♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)

生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等

(再び)「人はお金のみにて生きるものにあらず」

笑顔 先週の日曜、私の行っている教会で、色々な話し合いをした。その中で、クリスチャンは「お金」というものにどういうスタンスを持って生きるべきかも話した。

笑い 割と多かった意見は「お金そのものは罪とか善とか言うことはなくて、それをどう使おうとするかによって、お金の意味が変わってくる」といった考え方だ。要は「クリスチャンも、大いにお金を儲けてもいいけど、それを、然るべく、教会への献金とか、可哀想な人に寄付するとか、そういうことに振り向けるなら結構だ」というようなことだろう。

はてな でも、そういうことだけだろうか?なんとなく、違う気もした。

お金 6月25日の私のBlog記事「人はお金のみにて生きるものにあらず」で書いたが、先ずは「神さまは私たちがお金を必要としていることを痛いほどご存知で必要なお金は神さまがちゃんと下さる」ということを、ひたすらに信じきれるかどうかだ。そして、その神さまに、必要だと思うお金のことは祈る。主の祈りの「今日のパンを今日お与えください」と同じように「神さまお金が要ります」と祈ればいい。そして、自分で稼ぐなり、誰かがくれるなりして手に入ったお金のことを、本当に神さまが下さったと信じて感謝する。このような、信仰こそが、先ず問われているのだと思う。そのお金で教会に献金するにしろ、おいしいラーメンを食べに行くにしろ「自分で稼いだ自分のお金を自分がどう使おうと自分の勝手」と思ってやるのか、「神さまが与えて下さったお金」としてそうするのか、この「心」の有無が問われるのであって、お金の使途が問われるのではないと思う。使途を決めるのも「心」なのだから。  Nat

ぶっつけ本番でジャズをやります!

音符 こんど、また9月30日(金)に西麻布のジャズ&ワインクラブのMistyに出演します。(詳しくはMistyのHPをご覧ください。スケジュール表のピアニストのNatが私です。)

笑顔 当日の演奏ですが、はっきり言って「ぶっつけ本番」です。やる曲は一応決めてありますし、簡単な曲の進行やアレンジを記した譜面的なものもあります。でも、メンバーで別の日などに集まって事前の練習はしません。普通、プロでも、CD作成などのためにスタジオで録音する時はさすがに少し事前練習のようなことをしますが、ジャズクラブなどでのライブは、概ね「ぶっつけ」なのです。

はてな なぜ、そんなことが出来るの?と良く聞かれます。それは、まず、ジャズという音楽が基本的に「ぶっつけ本番」の音楽だからなのです。例えば、今度の9月30日にやる曲で、有名な「枯葉」という曲があります。そうです、シャンソンでお馴染みの「枯葉」です。ジャズではジャズの神様マイルスデイビスが昔ジャズ風に演奏してから、ジャズのスタンダードにもなりました。誰でも知っている「枯葉」ですが、今度Mistyでを一緒にやる4人としては、今まで一度も一緒に「枯葉」を演奏したことがありません。但し、皆にそれぞれの体と心の中にそれぞれの「枯葉」という音楽があるわけですね。それを、今度4人で合わせて弾いてみると、全体としては、どんな「枯葉」になるか、私も分りませんが、どうなるか、スリルがあって楽しみです。勿論、その場の雰囲気とお互いの奏でる「枯葉」がお互いに刺激しあって、その時一回限りの「枯葉」が出来上がるのです。お客さまも、そのスリルと、演奏者がそのスリルを楽しんで弾いている楽しさを共有するのです。曲の出だしと、終わり方などは、一応、簡単に申し合わせ事項が、譜面的な紙に書いてあるので、いちおう皆それを見て合わせますが、その場の「ノリ」で違うようになることもあり得ます。この辺が面白いのです。

音符  クラシックは作曲家の作った曲をそのまま弾きます。ジャズでは、それぞれの演奏者が自分の音楽を弾くのです。だから、僕の「枯葉」は僕の音楽です。

笑い Natがどんな音楽をするのか、知りたい方は、是非、Mistyに聞きにきてください。9月30日(金)夜8時―11時20分の間の3ステージです。 Nat

また戦争責任(ドイツとの違い?)

落ち込み 8月22日の当Blogで大戦時のドイツと日本の差異について少し述べた。今日は、改めてもう少し違った観点から、ドイツとの差を更に考えてみたい。

落ち込み ドイツは主に英仏露という欧州での「昔からの喧嘩相手」と喧嘩して結局負けた。一方、日本は中国との局地戦が泥沼化し、そのうち気がついたら、中国から遠く離れた国である英・米との戦いになってしまって負けたのである。この構造の違いは、戦後の戦争責任意識に対しても大きな影響があるのだ。

馬 まずドイツだが、第一次世界大戦でドイツは英・仏・露に敗戦し、巨額の賠償金を取られ、またポーランドに領土の一部(ドイツ人が多く住んでいるポーランド回廊)を割譲させられた。これを元に戻そうとしてヒトラードイツはポーランドに西から侵攻し、ソ連は東からポーランドに攻め入った。次に英仏がこのようなドイツに宣戦布告。さらに、ドイツはソ連との不可侵条約を踏みにじりソ連にも侵攻する。といった具合で、第二次世界大戦の欧州戦線は、そもそも、昔からの喧嘩の続き、特に第一次世界大戦の蒸し返しなのである。

だから、そもそも、ドイツとしては人類の平和を脅かす恐ろしい戦争をしたという意識はないし、英仏、或は後に参戦する米からしても、言ってみれば、これまでの欧米白人国家同士の通常戦争の延長であった。通常の戦争で負けた国が勝った国に賠償金を払うことはあっても、「謝罪」することはない。唯一、ドイツの犯した恐ろしい罪は、戦時中に同時に行われた「ナチスのユダヤ人ホロコースト」だというわけである。だからこそ、ドイツは戦後一貫して「罪はナチスのホロコーストにのみあり」との立場を貫き、ホロコーストだけを謝罪するのである。栄誉あるドイツ国防軍は、結果は負けたが、国のために第二次世界大戦を戦い抜いたとの位置づけなのである。戦後のニュルンベルク裁判でも、専ら、このナチスの人道的犯罪(C級の罪)が問われた。ドイツ国防軍が2000万人以上のソ連人・ポーランド人戦死者を出したことは主なる大罪としては問われていないのである。

国旗 一方、日本は、日露戦争に勝利し、漸く列強に追いつき中国大陸に植民地の足がかりを持つようになり、結局、朝鮮、満州を支配下に置く。その結果、蒋介石国民政府軍との戦いになり、宣戦布告もないまま、泥沼の日中戦争に突入していくのである。(その後、欧州での仏の対ドイツ降伏に伴い、仏印(インドシナ)にも侵攻する。)これに対して、アジアに植民地利権を持っていた英・蘭、そして米(注:米はフィリピンを植民地にし、蒋介石を支援していた)が日本を阻止せんとし(ABCD包囲網)、それで米英等との大戦にまで拡大してしまうのである。日本は第一次世界大戦では英国の手伝いを少ししただけだが、第二次世界大戦では、歴史上初めて、白人国家、英・米・蘭との全面戦争をするのである。

日本は、中国・アジアで2000万人の死者を出した(うち千数百万人が民間人)。しかし、宣戦布告をし合って戦い負けたのは、米英に対してである。戦後、戦勝国米英は、このような日本を裁くが、その東京裁判では中国・アジアへの侵略の罪(A級の罪)が主であった。要するに、日本軍が中国・アジアを侵略し2000万人を虐殺した罪を、米英が代理で裁いたのである。

すいません このように、ドイツの他国侵略(と2000万人のソ連人など殺害)は、昔からの欧州内の「国盗りゲーム」の延長で、欧米人同士の裁判では余り問題にはならなかったが、日本の中国・アジア侵略は欧米人からして罪とされた。戦争当時の日本人からすると、資源なき日本が追い詰められ、中国・アジア深くに侵攻してしまい、結局、白人国家米英と衝突し負けた。ユダヤ人虐殺を除いて、ドイツが欧州で侵略したのが特別の戦争犯罪でないなら、なぜ日本の罪だけが問われるのか、ということになる。これが、日本国内に今でも根強くある「被害者意識」であり、靖国神社が戦犯者のことを「濡れ衣で殺された」と言い続ける理由である。また、ドイツ人がナチスにだけ罪を着せたのと異なり、戦後の日本人は「一億総懺悔」してきたので、国民全体が今も中国・アジアへの「加害者意識」を負っているのである。ここがドイツと日本の大違いである。

悲しい この、「被害者意識」と「加害者意識」の交錯した「永遠の呪縛」からどうやったら抜け出せるのであろうか。それは、上記のように、ドイツはずるいとか、中国・韓国はしつこい、等と言うことでもなく、かと言って、いつまでも中国・韓国に謝罪し続けることでもない。日本のしてしまったこと、ドイツのしたこと、米国がしたこと(原爆投下等)を全て「人類の神に対する罪」として認識し、子孫に正しく伝えていくこと。その上で、人類全体として手を取り合って、共に神に許しを祈ることであろう。 Nat


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