♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)

生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等

上海のエレベーターの中では・・・

笑い このところ、シリアスな記事ばかり書いて疲れたので、こぼれ話: 
 上海のエレベーターの中では、乗る人が「閉める」のボタンを忙しく押し捲るという話を聞きました。日本でも、ちょっとそういう人いるけど、上海では、もう、桁違いに立て続けに押し捲るというのです。私も上海には何回か行ってますがそこまでは気がつかなかったけど、住んでる人がそういうんだから、ちょっと、そういう面あるんでしょう。そして「開く」は全く誰も押さないというのです。
 日本人も相当イライラした人もいるようにも思うけど、一応、時々「開く」も押されるし、また
、自分が降りる時に、まだ乗り続けてる人のために、「閉まる」を押す奥ゆかしい人がいますね。多分、中国にはそういう人いないんだ。
 中国の人がエレベーターの「閉まる」ボタンを激しく押すのと、あの中国の人の早口・大声の「喋り捲り」と何か通じるところありそうですね。そういえば、日本人にはまだ小さい声でゆっくり目・控え目に話す人もいますね。
 はっきり言って、やっぱり、国ごとに民族ごとに、統計学的に「優位差」のある特徴ってあるよね。それに着目するのって、差別でも、蔑視でもないと思うし、違いがあり、個性があり、多様性でいいと思うんだけど、「レッテル」貼りすぎるのは問題なんだろうね。
  そういえば、「大体、男は・・」「とかく女は。。。。」という発言と同じだ。言い過ぎると噛みつかれる。Blogの論調もだよね。ほどほどにしよっと。  Nat

靖国神社シリーズの最後に----「神として祀られた人たち」

★靖国神社のことに絡めて、日本、中国、韓国・北朝鮮それぞれの捉え方を少し書いてきました。今回はこの辺で終わりにしますが、最後に、靖国神社は戦没者のお墓ではなくて、戦没者を「神」として祀る場所である事を書きます。(注:靖国神社はお墓ではないので遺骨は納められていません。無名戦没者の遺骨は国立千鳥ヶ淵墓苑に納骨されています。)

★靖国神社では、明治2年の戊辰戦争以降、国を守るために戦没された人たちの霊を「神」として祀っています。まさに同神社の公式ホームページに「欧米の無名戦没者の墓等では神格化していませんが、それとは異なります」と書かれている通りです。

★また、同神社の公式ホームページでは、神として祀っている戦没者として、太平洋戦争時に沖縄で戦った中学生や「ひめゆり部隊」、或は、赤十字の従軍看護婦さんなども、と書いた後に、戦犯処刑者(A級及びB・C級)について以下の通り書いています:『戦後、日本と戦った連合軍(アメリカ、イギリス、オランダ、中国など)の、形ばかりの裁判によって、一方的に“戦争犯罪人”という、ぬれぎぬを着せられ、無残にも生命を絶たれた1068人の方々・・・靖国神社ではこれらの方々を「昭和殉難者」とお呼びしていますが、全て神さまとしてお祀りされています。』『日本が今、平和で栄えているのは、靖国神社の神さまとなられた、こういう方々のおかげなのです。』―― 以上がホームページ記述です。

★従って、靖国神社は、A級戦犯を含めて神として祀り、“彼らの戦ってくれたあの戦争のお陰で今の日本があるのだ”と日本人が感謝するための場所なのです。日本側には、さすがに、“再軍備して今度こそは勝とう”とまで思う人は少なくても、過去の戦争への想いとして、靖国神社のこの趣旨に共感する心情が根強くあることは前に述べた通りです。一方、中国政府は、少なくともA級戦犯に全ての責任を帰してもらわないと賠償放棄の根拠が崩れるので困るし(また対日政治カードとしても使いたいとの思惑もあるでしょうが)、また中国の一般国民の多くは「まだ何ら償いを受けてない」と思って憤慨しているのでしょう。更に韓国・北朝鮮の人は日本支配時代への怨念を深く持っています。彼らのそのような立場と、「日本人が過去の戦争と戦没者に感謝する場」としての靖国神社の存在とは、余りにも相容れないものであると痛感されます。我々は末永くいがみ合うのでしょうか。

★しかし、最後に、冷静に人類の歴史を振り返ってみると、むしろ、人類は終始一貫して民族同士・国同士でいがみ合いながらも、適宜、互いに都合の良い文化的交流なり政治的・経済的取引はしてきたとも言えます。人類とはそのようなものかも知れません。勿論、だからと言って、中国・韓国・北朝鮮との間のわだかまりはそっとして置いて、ひたすらに経済取引に励むのが賢明とも言いませんが、余り、一つ一つのことにいちいち過剰反応しない方がいいかも知れないとも思う今日この頃です。 Nat

靖国神社問題―韓国・北朝鮮は?

★この間、靖国神社問題の日本側と中国側の話をそれぞれ書いた。では、韓国・北朝鮮はどうなのか?

★大韓・朝鮮民族が日本に対して抱いている怨念は、もっぱら、1910年の「日韓併合」から終戦までの「日帝支配36年」についてである。中国とは違って、日本が大韓帝国と戦争したわけではないので、本来、法的には「戦争賠償」の問題は出ないが、この36年の支配の間に大韓民族が受けた「被害」「苦痛」をどう考え、それへの「責任」・「補償」をどう考えるかというのが問題だ。

★まず1910年の日韓併合そのものをどう捉えるか? 当時大韓帝国は、開化・近代化が遅れ、国として相当疲弊していた。その中で、以前からの朝貢先であった清国に加え、ロシア、日本がそれぞれの思惑をもって接近していたが、日清戦争、日露戦争での日本戦勝を経て、結局、日本が併合し支配下に置くのである。韓側の抗日運動として、農民などによる義兵運動や都市市民による国権回復運動があったが、これらは現地の日本軍が武力行使して圧殺したので、決して“平和・友好的”な併合ではなかった。一方、韓側支配者層としては、ロシア派もいたが、結局、日本に支配される方の道を政治的に選び取り、1910年に併合条約に応じるのである。このことから、日本サイドでは「多少とも強引な面があったとしても、国際法上は有効・合法な併合であった」との見解が多い。(また、米・英・露も併合に異議を唱えていない。)しかし、合法であれ何であれ、韓側の国民感情として、清の代わりに今度は(民族意識上「末の弟分」であった)日本の支配を受け入れざるを得なかったことへの屈辱感や諦観は想像に余りある。

★次に36年間の支配期間中に日本が何をしたかであるが、これまた、当然両面ある。併合以降日本が現地に投下した莫大な社会資本(53億ドル相当:後に65年の日韓基本条約で日本側が権利放棄)により、それ以前の相当劣悪な生活環境から大きく近代化され、特に農業・食料供給体制が大幅向上した事実がある。(但し当然日本の都合に合わせた偏った振興であり、恩に着せてよいかどうかは別である。)一方で、1936年以降は、韓側国民は日本の支配下のまま「日本領土民」として日中戦争・太平洋戦争に巻き込まれて行った。日本本土でも戦時体制下の日本国民に辛いものがあったわけゆえ、ましてや支配下の韓側国民にはそれより更に辛い出来事が多々あったと思わざるを得ない。(皇民化政策、強制労働問題、従軍慰安婦問題、日本軍人による村民虐殺・強姦等、それぞれにつき実態立証の様々な両論があり、一つ一つのことの本当の真相は私には分らないが、特に1936年以降は全体として大きな辛さがあったと想像される。)

★戦後、1951年のサンフランシスコ条約では、戦勝国側でない韓国は日本支配からの独立を承認されたのみで、併合・支配時代の被害問題については埒外扱いされている。しかし韓国指導部は国内的には、併合の不当性と、朝鮮総督府(日本)による“7つの悪”を糾弾する形で民族のプライド復興運動を行う。この為、その後の韓国側国民においては、被害の実態はあったにしろ、恐らく実態以上に政治的に拡大された怨念意識が強烈になっていく。

★65年になって漸く、日韓政府間交渉がなされ、日韓基本条約が締結される。実は韓国側世論には条約受け入れの素地がなかったのだが、朴正煕政権は、アジアの中でも最極貧状態から脱するべく経済発展を最優先して、国民には秘密裏に条約締結したのである。条約において日本側は「国際法上も認められた併合であった」として、他列強国の植民地の独立のケース同様、一切謝罪はしていない。但し5億ドルの経済支援と支配時代の資産の放棄を決め、これで日本の責任問題は「完全かつ最終的に解決された」とされている。また、韓国民個々人の被害への補償も、日本の経済支援金から韓国政府自身が行う取り決めにしたので、これも日本としては「解決済み」である。しかし韓国政府は条約の事を国民には知らせず、大半の資金を経済発展に投入し、国民には殆ど回さなかった。また、条約で「朝鮮半島で唯一の合法的政権は韓国」と定めたので、北朝鮮は蚊帳の外となった。このように、日本政府からすれば、65年に完全に解決済みであるものが、知らされなかった韓国国民としては辛い思い出や怨念の対象として残り、更に北朝鮮からすると「全く未解決」となる。

★本日、日韓の学者による、併合や日韓基本条約に関する歴史理解の共同検討結果が報道されていた。日本側の学者が、韓国側の学者の事を「分析者の立場でなく政治的な主張をするのみてあった」として残念がっていたが、そもそも積年の思いを晴らそうという必要の特にない日本側と、その思いに駆られている韓国側では、同様の冷静さでの共同検討の素地が無かろう。それ程、ギャップが大きいのである。

★なお、靖国神社のA級戦犯は、専ら中国侵略、太平洋地域侵攻の罪であるので、韓国・北朝鮮の支配時の被害問題とは、直接結びつかないとも言えるが、韓国・北朝鮮側からすると加害者日本帝国軍の象徴であり、上記の経緯から、それも含めて、根深い怨念の対象になっている。

★最近はインターネット時代で情報の風通しもよく、韓国側の怨念も少しは薄らぎつつある面もあるようだが、そうは簡単には消え去るまい。一方「日本だけが悪かった」といった立場で、謝罪を拡大しようとすることは、経緯論的にも国際法的にもあり得まい。しかし、少なくとも、戦争という人類の犯した罪の結果、どこの国民であろうと人々が大きく苦しんだ時代があったことは忘れてはならないと思う。 Nat
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