在日米軍との関係で、日本はどの程度の自分の軍力を持つべきか?
まず自衛隊の実態を見よう。単純に各国の軍事予算の大きさで見ると、世界の軍事費は総計100兆円。米国が40兆円。次にロシア、中国が6兆円くらい、日本、イギリス、フランス、ドイツが4兆円前後といった所だ。これからすると、日本は米軍による防衛効果を享受しており、かつ、憲法9条がある割には、他の国と伍するほどの軍事費を投入していることになる。人数的にも、日本、イギリス、フランス、ドイツの軍隊はそれぞれ20数万人だから同じレベルだ。今度は東アジアの中で見ると、中国230万人、北朝鮮110万人、韓国69万人、ベトナム46万人、ミャンマー38万人、タイ31万人、インドネシア30万人、それで日本の自衛隊が24万人。日本の自衛隊は比較的進んだ近代装備を持っているものの、人数的には東アジア内では控えめということも言える。だから、日本の自衛隊の規模それ自体を見て、国際的に突出しているとか過大であるといった一方的決め付けは必ずしも妥当ではなさそうだ。
ならば問題になるのは「どうせ米軍がいてくれるのなら、自衛隊はもっと軽微でもいのでは?」という問いだ。実際、先に述べた通り、米軍がいることで結果的な攻撃抑止力は大きい。しかし実は、米軍は米国のアジア・中東広域の戦略展開の拠点として日本を利用しているのであって、別に日本の防衛のためにいるわけではない。昔の安保条約にはそういう面もあったが、今やだいぶ変わってしまっているのだ。だから、米軍の抑止力があるから、攻撃されにくいものの、いざ日本への攻撃が始まってしまった時の日本自身の防衛については、もっぱら自衛隊が責任持つしかなくなってきている。となると、一応他国並みの自衛戦力は必要では、という話になる。また、米軍がいるから却って危ないと思えば、なおさら自衛の部隊が必要かも知れない。加えて更に、今後、世界情勢が変わって、米軍が急に日本から出ていくことになったら、突然日本は丸裸になるのも恐い。といった理由から、一定の自衛の部隊と装備が要るという話になる。むしろ問題は「一定の自衛部隊と装備」とは、どこまでが適当かということだろう。そして、これは、どれだけ生命保険に入っていると安心かという議論と似ていて、意見が大きく分かれるテーマだろう。
昔の社会党は完全非武装論で、「攻めてこられたら皆で白旗を上げて降参しましょう」といった徹底した無抵抗主義も唱えていた。また戦後の占領下で作られた現憲法でも戦力保有を放棄した。(放棄させられたと見る向きも多いが。)ところが、結局、朝鮮戦争で米国は方向転換。日本に再軍備を促した。それで日本は自衛隊を持って現在に至る。それでも、日本の自衛隊は専守防衛、他国を侵略する軍隊ではないという意味で他国の軍隊とは違うという人もいる。しかしながら、国連では、第二次世界大戦前から既に自衛目的以外の武力行使を禁じており、国連加盟国の軍隊はもともと全て「自衛隊」であるというのが建前なのだ。だから憲法9条のような国家憲法の有無の違いはあるが、「日本のは“自衛だけの部隊”だから他国と違い軍力は軽微で済む」というのは余り説得力はない。むしろ昔の社会党の完全無抵抗主義の方が、非現実的だが明解で分かりやすい。
となると、どうせ日本は自衛隊が守るしかないなら、別に米軍は日本には要らないのでは?もっと減らしてほしいな、ということになる。実は米軍は米軍で、既に自分の事情から、日本や韓国からグアムへの人員シフトを進めつつある一方、日本に言われたからという理由では簡単には削減してくれないだろう。それでも、日本からすると、減らせる米軍は減らして欲しいということになろう。ましてや、米国の現在のような民主主義拡大運動と、テロリスト・大量破壊兵器事前撲滅作戦は、大いに独善的で、やり過ぎだと思えば、その片棒を担ぎたくないということになる。そこで、次回は、この辺の、国際紛争への対応のことについて考えたい。 Nat
まず自衛隊の実態を見よう。単純に各国の軍事予算の大きさで見ると、世界の軍事費は総計100兆円。米国が40兆円。次にロシア、中国が6兆円くらい、日本、イギリス、フランス、ドイツが4兆円前後といった所だ。これからすると、日本は米軍による防衛効果を享受しており、かつ、憲法9条がある割には、他の国と伍するほどの軍事費を投入していることになる。人数的にも、日本、イギリス、フランス、ドイツの軍隊はそれぞれ20数万人だから同じレベルだ。今度は東アジアの中で見ると、中国230万人、北朝鮮110万人、韓国69万人、ベトナム46万人、ミャンマー38万人、タイ31万人、インドネシア30万人、それで日本の自衛隊が24万人。日本の自衛隊は比較的進んだ近代装備を持っているものの、人数的には東アジア内では控えめということも言える。だから、日本の自衛隊の規模それ自体を見て、国際的に突出しているとか過大であるといった一方的決め付けは必ずしも妥当ではなさそうだ。
ならば問題になるのは「どうせ米軍がいてくれるのなら、自衛隊はもっと軽微でもいのでは?」という問いだ。実際、先に述べた通り、米軍がいることで結果的な攻撃抑止力は大きい。しかし実は、米軍は米国のアジア・中東広域の戦略展開の拠点として日本を利用しているのであって、別に日本の防衛のためにいるわけではない。昔の安保条約にはそういう面もあったが、今やだいぶ変わってしまっているのだ。だから、米軍の抑止力があるから、攻撃されにくいものの、いざ日本への攻撃が始まってしまった時の日本自身の防衛については、もっぱら自衛隊が責任持つしかなくなってきている。となると、一応他国並みの自衛戦力は必要では、という話になる。また、米軍がいるから却って危ないと思えば、なおさら自衛の部隊が必要かも知れない。加えて更に、今後、世界情勢が変わって、米軍が急に日本から出ていくことになったら、突然日本は丸裸になるのも恐い。といった理由から、一定の自衛の部隊と装備が要るという話になる。むしろ問題は「一定の自衛部隊と装備」とは、どこまでが適当かということだろう。そして、これは、どれだけ生命保険に入っていると安心かという議論と似ていて、意見が大きく分かれるテーマだろう。
昔の社会党は完全非武装論で、「攻めてこられたら皆で白旗を上げて降参しましょう」といった徹底した無抵抗主義も唱えていた。また戦後の占領下で作られた現憲法でも戦力保有を放棄した。(放棄させられたと見る向きも多いが。)ところが、結局、朝鮮戦争で米国は方向転換。日本に再軍備を促した。それで日本は自衛隊を持って現在に至る。それでも、日本の自衛隊は専守防衛、他国を侵略する軍隊ではないという意味で他国の軍隊とは違うという人もいる。しかしながら、国連では、第二次世界大戦前から既に自衛目的以外の武力行使を禁じており、国連加盟国の軍隊はもともと全て「自衛隊」であるというのが建前なのだ。だから憲法9条のような国家憲法の有無の違いはあるが、「日本のは“自衛だけの部隊”だから他国と違い軍力は軽微で済む」というのは余り説得力はない。むしろ昔の社会党の完全無抵抗主義の方が、非現実的だが明解で分かりやすい。
となると、どうせ日本は自衛隊が守るしかないなら、別に米軍は日本には要らないのでは?もっと減らしてほしいな、ということになる。実は米軍は米軍で、既に自分の事情から、日本や韓国からグアムへの人員シフトを進めつつある一方、日本に言われたからという理由では簡単には削減してくれないだろう。それでも、日本からすると、減らせる米軍は減らして欲しいということになろう。ましてや、米国の現在のような民主主義拡大運動と、テロリスト・大量破壊兵器事前撲滅作戦は、大いに独善的で、やり過ぎだと思えば、その片棒を担ぎたくないということになる。そこで、次回は、この辺の、国際紛争への対応のことについて考えたい。 Nat