♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)

生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等

何故かしら? その2 なぜ赤ちゃんもあなたの目を見る

笑顔 突然、人間の目の動きの話し。

笑い 人間が、他の人間に出会った時、誰もが相手の目を見る。これは、人間だけではない。動物もそうだ。犬でも、猫でも、動物園の猿でもトラでも、皆、自分を見つめる他の動物の目を見る。さすがに金魚はいくら眺めてもこちらを見てくれない。しかし、いわゆる高等動物は皆相手の目を見る。

赤ちゃん 不思議なのだが、目が見え始めた赤ちゃんが、なんと、もうお母さんとか周りにいる人の目を見るのだ。赤ちゃんにとって、周りにある物体は、何が何か全然分からないはずだ。家の壁も何だか分からない。赤ちゃんベッドの縦横の棒も何か分からない。壁の時計も意味不明。動く人間も不可解な物体だ。それなのに、何故か人間の目だけは見つめる。人間が動くと目を追う。

はてな なぜ人間の目だけを何故識別するのか? 人間という物体の中で、顔を識別し、その上で、鼻や口や眉毛ではなく、目を選んで見つめる。まだ脳に何ら認識マップのない赤ちゃんが、なぜ目だけを識別できるのか? これを謎と言わないで他の何を謎と言おうか?この辺を深く研究している学者はいるのかしら?いたら教えてくれ、と言いたい。
 
びっくり だから自分のセンスだけで、はっきり言って、これはもう「本能」としか言いようがない。動物の長い長い進化の歴史の中で、動物は他の動物の目を見据えることが出来るようになったのだ。どの動物も相手に襲い掛かる時にはじっと獲物を見つめる。襲われる方も、襲う相手の目の動きを追うと、何時どういう風に自分に襲い掛かるかが大体読める。だから、相手の目を読める能力は、動物にとって生存のために最も重要な能力だったのだ。当然、動物はその方向で進化した。そして、目に依存する高等動物は、皆この能力を、基本的なものとして進化させて獲得したのである。だから、これはもう本能。生まれつき、生存のための基本中の基本で、脳ミソの奥深くにプログラムされ、赤ちゃんも直ぐに使える機能になったのだ。と私は思う。

ウインク それでも、これは不思議だ。人ごみの中でも、瞬時に、歩いている一人一人の人間の目だけに、皆さんの目も行くでしょう。遠くの方の人でも、あなたは、ちゃんと目を狙って見てますよ。これコンピューターでやると計算が追いつきませんよ。更に、不思議なのは、相手の目が二つあるから、その両方を総合的に見なければならないのだが、ちゃんと、見る側の目はそれを成し遂げているということ。相手の片方の目だけを見つめるのは、眼科の先生だけ。人間は、相手の両方の目を非常に器用に、両方 “セットで” 見ている。セットて見て、相手が好意を持っているのか、敵意があるのか、などをセットで判断している。これは、はっきり言ってすごい。ウソだと思ったら、明日、誰かの目を見てください。どちらかの目だけを見たり、交互に振って見たりしてないから。両方同時に見てるから。それだけで不思議。

電球 こんな風に、我々人間の当たり前のことが良く考えると非常に不思議。ああ生きてると面白い。 Nat

何故かしら? その1(オクターブ)

はてな あれって何故?と思うこと色々ありますよね。ウン十年生きてきたので、これまで自分で「へえー。そうなんだ!」と思ったことが結構あります。それを思い出したら、その都度書きますね。詰まらなかったらごめんなさい。

音符 最初に、ちょっと理屈ぽいやつですみませんが、音楽の話。

音符音符 1オクターブ、下のドから上のドまで。ピアノを見てください、このオクターブの音程の途中に幾つ鍵盤があるか。そう12個です。少なくとも今の西洋音楽(正確にいうと「12平均律」)は、このように、1オクターブを12の半音に均等分割しているのですよ。そこでクエスチョン。何故12なのでしょう?
 昔、私は大学で遊びの方でジャズを始めましたが、殆どやらなかった勉強の方の学科で、ちょっと数学系のことをやってました。そこで、知ったんです。

音量 音には周波数があります。要するに弦がブルブルと、一秒間に何回揺れるかです。下のドが1秒に261.6回とすると、上のドはその丁度二倍早く揺れていて、523.2回/秒なんです。人間の耳と脳が、周波数で丁度1対2の音を、同じような仲間の音、いわば「親子の音」と感じるということですね。それがオクターブです。次に、「親戚の音」と感じるものは?となると、2対3(1.5倍)とか、3対4(1.3333倍)とか、切りのいいところなんですね。事実、2対3はソの音、3対4倍はファの音なんですよ。ドとファとソが、音程の中でも「区切りのいい親戚の音程」なんですね。更に言うとドとミでは4対5。一番典型的和音のド・ミ・ソは、4対5対6になります。

鐘 でも、区切りがいいからと言って、ドとミとファとソだけで音楽つくると単純過ぎて詰まらないですよね。だから、途中にも音を入れたい。しかも、その間隔が均等分になるように出来れば、ハ調とかロ調とか、どの高さの音楽でも、同じ楽器で弾けるというわけです。もっと単純に言うとピアノという楽器が出来上がるというわけです。

音符音符 そこでですが、ドとドの間の音程を10に割るか、12に割るか、あるいは15くらいに割るか?実はこの答えは12しかあり得ないのです。何故か?それを説明します。

音符音符 下のドと上のドの周波数の違いは2倍でしたが、これを12に分割するとどうなるか?ここから、やらしい算数がちょっと出ますが、ちょっと我慢してください。2の「12分の1乗」は1.0594631- -です。ドの周波数を1.0594631倍にした周波数の音をドの一つ上の鍵盤の音、そして、その次の音は、この周波数をもう一回1.0594631倍したもの、という風に、1.0594631倍を毎回掛け算していきます。12回掛け算したところで、丁度2倍になって上のドにまで行き着きます。さて、驚くなかれ!下のドから始まって、1.0594631を5回かけると、最初のドの周波数の丁度1.3348399倍にまでなります。これは、ファに当たる「3対4」、つまり、1.333333倍に限りなく近いではありませんか!そして、更に、1.0594631をもう二回掛けると、1.4983071倍、つまり、ソに当たる2対3、「1.5倍」に限りなく近い倍数になるのです! 要するに、1オクターブを12に分割すると、途中に、大事な「親戚の音」であるファ(3分の4倍)とソ(2分の3倍)に限りなく近い音が作れます。(更に、ミは4対5、1.25でしたが、1.0594631を4回掛けると1.259921で、これも限りなく近いのです。)しかし、1オクターブを10で割ったり、15で割っても、このように、大事な音であるファやソ等に限りなく近い音は登場しないのです。それは、12分割した場合だけなのです。(正確に言うと53で割るともっときちんといくようですが、そんなややこしいピアノはゴメンこうむりたいものです。)

音符 この12均一に分ける「12平均律」ですが、中国では早くも5世紀にそれに近い計算をしているようです。西洋では16世紀に理論化され、19世紀にそれに基くピアノの調律法が定着したようです。

月 一年が12ヶ月というのは、太陽の周りを地球が一周する一年の間に、月が地球の周りを約12回回るからですが、この「12」と同じ数字が、オクターブの分割の数字としても出てくるから不思議です。このように「12」はマジックナンバーです。でも、音楽の場合は、その根拠がちゃんと数学で説明できるというお話でした。面白くなかったら、ゴメンなさい。 Nat

もう一度「靖国神社」問題

笑顔 私は、6月4日以来、戦争と平和について幾つもの記事を当Blogに書いてきた。特に、6月12日に靖国神社問題の総括、そして、8月22/31日に、ドイツとの比較で、日本の国民の中に今だに「加害者意識」と「被害者意識」が交差していることを書いた。

テレビ 先日、小泉首相が靖国神社を参拝し、そのことについて、民主党前原代表とのやりとり等が報道されている。政治家のやりとりは、お互いに、相手の対場も反論の方向も、やる前から分かった上でのショーだから、大した議論になるわけがない。一方、各新聞の評論は、もう少し突っ込んでいた。本日の日経新聞は、小泉首相が靖国神社に参拝することで、そこに合祀されているA級戦犯をも正当化することになってしまう、その点こそを中国などが問題視しているのに対し、小泉首相は正面から答えていないと批判している。これは一応 的確な問題提起の一歩ではあるが、これは深い問題の入り口に入っただけである。

祝日 「靖国への参拝でA級戦犯を正当化、引いては戦争の正当化になる」という批判に、小泉首相は、まず「A級戦犯を参拝しているのではなく、多くの戦没者の霊を追悼し二度とあのような戦争を繰り返さないよう平和を祈願するもの」と言う。これに対し反対派は「しかし、A級戦犯も合祀されている」と言う。通常、小泉首相はここからは話しを反らす。勿論、彼は、A級戦犯が合祀されている事は百も承知である。また、聞かれれば、A級戦犯は戦争の犯罪者であると認識していると回答しているから、それも十二分に理解している。更に、A級の分祀論については、神社側が神道の神論から原理的にあり得ないとしていることと、更に遺族会の中にA級の分祀反対論が強いことも承知している。だから、A級の問題になると逃げの一手しかない。

悲しい しかし、実は、逃げざるを得ないという、この点にこそ、問題の深さがあるのだ。実は、日本人の心情の中に、A級戦犯を憎み、彼らに全ての責任を負わせようという意識はそれほど強くない。むしろ、戦後直後の米軍の情報作戦もあって「一億総懺悔」で国民全体としての「加害者意識」は広がったが、一方で、東京裁判は所詮戦勝国が敗戦国を一方的・事後的に裁いたものとの「被害者意識」もある。その「被害者意識」の中で、天皇も末端の国民も無罪放免されたが、A級戦犯(と海外でそのまま処刑された1000人規模の軍人ら)こそは国民の代表で処刑されたものとの意識も根強いのである。ドイツとの比較の8月の記事で書いた通り、ナチス幹部は自己保身のため続々と逃亡したが、日本の軍部首脳は誰一人逃亡していない(私の知る限り)。”国民代表”で従容として死についた軍幹部を心の底からは憎めない日本人の心理があるのだ。だからこそ、戦後、国民の支持を得て、段階を経て、A級戦犯の復権がなされて来たのだ。(1952年に「戦争犯罪受刑者に対する赦免」に関する4000万人の国民署名。翌53年に衆議院での全会一致での赦免決議。56年にA級存命者の釈放。そして、78年の靖国神社へのA級戦犯合祀決定。)中国などの怒りに反射反応して小泉首相の参拝を云々する前に、日本人、特に戦争体験を継承する国民の層における上記のような心情が実際にあるからこそ、政治的にそのような動きが出てきていることを見据える必要がある。

怒り しかし、国際法的にも、国際政治的にも、今更、「東京裁判は一方的で不当だった」とか、「A級戦犯はむしろ被害者」などと、言い出す余地は全くない。(靖国神社自身はそう言い続けているが。)だから、対外的には、A級戦犯も合祀されている靖国神社に参拝することを正当化できる理屈も根拠も一切ない。 しかし、実は、国民の意識の中には、上記の通りの「被害者意識」と「代表で処刑された戦犯者への複雑な想い」が根強く存在し続けているのである。だから、対外的・公式的立場と、国民の心情を汲んだ国内政治的スタンスとが、当然の如く、相違してくるのであり、その相違は、論理では埋まらないから、使い分ける、論理的には「逃げ」と「誤魔化し」で対処する、これしかないのが、小泉首相らのポジションなのである。

ハート だからといって、これを放置しておこうと言っているものではない。これ以上いたずらに中国などを刺激しない意味では、参拝はやめた方がいいだろう。しかし、やめても、中国側の傷がそれで癒えるわけではない。日本側で、根強い「被害者意識」や”戦犯者”への複雑な想いが消えるわけでもない。それだけ、攻め込まれた中国側にも、攻めていった日本側にも、深い傷が残ったのである。加害者意識と被害者意識がクリアに分離されないほどに。だから、何度も言っている。「お前は加害者」、「オレは被害者」と言って、非難しあったり、土下座することからは傷の癒しはない。人間が神に対して犯した人類の罪として、一緒に神に許しを祈る輪が拡がることでしか、癒しはない。改めて、そう思った。 Nat


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