私の行っている教会で、いつも教会にきているある男性が言った。「妻が私に聞くのですよ。『あなたは神さまにいつも祈っているのに、あんな病気になったじゃない。いつも祈っているのに、息子があんなことになったじゃない。なんで、それでも神さまを信じてるの?』って。私はどういえばいいんでしょうね?」
これは、多分、クリスチャン、あるいはクリスチャンでなくても、何かの神を信じて祈り続けて生きている人間が、何千年も、何万年もの人類の歴史の中で、常に問い続けていることだろう。多分、その人の奥さんも、なにも御主人を愚弄して詰問しているのでなく、本当に「なぜ?」との問いを発しておられるのだろうと思う。
これに対して、その場で私はこういった。「親子が話ししているとする。子は親に必死に何か訴えている時、子にとって一番大事なのは、親が真剣に聞いて受けとめてくれているかどうかだろう。そうであれば、もし親がその場で、即、解決に繋がる返答をしなくても、子は怒ったり決定的に失望しないだろう。むしろ、例えば、子がお金のことで悩みがあることを話した時、まず親がその悩みを本当に理解してくれることを望んでいるのに、話しの途中でいきなり財布からお金を出されては、いい感じはしないだろう。親は眼の前にいるから、その存在に疑義はない。また、真剣に聞いてくれているかどうかは、見れば分かる。ところが、神さまは見えない。祈りで話しかけても、先ず願いが叶うかどうかの前に、そもそも真剣に聞いてくれているかどうかも分からない。もしかして、最初から神なんていないのかも知れない。奥さんにとって、神が本当にいて、祈りを真剣に聞いてくれているかどうかを検証できる唯一の方法は、祈りの願いが叶うかどうかを見極めることなんだろう。目に見えないから、多分、それ以外に検証の手がないということだろう。それなのに願いは全然叶わない。それでも神はいて祈りを聞いてくれていると信じる貴方は、どうして、何を根拠にそう思えるの?こう聞いているんでしょうね。それに対する返事は、さきほどの親の話しになるのではないかしら。親は、子の訴えを、必ずしもそのまま直ぐに解決するとは限らない。それがその子にベストなことかはどうかはまた別だから。直ぐに解決してくれないからといって、親がそこに存在しないとは誰も思わない。親が結局聞いてくれてなかったとも思わない。親が自分を本当に愛してくれているかどうかが一番大事。それさえ分かっていれば、すぐに解決をくれなくても、その親への信頼は変わらない。神さまに対しても同じ。神さまを信じているというのはそういうことではないかしら?」
その人は、一応頷かれた。でも、奥さんに実際にそのように言われるほどに、得心されたようにも見えなかった。私たちは、このことに本当はどう答えればいいのだろう?人類何千年・何万年の問いだから、直ぐに答えはないのでもしょうがないかも知れない。でも、なんら答えがないままということもないはずだ。私もこのことを考え続けたい。読者の皆さんのご意見もききたいものだ。 Nat
これは、多分、クリスチャン、あるいはクリスチャンでなくても、何かの神を信じて祈り続けて生きている人間が、何千年も、何万年もの人類の歴史の中で、常に問い続けていることだろう。多分、その人の奥さんも、なにも御主人を愚弄して詰問しているのでなく、本当に「なぜ?」との問いを発しておられるのだろうと思う。
これに対して、その場で私はこういった。「親子が話ししているとする。子は親に必死に何か訴えている時、子にとって一番大事なのは、親が真剣に聞いて受けとめてくれているかどうかだろう。そうであれば、もし親がその場で、即、解決に繋がる返答をしなくても、子は怒ったり決定的に失望しないだろう。むしろ、例えば、子がお金のことで悩みがあることを話した時、まず親がその悩みを本当に理解してくれることを望んでいるのに、話しの途中でいきなり財布からお金を出されては、いい感じはしないだろう。親は眼の前にいるから、その存在に疑義はない。また、真剣に聞いてくれているかどうかは、見れば分かる。ところが、神さまは見えない。祈りで話しかけても、先ず願いが叶うかどうかの前に、そもそも真剣に聞いてくれているかどうかも分からない。もしかして、最初から神なんていないのかも知れない。奥さんにとって、神が本当にいて、祈りを真剣に聞いてくれているかどうかを検証できる唯一の方法は、祈りの願いが叶うかどうかを見極めることなんだろう。目に見えないから、多分、それ以外に検証の手がないということだろう。それなのに願いは全然叶わない。それでも神はいて祈りを聞いてくれていると信じる貴方は、どうして、何を根拠にそう思えるの?こう聞いているんでしょうね。それに対する返事は、さきほどの親の話しになるのではないかしら。親は、子の訴えを、必ずしもそのまま直ぐに解決するとは限らない。それがその子にベストなことかはどうかはまた別だから。直ぐに解決してくれないからといって、親がそこに存在しないとは誰も思わない。親が結局聞いてくれてなかったとも思わない。親が自分を本当に愛してくれているかどうかが一番大事。それさえ分かっていれば、すぐに解決をくれなくても、その親への信頼は変わらない。神さまに対しても同じ。神さまを信じているというのはそういうことではないかしら?」
その人は、一応頷かれた。でも、奥さんに実際にそのように言われるほどに、得心されたようにも見えなかった。私たちは、このことに本当はどう答えればいいのだろう?人類何千年・何万年の問いだから、直ぐに答えはないのでもしょうがないかも知れない。でも、なんら答えがないままということもないはずだ。私もこのことを考え続けたい。読者の皆さんのご意見もききたいものだ。 Nat