♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)
生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等
2007年04月
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2007年04月30日
18:07
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ジャズ関係
クリスチャンと日の丸 その1
日本のクリスチャンには「日の丸や君が代に反対を唱える人たち」というイメージはないだろうか。恐らく統計をとると、事実、日本人の平均よりもそういう人たちが多いという数字が出そうな気もする。しかも、心の中で反対と思っているだけではなく、反対運動に積極的に参加する人も多そうだ。また、教会の中での話し合いで、「私は日の丸に賛成だ」とか「靖国神社にも意味がある」などと大声で言うのをはばかられる雰囲気がないとは言えない。言ったとたんに「あなたは軍国主義への道を容認するのですか」などと恐い顔で言われそうな気もする。
はっきり言って、現在の日本のクリスチャンの雰囲気には、上記のようなものが少なからずあると思う。果たしてそれは、キリスト教の本質なのであろうか。それとも、日本のクリスチャンに特有の背景があるのだろうか。クリスチャンはこれから何を目指すべきなのであろうか。今回のシリーズでは、その点につき、私の思うところを述べてみたい。ただし、前の「キリスト教でひっかかること」シリーズ同様、これは私個人が信じる所であるが、必ずしも私の所属する教会などの公式見解ではないことをお断りしておく。
まず最初に、私の基本的な問題意識を述べておきたい。
クリスチャンの平和運動にも色々あるので、一概には言えない。また、それが自分の信仰に沿うものとの真摯な思いで動いている場合がほとんどだから、私はまず敬意をもって接したい。しかし中には、狭く偏った考えや事実認識に囚われ、そうでない人を排斥し裁くパターンに陥ってしまっている人たちもいるように思う。そういう人たちが非難する対象の「右翼的な人たち」との間では対話も相互理解の道も途絶え、むしろ新しい憎しみが生まれかねない。結局、意に反して、日本が将来向かうべき道を建設的に議論し創り上げるための障害になっている面もある。そして、心の乾きを覚えて教会やキリスト教を訪ねる人の躓きになっている場合も少なくない。
暫く前に中国で開かれたサッカー・アジア杯の時の騒動では、中国の人たちが日本に抱く根深い敵愾心を見せつけられた。中国政府の政策により若い頃から反日教育を受けてきた中国の人たちにとっては、それが極く自然なことなのであろう。同様に、日本人の戦争の歴史認識には、戦後日本が辿ってきた道筋が深く影をさしていると思われる。しかし、日本の場合は、戦後日本の経緯が故に、日本の中に非常に異なる思いの人たちを生んでおり、日本人と中国人の対立以上に、その対立は大きいかも知れないとも思う。一体、戦後のどのような経緯から、そのようになってきているのか。その中で、日本のクリスチャンは、どのような道筋を辿ってきたのだろうか。このことについて、少し思う所を書いていきたい。
Nat
2007年04月24日
21:56
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その他色々だよ
人間はどうやって人間に進化したか? その5
これまで、進化してきた人類をパソコンに喩えて、脳を含めた身体・ハードに文化というアプリケーション・ソフトウェアをインストールした状態といってきた。つまり、道具を使いこなし、生活に必要なものを生産し、必要なコミュニケーションを言語で行うというような技量のソフトがインストールされるという訳だ。しかし、人間の獲得してきたものは技量だけではない。人間は高度な意識をも獲得してきたのである。そして、将来、技量ソフトも進化するであろうが、意識も更に進化すると思われる。
ここで、私が突然「超意識」などという言葉を言い出すと、なんだオカルトの話になるのかよ!と思われる読者もおられるだろう。しかし、私が、人類の将来の「意識の進化」を考える時に、「超意識」といったことも視野に入れざるを得ないのだ。最近この「超意識」という言葉が時々登場する。その最たるものは、坂本政道氏がシリーズで出している「臨死体験を超える死後体験」に関する書物だ。米国モンロー研究所のヘミシンク技術で意識を解き放ち、体を超えた世界に意識が広がる体験を詳しく紹介している。それ以外でも、多くの他の文献が、我々人間の通常の意識の上のレベルに「ハイヤー・セルフ」が存在することを述べている。同じものかどうか知らないが、日本でも昔から守護霊という概念もある。気、あるいは気功の世界でも、宇宙の気と人間との繋がりを探求している。
振り返れば、人類が自分の意識よりも高い意識や存在に想いを寄せるようになったのは、人類の進化のどの辺からであろうか。葬儀の遺物などから類推するしかないが、20万年くらい前の旧人(ネアンデールタール人)にも既にその痕跡がみられる。人類は進んだ意識を持った頃から、「上の存在」や霊、ひいては神への想いを育んできたと思われる。なぜそのようになってきているかには2つの考えがあり得よう。一つは、仲間や家族の死などに際して、心の慰めとして、霊界やら極楽やらを、飽くまでも空想的な意識の産物として想定するような習慣が出てきて、ひとつの文化を形成していったという考え。もう一つは、ハイヤーセルフ、あるいはその最も頂上にある神は、実は人間の意識に対して不断の働き掛けをしてきているのだが、人類の感受性が鋭く進化してきた時点から、特に鋭い人たち(霊感者や修験者など)がついにその働き掛けを受けとめ応答し始めたという考え。
私は、クリスチャンとして、一番上の神と“直接”愛で通じるということを信じる型でずっと来た。だから却って、人間と神の間に介在すると言われる超意識のレベルやら、ハイヤー・セルフなるものには造詣も深くないし、モンロー研究所的な体験も全くしたことがないから、全然分からない。多くの人がこれらをマユツバと切って捨てるのに反論する根拠も全く持っていない。しかし、もしかして、人類の意識が今後大きく進化する可能性があるとすれば、それは、このような超意識の世界との係わりの中で起こるのではなかろうかと直感する。逆に言うと、通常の意識の世界だけでは、冒頭に述べた技量のソフトの発展に情緒やアートの発展が加わる程度では、人類が言語を使用するレベルに進化したような、質的に一つ上のレベルに上がる進化は考えにくい。レベルが上がる進化があるとすれば、多分、それは、人類がむかし火の使用の世界を切り開いたように、超意識世界とのパイプ(チャネル)を大きく拡げ、多くの普通の人間でも超意識世界に通じることが出来るレベルに達するというイメージだ。勿論、数年先とかじゃなく、100年、1000年単位での進化になろうが。
もしそうなった時、私が先に想像した、おぞましい人類の将来像は一気に変わる。つまり、高度ソフト人間が頂点になって、下に低ソフト人間と病気人間が養われる存在としているという社会。これが、高度ソフト人間が頂点ではなくなる。一人ひとりの上にまずハイヤーセルフなどの上位の超意識があることが当たり前になってくると、高度ソフト人間が支配者というイメージではなくなる。人類は、ついに、より神的な世界に一歩踏み込む存在になるというわけだ。そうなることで、人類は次の段階の発展に進めるという筋書きだ。
Natは、何と言う荒唐無稽なイメージを、と怒られそうでもあるが、考えれば考えるほど、このように「超意識との交流」こそが、人類の次のレベルの進化であるように思えてならない。しかしちょっと残念なのは、私は、そのレベルに達さない今のレベルの人類としてこの世を終わるしかないだろうということだ。かといって、モンロー研究所の体験のような「先駆け的体験」は怖くて出来ない。まあいいか。私はもう、「一番上の神との愛」で生き・死ぬ今のスタイルで。。。
今回のこの人間の進化シリーズは、一応これで完。次回から、「クリスチャンと日の丸」
とかいった題で思う所を書きたい。では。Nat
2007年04月19日
22:14
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その他色々だよ
人間はどうやって人間に進化したか? その4
前回までで、人間が、体(ハード)の進化という動物の進化の道筋から離れ、文化(インストール・ソフト)の進化という別の進化モードに入ったことを書いてきた。そこで次に、ここから人間はどうなっていくのかにつき、少し空想することを書いてみたい。
まず体(ハード)は更に進化するだろうか。これまでの生物の進化では、環境の変化で生存への圧力がかかった時に進化が起こっている。人類も、アフリカのサバンナ化で二足歩行への進化が起こったが、それ以降の環境圧力、つまり冷涼化・乾燥化の中での人類の拡散と混雑に対しては、むしろソフトで対応してきたので、ハードは大きくは変わってきていない。今後、あり得る環境圧力としては、人類の更なる混雑や社会のストレスが考えられるが、それへの対応として、ハードのアップグレードで対応する路線は余り考えにくい。多分、引き続きソフトでの対応になろう。
しかし実は、身体・ハードの進化には、もう一つの原理がある。使わない機能の退化だ。真っ暗な深海に生きる魚の目の退化などが例だ。人間にも、これが少し起こりそうな気がする。固い食物を噛まないことから、顎の噛む力の退化が既に起こりつつある。また、生殖機能の退化が懸念される。しかし、このようなハード面の退化は、あるとしても実にゆっくりとしたものとなろう。そもそも動物の身体の進化・退化は、非常にゆっくりとしたものだからだ。
これに対して、実に予想がつかないのが、ソフトの方の今後だ。これは、非遺伝的・後天的に、発展し継承されるので、身体の進化とは全く違うスピードがあり得る。数万年前に言語が高度化、数千年前に文字が出来て、数百年前に本が出来て、近代になって通信手段が出来て、ここ十数年でインターネットが出来てというこの加速ぶりを考えると、文化というインストール・ソフトの進化の速さはまだまだ加速しそうだ。
私がここで懸念することがある。今「格差」という言葉がはやりだが、まさにインストール・ソフトにおける人類の格差がどんどん拡がろうとしている。文化というインストール・ソフトは、一人ひとりが親や仲間から聞いて、興味か、努力かのどちらかにより、各自の大脳にインストールしていかねばならない。しかし、最近、働かない若者、何も覚えようとしない若者が問題になっている。興味も努力もなく、一定レベル以上のソフトはインストールしようとしない人類だ。犬などの動物の場合、生まれた時に本能という基本ソフトが既に全員にインストールされている。だから犬などでは、基本的に基本的に落ちこぼれは発生しない。しかし、人類の場合、アプリケーションのソフトを後天的に興味か努力によりインストールすることから、落ちこぼれや格差が大きく出る。ここの処、インターネット時代で情報も溢れ、また使いこなすべき道具や技も高度化し、若い間にインストールせねばならないソフトが、一昔前よりも格段に高度化してきている。それに伴い、落ちこぼれはどんどん出る。
10万年くらい前だと、落ちこぼれそうになると生存を脅かされるので、一人ひとりが必死に努力して、石器の使用などのソフトを身につけていったはずだ。ところが今では、落ちこぼれても、社会や家庭が支えてくれる。だから、落ちこぼれから這い上がらねばという圧力が働かない。これは新しい事態だ。
これが進むと人類はどうなっていくのだろう。極端な空想だが、ソフトのインストールが極めて足りない人類、いわば「猿人や原人レベルの人類」と、高度のソフトをインストールした人類とに二極化してくるのが一つのイメージだ。そして猿人・原人レベルの人類は、高度ソフト人類の養う“家畜”あるいは“ペット”化してくる。なんとおぞましい!と思うが、本当にそうなって行くかもしれない。
もう一つ心配されるイメージは、心の病いを抱えた人間の大量発生だ。最初から興味も努力もなく、家畜・ペットに甘んじる層はまだいい。問題は、その層と、上の高度ソフト人間のハザマで、上に上がり切れずにストレスで潰れる人間だ。もう大分発生してきているが、将来にはそれが更に大量に発生すると思わざるを得ない。この層は、高度ソフト人間のリードする社会の中で、病人の群れとして保護されることになる。となると、要するに、全体としては、高度ソフト人間が主導する中で、家畜・ペット型の低ソフト人間と、病気人間が養われるという社会だ。
しかし、ここまでの話で、ある重要な要素が抜け落ちている。人間はハードとソフトのパソコンではないのだ。意識
というものがある。その点を次回に。 Nat
2007年04月15日
17:36
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その他色々だよ
人間はどうやって人間に進化したか ? その3
前回書いた通り、二足歩行した猿人は、次に道具と火を使えるソフトをインストールした原人に進化した。そこから更に我々ホモ・サピエンスへの進化は、いったいどのような道筋だろうか。もっぱら言われていることによると、アフリカにいた原人の一派がヨーロッパに移動して、寒冷適応した旧人ネアンデールタール人になった。一方、それから暫くしてアフリカの原人の中から、ついに我々新人が登場し、それが世界に拡がった。旧人ネアンデールタール人の方は、寒冷適応という特殊化に陥ったため、結局は新人のようにはなり切れずに、その後ヨーロッパにも進出した新人との勢力争いに敗れて絶滅したとも言われる。新人との混血として旧人ネアンデールタール人の遺伝子は残っているとの学説もあるようだが。
原人や旧人と、新人との最も大きな差は何か? それは言葉だと言われている。言語能力の差を生んだのは、大脳の前頭葉の発達の差とも言われるが、これはニワトリと玉子のようで、どちらが原因でどちらが結果か良く分からない。更に一説によると、旧人と新人では、のどの構造が違い、発声能力にも差があったのでは、とも言われる。前回書いたとおり、原人以降では、道具や火の使用など生活技術のノウハウが、遺伝ではなく文化として継承・発展されねばならない。だから、ノウハウを若い層に伝授する言葉の能力の差は、決定的な力の差を生む。
このように、原人の中から高度な言葉を駆使する能力を持つものが現れた、その背景となる環境の変化は何だったのだろうか。それにつき書いている文献はまだ見たことがないので想像するしかないが、私は直感的に人の混雑こそが背景ではないかという気がする。道具や火の使える原人は至る所に繁殖し人口が増えた。その結果、食料確保に必要と言われる人口密度の「10平方キロメートルに一人」以上に人が増えてきた。そうなってくると、食料確保の為に、より効率的な生活パターンや工夫が必要となる。食料である動植物のあり場所の情報。その採集や捕獲の為の道具や準備の為の情報。更に、移動先に関する事前情報。そしてついには、食料の生産の段階になると、生産ノウハウ情報といった具合に、情報の伝達が加速度的に重要になってきたのではないか。その為に高度な情報交換の手段としての言葉の必要性が高まったと想像される。その中で言葉の能力を進化させた人類の種が、「10平方キロメートルに一人」の壁を突破し勝ち残ったのである。
かくして、人類は言葉を必要とする時代に入った。ところが、前頭葉の発達しにくい大脳構造であり、また、発声に不利な咽喉の構造であった旧人ネアンデールタール人は、寒冷適応の特殊化には成功したが、高度な言語能力の獲得には至らなかったらしい。一方で、同じヨーロッパのクロマニヨン人を代表的とする新人は、言葉を発達させて行った。これが新人の勝ち残りの決定的要因になったと思われる。私は、言葉少なめにぼくとつに生きたネアンデールタール人が本当に絶滅したのなら可哀想な気がする。
新人に混血で混じっていったという説の方がほっとするが、無口で不器用な人間はやっぱり絶滅したのかも知れない。
そうやって、言葉で勝負する動物、新人が繁殖した。生活ノウハウが高まったので、寿命も延びたようだ。それ以前は、子を生んで少し育てた頃に親は死んでしまうので、親子間で教育が十分出来なかった。しかし寿命が延びたお陰で、子どもが大きくなるまで死なない親が増えたらしく、これで子どもに対する教育が飛躍的に進んだと思われる。これが更に新人の発展につながった。
その結果、現在、地球上に60億匹の人間が異常繁殖した。動物は普通、体の大きさに反比例した数しか棲息できない。ばい菌や昆虫は無限大に近い数がいるが、ゾウなどは少数だ。ところが、唯一その法則に反するのが人間である。元々の「10平方キロごとに一人」という動物として自然に生きられる人数の限界を、文化、特に言語使用というソフトウェアの力で人為的に突破して、ついに60億匹になった。そういう人間は、これからどこに行くのだろうか。 Nat
2007年04月13日
23:24
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人間はどうやって人間に進化したか? その2
前回、猿人の大脳が大きくなると共に、新しい環境にチャレンジしようとする意識から道具や火を使うことを覚え、それが更に大脳を大きくして原人になったことまで書いた。
ここで「意識」ということを書いたが、意識は人間にしかないか? 犬を良く見ていると、単純な意識だが意識が全くないわけでもないと思われる。またサルくらいになると、大分意識や感情もありそうに見える。また犬でも寒いと毛布にくるまるくらいの道具の使い方はできるし、更にサルは石で木の実を割る程度のことはする。では原人はこのような犬やサルとどう違うのか?
ずばり言おう。原人の道具使用は、最初に誰かが道具を使い始めたのが仲間に、「これはいける!俺もやろう!」という風に意識されたのだ。そして、それが意識的に仲間に広がり、更に子たちに伝えられるうちに、長い間ではノウハウとして高度化してきたのだ。多分、犬やサルは何十万年たっても、基本的には生まれつき、遺伝で引き継いだ行動しかしないだろう。学びということは、ほとんどないと思われる。
実は、原人は犬やサルなどと違うだけではなく、猿人とも根本的に違うのだ。猿人から原人への進化は画期的なものだ。身体、即ちハードウェア的にも少しは進化したが、それよりも、コンピューターに喩えれば、そのハードにインストールされるソフトウェアで進歩を遂げた点が画期的だ。まず身体・ハードの変化から言うと、原人は猿人より大脳の大きさや顎の構造などで若干の違いはあるが、それは程度の差である。ところが、原人は生活の中の工夫で、道具を作り、火を器用に利用することを編み出し、それをノウハウのソフトウェアとして大脳にインストールした。そして、それを仲間や子供にも伝えて、彼らの大脳にもインストールさせる、そのようなインストールソフトが継承されて文化を形成した。確かにハードである大脳が、原人では容量アップしている。それは、コンピューターのCPUやメモリーの性能アップと似ていて、それがないとソフトのインストールが出来なかったという意味では、必要条件であった。しかし、ことの本質は、トカゲに羽根が生えたというようなハードの進化ではなく、飽くまでもソフトでの発展なのだ。これは動物として初の出来事だった。
しかも、この蓄積ソフトは、実は遺伝しない。飽くまでも、仲間・親子の間で後天的に継承されるのみである。その証拠がある。森に捨てられた人間の赤ちゃんが狼に育てられた事例があった。大人になったその子は、その後保護されたが、二度と普通の人間のようにはならなかった。要するに、その子は、人類のソフトをインストールされないままのハード状態で固まってしまっていたのだ。もう少し正確にいうと、犬もサルにも本能という基本ソフトは入っている。そしてそれは遺伝していく。しかし、犬やサルにはそれ以上のアプリケーション・ソフトを取り込む力はない。原人や現代人にはそれがある。しかし、アプリケーション・ソフトは遺伝しないので、それを後天的に教育でインストールしない限り、狼に育てられた子のように猿人と同等の状態で固まってしまう。というと、我々現代人も、親や学校・社会の教育なしでは、猿人と同等、つまり動物としては猿人と余り変わりない存在なのだ。良く考えると、これは大変驚きだ。
一方、サルが猿人になって二足直立歩行
になった話に戻るが、それは遺伝するハードの進化か、それとも非遺伝的なソフトの進化か、どちらだろう? 京大の偉大なる人類学者、故今西錦司教授は、親や周りの大人が全員這い這いをして赤ちゃん
を育てても、恐らくその子は1歳過ぎにでもなれば立つに違いないと書いている。とすると、二足直立歩行は遺伝型、従来の動物のハード変化タイプの進化であったと思われる。人間は、立つところまでは、動物として、身体的・遺伝的な進化をした。道具と火からは、遺伝しないソフト・文化としての進化になったということだろう。そしてソフト・文化の継承や発展は、無意識の遺伝でなされるのではなく、意識的に人づてになされるという点が大変新しい。ついに、人という、自分の意識で自分を変える動物が登場したのである。
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