♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)

生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等

2008年09月

神って愛? その1

笑顔 前回、「悩める我々を神はそのまま受け入れ愛してくれている」ということが、絶望の淵にある人にも、大いなる救いになるのではないかということを書いた。しかし、この「神が我々を愛する」というメッセージは、日本人には、最初ぴんと来ない。一方、逆にそう思えるようになると、その思いは日本人にとり新鮮なインパクトを持つものになり得るとも言えるだろう。

太陽 日本人の「神」あるいは「神的なもの」へのセンスは、ひとえに「護ってくれる神」だ。神道的な神は、自然に宿る八百万の神、祖先の魂も含めたもので、自然の摂理を司る。人間は、そのような神を心で感じながら、自然の摂理に沿い誠実に生きる。それにより、祖先の守り神を含めて、神々が人間を安寧へと導くのである。特に、日本人には祖先信仰が強いから、「死んだお父さんが、私を護ってくれている」といった思いが強い。これが、日本人の神観だろう。

びっくり  これに対し、一神教のユダヤ教、そして、それから派生したキリスト教はだいぶ違う。ユダヤ教の神は、ユダヤ民族専属の神であるが、これは基本的には愛の神である。しかし一方で、人間がそのような愛の神から離れて生きようとすると、それを人間の「罪」と定め、神と人間の間で「契約」を交わさせ、ユダヤ民族が神に忠実であり、神の掟を守る限り、恵みを与えるというパターンになる。ここに、日本人にはピンとこないものが4つ含まれている。まず神の「愛」。愛は男女間など、人間同士のもので、神が人間を愛するなどという話はピンと来ない。次に「罪」。神から人間が離れてしまうのを罪という。しかし、日本人にとっての罪は、これまた人間同士のもので、人を殺すとか、人から盗むとかの行為を、人間社会が罪と宣告するものをいう。神が人間を掴まえて「罪」というなどというのは、地獄の閻魔大王ならまだしも、天にいる神が人間を罪というなどはピンと来ない。その次は「契約」。お約束でもいいが、これも人間同士ならまだしも、神と人間がお約束などいうのはピンと来ない。最後に神の「掟」。これも人間社会の掟ならまだしも、神が掟を制定するわけがないということになる。

落ち込み 自然にあまねく存在する精神であり、魂である、日本の神々に比べて、ユダヤ教の神は擬人的で、ユダヤ社会の上に君臨するゴッドファーザー的神であって、日本人には非常に馴染めない。

はてな  では、そのようなユダヤ教から派生したキリスト教の神観はどうか? それを次回。  Nat

絶望や不安への回答?

落ち込み 体の不自由なお母さんが、発達障碍の男の子を思い余って殺したとのニュースには、心が強く痛む。そのお母さんは、日ごろから「なぜ私ばかりがこんなに苦しい思いを---」、「なぜこの子がこんなことに---」との深い疑問の中で、将来への希望を失っていったのであろう。また、その苦しみを話せる友達もいなかったようだから、人生への疑問・絶望に深い孤独感が加わっていたと思われる。人がこのように絶望・孤独の淵に追いやられた時、それはどんなに辛いものだろうか。

まる  私は、前に「自殺の大前提」と題してこのブログ記事(2006年12月)を書いたことがある。そこでも書いたのだが、人が大きな苦しみ・絶望の中にあっても、「それでも自分を創った神こそは、自分を深く愛してくれている」、そして「自分と共にいてくれている」との思いがあれば、自殺にまでは追いやられないのではないかと、私は思ってきた。今回ニュースになったようなお母さんに、このことを伝えることが出来ていたなら、そのお母さんの行動は違うものになっていたであろうか?

はてな  とても、そのお母さんの立場になりきれないので、大変僭越なる推察にはなるが、どうだろう。まず、そのお母さんを苦しめたものは、一つには自分の体の不自由さと息子さんの発達障碍からくる生活上の苦労であろう。しかし想像するに、真にお母さんを追い詰めたものは、むしろ「なぜ、私ばかりが、こんなに苦しまねばならない?」という疑問と、「誰もその苦しみを共に分かち合ってくれない」という孤独感、愛の欠如感ではなかったか。生活上物理的に色々苦しみのある人は少なくない。体の不自由な人も多くいる。しかし、生活は苦しくても、例えば愛する人と共に何かを目指しているといったような心の張りがあれば、人間、必ずしも押しつぶされないのではないか。人間を押しつぶすものは、毎日の物理的な苦労ではなく、人生の不条理への憤りや、愛の欠如感・喪失感ではないか。

びっくり ここにこそ、「神の愛」への信仰・信頼の働く大きな余地があるのではないだろうか。周りの友人の愛や支えもプラスにはなろう。しかし、このお母さんのように、それがない境遇の人を今問題にしているのである。そういう人にとって、自分の命を創り、自分の人生の筋書きを描いているものがあるとすると、そのものは、なんと自分にひどい仕打ちをしていることか?!ということだろう。そう思っている人に、「それでも神は愛なり」と言っても直ぐには通じないかも知れない。理屈で説得できることではないのだから。また「2000年前の神の子イエスは、私たちのために、もっと苦しい道を歩んだ。その中からあなたを支えようとしているのですよ。」といっても、すぐに心に響くことかどうか分からない。

落ち込み それでも、この世で、そのお母さんのような境遇にいる人がいれば、私としては、まずはその人の話を黙ってお聞きするとしても、その後は神さまのことを語るしかないのである。私の境遇は、そのお母さんの境遇よりも、はるかに恵まれていると思う。しかし、右目の正常視力を失うなど、小さな「逆境」は、私の人生にも色々ある。その中で確信したことを、他の人にも語る。これしか、私には出来ないが、それは死ぬまで続けたいと思う。  Nat

 

超カッコいい曲の“魅惑のコード進行” その3

笑い 先日のブログ(9月3・4日)でカッコいいコードの話は一旦終わりにしたが、どうも閲覧して下さる方が多いようなので、もう一つだけカッコいいコードをご紹介する。それは「I aug」というもの。要するにド・ミ・ソの変形なのだが、「ソ」が「ソ#」になって、ド・ミ・ソ#になっているものだ。

譜面 これは、ほぼ必ずといっていい位に、「ドミソ」→「ドミソ#」→「ドファラ」(=「ファラド」と同じこと)という流れの中で出てくる。ピアノかなんかで弾いて確認してみてください。「ドミソ」→「ドファラ」と動くのは、中学校の音楽でも習う基本中の基本。それが、間に「ドミソ#」をはさんでから「ドファラ」に移ると、劇的な感じが高まるのだ。「ソ」が背伸びして「ソ#」になって、微妙な音程の響きになる。「ソ#」が更に高まって「ラ」にまで到達する。この背伸びして「ラ」にまでせり上がるプロセスの中で、音楽としてのエネルギーが放出されるのである。

にっこり といっても、未だぴんと来ないだろうから、これを使っている歌をご紹介する。「煙が目にしみる」(Smoke gets in your eyes)という名曲がある。They asked me how I knew ---my true love was true------------------.と、長く伸ばす部分。メロディーは同じ音(ド)でずっと伸ばしているだけなのだが、バックのコードは「ドミソ」→「ドミソ#」→「ドファラ」とせり上がる。ここで「感動的盛り上がり」が実現する。この曲の感動の半分はここから生まれる。

マイク もう一つ、超有名曲の「誰かが誰かに恋してる」(Everybody loves somebody)。ディーン・マーティンが甘く歌ったこの曲は、いきなり最初のEverybody loves somebody sometimeの所で、「ドミソ」→「ドミソ#」→「ドファラ」のせり上がりが出てくる。しかも、ご丁寧にメロディーまでもが、ソミレド、ソ#ミレド、ララ-----と「ソ」→「ソ#」→「ラ」のせり上がり運動を含んでいる。ということで、この曲は、出だしから、いきなり盛り上がるのである。

落ち込み ちょっと、専門的な話になるが、この「ドミソ#」(I aug)というコードは、「ミソ#シレ」(?7)と似ているので、代わりにそれを使うこともある。港町ブルース(森進一)の最後の「み----なと--------、みなと函館-----、ブルースよ」となる最初の「と--------」と伸ばす部分がこの歌の最高盛り上がり部分だが、ここに「I aug」ないしは「?7」を使う。「?7」でやっている人が殆どだが。

笑い 「I aug」にしても「?7」にしても、盛り上がりの源は「ソ#」という音にある。背伸びして「ラ」に行く所にエネルギーと感動がある。このテーマのブログ「その1」に書いたIIIdimのポイントは「ミb」、また「その2」に書いたIVmのポイントは「ラb」(これは「ソ#」と同じだが)。という具合に、半音せり上がったり、半音ずり落ちたりしている音が感動とカッコよさを生むのである。面白いものですなあ。音楽って。 Nat








超カッコいい曲の“魅惑のコード進行” その2

まる もうひとつ、胸がキュンとなるような「胸キュン」コードがある。4度マイナーというやつだ。IVmと書く。これも、4度(IV)か、その親戚の2度マイナーセヴン(IIm7)から崩れ落ちてくる先として登場する。例としては、ホワイトクリスマスの最後の方の、May your days be merry and bright------- と伸ばす部分で、それは起こる。メロディーとしてはbright----と伸ばしているのだが、後ろで響く和音が、4度(ファ・ラ・ド)から、4度マイナー(ファ・ラb・ド)に変わる。要は、和音の構成音のうちのラがラbに半音ずれるだけなのだが、これが胸キュンを生む。ラがラbに半音ずれ落ちると、もの悲しい、せつない響きになる。これが胸キュンを生むのだ。

譜面 この4度マイナー、IVmという胸キュン和音は、非常に多数の曲で多用されている。例の枚挙にいとまないとのはこのこと。ちょっとだけ引用すると、Star dust。最後の方で、though I dream in vain------ と伸ばす部分がそれ。というように、大体、後半、あるいは最後の方で胸キュン効果を狙って伸ばす部分に出て来る。もう一つは「いそしぎ」、そうShadow of your smile。あの曲の、勿論、最後の方。Now when I remember spring,ここでIIm7。この後、IVmになってAll the joy that love can bringとなる。IIm7→IVmの場合は、伸ばすのではなく、このように、ズズズズッと胸キュンしながらせり上がる構図になるのが普通だ。

マイク ここで、その1で書いたAmapolaという甘い甘い名曲の話になる。この曲、知りませんか?「アマポーラ」とはスペイン語のひなげしのことらしいが、ひなげしに見立てた、愛する女性に対して歌う曲。1941年に全米で大ヒットした超甘い、名曲。う~~ん。知らないかな。どこかで聞いてみてくださいな。この曲の前半の圧巻は、まずは、その1で書いた、ずっとトニック(ド・ミ・ソ、あるいは、ミ・ソ・シ・レ)を続けてから、「魅惑のコード」のIIIbDiminishに落としていくという例のパターンを使っている点。そして、最後の4小節には、AMAPOLA,AMAPOLA,How I long to hear you say "I love you."とむせび泣くのだが、ここで、一回目のAMAPOLAと伸ばす部分で、4度から、胸キュンの4度マイナーに落ちていきつつ「AMAPOLA」と女性の名を呼ぶ。そして二回目のAMAPOLAになると、ここでなんと、「3度マイナーセヴン→3度bDiminish」という、例の魅惑のコード進行が出てくる。AMAPOLA,AMAPOLAという4小節の中で、胸キュンのIVmと、魅惑のIIIbDiminishとが、連続技で迫ってくるのだ。もう堪らない。この曲は、この部分で完全に聞く者をとろけさせる。

笑い ただ、この連続技、つまり、IV→IVm→IIIm7→IIIbDiminish→IIm7 というコード進行は、Amapolaに限らない。Can’t take my eyes off youという名曲の、I love you baby, and if it’s quite alright, I need baby to warm the lonely night と盛り上がる部分がこれ。ここでジーンとくる。連続技だから。他にも例が多数ある。私も作曲するが、この連続技を使いたくなることが良くある。でもなるたけ、やめる。これに頼るのは、ちょっと悔しいから。それくらい、すごい連続技がこれだ。

ウインク 他にも、かっこいいコードはあるが、今回は、これだけ。 Nat


  





超カッコいい曲の“魅惑のコード進行” その1

譜面 世の中に、多くの人を魅了する音楽の曲が色々ある。よく「魅惑のメロディー」というから、そういう曲のメロディー(ふしまわし)が魅惑的なのだろうと、皆さん思われるかも知れない。しかし、実は多くの場合、「魅惑のメロディー」の背景には、「魅惑のコード進行」があると思う。コード(和音)の進行などというものは専門的な話だから、多分普通はそれを含めて「魅惑のメロディー」というのだろう。しかし、実は「魅惑」におけるコード進行の役割は非常に大きい。

笑い 突然、専門的な話で恐縮だが、いわゆる3度フラットのDiminishコード、III b dimというコードの持つ「魅惑感」は、私のような(ジャズ)ミュージシャンの端くれでも、もう体にジーンと来るくらい知っている。例を言おう。皆さん知らない曲かも知れないが、Fascinationという名曲があるよね。Audrey Hepburnの「昼下がりの情事」で湖の上で弦楽バンドが奏でるあの曲。「魅惑のワルツ」といわれる曲がそれです。It’s a fascination, I know.と始まる。知ってますか。あの曲で、魅惑感が高まる部分は、最初から言うと、It’s a fascination, I know. And it might have ended, right then, at the start.のRight thenという歌詞が来る部分だ。この部分の背景に、私の言う魅惑のコード、「三度フラットDiminish」が出てくる。

マイク このコードが出てくると、人間はとてもロマンチックな感傷的な気持ちになるのだ。香りのアロマの世界で、あるアロマの香りが、人間を気持ちよくするように、この「三度フラットDiminish」は、人間を感傷的にする。ピアノのある人は、まず、ミ・ソ・シ・レの和音を押さえる。これは三度マイナーセブン。この後に、ミb・ソb・ラ・ドを押さえて欲しい。それが魅惑の三度フラットDiminishだ。三度マイナーセブンが魅惑の三度フラットDiminishに崩れ落ちてくる瞬間に、あなたはきっと魅惑のアロマを嗅いだような快感を感じると思う。一回、やってみて。

笑い この「魅惑の三度フラットDiminish」を効果的に使うためには、Fascinationがそうだが、曲の最初は暫く「ドミソ」(トニックといわれる一番基本的な和音)、あるいはその変形である三度マイナーセブン(ミ・ソ・シ・レ)で終始し、そこから「魅惑の三度フラットDiminish」(ミb・ソb・ラ・ド)に崩れていくのが非常に魅惑的になる。そして、その瞬間、メロディーは、もっぱら、「シ」、「ラ」または「レ」の音を、感傷的に歌うことになる。「シ」、「ラ」、「レ」以外では合わないから駄目。でも、「シ」、「ラ」、「レ」のどれかだと、超魅惑的になる。

OK Fascination以外に、このパターンを使って魅惑的にしている曲の例は、シナトラの歌で有名なStrangers in the night。あの曲の歌詞、ご存知ないかも知れないが、Before the night was throughという部分。このnightの部分が、「魅惑の三度フラットDiminish」。Fascinationの場合もそうだが、この「魅惑の三度フラットDiminish」は、必ず「二度マイナーセブン」(レ・ファ・ラ・ド)に移行する。「三度マイナーセブン」から「魅惑の三度フラットDiminish」に崩れていき、更に、「二度マイナーセブン」にまで落ちていく、その過程で「魅惑」が発生する。

にっこり このパターンの他の曲の例としては、ご存知かどうかは別にして、アマポーラという超甘い曲もあるし、ジャズのスタンダードのBye bye blackbird。また、あのチャプリンのSmileという魅惑の名曲。クリスマス曲のLet it snow。みんな、この「魅惑の三度フラットDiminish」の部分で、ホロリと来る。それくらい、「魅惑の三度フラットDiminish」はたまらない。私もこれを何度ピアノで弾いても、しびれる。それが「魅惑の三度フラットDiminish」なのだ。 Nat







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