★靖国神社のことに絡めて、日本、中国、韓国・北朝鮮それぞれの捉え方を少し書いてきました。今回はこの辺で終わりにしますが、最後に、靖国神社は戦没者のお墓ではなくて、戦没者を「神」として祀る場所である事を書きます。(注:靖国神社はお墓ではないので遺骨は納められていません。無名戦没者の遺骨は国立千鳥ヶ淵墓苑に納骨されています。)
★靖国神社では、明治2年の戊辰戦争以降、国を守るために戦没された人たちの霊を「神」として祀っています。まさに同神社の公式ホームページに「欧米の無名戦没者の墓等では神格化していませんが、それとは異なります」と書かれている通りです。
★また、同神社の公式ホームページでは、神として祀っている戦没者として、太平洋戦争時に沖縄で戦った中学生や「ひめゆり部隊」、或は、赤十字の従軍看護婦さんなども、と書いた後に、戦犯処刑者(A級及びB・C級)について以下の通り書いています:『戦後、日本と戦った連合軍(アメリカ、イギリス、オランダ、中国など)の、形ばかりの裁判によって、一方的に“戦争犯罪人”という、ぬれぎぬを着せられ、無残にも生命を絶たれた1068人の方々・・・靖国神社ではこれらの方々を「昭和殉難者」とお呼びしていますが、全て神さまとしてお祀りされています。』『日本が今、平和で栄えているのは、靖国神社の神さまとなられた、こういう方々のおかげなのです。』―― 以上がホームページ記述です。
★従って、靖国神社は、A級戦犯を含めて神として祀り、“彼らの戦ってくれたあの戦争のお陰で今の日本があるのだ”と日本人が感謝するための場所なのです。日本側には、さすがに、“再軍備して今度こそは勝とう”とまで思う人は少なくても、過去の戦争への想いとして、靖国神社のこの趣旨に共感する心情が根強くあることは前に述べた通りです。一方、中国政府は、少なくともA級戦犯に全ての責任を帰してもらわないと賠償放棄の根拠が崩れるので困るし(また対日政治カードとしても使いたいとの思惑もあるでしょうが)、また中国の一般国民の多くは「まだ何ら償いを受けてない」と思って憤慨しているのでしょう。更に韓国・北朝鮮の人は日本支配時代への怨念を深く持っています。彼らのそのような立場と、「日本人が過去の戦争と戦没者に感謝する場」としての靖国神社の存在とは、余りにも相容れないものであると痛感されます。我々は末永くいがみ合うのでしょうか。
★しかし、最後に、冷静に人類の歴史を振り返ってみると、むしろ、人類は終始一貫して民族同士・国同士でいがみ合いながらも、適宜、互いに都合の良い文化的交流なり政治的・経済的取引はしてきたとも言えます。人類とはそのようなものかも知れません。勿論、だからと言って、中国・韓国・北朝鮮との間のわだかまりはそっとして置いて、ひたすらに経済取引に励むのが賢明とも言いませんが、余り、一つ一つのことにいちいち過剰反応しない方がいいかも知れないとも思う今日この頃です。 Nat
★靖国神社では、明治2年の戊辰戦争以降、国を守るために戦没された人たちの霊を「神」として祀っています。まさに同神社の公式ホームページに「欧米の無名戦没者の墓等では神格化していませんが、それとは異なります」と書かれている通りです。
★また、同神社の公式ホームページでは、神として祀っている戦没者として、太平洋戦争時に沖縄で戦った中学生や「ひめゆり部隊」、或は、赤十字の従軍看護婦さんなども、と書いた後に、戦犯処刑者(A級及びB・C級)について以下の通り書いています:『戦後、日本と戦った連合軍(アメリカ、イギリス、オランダ、中国など)の、形ばかりの裁判によって、一方的に“戦争犯罪人”という、ぬれぎぬを着せられ、無残にも生命を絶たれた1068人の方々・・・靖国神社ではこれらの方々を「昭和殉難者」とお呼びしていますが、全て神さまとしてお祀りされています。』『日本が今、平和で栄えているのは、靖国神社の神さまとなられた、こういう方々のおかげなのです。』―― 以上がホームページ記述です。
★従って、靖国神社は、A級戦犯を含めて神として祀り、“彼らの戦ってくれたあの戦争のお陰で今の日本があるのだ”と日本人が感謝するための場所なのです。日本側には、さすがに、“再軍備して今度こそは勝とう”とまで思う人は少なくても、過去の戦争への想いとして、靖国神社のこの趣旨に共感する心情が根強くあることは前に述べた通りです。一方、中国政府は、少なくともA級戦犯に全ての責任を帰してもらわないと賠償放棄の根拠が崩れるので困るし(また対日政治カードとしても使いたいとの思惑もあるでしょうが)、また中国の一般国民の多くは「まだ何ら償いを受けてない」と思って憤慨しているのでしょう。更に韓国・北朝鮮の人は日本支配時代への怨念を深く持っています。彼らのそのような立場と、「日本人が過去の戦争と戦没者に感謝する場」としての靖国神社の存在とは、余りにも相容れないものであると痛感されます。我々は末永くいがみ合うのでしょうか。
★しかし、最後に、冷静に人類の歴史を振り返ってみると、むしろ、人類は終始一貫して民族同士・国同士でいがみ合いながらも、適宜、互いに都合の良い文化的交流なり政治的・経済的取引はしてきたとも言えます。人類とはそのようなものかも知れません。勿論、だからと言って、中国・韓国・北朝鮮との間のわだかまりはそっとして置いて、ひたすらに経済取引に励むのが賢明とも言いませんが、余り、一つ一つのことにいちいち過剰反応しない方がいいかも知れないとも思う今日この頃です。 Nat