは「分からない」だ。しかし最後に書いたとおり、「分からないままでいい。任せられるものがあるから。」と言える生き方があり得ると思う。少なくとも私はそういう生き方を見つけられて良かったと思う。皆さんは、どうでしょう? Nat 

死んだらどうなる? その3

笑顔 前回のその2で、死んだらたましいが肉体を離れるという仮説は、状況証拠からは結構有力な仮説であると述べた。これを前提にすると、次に気になるのは、肉体を離れたたましいであるあなたの意識は、肉体を離れた後どこに行ってどういう感じになるのかだろう。
この「死んだらどうなる?」の記事を読みに来た人は要するにそこの所を知りたいのだろうと思う。

赤ちゃん まず、前世の記憶のこと。あなたは、前世は別の人の肉体に宿っていて、それでその肉体の死と共にその肉体を離れ、丁度その時お母さんのおなかの中で妊娠していた今のあなたの受精卵に移ってきたかもしれない。しかし、前世の記憶は多分あなたにはない。前に言ったように、どこにもその記憶がないのではなく、あなたの意識の奥の方の別のメモリーの中に隠されているだけかも知れない。それでも、問題は、通常の状態では、前の人の意識は、今のあなたの意識に連続していないということだ。とすると、もし、あなたが今回死んで、また次に誰かの肉体に移った場合には、今のあなたの意識は消えてしまい、あるいは隠されてしまい、次の人として、また一から始まるだけかも知れない。これでは、結局、あなたの今の意識は死んで「無」になるのと変わりない。

落ち込み このように、たましいが肉体を転々と移るだけのパターンのことを、あの仏教の始祖であるお釈迦様は、まさに命の悲惨な型と考えた。人生は苦しい。何度生まれ変わっても、その苦しい人生を繰り返すのなら、永遠の拷問のようなものだ、と彼は考えた。私は、そこまで人生が苦しみとまでは言ってないが、毎回、意識が振り出しに戻るのでは、つまらないと思う。いずれにせよ、お釈迦様の考えでも、私の考えでも、次も人間に生まれてしまうなら、あまり面白くないことになる。そこで、お釈迦様は、この永遠の拷問のようなサイクルからの離脱を考えたのである。肉体が死んで、たましいが別の人間の肉体に平行移動するのではなく、人間よりも高いレベルに移れればということだ。その為に、お釈迦様の考えたことは、生きている間に、たましいが、この世のしがらみから「解脱」する修行をしておく。そうすると、確実に、次には高い次元のたましいレベルに進歩できるというわけだ。

日の出 例の坂本政道氏が米国のモンロー研究所方式で、たましいの飛躍を経験しているのも、それに似ている。モンロー研究所のやり方でたましいの離脱を経験する場合、それで他人の肉体に移るということはない。必ず、別次元の世界に飛んでいる。そして、その場合は、今のあなたの意識がそのまま飛ぶ。とすると、もし、お釈迦様の修行による解脱か、モンロー研究所方式で飛べるように練習しておくと、実際に死んだ時に、高いレベルの方に、あなたの今の意識のまま移れるということとも思える。

笑い それで、次の高いレベルに行くと、そこはどんな世界なのであろうか? ここからまた続き。 Nat
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