♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)

生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等

2008年01月

平成維新と明治維新 その4

平成維新せねばヤバイという日本国の最大の問題は、まず「国費分配の機能不全」であると前回書いた。次の最大の問題は「大制度改革の能力喪失」である。

笑顔 今、大問題の年金制度・健康/介護保険制度問題。国が若かった頃に作った制度は、老齢化で最早有効期限が切れた。しかし、抜本的改革の議論はまだ緒についたばかりだ。また、教育、農業、公共サービス、港湾輸送サービス、医療、介護などなど多くの分野で、旧来の規制が最早大きなマイナスになっている。しかし、規制緩和の歩みは、海外から呆れられるくらい遅い。政府は、微調整的な制度手直しと、弊害への対症療法しかやらない。それが、日本という国を、どんどん衰退させつつある。

はてな 何故、政府は大きな制度改革が出来ないのか。それは、政治家・政党サイドと、官僚サイドの双方に、そうしたくない理由があるからだ。先ず政治家・政党。そもそも国会議員は前回書いたとおり、専ら自分の選挙区か応援団体のローカルな利害を代表するのに汲々としている。ローカルな利害のことで議員に圧力を掛けるのは、例えば郵便局長などの旧体制護持勢力だ。一方、改革の恩恵を受けるのは、だいたい政治的に組織化されていない消費者や一般市民である。だから議員が改革を目指すわけがない。もし、国を憂う一部の議員がいたとしても、少なくともこれまでの政党内では、一個人でしかなく、個人では力ある政策立案は無理だ。最近、民主党のマニフェスト運動がきっかけになって、漸く政党が国家政策に取り組む兆しが出てきた。しかしそれ以外では、いまだに政党は個々の利権エージャント議員の寄り集まりである。かくして政党は、国家的見地からの政策提案を本気でしない。(政策検討委員会とか研究会とかいう名称の会が色々あって、皆さん忙しく出席しておられるが、いずれも官僚のお膳立ての“委員会”であったり、大学の先生を中心にサロンをやっているだけで、ここで書くまでもない。)だから、大制度改革の旗振り役が全く不在のまま推移してきている。

はてな 一方の官僚はどうか。日本の中央官僚は比較的頭がいいので、いま本当は国が何をすべきかを大体知っている。一方、彼らも人間だから、自分たち自身のことも考える。彼らが一番やらないのは、自らの役割や組織を要らなくするような改革だ。例えば、今、悪名高くなった社会保険庁。もし、老齢者への生活費支給が、従来の年金方式ではなく、税金からの国費負担になるとどうか。社会保険庁の多くの機能は不要となる。そのような改革を、従来の年金制度を司る社会保険庁の幹部なり、厚労省の役人が提案するわけがあろうか。自分は犠牲になっても、国や国民の為になる改革提案するような役人まではいない。

びっくり このように、本来政治家・政党がするべき大改革の旗振り役も不在、そういう中で元来大改革に消極的な保身型の官僚たちが大改革を自らやるわけもない。結局、今の日本は、幕末の、腐敗し何もしなかった徳川幕府の状態と似た状況と思われる。そのような徳川体制を一気に革新した明治維新では、大いに旗振りをし政策立案をした政治家、そして、それを有能に実践した、新しい明治官僚機構があった。平成維新を起こすためには、何が必要なのであろうか。次回、この点につき、ない知恵を絞る。笑い Nat

平成維新と明治維新 その3

はてな 平成維新と言うが、私は、何を維新する必要あると言っているのか。まずこの点を明らかにして置かないと、何の話か分かりにくいだろう。日本の抱えている大問題は何か?

アウト 先ず、国のお金(税金)の分配の仕組みが完全に機能障害に陥っていることを挙げねばなるまい。言うまでもなく、日本は明治維新で藩を廃止して以来、中央国家に権力も税金も集める仕組みにした。明治時代の富国強兵、上からの近代化ではこれが有効であった。戦後も復興もこれで良かった。しかしその後もこれがずっと続いている。中央集権制度が機能する為には、中央政府に、よほど問題意識と政策力に富んだ分配能力がなければならない。しかし現実には、これが完全に機能障害に陥っているのである。現在の日本の、国際的にも類のない程の財政破綻、国の「異常借金」は、皆で寄ってたかって、野放図に国の財布を食い物にしてきたからだ。良くこれで平気だなと思う。国民全員で、サラ金で借りたお金で遊んでいるようなものだ。これは誇張ではない。

怒る どうしてこうなってしまったのか?それには、政治家と、中央官僚機構の両方に理由がある。まず政治家だが、政治家の大半は、今の選挙制度では、結局、地元の応援で選出されてくる。どうしても、国のことを考える代表選手ではなく、地元の利権のエージャントになる。一方、中央官僚機構は、地方の各論の問題までも支配する体制でやってきた。今の制度では、例えばどこかの県のはじっこの道路の建設も、中央官庁が決め、予算を付けることになるのである。そうなるとどうなるか? 議員は、地方の利権の為に、国家のお金を出来るだけ引っ張ってくるのが仕事になる。中央官庁は、そのような議員からの要請に対し、自分のさじ加減で決める権限が、官僚の醍醐味となる。このパターンに最も該当するのが、国交省・農林省の道路などの公共事業、そして、それを地元に引っ張るエージャント役の国交族・農林族の議員たちだ。彼ら議員の多くは自民党だが、自民党は選挙用の「入れもの」に過ぎず、本質は、個々の族議員の利権誘導であり、それに呼応する官僚だ。勿論、前回述べたように、族議員の大臣などが、阿吽の呼吸を越えて、強引に人事介入などでやり過ぎると、官僚は猛反発する。飽くまでも「阿吽の呼吸」の範囲で“ただれ合う”のでなければならない。

困った そしてこれは、道路や新幹線などへの利益誘導だけではない。大分弱くなったが、医師会の利益誘導エージャントの「厚労族」。そして、国家予算の最大の割合が使われる社会保険(今般の問題の年金など)だが、これもお金がジャブジャブあるので、一部の議員の大好きな分野だ。あとは、最近話題の防衛庁。

びっくり 日本の一般会計を今47兆円くらいとして、これを省別に見ると、厚労省20兆円、国交省7兆円、文科省6兆円、防衛庁5兆円、農水省3兆円と続く。これが利権省庁の最たるもの。このうち、公共事業費でみると、国交省はほぼ全額がそれで7兆円、あとは農水省の1兆円。これを、議員が寄ってたかって、自分の地元や、医師会など自分のサポーター業界などのために引っ張るのだ。高度成長で税収が伸びている間は、それでも何とかごまかしが効いた。でも、もうそれもダメだ。

まる ところが驚くことに、これに全体的な観点から「待った」をかける政治・政府の仕組みはないのである。代議士先生の属する政党は、勿論そんなことはしない。所詮、選挙センターでしかないから。そして、官庁でも、内閣府などが官庁の最上部にあって采配を振るうなどということもない。敢えて言えば、昔の大蔵省、今の財務省が、「ないものはない」とつっぱねる役をするが、それも、断るだけでは彼らの権限発揮にならないので、半分以上はお芝居の域を出ず、結局「借金」(国債や地方自治体債)に逃げるのである。

祝日 日本は、こうやって、国の財布を、皆でたかりまくる国としてやってきた。そして、今、財政は破綻、そして、国の政策上、本当に必要なことに予算が回らない危機的状況に立ち至っている。しかし、大問題は、この「財政たかり」だけはない。もっとある。では次回に。 Nat

平成維新と明治維新 その2

笑顔 明治維新の時と、平成の今とは全然違う。先ず為政者である薩長の幹部は、選挙で選出された代議士ではなく、薩長のリーダーである。しかも、薩摩で言えば大名であった島津家の代表ではなく、もともと下級武家であった西郷や大久保だ。変革の実力と人望でリーダーになった人たちだ。はっきり言って恐縮だが、今の代議士さんたちと人物のレベルが違う。

笑い 次に問題の官僚だが、前回書いた通り、明治新政府は、徳川官僚体制からその良かった制度と、いい人材は引き継いだが、新しい人材を容れ、改めて新官僚機構を構築した。時はちょうど、各藩も廃止に向かいつつあり、日本中がガラガラポンだから、各方面の逸材が大きく流動化していた時だ。だから、優秀な人材が、新政府に大きく流入した。まだ、立法府、行政府といった分権体制も出来てないが、その分、新体制一丸となって、列強に対抗出来る「新・実力日本」を急ぎ構築せんという勢いも力量もあったのだ。このような明治維新の背景は、平成の今と違い過ぎる。よって、明治維新の時のような革新体制を、そのまま今望むべくもない。

OK 一方の、アメリカの体制。前回述べた通り、政権が代わると、官僚の上層幹部は皆交代する。しかもこれは昔の話ではなく、今でもそうだ。勿論、それを可能としているのは、一つには民間人の登用である。そもそもアメリカは建国以来の伝統で、「官」を嫌う。だから、圧倒的に政治家が強く、官は忠実な僕である。一方日本は、明治維新の時点で「政治家」に相当するのは薩長の幹部や旧徳川の優秀な幹部、一部の公家だが、今の政治家よりも余程実質的な力を持っていた。しかし、彼らが官僚機構を構築するにあたりお手本にしたのは、アメリカ型ではなく、ドイツ(プロイセン)流のがちっとした官僚機構だった。そのような経緯から、結局日本の官僚機構は、いわゆる「キャリア」と呼ばれるエリートたちが牛耳る世界になっていった。戦後、GHQがアメリカ流の民間人登用型に変えようとしたが、官僚の強い抵抗に合い、全く成功しなかったようだ。ということから、日本では官僚機構への民間登用は、当面非現実である。法令上は可能だが、官僚がそうさせない。また、逆に、官僚が実力に応じて個人的に民間に移籍(天下りじゃなく、実力移籍)する動きもゼロに近い。こういうものは、両方向の出入りがないと実現されない。斯く斯様に、日本の官僚はキャリアの牙城となったのである。

怒り 更に言うと、政治家による、官僚人事への介入に、官僚は死ぬほど抵抗してきた。しかし、これには一定の理由がある。政治家が何の為に介入しようとしてきたかと言えば、それは、その政治家の属する政権が日本の将来を憂い、一方で官僚が堕落していたからではない。その政治家個人の政治的利権への誘導の為に介入せんとしてきたのだ。そういうのに迎合する官僚を許すと、国を過つ。日本の官僚は、結構信念も持っていたので、そのような利権政治家の介入に、ある意味で正しく抵抗してきたのである。

にっこり  明治維新の頃は別として、上記が、日本において官僚機構が、民間人の登用も、政治家の介入も跳ね付け、いい意味でも悪い意味でも「不可侵の牙城」を維持してきた経緯だ。そのような、官僚機構が、政権交代時に、少なくとも大きな政策方向性につきリセットできるようになる、何か改革の方策があり得るのであろうか。果たして、このシリーズの、その?が書けるかどうか、ちょっと分からないが、まずここまでの問題整理だ。Nat

平成維新と明治維新 その1

落ち込み 自民党政権が揺らいでおり、場合によっては民主党政権が誕生するかも知れない。もしそうなると、日本も多少は変わるだろうか。そもそも民主党政権が本当に日本を改革しようとするかどうかも大いに疑問ではある。しかしここでは、彼らが本気の改革をしようとすると仮定しよう。そうすると、改革は実現されるだろうか?まず誰でもが思うのは、大臣や政務次官が自民党から民主党代議士に変わっても、巨大な官僚機構自体は変わらない。官僚機構が言うことを聞かないから、結局何も変わらないということだろう。

はてな それではいったい明治維新の薩長新政権は、どうやって短期間に日本の大きな仕組みを改革できたのだろう。今と何が違うのだろう。

笑い 明治維新で徳川幕府は滅び、薩長幹部らが江戸に乗り込んできた。徳川幕府には既に大きな官僚機構があった。しかしその官僚機構は超守旧化し、完全に問題先送り型になっていた。今の霞ヶ関の官僚たちに似ている。薩長は、その官僚機構の多くを有効活用する形で引き継いだ。列強の迫る中で、日本を急速に立て直す為には、京都あたりに全くゼロから新官僚機構を作る余裕はなかったからである。

びっくり しかし、民主党が霞ヶ関官僚をそのまま引き継がざるを得ないのに対し、薩長は徳川官僚機構を大きく改造したのである。ここに大きな違いがある。徳川の官僚機構の仕組みで、新しい国の体制に使えるものは有効利用され、また人材的にも、使える人材は新体制に重用された。しかし、徳川官僚体制としては一旦終了させられ、改めて新体制に改造されたのである。前官僚体制がそのまま受け継がれたわけではない。だから、大きな改革が出来た。アメリカでも政権が変わると、官僚機構の主たる人員が結構入れ替えられる。そこで、新政権の政策が実行に移せる。


泣く このような明治維新や米国に比べて、現代の日本国の実情は甚だしく違う。民主党政権になっても、前と全く同じ官僚機構が国の運営を続行する。一番上の大臣と政務次官が代わるだけである。しかも、これらの大臣や政務次官になる代議士は、選挙に勝って選ばれる背景をもった人ではあるが、必ずしも、昔の大久保利通などのような改革への力量をもった人物とは限らない。

OK 私は、民主党が良いとも思わないが、ずっと自民党でやってきて日本がここまで様々な問題に落ち込んできているのだから、とにかく一度政権を変えて、政権が交代し得るという緊張感のある、米国型に近い政治体制に変える必要があると思っている。しかし、そうなった暁に、米国のように、必要なら官僚組織も大幅に入れ替えられる仕組みをも作っていかないとダメだ。つまり、政権が新しくなるたびに、官僚機構も一旦リセットされる考え方だ。実際には多くの機構や業務や人材は引き継がれるだろうが、大きな政策的方向性については刷新されるが当たり前、キーになる幹部の入れ替えも当たり前という体制だ。

怒り その為には、多分、官僚たちだけでなく、社会全体の仕組みとして、人材の横展開・流動性を前提とした社会に進化して行かないとダメだろう。ところが、最近、また終身雇用指向の若者が増加しているという。それ自体は悪いことではないかも知れないが、官僚組織を含めた日本の社会が、又しも固定化・守旧化に向かうのなら心配だ。日本は、このままだと、本当にヤバイかも知れない。 かといって、明治の状況にはもう戻れない。アメリカの官僚機構のサルマネは最悪の結果を生むだけだ。では、どうする? 続きはその?で。 Nat

「日本人って」 その10 “和”

笑顔 前回、“礼と おとなしさ”について書いた。となると、日本人の「和」についても書きたくなる。そして、これがこの「日本人って」シリーズの最終回だ。

びっくり 「和」と聞いて、日本人なら必ず思い起こすのが、聖徳太子の十七条の憲法だろう。冒頭の第一条に「和をもって貴しとなし」とくる。その後には「さからうこと無きを宗とせよ」「上の者はやわらぎ、下の者は睦びて事を論ずる」と続く。要するに相手をおもんぱかって、徒らに喧嘩せず、和気合い合いと話し合いなさいということだ。十七条の憲法ではこれが最重要事項なのだ。

はてな まず、これは中国や韓国からの輸入コンセプトかどうかについて考えておきたい。論語の中に「礼の用(実行)は和を貴しと為す」とあるので、文章の類似性からも、聖徳太子はこの論語の文章を借用したと思われる。しかし、論語の中では、ここ以外では余り「和」は出てこないようだ。「8つの徳」の中にも「和」はない。よって聖徳太子の「和」は必ずしも儒教の受け売りではなさそうだ。一方、彼の信奉していた伝来仏教にも重要な教えとして「和」があったとは思えない。ということで、「和」は儒教や仏教の受け売りではなく、もっぱら日本人独自な感受性から「最も大事なこと」になったように思う。

落ち込み 稲作農耕における没個性的集団労働と、成果を平等分配する文化。また他民族の侵略から絶縁された温室的島国の中での仲間内文化。このような文化の中で、「他の人がどう思うか」が価値判断の主基準という、特異な共同体文化が形成されていったのだろう。大多数の意見に敏感で、自分もそれに乗ることで安心する日本人。「皆がやり出している」と言われると、自分も遅れずやろうとする日本人。学校教育でも、全員一斉に同じことをさせるのを得意とする。また、人に多少とも言いづらいことを言わざるを得ない時のために、「婉曲語法」なんてものが発達する。協力できるかと聞かれて返事が「No」の時、「出来ない」とは言わず「難しい」という。「貴方の考えに反対だ」と言わずに「良く分からない」という。私は若い頃、初めて米国人と議論して「I disagree with you.」と言われ戸惑いを感じた。しかし後に、そんなことで戸惑いを感じる私が世界では特異であることが分かった。

にっこり このように、日本人は聖徳太子の昔より、先ず「人がどう思うか」を考え、「人の気分を害さない」ように考え、「出来るだけ自分だけがはみ出さない」ように考えて生きてきた。それが日本人の「和」だ。世界の中でも素晴らしく洗練された文化とも言えるし、蟻ン子のように没個性的な悲しい文化にも見えるだろう。

祝日 という訳で、この「日本人って」シリーズでは、日本人が (1)受容的、(2)新しいもの好き、(3)きれい好き、(4)勤勉、(5)妬み深い、(6)問題回避的、(7)自己犠牲的、(8)約束守る、(9)礼儀よくおとなしい、(10)和を重んじる、ということを述べてきた。この10項目が全部並ぶ民族は、やっぱり世界でも日本人だけだろう。日本文化は世界の中でも、他と一緒に括れない一つの独立した分類になるという学者もいる。自慢できるかは別にして、結構ユニークなんだというのは間違いないと思う。  Nat

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