自殺をする人の大前提は「死んだら自分は消えてなくなる」か「死んだら生れ変わってやり直せる」のどちらかのようだと述べてきた。その後、ネット上の色々な記事をみていると、思った以上に後者の「生れ変わり」を思っている子どもが多いことに気がつく。ちょっとしたはやりであろうか。ゲームでそういうのがあるのかも知れないとすら思う。
しかし、もっと大人になると、ニヒルになって、この間もある自殺願望に関するサイトでこんな意見があった: 「生れ変わりなんてないよ。死んだら消える。オレはXX年X月に生まれたが、それ以前にはオレはいなかった。その状態に戻るだけ。死んだら全てを終わりに出来る。」という意見があった。前に12月2日のこの記事のその?で書いたとおり、生まれる前の自分に対する記憶も意識もないので、生まれる前には自分というものが存在しなかったと想定する人は多いのだろう。しかし、生まれる前の意識・記憶は、今度生まれた時には、今度の自分の直接の脳のメモリーには引き継がれない仕組みになっているだけかも知れないし、そこまでは誰にも分からないだろう。パソコンで消した筈のデータが実はパソコンの奥深くに残っていることがある事はご存知と思うが、それに似た構造になっているのかも知れない。なのに「生まれる前には自分がいなかったと思うので、自殺で死んだら自分を消し去れる」と思うことには全然根拠がないかもしれないということだ。
といったように、自殺する人の大前提には良く考えると根拠が怪しく、根拠の怪しい前提に基き自殺してしまうのはいかにも残念であると、ここで書き続けてきた。しかし、それでも死にたい人はいる。そもそも「生まれてこなければ良かった」と強く思うほど、自分が嫌であったり、いじめられるこの世が辛いので、とにかく、もうそれは終わりにしたい、そういうことだろう。それに対して、「どうして、もっと頑張ってみないのか」とか「生きていると、そのうちいい事もあるかもしれないじゃないか」などと言っても、多分無駄なのだろう。普通の生活の知恵の範囲で、死のうとしている人を留めることの出来る新しい発想は多分ないのだろう。死のうとしている人が全く知らなかった、全く新しい光のようなものが差し込んでこない限り。
私は、実はそういう光が全ての人に、既に差し込んでいる、しかし、それを知らないだけではないかと思うのである。この「自殺の大前提シリーズ」の最後として、次にお正月に書く「その5」で、その光とは何かにつき触れたい。 自殺検討中の方は、もうちょっと待っていて下さいね。 Nat
しかし、もっと大人になると、ニヒルになって、この間もある自殺願望に関するサイトでこんな意見があった: 「生れ変わりなんてないよ。死んだら消える。オレはXX年X月に生まれたが、それ以前にはオレはいなかった。その状態に戻るだけ。死んだら全てを終わりに出来る。」という意見があった。前に12月2日のこの記事のその?で書いたとおり、生まれる前の自分に対する記憶も意識もないので、生まれる前には自分というものが存在しなかったと想定する人は多いのだろう。しかし、生まれる前の意識・記憶は、今度生まれた時には、今度の自分の直接の脳のメモリーには引き継がれない仕組みになっているだけかも知れないし、そこまでは誰にも分からないだろう。パソコンで消した筈のデータが実はパソコンの奥深くに残っていることがある事はご存知と思うが、それに似た構造になっているのかも知れない。なのに「生まれる前には自分がいなかったと思うので、自殺で死んだら自分を消し去れる」と思うことには全然根拠がないかもしれないということだ。
といったように、自殺する人の大前提には良く考えると根拠が怪しく、根拠の怪しい前提に基き自殺してしまうのはいかにも残念であると、ここで書き続けてきた。しかし、それでも死にたい人はいる。そもそも「生まれてこなければ良かった」と強く思うほど、自分が嫌であったり、いじめられるこの世が辛いので、とにかく、もうそれは終わりにしたい、そういうことだろう。それに対して、「どうして、もっと頑張ってみないのか」とか「生きていると、そのうちいい事もあるかもしれないじゃないか」などと言っても、多分無駄なのだろう。普通の生活の知恵の範囲で、死のうとしている人を留めることの出来る新しい発想は多分ないのだろう。死のうとしている人が全く知らなかった、全く新しい光のようなものが差し込んでこない限り。
私は、実はそういう光が全ての人に、既に差し込んでいる、しかし、それを知らないだけではないかと思うのである。この「自殺の大前提シリーズ」の最後として、次にお正月に書く「その5」で、その光とは何かにつき触れたい。 自殺検討中の方は、もうちょっと待っていて下さいね。 Nat