♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)

生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等

2005年04月

口のもつれる愛の告白のようなジャズ

音符音符レナさんの「ジャズピアノ初心者の日記」という題のBlogに惹かれて、ちょっと、レナさんの記事を拝見しました。私(Nat)は、一応、本職はビジネス関係なんですけど、小学校の時にウクレレ弾いてハワイアンのバンドを結成して以来、ずっと音楽やってます。今は大学の時以来のジャズピアノをウン十年続けています。(ちなみに次にやるのは5月27日、西麻布のジャズクラブMistyでです。私のBlogにお店のHPリンクがありますので気が向いたらみてみてください。)レナさんの記事を見て、ちょっと一言。「ピアノを弾ける」ということと、「ジャズをやれる」ということとは、二つの別のことと思ってます。「ピアノを弾ける」というのは、指を動かして楽器からちゃんとした音が出て来るということです。「ジャズがやれる」というのは心の中に自分の音楽が浮かぶということです。というと、何が違うの?って良く聞かれます。
   私は、子どもの頃、ピアノの練習を途中でやめて、ウクレレとかギターばかりやってたこともあって、ピアノの技術は、東京中のジャズクラブに出演しているピアニスト中で最低かもしれません。私の心の中に浮かんでいる「これ、結構いけてない?」って思うジャズの音楽展開を、私の楽器技術で実現しようとすると、途中で指がもつれそうになって、もうここからは、口で歌ったほうが早いかも、って良く思います。私は、ちょっと口のもつれるオジサンみたいなもので、結局、口がもつれながら、言える範囲で、言える単語で、愛の告白をするような形になります。でも、ジャズは、それでも、相手の人に愛が伝わればいいんだって思ってます。
   ただ、楽器技術(指の運動)とは全然別に、音楽の中身は、ジャズスクールなどに行くのは一切ゴメンだよとしながらも、レコードを一杯聴いて、自己流で、ありとあらゆるコード展開なり手法なりの研究は一応やってきました。愛の研究みたいなもんです。その結果、Nat流の、ちょっと口がもつれながらの愛の告白スタイルになってきてます。音楽ってそういうものと思います。
   ピアノの指の動かし方の話なら、別の人に聞いてください。でも、音楽・ジャズの中身の作りかた、音楽音符での愛ドキドキ大の告白のし方なら、もしかして、私にも何か言えるかも、って思います。 突然レナさんへ。   Nat


夫婦の間で「ありがとう」

音符私の昨日の記事「ありたっけの想いーーー」に、元の記事を書いてくれたあつこさんがコメントをくれました。そのコメントへのお返事を、私の新しい記事として、ここに掲載しますね。  Nat
メールあつこさん、コメント有難うございます。あれは夫婦の間の会話の話ですか。夫婦の間では、ローン返済の話、子どもの進学の話、近所の付き合いの話とかばかりが当たり前でしょ。私はね、夫婦の間の「人格的な会話」として、一つだけ、ずっと、大切にしていることがあります。それは「ありがとう」ラブと言うことです。お互いにする小さな振る舞い、その一つ一つに、毎回「ありがとう」ラブって言うんです。口に出して。 外人は、「I love you, darling」とか言ってキスするようですが、日本人は「ありがとう」ラブと言い続けるのが、愛っぽいと思います。 Nat 』

ありたっけの想いーーー。

ラブあつこさん。この間の音符Natです。あつこさんのBlogで紹介して頂いた、このハンス・ビュルキとかいう人、全然知りませんけど、『人格的な交わりを生み出す意味のある言葉はほんの1パーセントくらいにすぎない』ですって? それは、人と人が人格的交わりを求めて交流・関係するのは精々1%くらいしかなくて、後の99%は、お店の店員とのやりとりとか、ビジネスの交渉とか政治家の討論とかだということでしょう。それは別に当たり前と思うんだけど、それより、あつこさんの『たくさんの‘意味のない’言葉の積み重ねがあってこそ』というお考えの方が頷かせるものがありました。それから、『ありったけの想いを込めて発する短い言葉』というのを読んで、それって、「短い言葉」が出る前に、まず、「ありったけの想い」ドキドキ小があることが大切で、それがあると、その表象は、言葉でもいいし、表情でもいいし、じっとそばにいる存在感でもいいと思いました。ただそれだけのコメントですがーーー。  音符Natより


ポンさん。きっかけがないと信じられない??

笑顔ポンさん。ポンさんから「何かよほどのきっかけか出来事がないと、とても神様などというものを信じられない」といったコメントを頂いておりました。それに対して、この間、私から「そうですね、結構みなそう言いますね。イエスの弟子たちもイエスの死と復活という強烈な出来事を経て初めて本当に神と出会ったんですから」といった当座のコメントをお返ししていました。でも、もう少し、私の実感を言わせてください。
 もし、もしですよ、あなたに対して、神さまが、ず―――っとシグナルキラキラを送っていたとしましょうか。それも、あなたをじっと暖かく炎見つめる眼差しのシグナルキラキラ。もしホントにそういうシグナルキラキラがあなたに送られているとして、あなたがそれに全然気がつかないで、それに反応することもなく、一生を終えたら、すごく「もったいない」かもしれませんね。あなたを心から愛する誰かのことを知らないまま死ぬようなものですから。ちょっと「オカルト」みたいな話しに聞こえるかもしれないけど、私は、ある時、もしかして、そういうシグナルキラキラが私に送られ続けていたのかもしれないって、思ったんです。神さまって、どこの何なのか全然判りようがない。でも、私の「命の源」の、その「神」なるものが、もし、あの聖書本の中のイエスという人を通じて、私の手をずっと暖く握っていてくれているのなら、それに気がつかずに一生を終えるのでなく、その手を握り返そう。そうやって、「命の源」と繋がったと思ったら、それで私の人生はハッピーチューリップ。もう、これだけのことです。あなたのいう「きっかけがないと信じられない」というのはそうかもしれない。でも、私からしたら、きっと、あなたにも、ずっと、シグナルキラキラが送られているはず。どうしたら、あなたがそれに気がつくか、私には分からない。自分で自分の命をしっかり見つめて、シグナルキラキラに思いを馳せてみてください、としかいいようがありません。ごめんね。(うちの教会(江田)家にきてくれたら、もうちょっと何か示せるかも----示せないかも。)Natより

ナンデ信じてるかって?

笑顔いつものアニジーさんのBlog を見ていたら、アニジーさんの娘さん「ポン」さんの「推定有罪」という、どきっとする題名のBlogが出来たのを知って、みてみました。この方は若い方に珍しく自分というものの存在感を感性鋭く受け止めておられますね。その上、4月19日に最初に書かれた記事に、「子どもの頃に教会に通っていたけど、聖書からの話が、それで何よって感じだった」といいながら、今、「信仰するってどういうことなんだろう」「何を思って神を信じるんだろう」ということを凄く聞きたい、とも書いてありました。Natこと私も、なんと、横浜の教会で、ずーーっと、子どもたちの教会の担当をしていたから、きっと、ポンさんの言われる「聖書の話なんかして、だから何よ」と思われていたくちだろうと思います。
 私は小さいころ、教会でそういう話を聞いて、それで割と素直に中学の時に洗礼受けたりしたけど、高校・大学と進むと、他のことに一杯気を取られて、ずっと教会を離れてました。でも、父が死ぬことになった、その辺から、突然、磁石で吸われるように教会に戻っていったのです。はてな何を思って神を信じるかって?やっぱり、自分に命がホントにある、人には命という不思議なものがあるということを深く感じたとき、私は、生物学で説明されるDNAとかの「生命」以上の「いのち」があると思った。そうすると、その「いのち」の源があるとしか思えなくなった。それが神。そして、それがあのイエスという十字架で死刑になった人が命をかけて証ししたものだと思って生きることにしたのは、私にとって、それよりもっと、「神」なるものに肉薄しているものを、他に知らないから。びっくり簡単にいうと、そういうこと。私の心の中のもう少し奥の方の中身は、もし時間があったら、私のBlogの、前の方の記事をみてください。 では。 Nat
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