♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)

生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等

2005年08月

また戦争責任(ドイツとの違い?)

落ち込み 8月22日の当Blogで大戦時のドイツと日本の差異について少し述べた。今日は、改めてもう少し違った観点から、ドイツとの差を更に考えてみたい。

落ち込み ドイツは主に英仏露という欧州での「昔からの喧嘩相手」と喧嘩して結局負けた。一方、日本は中国との局地戦が泥沼化し、そのうち気がついたら、中国から遠く離れた国である英・米との戦いになってしまって負けたのである。この構造の違いは、戦後の戦争責任意識に対しても大きな影響があるのだ。

馬 まずドイツだが、第一次世界大戦でドイツは英・仏・露に敗戦し、巨額の賠償金を取られ、またポーランドに領土の一部(ドイツ人が多く住んでいるポーランド回廊)を割譲させられた。これを元に戻そうとしてヒトラードイツはポーランドに西から侵攻し、ソ連は東からポーランドに攻め入った。次に英仏がこのようなドイツに宣戦布告。さらに、ドイツはソ連との不可侵条約を踏みにじりソ連にも侵攻する。といった具合で、第二次世界大戦の欧州戦線は、そもそも、昔からの喧嘩の続き、特に第一次世界大戦の蒸し返しなのである。

だから、そもそも、ドイツとしては人類の平和を脅かす恐ろしい戦争をしたという意識はないし、英仏、或は後に参戦する米からしても、言ってみれば、これまでの欧米白人国家同士の通常戦争の延長であった。通常の戦争で負けた国が勝った国に賠償金を払うことはあっても、「謝罪」することはない。唯一、ドイツの犯した恐ろしい罪は、戦時中に同時に行われた「ナチスのユダヤ人ホロコースト」だというわけである。だからこそ、ドイツは戦後一貫して「罪はナチスのホロコーストにのみあり」との立場を貫き、ホロコーストだけを謝罪するのである。栄誉あるドイツ国防軍は、結果は負けたが、国のために第二次世界大戦を戦い抜いたとの位置づけなのである。戦後のニュルンベルク裁判でも、専ら、このナチスの人道的犯罪(C級の罪)が問われた。ドイツ国防軍が2000万人以上のソ連人・ポーランド人戦死者を出したことは主なる大罪としては問われていないのである。

国旗 一方、日本は、日露戦争に勝利し、漸く列強に追いつき中国大陸に植民地の足がかりを持つようになり、結局、朝鮮、満州を支配下に置く。その結果、蒋介石国民政府軍との戦いになり、宣戦布告もないまま、泥沼の日中戦争に突入していくのである。(その後、欧州での仏の対ドイツ降伏に伴い、仏印(インドシナ)にも侵攻する。)これに対して、アジアに植民地利権を持っていた英・蘭、そして米(注:米はフィリピンを植民地にし、蒋介石を支援していた)が日本を阻止せんとし(ABCD包囲網)、それで米英等との大戦にまで拡大してしまうのである。日本は第一次世界大戦では英国の手伝いを少ししただけだが、第二次世界大戦では、歴史上初めて、白人国家、英・米・蘭との全面戦争をするのである。

日本は、中国・アジアで2000万人の死者を出した(うち千数百万人が民間人)。しかし、宣戦布告をし合って戦い負けたのは、米英に対してである。戦後、戦勝国米英は、このような日本を裁くが、その東京裁判では中国・アジアへの侵略の罪(A級の罪)が主であった。要するに、日本軍が中国・アジアを侵略し2000万人を虐殺した罪を、米英が代理で裁いたのである。

すいません このように、ドイツの他国侵略(と2000万人のソ連人など殺害)は、昔からの欧州内の「国盗りゲーム」の延長で、欧米人同士の裁判では余り問題にはならなかったが、日本の中国・アジア侵略は欧米人からして罪とされた。戦争当時の日本人からすると、資源なき日本が追い詰められ、中国・アジア深くに侵攻してしまい、結局、白人国家米英と衝突し負けた。ユダヤ人虐殺を除いて、ドイツが欧州で侵略したのが特別の戦争犯罪でないなら、なぜ日本の罪だけが問われるのか、ということになる。これが、日本国内に今でも根強くある「被害者意識」であり、靖国神社が戦犯者のことを「濡れ衣で殺された」と言い続ける理由である。また、ドイツ人がナチスにだけ罪を着せたのと異なり、戦後の日本人は「一億総懺悔」してきたので、国民全体が今も中国・アジアへの「加害者意識」を負っているのである。ここがドイツと日本の大違いである。

悲しい この、「被害者意識」と「加害者意識」の交錯した「永遠の呪縛」からどうやったら抜け出せるのであろうか。それは、上記のように、ドイツはずるいとか、中国・韓国はしつこい、等と言うことでもなく、かと言って、いつまでも中国・韓国に謝罪し続けることでもない。日本のしてしまったこと、ドイツのしたこと、米国がしたこと(原爆投下等)を全て「人類の神に対する罪」として認識し、子孫に正しく伝えていくこと。その上で、人類全体として手を取り合って、共に神に許しを祈ることであろう。 Nat


戦争は人の心の中で生まれる

笑顔 日本も署名しているユネスコ憲章の冒頭に、次のような有名な文章がある:
『戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。』

ロケット まさに、戦争は人の心の中で生まれる。但し、小生の思うに、戦争を始め遂行する人や国家の思いには、「利権」「建前」「心」の3つの面がある。

国旗 第二次世界大戦における日本は、列強が植民地競争をする中で満州・中国における日本の「利権」を守ろうとした。また、ABCD包囲網の中で東南アジアに石油等の「利権」の活路を求めようとした。かくして「利権」を巡って中国・アジアを侵略するのだが、それにはちゃんと「建前」があった。中国・アジアを欧米・非アジア人の支配から守って大東亜共栄圏を樹立するとの「建前」で、侵略を正当化したのである。しかし、一番問題は「心」である。もともと、アジア東端の島の小さな民族であった日本人が、日清戦争・日露戦争で勝利したものだから、俄かに成り上がり、中国人や朝鮮民族を蔑称で呼んで見下すまでになった。それがゆえに、「日本国家の為、大東亜共栄圏の為には、中国や朝鮮の卑しい民族、あいつらなんか殺されてもしょうがないんだ」、このような「心」になってしまった。このような「心」がなければ、アジアで千数百万人の民間人を虐殺する事等、とても出来なかったはずだ。

キラキラ 同じく米国。米国は戦争末期、既に戦後の世界秩序における米国の覇権を強烈に意識していた。勢力を強めつつあった共産主義国家ソ連を抑え込み、米国の「利権」を確保することこそが、トルーマン大統領の主命題であった。広島・長崎への原爆投下は、トルーマンがソ連への決定的示威行為として政治的に決定したものである。しかし、これにもちゃんと「建前」をつけた。原爆で日本の全面降伏を促し、米国兵のこれ以上の損失を出さないという「建前」だ。勿論、トルーマンの元へは「原爆投下せずとも日本は降伏寸前である」との報告が上がっていたがそれは米国内では表に出さず、上手く「建前」だけを前面に出して原爆投下を米国内で正当化した。しかし、彼がこのような意思決定を為し得た背景には、実は彼のアジア人蔑視があったとも言われる。日記で「ジャップ」と呼び捨てにしている。彼には欧州戦線では原爆を投下することは出来なかっただろう。ジャップは大量虐殺出来ても、とてもゲルマン民族やスラブ民族には出来なかったと思われる。結局「ジャップなんかは死んでしまってもしょうがないんだ」という彼の「心」が原爆を落とさせたのである。(もっとも彼も怖くなり、3発目は停止命令を出している。)

怒り 戦争を起こす要因は、昔は水への「利権」であり、近年は石油等の「利権」争いである。それを正当化する為、独裁者追放とか民主化とか「建前」は必ず用意されると思っていい。

ロケット しかし、本当に原爆やミサイルのボタンを押させるものは、人の「心」である。「あいつらは死んでもしょうがないんだ」という「心」こそが、戦争を起こさせるのだ。

祝日 今、日本と中国や韓国との間で、戦争責任や靖国神社問題でお互いに「あいつら」と睨み合う関係が出来ている。それが新たな戦争を生みかねない。だから、「あいつら」と呼ぶ「心」は捨て、せめて「あの人たち」と言えるようになりたい。向こうも人であり、命なのだから。戦争は人の心の中で生まれるのである。 Nat

少子化の根本原因は?

赤ちゃん 日本の人口がついに減少に転じたと報道されていた。「少子化」が原因だ。しょうがないとの意見もあるが、小生は「少子化」は日本にとっての重大問題だと思う。年金問題・医療費負担問題にも繋がるが、老人ばかりの国では根本的に元気が出ない。

赤ちゃん この問題の解決や緩和の為、よく「子育てお母さんの仕事のサポート」といった表面的な施策が提唱されるが、そもそも何故若い人が子どもを作らないか、という根本問題に立ち向かう必要がある。

ランドセル 根本問題は子育ての費用が高過ぎるということに尽きる。何故、高いかというと、?日本では塾も含めた教育費が非常に高くなってしまったのと、?特に都市部の住居が狭く高過ぎる---- という2つであろう。塾が必要なのは日本の教育政策が破綻しているからであり、また都市部の住居の問題は日本の都市政策の欠如に根がある。要するに日本、特に都会は子どもを育てるには余りにも高コストなのである。そんな状況下で、夫婦二人で自由に生活を楽しもうといった、昔にはなかった価値観も出てきている。これでは、若い夫婦が子どもを作ろうとするわけがない。

学校 ?塾も含めた教育費がバカ高い問題: 文科省調査を見ると、公立小学校の学校で掛かる費用は年間約9万円だが、それ以外に塾・お稽古事で20万円要る。中学は学校費用が公立で16万円(私立は93万円)だが、塾などに30万円弱要る。学校費用の倍も塾などに払わないと、まともな進学が出来ない日本の教育は何なのか?
小・中・高の教員は免許が必要だが、大学教授は免許不要。ビジネスマンなども大学では教えている。小・中・高でも、優秀な退職ビジネスマンや塾の先生などを起用できるようにして教育内容活性化・自由化し、塾に行かなくてもいい内容にすべきだ。無論、これへの最大の抵抗勢力は、文科省と日教組だ。「教育の質を確保するため」と彼らの言う教員免許制度が、実は逆に教育の質を落としてしまっているのである。

家 ?住居費がバカ高い問題: 出生率は大都市で際立って低い。東京都は1.0を切った。その大きな理由は大都市で子どもを持つと金が掛かり過ぎることである。
子ども2人として、2人分のベッドルームが追加で要る。東京の賃貸マンションの家賃相場を見てみると、2部屋余分に持つには月6万円、年間で72万円ほど余分に要る。何故都市部の住居が高いかというと、先ず、日本は人口の80%近くが(広義の)都市部に集中しているのだ。米国は違うが、欧州も比較的都市集中型だ。しかし、日本は第一次産業が細り第三次産業に大きくシフトした事から、世界でも突出した都市集中型の国家になっているのである。
その割には残念ながら都市計画・都市政策が実に貧困。地方には誰も使わないような高速道路が今でもどんどん出来るが、都市対策はどうか。69年に制定の都市再開発法に基く対症療法(市街地の非木造化・高層化等)や、一昔前に住宅公団が都市周辺に作ったニュータウン(役割終了)は除いて、「都市全体作り替え」への取組みは実質放置されてきたに等しい。これは勿論、これまでの、地方中心の自民党政権構造の必然的帰結である。
 漸く近年になって、01年の小泉内閣による「都市再生本部」設置、03年の都市再生特別措置法制定による大都市の再開発着手の動きが出てきた。更に、汐留や六本木等の再開発の動きもある。しかし、まだまだオフィスビル・高級ホテル・ショップ中心で、子育てには全く繋がらない。
 政治的には困難だが、思い切って税制改訂して遊休土地を大量放出させ、大都市の土地価格を更に大幅低下させる。そして、上記特別措置法などに基づき、大都市そのものを、子どもを育てられるような、広くて安い住居環境に作り直す抜本的再開発(政府支援・民間主導)を行う必要があろう。勿論、都市に限らず、子どもを育て易い地方の再活性化も結構だが、もはや都市集中構造は変えられまい。安くて住み易い都市作りこそが重要国策なのである。

アイステニス 勿論、教育費と住居費以外に衣食代と遊び代も要る。(実は、この衣食代と遊び代が、日本、特に都会は高い。しかしこれは政策の失敗のせいというより、日本人が好きでやっていることだから、ここでは取り立てて論じない。)

ダメ これら費用を総計して、子ども一人の養育費(21歳までの通算)が2~3千万円といわれる訳である。2人で合計5000万円ほどだ。一方、親の生涯賃金は大卒でも3億円にも達さないし、しかも、今これが減少傾向にある。当面、必要な国家政策は、少なくとも上記の塾代と追加部屋代に相当する、子ども一人、年数十万円単位の金銭的補助であろう。その上で、教育と都市の抜本的改革に着手してもらいたい。         Nat

また「戦争責任」の話(ドイツとの違い)

笑顔 敗戦国である日本とドイツが良く比較される。先ず言って置きたいが、比較して「だから日本の方がまだましだ」とか「日本は反省が足りない」などと言う人には、比較する前から言いたいことが決まっている人が多いので、そんな比較は作為的である。しかし、自国のことを、そして人類の犯した罪のことを、より深く理解するために比較するなら、一定の意味があろう。

ドクロ 先ずドイツはポーランドやソ連等に侵攻し、日本は中国やアジアに侵攻した。しかし、ドイツの際立った特徴は、他国侵攻と平行してナチスの政治思想として「人類の敵ユダヤ民族の殲滅」を進めたことだ。ドイツはユダヤ系の自国民 数十万人を含めて600万人のユダヤ人を虐殺している。いわゆるホロコーストだ。(日本軍も最終局面で、沖縄住民を米側に投降させないためとか赤ん坊が泣くからといった理由で殺害してしまってはいるが、)ナチスのユダヤ民族殲滅運動は極めて組織的・計画的なものである。このことの、少なくとも法的犯罪性は、ナチスの指導者が一番良く自覚していた。だから多くの指導者はドイツの敗色濃い中、身を潜めたり、国外逃亡したのである。

お金 戦後の対応もこれに大きく影響を受けている。ドイツの侵攻先他国に対する国同士の賠償は、実はドイツ統一まで棚上げにされたので、実際には未だ為されていない。一方、ドイツは、ユダヤ人被災者に限定されたものではないが、戦争で財産を失った被災者など個人に対する補償を先行させ、これにより多くのユダヤ人被災者への補償を行っている。また、ドイツ国内では、ドイツ人がドイツ人(ユダヤ系)を殺害したということで、国内法に基く殺人罪裁判がいまだに継続中という。この辺が、『ドイツは第二次世界大戦を「ナチスによるホロコースト」だけであったかのようにすり替え、「悪いのは全てナチスで、ドイツ人には罪はない」との態度だ』と批判される背景である。

国旗 一方、日本はどうか。国民は大本営発表しか知らされていなかったので、相当苦しい戦いながら、軍部が、国の為、天皇の為に戦ってくれていると思っていた。日本軍部はドイツのように自国民を大量虐殺したようなこともない。戦後、駐留米軍がWar Guilt Information Programで郵便物の全量検閲や報道規制を徹底し、米軍の正当化と日本軍への罪悪意識流布に努めたので、一気に「軍部独走=アジアへの罪」の構図が広まった。しかし、なおそれでも、若い学徒や特攻隊など含めて「国中で戦って負けた」との意識が国民に根強いのである。軍部の多くは潔く自決したし、A級(侵略の罪)戦犯の25人のうちナチスのように国外逃亡して連れ戻された人は誰もおらず、概ね従容として受刑している。(死刑は7人。)また、終戦時に外地で逮捕され、B級(通常の戦争犯罪)、C級(人道的罪)の戦犯として抗弁の余地なく現地裁判されそのまま処刑された千人ほどの軍人もいた。この構図に、日本人の意識上、戦争犯罪人である彼らは(アジア同胞に対する)加害者でもあるが(欧米戦勝国による)被害者であるとの思いが成立する余地があるのである。ちなみに靖国神社は彼らのことを「ぬれぎぬで死んでいった」と明言している。1952年には「戦争犯罪受刑者に対する赦免」に関する4000万人の国民署名、翌53年に衆議院での全会一致での赦免決議、56年にA級存命者の釈放、そして、有名な78年の靖国神社へのA級戦犯合祀決定と続く。このように、日本国民の心情には、ドイツ人がナチスに全責任を負わせたように軍部にのみ責任を負わせられないものがあるのである。ここに靖国神社参拝問題の根がある。形の上で参拝を辞めれば、中国政府関係者などは安堵するかもしれない。しかし、それでは何ら本質は変わらないのである。

ドクロ 軍部に責任転嫁しようが、靖国神社参拝を見合わせようが、先日の当Blog記事に書いた通り、日本がアジアで民間人千数百万人も殺害してしまった事実は消えない。情報管制や判断面で、まさに軍部独走ではあった。しかし、結果的には国民も意識の上では軍部と共にアジア戦線を戦ったのである。何度も言うとおり、米国も80万人の日本民間人を原爆・空爆で虐殺したので、まさにナチス同様のC級戦犯相当である。しかし、それを言っても、日本のアジアにおける侵略・虐殺の罪は消えない。

落ち込み 日本も軍部のせいだけに出来ない。一方で、米国の罪も見逃せない。なら、皆で日本の罪も、米国の罪も含めて、人類の犯した罪として、神に対して謝罪する気持ちを持ちたいと思う次第である。私もあの時代に生きていたら、間違いなく、アジアで大砲を打っていたであろうから。 Nat

日本がアジアで殺してしまった千数百万人

太陽 今日は終戦記念日。テレビ テレビでも戦争中の辛い出来事のドキュメンタリー番組が多く放送されている。しかし、7月19日にこのBlogで書いたとおり、日本人の悲惨な戦災のストーリーが殆どであり、中国などの被災者の話が報道されたのを見たことがない。

ドクロ 三省堂『戦後史大辞典』によれば、大戦で死んだ日本人の数は310万人。うち、軍人が230万人、民間人が80万人。一方、アジアの他国ではどうか。中国では推定千数百万人、インドシナ200万人、インドネシア200万人、フィリピン110万人などで、総計2000万人規模がアジア諸国で死んでいるのだ。勿論日本軍によって殺されたもの(餓死させたものなども含めて)。しかもその大多数が民間人なのである。

国旗 日本で特に民間人が、主に米軍によって虐殺されたのは実に痛ましい。ドクロ 東京大空襲10万人、広島14万人、長崎7万人。沖縄約12万人(沖縄の場合、かなりの人数が日本軍によって殺されたものではあるが。)満州など海外で20万人(ここでは主にソ連によるものだが。)など等で、総計80万人の民間人が殺された。原爆で一瞬にして燃え尽きた子ども。空襲の焼夷弾で惨殺されたお母さん。テレビの番組を見て胸が苦しくなる。これで、二度と戦争は起こさないように、との思いは確かに強まる。

落ち込み しかし、日本で80万人の民間人が殺されたと同時に、アジア諸国、特に中国では、日本軍によって千数百万人の民間人が殺され・死んだのである。テレビで、米軍などに殺された80万人の日本国民の苦しみの報道をするのは重要であり、そうして欲しい。しかし、日本自身が殺してしまった千数百万人のアジア民間人の苦しみについても、海外から資料を入手し、少しは報道して欲しいものである。なにぶん日本で殺された人の20倍の人数を、日本がアジアで殺したのである。報道は20倍も多くしないでもいい。でも、少しは報道して欲しいと言っているのだ。そうやって初めて、若い世代が戦争の全貌を知るのである。(ちなみに、日本による重慶爆撃のことは7月19日のBlogを参照願いたい。)

国旗 日本軍は、欧米列強に負けじと中国に進出し、日本も含めたアジアが欧米の支配下に入ることを防ぐとの建前で、大東亜共栄圏の看板を掲げ、中国奥深くやフィリピンなどにまで攻め入った。その結果、アジアを欧米の支配から守れなかったばかりか、結果的には千数百万人の“アジア同胞”を殺してしまったのである。

力こぶ 米国は戦後の世界支配を目指して力を示すために原爆を投下し日本人を虐殺した。その米国の罪も深いが、アジア人を殺してしまった日本の罪も深いのである。これらは全て、紛れもなく人類の、神に対する罪であると思う。    Nat
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