最近、教科書問題などに絡んで「戦争で日本ばかりが悪かった訳でもない」といった論調の意見や著書が多く出てきている。いわゆる「戦後の自虐史観」を是正しようという動きだ。これに対して左派は「右翼・軍国主義者による歴史修正主義」というレッテルで応戦する。
「戦後の自虐史観」を問題視する人達の典型的な意見はこうである:『戦後日本を占領したGHQのWGIP (注:War guilt information program; 戦争罪悪感情報作戦;占領軍による徹底した情報管制・指導による日本国民のマインドコントロール)と、それに呼応していった日教組の“民主主義教育”及び偏向的報道のため、戦後育ちの世代は、実態を遥かに離れて「日本の犯した罪」の意識を心に刷り込まれてしまった。日本統治時代の韓国における日本の貢献は一切捨象され、皇民化運動の罪ばかりが指摘される。在日韓国・朝鮮人の大半が自ら出稼ぎに来た人たちであることを伏せ、恰も皆が強制徴用された人の末裔かのように吹聴する。南京で日本軍が市民を含めて30万人を虐殺したなどという到底あり得ない、戦後捏造・拡大された話を史実かのように教える。米国が日本を太平洋戦争に意図的に追い込み(ハル文書での最後通牒)、更に、東京空襲での無差別殺戮という明らかなる戦争犯罪行為を経て、挙句の果ては、戦後の覇権争いでソ連に力を見せつけるために日本で原爆投下実験までを行なった米国の情報操作に乗り、米国こそが民主主義・平和の手本であるかのように振舞う。』
これに対する左派の批判は、概ねこんな所か:『右翼歴史修正主義者こそは、最初から政治的意図をもって、逆に史実の中から都合の良い事柄のみ取り出している。また、米・ソ、或は中国側の問題行為に着眼、戦争では皆同じことをしていたとして自らを無罪化せんとしている。往々にして彼らはアジア他民族蔑視であり、他民族の被った苦しみを痛む心情が欠落している。戦争のきっかけや原因において、日本が中国で共産党の挑発に乗せられて日中戦争にずるずる入って行ってしまったとしても、また米国の策謀に乗せられて太平洋戦争に引き込まれたにせよ、更に他の国でも類似の侵略行為があろうがなかろうが、結果として日本軍がアジア他国を侵略し、戦時の異常事態の中とは言え、至る所で様々な戦争犯罪行為をした事実が消えるものではない。』
私の見るところ、このような両サイドの意見は、それぞれ別の場で一方的に述べ立てられるのみで、決して同じ場で向き合って“冷静に”事実関係情報や意見の交換がなされることはない。そもそも相手方のことを最初から敵視し嫌っており、相手方から何か学べるものがあれば学ぼうといった姿勢がどちらにもない。これでは日本は進歩しない。若い世代には結局何も伝わらない。右派の「自虐史観是正派」の指摘するように戦後教育は確かに偏りがあったようであり、敢えてハイライトが当てられていなかった史実も正当に表に出し、若い世代の評価に委ねていく努力は必要であろう。しかし「日本軍の罪」に一方的に偏っていた点を是正しようとする余り、日本軍の行為全てを無罪化しようとしたり、更には美化までしようとするならば、左派の懸念する通りになってしまう。一方左派はそのような懸念の余り、右派の指摘しているフレッシュなポイントについて目をつぶってしまうのでは進歩がない。今の所、このような建設的な対話や意見・情報交換が進んでいない点こそが懸念される。むしろ、戦争責任評価を巡る意見の対立が新しい憎しみを生みつつあるかのようである。 Nat
「戦後の自虐史観」を問題視する人達の典型的な意見はこうである:『戦後日本を占領したGHQのWGIP (注:War guilt information program; 戦争罪悪感情報作戦;占領軍による徹底した情報管制・指導による日本国民のマインドコントロール)と、それに呼応していった日教組の“民主主義教育”及び偏向的報道のため、戦後育ちの世代は、実態を遥かに離れて「日本の犯した罪」の意識を心に刷り込まれてしまった。日本統治時代の韓国における日本の貢献は一切捨象され、皇民化運動の罪ばかりが指摘される。在日韓国・朝鮮人の大半が自ら出稼ぎに来た人たちであることを伏せ、恰も皆が強制徴用された人の末裔かのように吹聴する。南京で日本軍が市民を含めて30万人を虐殺したなどという到底あり得ない、戦後捏造・拡大された話を史実かのように教える。米国が日本を太平洋戦争に意図的に追い込み(ハル文書での最後通牒)、更に、東京空襲での無差別殺戮という明らかなる戦争犯罪行為を経て、挙句の果ては、戦後の覇権争いでソ連に力を見せつけるために日本で原爆投下実験までを行なった米国の情報操作に乗り、米国こそが民主主義・平和の手本であるかのように振舞う。』
これに対する左派の批判は、概ねこんな所か:『右翼歴史修正主義者こそは、最初から政治的意図をもって、逆に史実の中から都合の良い事柄のみ取り出している。また、米・ソ、或は中国側の問題行為に着眼、戦争では皆同じことをしていたとして自らを無罪化せんとしている。往々にして彼らはアジア他民族蔑視であり、他民族の被った苦しみを痛む心情が欠落している。戦争のきっかけや原因において、日本が中国で共産党の挑発に乗せられて日中戦争にずるずる入って行ってしまったとしても、また米国の策謀に乗せられて太平洋戦争に引き込まれたにせよ、更に他の国でも類似の侵略行為があろうがなかろうが、結果として日本軍がアジア他国を侵略し、戦時の異常事態の中とは言え、至る所で様々な戦争犯罪行為をした事実が消えるものではない。』
私の見るところ、このような両サイドの意見は、それぞれ別の場で一方的に述べ立てられるのみで、決して同じ場で向き合って“冷静に”事実関係情報や意見の交換がなされることはない。そもそも相手方のことを最初から敵視し嫌っており、相手方から何か学べるものがあれば学ぼうといった姿勢がどちらにもない。これでは日本は進歩しない。若い世代には結局何も伝わらない。右派の「自虐史観是正派」の指摘するように戦後教育は確かに偏りがあったようであり、敢えてハイライトが当てられていなかった史実も正当に表に出し、若い世代の評価に委ねていく努力は必要であろう。しかし「日本軍の罪」に一方的に偏っていた点を是正しようとする余り、日本軍の行為全てを無罪化しようとしたり、更には美化までしようとするならば、左派の懸念する通りになってしまう。一方左派はそのような懸念の余り、右派の指摘しているフレッシュなポイントについて目をつぶってしまうのでは進歩がない。今の所、このような建設的な対話や意見・情報交換が進んでいない点こそが懸念される。むしろ、戦争責任評価を巡る意見の対立が新しい憎しみを生みつつあるかのようである。 Nat