♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)
生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等
2007年07月
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2007年07月30日
19:02
カテゴリ
戦争と平和について
米軍基地のことをどう考えるか? その6
在日米軍との関係で、日本はどの程度の自分の軍力を持つべきか?
まず自衛隊の実態を見よう。単純に各国の軍事予算の大きさで見ると、世界の軍事費は総計100兆円。米国が40兆円。次にロシア、中国が6兆円くらい、日本、イギリス、フランス、ドイツが4兆円前後といった所だ。これからすると、日本は米軍による防衛効果を享受しており、かつ、憲法9条がある割には、他の国と伍するほどの軍事費を投入していることになる。人数的にも、日本、イギリス、フランス、ドイツの軍隊はそれぞれ20数万人だから同じレベルだ。今度は東アジアの中で見ると、中国230万人、北朝鮮110万人、韓国69万人、ベトナム46万人、ミャンマー38万人、タイ31万人、インドネシア30万人、それで日本の自衛隊が24万人。日本の自衛隊は比較的進んだ近代装備を持っているものの、人数的には東アジア内では控えめということも言える。だから、日本の自衛隊の規模それ自体を見て、国際的に突出しているとか過大であるといった一方的決め付けは必ずしも妥当ではなさそうだ。
ならば問題になるのは「どうせ米軍がいてくれるのなら、自衛隊はもっと軽微でもいのでは?」という問いだ。実際、先に述べた通り、米軍がいることで結果的な攻撃抑止力は大きい。しかし実は、米軍は米国のアジア・中東広域の戦略展開の拠点として日本を利用しているのであって、別に日本の防衛のためにいるわけではない。昔の安保条約にはそういう面もあったが、今やだいぶ変わってしまっているのだ。だから、米軍の抑止力があるから、攻撃されにくいものの、いざ日本への攻撃が始まってしまった時の日本自身の防衛については、もっぱら自衛隊が責任持つしかなくなってきている。となると、一応他国並みの自衛戦力は必要では、という話になる。また、米軍がいるから却って危ないと思えば、なおさら自衛の部隊が必要かも知れない。加えて更に、今後、世界情勢が変わって、米軍が急に日本から出ていくことになったら、突然日本は丸裸になるのも恐い。といった理由から、一定の自衛の部隊と装備が要るという話になる。むしろ問題は「一定の自衛部隊と装備」とは、どこまでが適当かということだろう。そして、これは、どれだけ生命保険に入っていると安心かという議論と似ていて、意見が大きく分かれるテーマだろう。
昔の社会党は完全非武装論で、「攻めてこられたら皆で白旗を上げて降参しましょう」といった徹底した無抵抗主義も唱えていた。また戦後の占領下で作られた現憲法でも戦力保有を放棄した。(放棄させられたと見る向きも多いが。)ところが、結局、朝鮮戦争で米国は方向転換。日本に再軍備を促した。それで日本は自衛隊を持って現在に至る。それでも、日本の自衛隊は専守防衛、他国を侵略する軍隊ではないという意味で他国の軍隊とは違うという人もいる。しかしながら、国連では、第二次世界大戦前から既に自衛目的以外の武力行使を禁じており、国連加盟国の軍隊はもともと全て「自衛隊」であるというのが建前なのだ。だから憲法9条のような国家憲法の有無の違いはあるが、「日本のは“自衛だけの部隊”だから他国と違い軍力は軽微で済む」というのは余り説得力はない。むしろ昔の社会党の完全無抵抗主義の方が、非現実的だが明解で分かりやすい。
となると、どうせ日本は自衛隊が守るしかないなら、別に米軍は日本には要らないのでは?もっと減らしてほしいな、ということになる。実は米軍は米軍で、既に自分の事情から、日本や韓国からグアムへの人員シフトを進めつつある一方、日本に言われたからという理由では簡単には削減してくれないだろう。それでも、日本からすると、減らせる米軍は減らして欲しいということになろう。ましてや、米国の現在のような民主主義拡大運動と、テロリスト・大量破壊兵器事前撲滅作戦は、大いに独善的で、やり過ぎだと思えば、その片棒を担ぎたくないということになる。そこで、次回は、この辺の、国際紛争への対応のことについて考えたい。
Nat
2007年07月28日
21:51
カテゴリ
戦争と平和について
米軍基地のことをどう考えるか? その5
在日米軍のことを、日本としてはどう思ったらいいのだろうか。米国の世界戦略上、日本が非常に都合のいい場所にあるので、米国はそこに何としても自分の基地を置きたい。しかしそれは日本にとっては、ただただ迷惑なだけなのだろうか。
まず、在日米軍がいることで、日本の安全がどの程度保障されているかだ。まず間違いなく言えることは、米軍の存在がゆえの「対日攻撃への抑止力」だ。但し、抑止力はあっても、いざ攻撃されてしまったら、米軍は日本を守ってくれないのではないかという議論がある。しかしながら、そもそも米軍が日本を守るとしても、それは米国が日本を愛しているからではない。日本の米軍基地がうまく機能するためには、日本の政府や自衛隊、あるいはそれぞれの基地のある地域の自治体運営などが全て正常に機能していることが必要である。だから、米軍にとって、日本がおかしくなるのは困るのである。それが故に米国は日米安保条約の中で、自分のためにこそ日本の安全保障に重大な関心を持ってきた。但し、それがゆえに実際に米軍が日本を守るために戦うだろうというのは従来の日米安保体制での話しだ。これが米軍再編で変わりつつある。いざという時の実際の日本防衛は自衛隊の責任に移りつつあるのだ。しかし、それでもなお攻撃開始への米軍の抑止力が大きいことには変わりなく、少なくとも現時点では在日米軍が結果的に日本の安全保障に寄与していることは否定しがたい事実であろう。
これに対する反論の主なものは、「それはそうとしても、米軍がいるから、却って日本が米軍の紛争に巻き込まれる」というものだろう。いきなり日本の米軍基地を攻める国はまずないとしても、例えば台湾を巡って米軍が中国に威圧を掛けて、中国が在日米軍基地に対する報復行為に出るといった可能性。確かにこれはある。「米軍が日本にいるから日本に簡単に手出しは出来ない」という日本の安全保障効果と、「米軍がいるから却って標的になる」という懸念。これのどちらを重視すべきか?この問いは、たぶん専門家でも計算して答えが綺麗に出るようなものではないだろう。だから、各人が自分の直感でどちらかを選ぶか、あるいは「それは両方ともそうだ」と思うかしかない。そこでここでは、そのどちらにも決めうちせず、次に日本自身の軍備は要らないのかどうかという問題に進みたい。それが次回。
Nat
2007年07月27日
23:40
カテゴリ
戦争と平和について
米軍基地のことをどう考えるか? その4
まず、米国が日本を含めて世界各国に駐留軍を置いている目的とその思想を、米国側の観点から見ていこう。
米国は、州兵も入れると米国内に210万人もの突出した兵力を持つ。そして海外には20万人で、大体今の処、欧州とアジアに半数ずついる。全世界合計で230万人にもなる。人数でこれに匹敵するのは中国だけだ。(中国の場合は、全部中国国内にいるのだが)。しかし、米国のハイテック装備や強力な機動力・情報力・経済力を考えると、中国はまだまだ米国のライバルにはならない。米国が世界の中で圧倒的に突出した兵力を持っている。
何のため?もちろん先ず何よりも米国自身のためだろう。しかし、これが世界のためでもあるというイデオロギーを強烈に掲げており、かつ結構本気でそれを信じている。ピューリタン以来の伝統で「自由」=「Liberty」を標榜する移民国家であった米国だが、さすがに1921年の移民法以来「誰でもいらっしゃい」ではなくなった。しかし、現在でも世界の中で「一番移民したい国は米国」というステータスを保っており、「世界で最も自由な民主主義の国」の建前とプライドは維持している。(もちろん、貧富の差など、米国の暗い面はたくさんあるが。)
このような米国が今、世界に対して掲げている思想は何か?一つは「近代で、民主主義の国と民主主義の国は戦争していない」という認識。要するに戦争の相手は、独裁的だったドイツや日本、或いは独裁的共産主義国家や独裁的な中東国家ばかりだったということで、ここまでは結果的には結構正しい。しかしここから更に「だから民主主義を広めると戦争が減る」というロジックを掲げる。ここまでくると、議論が分かれるだろうが、米国、少なくとも現政権は結構本気でそう信じている。第二に、「第二次世界大戦後、ソ連崩壊の今、米国及び世界の最大の脅威は、一部の非民主主義的独裁国家と狂信的テロリズムが大量破壊兵器を使用することである」という認識だ。これも、「脅威」と名指しされる方は「逆に米国こそが最大の脅威じゃないか」と言い返すことになるが、これ又、米国は強くそのように思っている。それで、米国は、民主主義を広め、世界から独裁国家とテロリストと大量破壊兵器の流出を無くせば、まず米国が安泰、そして世界も安泰と主張し、世界の警察官役を演ずる。そして、その為に世界各国に米軍基地を置く。
これに対し、概ね「島国の温厚な農耕民族」である日本人の感覚は、他国との間で何か問題が生じた時に、個別に話し合ってうまくやって行きたいというものだ。この辺に大違いがある。「世界戦略の米国」と、「個別話し合いの日本」との大違いだ。
良い悪いは別にして、このように大違いの「世界戦略の米国」と「個別話し合いの日本」とが戦後、奇妙な同盟関係を組んだのだ。そして、米国にとって、日本との同盟の重要性はむしろ増してきている。またこれは、日本の「国際的な力」に期待して組みたいということではない。米国から見て「個別話し合いの日本」の力は余り当てにしていない。しかも所謂「平和憲法」の制約があることも知っている。米国が日本を重視するのは、一義的には日本の地理的位置だ。まず、今後の最大の脅威となり得る中国の真横に日本が位置しているから、日本に米軍基地があることは米国の生命線だ。また、欧州の脅威が遠のき、一方で、中東、インド洋からアジアの地域での独裁国家やテロリストとの戦いを重視する「世界の米軍再編」計画を進めている訳だが、その計画の中で、米軍拠点としての日本はいよいよ重要性を増す。だから米国は日本を放さない。
但し、米軍の負担を増やす気はないから、日本のお金(「おもいやり予算」など)と自衛隊による後方支援への要求もするし、日本自身の防衛は出来るだけ日本の自衛隊の責任にシフトする。ミサイル防衛などにも日本の参加を求める。要するに、米軍の世界戦略のいよいよ重要な拠点として日本列島を使うと共に、日本には日本相応の責任と負担をより多く求めるということだ。
これで米国から見た日本の位置づけは分かった。そこで問題は、「日本を放さない米国」に対して、日本としてはどう対応するかだ。ここから次回。 Nat
2007年07月25日
22:28
カテゴリ
戦争と平和について
米軍基地のことをどう考えるか? その3
まず、米国が日本を含めて世界各国に駐留軍を置いている目的とその思想を、米国側の観点から見ていこう。
米国は、州兵も入れると米国内に210万人もの突出した兵力を持つ。そして海外には20万人で、大体今の処、欧州とアジアに半数ずついる。全世界合計で230万人にもなる。人数でこれに匹敵するのは中国だけだ。(中国の場合は、全部中国国内にいるのだが)。しかし、米国のハイテック装備や強力な機動力・情報力・経済力を考えると、中国はまだまだ米国のライバルにはならない。米国が世界の中で圧倒的に突出した兵力を持っている。
何のため?もちろん先ず何よりも米国自身のためだろう。しかし、これが世界のためでもあるというイデオロギーを強烈に掲げており、かつ結構本気でそれを信じている。ピューリタン以来の伝統で「自由」=「Liberty」を標榜する移民国家であった米国だが、さすがに1921年の移民法以来「誰でもいらっしゃい」ではなくなった。しかし、現在でも世界の中で「一番移民したい国は米国」というステータスを保っており、「世界で最も自由な民主主義の国」の建前とプライドは維持している。(もちろん、貧富の差など、米国の暗い面はたくさんあるが。)
このような米国が今、世界に対して掲げている思想は何か?一つは「近代で、民主主義の国と民主主義の国は戦争していない」という認識。要するに戦争の相手は、独裁的だったドイツや日本、或いは独裁的共産主義国家や独裁的な中東国家ばかりだったということで、ここまでは結果的には結構正しい。しかしここから更に「だから民主主義を広めると戦争が減る」というロジックを掲げる。ここまでくると、議論が分かれるだろうが、米国、少なくとも現政権は結構本気でそう信じている。第二に、「第二次世界大戦後、ソ連崩壊の今、米国及び世界の最大の脅威は、一部の非民主主義的独裁国家と狂信的テロリズムが大量破壊兵器を使用することである」という認識だ。これも、「脅威」と名指しされる方は「逆に米国こそが最大の脅威じゃないか」と言い返すことになるが、これ又、米国は強くそのように思っている。それで、米国は、民主主義を広め、世界から独裁国家とテロリストと大量破壊兵器の流出を無くせば、まず米国が安泰、そして世界も安泰と主張し、世界の警察官役を演ずる。そして、その為に世界各国に米軍基地を置く。
これに対し、概ね「島国の温厚な農耕民族」である日本人の感覚は、他国との間で何か問題が生じた時に、個別に話し合ってうまくやって行きたいというものだ。この辺に大違いがある。「世界戦略の米国」と、「個別話し合いの日本」との大違いだ。
良い悪いは別にして、このように大違いの「世界戦略の米国」と「個別話し合いの日本」とが戦後、奇妙な同盟関係を組んだのだ。そして、米国にとって、日本との同盟の重要性はむしろ増してきている。またこれは、日本の「国際的な力」に期待して組みたいということではない。米国から見て「個別話し合いの日本」の力は余り当てにしていない。しかも所謂「平和憲法」の制約があることも知っている。米国が日本を重視するのは、一義的には日本の地理的位置だ。まず、今後の最大の脅威となり得る中国の真横に日本が位置しているから、日本に米軍基地があることは米国の生命線だ。また、欧州の脅威が遠のき、一方で、中東、インド洋からアジアの地域での独裁国家やテロリストとの戦いを重視する「世界の米軍再編」計画を進めている訳だが、その計画の中で、米軍拠点としての日本はいよいよ重要性を増す。だから米国は日本を放さない。
但し、米軍の負担を増やす気はないから、日本のお金(「おもいやり予算」など)と自衛隊による後方支援への要求もするし、日本自身の防衛は出来るだけ日本の自衛隊の責任にシフトする。ミサイル防衛などにも日本の参加を求める。要するに、米軍の世界戦略のいよいよ重要な拠点として日本列島を使うと共に、日本には日本相応の責任と負担をより多く求めるということだ。
これで米国から見た日本の位置づけは分かった。そこで問題は、「日本を放さない米国」に対して、日本としてはどう対応するかだ。ここから次回。 Nat
2007年07月24日
22:05
カテゴリ
戦争と平和について
米軍基地のことをどう考えるか? その2
そもそも日本になぜ米軍基地があるのか? 基地視察に参加する若い人たちとは、ここから始める。米軍基地の経緯としては、周知の通り、戦後の連合国占領軍(ほぼ米軍で構成)に端を発する。それが1950年の朝鮮戦争勃発で意味が変わってくる。共産主義国家ソ連・中国に対抗するために、日本を米国の軍事拠点にしようという位置づけになるわけだ。だからサンフランシスコ条約で日本の再独立を認めると共に、それまでは「連合国占領軍」だった米軍が日米安保条約で「米国の在日駐留軍」という位置づけに変わる。日本としても、米軍が日本にいてくれると他の国も日本に攻めて来にくいだろうから、自衛の軍備にお金をかけずに経済復興に集中できるというメリットを感じてこれを受けた。その後、日本の復興も進み、1960年に安保条約が改訂された時には、もう少し日本と米軍が共同で極東・日本の平和を守るという考えに改められたが、米軍の駐留は変わらず継続する。その後、1991年にソ連の崩壊で冷戦が終わるが、その後湾岸戦争、更には2001年に同時テロが発生。米国の対応すべき「敵」は旧来の中国・北朝鮮に加え、過激なイスラム国家、テロリスト集団という風にむしろ地域的にも種類的にも広がる。そこで日本の米軍基地から米軍が進軍する先としては、安保条約の範囲の極東を越え、中東まで含めた広域に及ぶようになる。そして、日本の自衛隊もその後方支援をするようになる。簡単に言うと上記のような経緯であろう。
まず浮かぶ素朴な疑問は、敗戦後60年経った今も、米国が自分の世界戦略のために日本を拠点として使うのを、ずっとそのまま認めている必要があるのか?ということではなかろうか。
これに対しては、まずこれは日本だけなのか、米軍は他の国にもいるのかを押さえておかないといけないだろう。日本にいる米軍は4万人(含む文官)。そして他に米軍が駐留しているのは、イギリス、イタリア、ドイツ(7万人)、韓国(4万人)、クエートなど、米国との他の協定国があり、日本以外でも合計16万人が他国に駐留している。少なくとも日本だけではない。但し、これに対し日本の米軍基地反対派は「ソ連の崩壊で米軍にとり欧州は重要性が減るので戦力も撤収の方向。一方、アジア(その中心が日本の基地)は中国の脅威への対策と中東出兵への基地として重要性が増す。また米海軍が、実質自分の艦隊の母港として他国を使っているのは日本の横須賀だけで、ここまで米国に従属しているのは日本のみ」という。これは日本の左翼も右翼も指摘して憤慨していることだが、事実であろう。要するに、米軍のことを世界の「正義の味方の警察」と思えば、そのために日本を使ってもらうのは良いこととなるし、米軍は米国の覇権的世界支配のための黒々とした野望のためと思えば、その片棒を担ぐのはゴメンとなる。
そこで次に、米国は何のために、このように世界中に軍隊を置いているのかということを、まずは米国の立場から考えてみよう。ここから次回に。 Nat
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