♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)
生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等
2006年02月
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2006年02月28日
22:56
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信じて生きている事
神さまってホントにいるの? その5
その?で、私が結局神さまを信じて生きることになったのは、同じく信じて生き、信じて死んだ親父からの「連鎖反応」だと書いた。そして、このような連鎖反応は、ずっと昔にまで遡る。キリスト教の場合は、2000年前のイスラエルが連鎖反応の「震源地」。そこでは一体何があったのか?
その頃のイスラエルでは、殆どの人がユダヤ教、或いは周辺部に行くとバール神への信仰という世界。だから「神さまってホントにいるの?」と、表だっていう人は少なかったはずだ。むしろ、「どの神?」そして「その神はあなたとどういう関係にあるの?」が問われていたと思う。しかし、実は「本当に神さまはいて、この私を顧みて下さっているのだろうか?」との深い疑問、深い絶望に囚われていた人は、下層階級を中心に大勢いたのである。このような人達の中から、人との出会いの中で「神」を感じ・信じた人達が登場するのである。これが、私がここに書いている「震源地イスラエルで起こった連鎖反応の出発点」なのである。
それはイエスという人との出会いであった。
ここにある女がいた。若い頃から病気でずっと出血が止まらず、効かない治療に全財産を使い果たしてしまったばかりか、皆から病気なのは「罪で穢れているから」と蔑まされてきた女性。体も心も財産も全て限界に達していた彼女は、群集に紛れて後ろからそっとイエスの衣に触れる。イエスは自分から力が出て行くのを感じた。その瞬間、彼女の病気は癒される。しかし、癒しはそこで留まらない。立ち止まったイエスは、振り返り、自分に触れた女性を探すのである。そして女性を見つめながら「あなたは罪で穢れてなんかいない。むしろあなたの信仰があなたを救ったのだよ」と優しく語りかけ、その女性の心も魂も完全に癒すのである。「こんな不条理な世に神などいるのか」と思っていたこの女性は、この出来事により“活ける神”に出会ったのである。イエスが「神そのもの」かどうかは分からない。しかし、その力において、その愛において、まさに「神に繋がっている」としか思えない人に出会ったのである。
しかし、そのように力と愛に満ちたイエスが、何故か突然、無抵抗に逮捕され、そのまま十字架で刑死してしまう。周囲にいた弟子たちは落胆し恐れ逃げ惑う。そのままでは、未来への「連鎖反応」は発信されそうもない情勢になってしまったのである。しかし3日目の朝、彼らは魂を揺り動かされる「とてつもない体験」をするのだ。これが、その後、2000年もの間止むことのない「連鎖反応」を生む「とてつもない出来事」になるのだ。その「とてつもない体験・出来事」とは一体何だったのであろうか? これにつき、その?で書きたい。 Nat
2006年02月24日
21:46
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信じて生きている事
神さまってホントにいるの? その4
その?までで、結局、人が神を信じて生きようと決める時、それを決めさせる最も大きなものは「神を信じて生きる人との出会い」ではないかと書いた。もし、そうだとすると、まず誰かが神を信じて生きていた。その人に出会った別の人が又神を信じて生きるようになった。そして、又別の誰かがそれに出会って、その人も神を信じて生きるようになって。。。という具合に“連鎖反応”になる。そんな馬鹿なと思うかも知れないが、実際、信仰は“連鎖反応”なのだ。キリスト教も2000年前、イエス亡き後でもやっぱり信じて生きようとしたぺテロ等弟子たち、そしてイエス・キリストの初期信仰者であるパウロたち、こういう人達に出会った人達が次々と連鎖反応を起こしたのだ。その連鎖反応は、ずっと続いている。2000年の間、不思議にも減衰してしまわないで続いている。
では、この私こと、Natに起こった連鎖反応はどうなのか? 客観的に言うと結局親父からかなと思う。その?で書いたが、親父は大学の先生兼牧師だった。私は親父が40歳過ぎてから初めて生まれた男の子だ。だから年が近い友達のような父子ではなかったが、親父がその色々あった人生の中で、結局神さまを深く信じて生きているのは良く分かっていた。私が最初に神さまを信じて親父から洗礼を受けたのは中学2年の時だが、もう一度信じ直したのは、やっぱり親父が死んだ時だろう。何百回も神の存在を疑ってみた私だが、私からすると疑わしいものを信じ、信じ切って生き、信じ切って死んで行った親父の信じたものを、思い込み・幻想として葬りされるであろうか。私は結局、そのように「親父が信じて生き、信じて死んだもの」の重みに圧倒されたのである。人を最後まで突き動かすもの。これを私はどうしても軽んじることが出来なった。
このように、実質、私は親父からの連鎖反応を受けた。しかし、では親父は誰から?多分、親父の親父(私の祖父)とお母さん(私の祖母)から。(彼らは開拓伝道をした牧師夫婦であった。) でも、彼らに連鎖反応を与えたのは誰? このように辿っていくと、多分、どんどん昔に遡る。名前などは分からないが、ずっと辿ると必ず連鎖反応の源の誰かがいるはずだ。どこかで、日本に初めて連鎖反応をもたらした人達にまで行き着くに違いない。
しかし、連鎖反応を遡ると、そこでは終わらない。ずっとずっと遡ると、(少なくともキリスト教の場合は)2000年前のイスラエルにまで遡ってしまう。そこに連鎖反応の根源的な「震源地」があるはずだ。そのことをその?で書きたい。 Nat
2006年02月22日
17:04
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信じて生きている事
神さまってホントにいるの? その3
その?で「神さまってホントにいるの?」ということを考えに考えた "精神の放浪"の末、結局、眼前の人間・動物などの「いのち」をどうしても単なるモノと思えない、ならば「いのち」の源を想定せざるを得ない、それが神だと思うようになったと書いた。しかし、これも数学の定理のように証明されたものでも何でもない。自分の心の中の「想い」に過ぎない。
数学で思い出したが、昔、パスカルという天才的数学者がいた。彼は割り切っていて、「神はあるともないとも証明できない」「だが、あると思って生きても、さして失うものはない。しかし、ないと決めて生きて、もし結局あった場合の神からのペナルティーは無限大であるリスクがある。よって神を信じて生きる方が得策である。」と言っている。ここで分かることは、パスカルのような天才学者でも「神」の有無について確証を得ることは出来ないということ。これ当たり前だが、凡人である我々が「神」の有無について、考え込んでも何も得られないということだ。もう一つは「神」というものはあるとかないとかの「認識」の選択ではなく、どちらの想いで生きるかという「生き方」の選択だということだ。もっとも、パスカルのようにリスク論から信じて生きる選択をするのを好きかどうかは別だが。
ということで、神というのは、信じられるかどうかではなく、信じて生きるという生き方を選ぶかどうかなのだ。生き方の問題だ。しかし、私も、目の前の「命」の奥に神を想定したが、それだけで、そのような「命の奥にある神」を信じて生きる生き方を選べたわけではない。人が生き方を決める時、どうしても、もう一つのインパクトが必要なのだ。それは何であろうか? その?で、人が神を信じるのは、一つは自然の不可思議現象から(これもう昔のパタンだが)、もう一つは人間の感受性で直接神への想いを持つパタンと書いた。実はもう一つ、最もインパクトの大きいものがある。それは、神を信じて生きる人との出会いである。次はその事について書く。 Nat
2006年02月19日
19:28
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信じて生きている事
神さまってホントにいるの? その2
その?で、人は目には見えないのに神さまのことを思う感受性を持って生まれてきているようだということを書いた。だから、雷や地震のような自然現象が不思議ではなくなった現在でも、私たちは「神さま」への想いを捨ててはいない。
しかし、この「神さまへの想い」は、人によってその強さのレベルが、多分5段階位ありそうだ。レベル1:「神さまって、いるかも知れない気もする」。レベル2:「神さまはいると思う」。レベル3:「神さまを信じている」。レベル4:「神さまを信じて生きている」。レベル5:「神さまの為に死ぬことも辞さない」。このレベル5は、神のために迫害なり何かの犠牲になって死んでも構わないという、それこそイエス・キリストや、迫害で殉死した弟子たちのレベル。私なんかとてもそこまで行かない。これでも一応クリスチャンをしているが、まあレベル3から4の途中位かなと思う。それでも、いわゆる“普通の日本人”からすると「Natさんはどうして目にも見えない神さまなんてものを、そこまで信じることが出来るのですか?」と聞かれることになるのだ。
そこで書くのだが、まず、正直に言って、一つ目の理由は、小さい時ずっと神さまの話を聞いて育ったこと。実は父が牧師(というか、父だけじゃなく祖父まで牧師!)の家庭に生まれたので、生まれた時から聖書の話と賛美歌に囲まれてた。もしかして、ジャズピアノをやるようになった背景もこれかも。小さい頃から、神さまだの、イエスさまだのと聞かされていると、やはり大人になっても影響は残る。勿論、中学・高校・大学となるにつれ、何度となく「オレって馬鹿なこと信じてるのかな?」と、それこそ何百回も考えたから、単純なマインド・コントロールではないと思われるが、幼い頃に聞いたことの影響力は多分相当強い。
しかし、モロモロのものに触れ、科学・哲学・諸思想・他宗教も知った高校・大学以降、心の中の「神さま」は一旦相当小さくなって行った。「神さまはいない」と思っても、世の中を生きていく上で全く不都合はなかったし、そもそも回りのことから「神」の確証を感じられるものは殆どなかった。「神などない」と思った方が却って理解し易いことも多かった。しかし、そのような中で、どうしてもやっぱり「神はある」と思わせたものは「命」だったのだ。(そうして、もう一つ、もっと大事なことがあるが、今はまだそれには触れない。)
このBlogで生き物や命について何度か書いたが、目の前の犬でも、蛙でも、あるいは花でも草でも、私にとって「いのち」なのだ。何度も書いた通り、DNAプログラムで動くロボット物体ではなく、紛れもなく「いのち」なのだ。モノではなく、生きている「いのち」である限り、そこに「いのち」を与えた源を想定せざるを得ない。そう、「いのちの源」。それが私の行き着いた「神さま」だった。
私の命も、その源から来ている。そう思う時、次に、その源と自分との関係が問題になってくる。ここに「神を信じる」(レベル3)から「神を信じて生きる」(レベル4)に進むことの意味が出てくるのだが、その辺は次のその?でまた書く。 Nat
2006年02月18日
01:00
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信じて生きている事
神さまってホントにいるの? その1
「神さまってホントにあると思う?」と聞くと、どう答えますか?
勿論、諸宗教の満ちた世界各国では9割の人が「ある」と答える。日本ではどうか? 日本人は「宗教は?」と問われると3分2が「無宗教」と回答する。しかし、実はこれは「自分はどこかの宗教団体に属していません」という意味なのだ。無宗教と言われる日本でも「神さまはあると思う」とか「あると思いたい」とか言う人が実は半分以上はいる。逆に「神など絶対ない」と言い切る人は案外少ないのである。
人類が知恵を得た太古の昔以来、人類は目には見えないのに「神」を想い続けてきた。実に人類の歴史は「神への想い」史でもある。目の前で会ったわけでもない「神」を信じるようにさせる人類の体験は、私の思うに、大きく分けると2種類だ。(本当は3つ目があるのだが、今は2つとさせてもらう。)
●一つは、不可思議天然現象。要するに嵐・雷・地震・火山噴火・大規模疫病等など。或いは単に太陽の出入り、月に満ち欠けでもいい。更に生命の誕生などでもよい。大昔の人類はこのような自然現象の背景に「神」を感じた。
●もう一つは、直接霊的なものを感ずる体験だ。霊感の鋭い人は、我々凡人の分からないセンスで“霊界”を見通し、その頂上にある崇高なものとしての「神」を感じた。凡人でも愛する者の死に直面し、目に見えるものを超えた世界を想定したり、その頂上にあるものを想定してきた。
しかし、ご存知の通り近代科学は、雷は電気放電、地震は岩盤のずれ、火山噴火はマグマの噴出、疫病は細菌のしわざ、太陽の出入りは地球の自転、生命はDNA、等などと仕組みを念入りに説明するものだから、大昔の人類が感じたような「自然の神秘性」は薄れた。そこで、専ら自然現象ルートだけで神を想う人は減った。
一方、自然現象ルートとは別に、もう一つ、言わば「直接のルート」がある。即ち、人間には直接“霊性”を感じたり想たっりする感受性が備わっているようだ。特に特別な霊感・霊能力のある人は、普通の人が聞くと「本当かな?」と思うような体験の話しをする。一昔前の西洋の人だが、非常に有名なスウェーデンボルグなんていう博識学者兼霊能者の体験本を読んだりすると、これは凄い。生きている人間の霊が行って帰って来れる広大な「霊」の世界が本当にあり得るかもと思わせる。太古の昔のインドの聖者なども同様に、人間を超えた目に見えない世界に肉薄した。でも、特別な霊能者でなくても、霊性に対する想い位は持ち合わせている。日本人でも良く「死んだおばあちゃんが助けてくれたんだ」とか「あの世からお父さんが見守ってくれている」とか言う。「神」は分からなくても「死んだ人の霊がどこかにある」という想いは日本人に根強い。このように“霊”の世界を想定すると、その頂上にあるかも知れない「神」は、センスとしては十分想定できるということになる。
このように、雷や火山噴火は最早神秘でなくなっても、人間を超えた世界への想い・肉薄は、人類の太古の昔より今まで、ずっと続いているのである。そして、その究極に「神」を想うのは、もう止めどもない人類の営みなのである。
次回以降、このことを更に展開して行きたい。 Nat
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