♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)
生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等
2006年07月
2006年07月30日
19:19
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戦争と平和について
またまた、また靖国・A級戦犯
8月が近づいて、また靖国神社のことが色々議論されそう。私の行っている教会でも、今度、子どもたちと一緒にこのことについて考えるプログラムがある。
最近、靖国神社参拝で問題になっているのは、もっぱらA級戦犯のことだ。だから、そのことをもう一回考えたい。しかも、A級戦犯のことを掘り下げていくと、あの戦争は何だったのか、どうしてああなってしまったのかにも行き着くのである。
A級戦犯にされた25人は、米英などによって開催された極東国際軍事裁判(“東京裁判”)で、満州事変から太平洋戦争までの、いわゆる「15年戦争」において、中国・アジアへの侵略戦争を共同謀議し・遂行し、多数の人民を殺人、人道にもとる行為を指導したとされ、有罪になった。うち東条英機ら7人は絞首刑になった。この人たちが、あの戦争を進めた日本政府・軍部の指導者層であったことは間違いなく、そういう意味で、戦争の責任を誰かが取らねばならぬとすると、この人たちである。
今「戦争の責任を誰かが取らねばならぬとすると」と言った。前にも書いた通り、第一次世界大戦までは、敗戦の責任は、賠償金や領土割譲の形で国家が取り、政府・軍の首脳個人が戦犯にされることはなかった。(捕虜虐待などのマナー・ルール違反の軍人だけは、勝ち負けとは別に戦犯になったが。)しかし、第一次世界大戦処理の反省から、第二次では、むしろ国家(=国民)に大きな負担を強いさせず、軍部・政府首脳個人に責任を取らせるようにしたのだ。それで、日本とドイツ(ナチス)の首脳が国際裁判で大勢処刑されるという初めてのパタンになったのである。(注:日本の戦犯死刑者はB級・C級も含め海外での処刑者も含めると1000人以上になる。)
勿論、これら国際裁判では、さすがに「負け戦さをした責任」という罪状ではなく、主に「他国を侵略し多くの人を殺した平和に対する罪」という罪状であった。しかし、他国への侵略については、そもそもアジア各国・中国を強引に植民地化していった英国こそがその先駆者である。英国の対中国(清)アヘン戦争/アロー戦争と、日本陸軍の満州事変と、どちらが、より「悪(ワル)」か、比べて見るとよい。また、市民の虐殺も、日本軍の行為以上に、米軍の原爆投下こそが人類史上最大の一般市民無差別大虐殺である。ところが、これらは一切国際裁判の対象になっていない。勿論、日本軍がアジア・中国でまさに暴走し、1000数百万人の人を死に至らせたことの、神に対する罪の重さは測り知れない。もし、神から有罪と言われれば抗弁の余地は全くない。しかし、米英国等が国際裁判を開催し、逃げもせぬA級戦犯被告を殆ど一方的に有罪にし得たのは、何と言っても米英が戦勝国であり、日本が敗戦国であったからであるという事は、国際政治・国際法上は明らかであろう。
そうなると、A級戦犯の人も、その意味では、日本が負けた責任を、国民代表で背負って刑に服した人たちということになる。何やら国民の身代わりの犠牲者という感じだ。しかし、それを言う前に、この人たちは、なぜ、何の為に日本を無謀な戦争に追いやって行ったのかが問われなければならない。
A級で死刑になった7人を見てみよう。日独伊協定締結の政府責任者として処刑された広田元首相以外の6人は軍人であるが、これは、実質軍部が政府を圧倒したことから、当然であろう。この中で、日中戦争拡大、太平洋戦争突入を最も強く推進したのが東条陸相・首相、および、武藤陸軍省軍務局長。次に木村大将だが、この人は偶々東条と武藤の間にいた次官だったようだ。土肥原陸軍大将、板垣陸軍大将は、概ね満州支配の中心役であったことを問われた。最後の松井陸軍大将は、9つの罪状のうち8つまでは無罪になったが、例の南京で日本兵士が市民を虐殺した事件について、現地司令官として虐殺を阻止し得なかった責任を問われ死刑になった。
この中で、軍部暴走の象徴は矢張り東条、或いは武藤であろう。彼らは「このまま英・米と政治的に交渉していては、彼らの良い様にされ、結局日本のアジアにおける地位は失われてしまう。確かに日本の戦力は限りあるが、米が更に軍備を進めれば、もっと勝ち目はなくなる。幸いドイツが強いのでドイツと組んで、日本は今立たないと、永遠に後悔する」---そういう主張を強くして、戦争に突入して行った。彼らの、このような主張の背景には、政府・軍部内で米英和平派等を排して自分たちの派閥の権勢を強めたいというような、私利私欲的な思いも多少はあったかもしれない。しかし、想像するに、大変視野狭窄になってしまっていたが、私利私欲というより、日本として、軍人としての意地や情念から、無謀でも戦わざるを得ないと強く思ったような気がするのだ。しかも、ここが重要なのだが、もし国民が彼らと同様に、天下の情勢を良く知らされていたとしても、国民にも同様の激情に走った人が多かったのではないかと思う。東条もドイツに駐在したこともあり、世界を知らなかったわけでもない。それでも、大いに間違った決断をした。多少、世界を知っていた国民でも、あの当時の情勢下で、山本五十六のように「戦えば負けるので絶対不戦」とまで言い切れる人がどれほどいたかと思うのである。
だから、私は、強引に日本を戦争に追い込んだA級戦犯ではあるが、あの当時の日本人がいだきがちであった「米英の言いなりになるのか。折角、築いた満州を放棄するのか。」といった国民的(潜在)感情を代表した面があると思うのである。勿論責任者だったのだから、判断の結果の大いなる間違いの責任は一義的には彼らにある。しかし、国民は皆彼らに騙されていただけとして、彼らだけに罪を着せるのも問題があると思う次第である。A級戦犯は、国内的には、どうしてもこのような整理になると思う。しかし、国際的には、だからといって今更、A級戦犯は必ずしも悪くなかったとは決して言い出せない。全ての戦後秩序は、もうそれで出来上がっているからである。この国内・国際のずれを、両方よく理解して、未来志向の道を築く必要があるのだ。 Nat
2006年07月23日
22:06
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その他色々だよ
なぜか気になるネアデールタール人
皆さん、ネアデールタール人って知っていますね。要するに人類が我々「現代人」(クロマニヨン人)だけになる前、今から3万年くらい前まで、ヨーロッパに10数万年生きていた別の人類。
我々にとって、このネアデールタール人の事がなんとなく気になるとすれば、それは何故だろう。まず、ネアデールタール人がどんな人類であったかは知らなくても、もし今も生きていたら、別の文明を築いている別種の人類、あるいは、もしかして今、我々を駆逐して別の現代人類になっていたかも知れない別種の人類というのは、それ自体が我々にとって大きな関心のある存在なのではないだろうか。同じ人類なのに、違う人類。ちょっと違う顔つき、ちょっと違う生態・文化。全部、興味の対象になり得る。
しかも、考古学者の研究により、ネアデールタール人は、実は我々よりサルに近い原始的な人類というイメージとは限らず、我々とは別の、ちょっと違うタイプの人類だったかも知れないといわれると、余計に興味が湧くのだ。先ず、我々より脳が大きい。そして、超有名になった研究で、ネアデールタール人の墓と思われる所に花粉が大量に見つかる事から、恐らくネアデールタール人は死者に花を捧げた、そんな気持ちを持った人類だったと思われるのだ。となると、お猿さんみたいな、劣った「人間の出来損ない」というより、結構、我々と同じか、我々以上の情緒や気持ちを持った人達だったかも知れないのだ。ここが我々の関心を惹いて已まない間ない点だろう。
一方で、ネアデールタール人は、咽喉の構造から、複雑な音声は発生出来なかったのではとの説があり、言語の発達が乏しく、だから、言語ベースでの文化・文明は築かないまま終わったのではないかとの説もある。ネアデールタール人を、ちょっと人類とサルの間に戻す説だ。また、平均寿命が30歳にも達さず、だから、孫が持てないまま死に、子に孫の育て方の継承が出来なかった事という決定的な弱さがあったとの説もある。
逆に、最近出た本で、言語は未発達でも、歌のようなメロディーでコミュニケーションしていたとの説もある。となると、我々とは別種の高度のコミュニケーションをしていた人たちだったかもしれない。
このように、なにか、我々クロマニヨン人系の現代人からすると、ネアデールタール人は我々よりちょっと劣り、そして滅びていってしまった二流の人類と思いたい面と、案外、我々とは別タイプの文化を持っていた人類という思いとか交錯するのである。
そのようなネアデールタール人だが、その血筋が、実は我々クロマニヨン人に混血して混じり、今でも生き延びているという説がある。少数意見の説だが、もしそうなら、なんとなく余計に面白い。我々クロマニヨン人も別種の人類を徒らに滅ぼそうとしたわけではなく、最後のころは共存したかも知れないというわけだ。そういう事だったら、もっと面白い気がする。
そう言えば、我々の回りにも、ちょっと失礼だが、この人の血はもしかしてーーーと思う風貌の人がいるよね。その人たちは、言葉を弄するだけのクロマニヨン的文化でない、ちょっと別の文化、花を捧げ、メロデイーでコミュニケーションした別種の人類の文化の継承者かも知れない。 Nat
2006年07月01日
15:32
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戦争と平和について
またまた 「靖国神社」
小泉首相が任期切れを控えて、いよいよ8月15日に靖国神社に参拝するとの読みが強まっている。私は、このブログで去年から度々「靖国神社」「A級戦犯の問題」「日本と中国・朝鮮」について書いてきた。今年の夏、私の関係している教会の中高校生の年頃のグループの活動として、一度、靖国神社に行ってみて、そこの展示館も見学、そして、靖国神社に関する意見の模擬討論会もゲーム的にしてみようという計画をしている。とにかく、若い世代の人が、まず日本が戦争中に行なったこと、その結果の戦後処理、そして戦後の日本の発展、こういう歴史の事実と流れを知る必要がある。その上で、しっかり、一人ひとりの平和観を形成していってほしいとの思いからの計画だ。
この計画のために若い人や他のスタッフのための資料を作成していて、いま一度気がつくことは、日本の戦争責任の取り方のとても大事な点について、案外、大人の認識もないことだ。それでは、子どもたちにも伝えられない。
「戦争責任」といっても、国レベルの責任と、個人レベルの責任がある。国レベルは主に敗戦国が戦勝国側との間で講和条約を結び、領土を割譲したり、賠償金を支払うものだ。個人レベルは、専ら戦争犯罪に関するもの。即ち、それまでの国際法上も、国と国との間で戦争が時々起こることは、問題解決手段として仕方がないにしても、「戦争のマナー」は守ろうということで、戦争現場で捕虜を虐待したり、無実な市民を巻き添えにする行為は、戦後、戦争の勝ち負けとは別に罪に問われた。これが個人レベルでの責任。このような、国レベルと個人レベルの戦争責任の取り方は、戦争の質の変化の歴史と共に、変わってきているのである。
これを理解する為、少なくとも第一次世界大戦にまで遡る必要がある。第一次世界大戦は、それまでの歩兵・騎兵戦と異なり、戦車、潜水艦、果ては毒ガスまで登場して、人類史上初めての総力戦となった。このように世界中に大きな犠牲者を出した戦争だったから、その戦後処理の議論としては「今後は、もう、戦争そのものを簡単に起こさないように、重い戦争責任の取らせ方が必要」ということになってくる。そこで、敗戦国側、なかでもドイツに戦後賠償の重い負担を強いたのだ。ドイツからの全植民地の没収、有名なアルサス・ロレーヌ地方の仏への領土割譲、ポーゼン州・西プロイセン州のポーランドへの割譲、そして、1320億マルクという、とてもドイツが払うことの出来ない巨額な賠償金を課したのである。一方、この頃から、戦争の開始・遂行責任者の個人的責任をも問うべきとの議論が出はじめていたが、結局、それは表面化せず、ドイツ帝国のウイルヘルム2世は国内的には退位に追い込まれたが、戦争責任は逃れオランダに亡命している。
このようなドイツの国家レベルでの過酷なまでの賠償責任の結果、却って、ドイツにナチの勃興をもたらし、それが第二次世界大戦に繋がった。そこで、第二次世界大戦後の、米・英・ソ連など戦勝国による戦後処理の協議では、敗戦国のドイツや日本に、国レベルでの過酷な賠償を強い過ぎないようにしつつ、代わりに、戦争開始・遂行の責任者を個人レベルで厳しく責めることとしたのである。この結果、日本も、直接の宣戦布告の相手であった米・英などに対しては、米・英本国を攻めたわけでもないので直接の賠償金はなしにしてもらい、米・英などの植民地であり戦場になったビルマ・フィリピン等に賠償したのと、中国・朝鮮などに築いていた在外資産を放棄させられたことでもって、国家の戦争責任完了となったのである。
一方、その代わりに、戦争そのものの責任を軍部首脳個人に重く背負わせることとし、それを東京裁判で裁いた。これがA級戦犯。他国に侵略した「平和に対する罪」といいう新しい罪の種類を創設し、それをA種の戦争犯罪と呼んだ。一方ドイツは、ドイツのポーランド・ソ連への侵略を不問とし、もっぱら、ユダヤ民族の組織的虐殺だけを「人道的罪」、C級の犯罪として、ナチス幹部を裁いた。従来からの捕虜虐待、あるいは市民の無差別虐殺などの「戦争のマナー違反」はB級の罪といわれた。ちなみに、市民の無差別虐殺の最たるものは、米国による東京・大阪空襲、更には原爆投下であり、これは本来紛れもないB級戦犯の対象であるが、戦後の国際裁判は、敗戦国に多大な国家賠償を強いない替わりに、軍部個人に重い責任を問うことで終わりにするという、戦勝国側が考えた戦後秩序の仕組みであるので、もっぱら敗戦国の軍部の人たちのみが戦犯にされたのである。
以上から、日本は敗戦において、一部の軍部首脳にA級戦犯の罪を負わせて、その代わりに国民にまで負担を強いる大きな国家賠償の負担を免れた(更に天皇の責任も免れた)。ここから二つのことが出てくる。一つは、靖国神社が表明しているとおり「A級戦犯の人たちは我々日本国民の犠牲になって処刑されていった」との見方であり、この見方をする時、A級戦犯者は「一番の悪者」ではなく「最大の犠牲者」になる。一方、国際的には、A級戦犯に全ての責任を負わせて終わりにしたのだから、今更、日本が「A級戦犯はそれ程悪くなかった。むしろ犠牲者だ」などと言い出すと、もう一回東京裁判の蒸し返しになってしまうということだ。このA級戦犯の“二重性”が、問題の本質である。
但し、もう一歩言うと、国際的には「A級戦犯者の復権」などはあり得ず、彼らは永遠の犯罪者でないと困るのだが、犯罪者も処刑された時点でその犯罪の片はついているのではないかとの見方がある。即ち、既に死者となったA級戦犯者の「たましい」までも罪人であるのか、という問題だ。しかも、靖国神社など日本の神道では、死者のたましいは祀られている間に浄化され祖先神になるというのだから話が難しい。昔、朝廷の敵として最後は晒し首になった平将門も神田明神や築土神社に祀られ神となっている。A級戦犯も、もう今は、犯罪者ではなく神になっているという位置づけだ。
結論としては、A級戦犯の問題は、最初から最後まで二重性がある上に、日本伝統の祖先神的な想いまで係わってくるので、日本の内部の思いと、国際的な整理の違いを上手く和解させることは不可能であろう。そこで、まず、両者の思いをそのまま深く理解すること。そして、その上で、全く別の思いから改めて平和を希求すること。これしかない。この「全く別の思い」については、既に何度も述べたとおり、一言でいうと「神の前に全ての人が罪深いことを告白し、一方、全ての人が神に愛されていることを知って、共に神に祈りあうことこそが唯一の平和への道である」という思いである。 Nat
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