♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)
生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等
2008年12月
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2008年12月29日
12:00
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信じて生きている事
めちゃくちゃに身勝手な旧約聖書の神
キリスト教に関する「下世話なQ&A」という興味深いサイトがある。(なぜか上手くリンク出来ないので、URLを:http://homepage2.nifty.com/room30th/q&a.html)。三十番地キリスト教会というバーチャルな教会のようだが、そこの牧師の富田先生という方が、実際に寄せられた疑問に一つ一つ丁寧に答えられたものだ。ご努力に敬意を表したい。
そのQ&Aの最初の方で、「旧約聖書の神って、どうしてあんなに身勝手なのか?」という質問があった。少し切り口は違うが、私が2007年の2月ごろに、このブログで「キリスト教でひっかかること」と題して20数回連載した時も、他民族を殲滅する恐ろしい神のイメージが、最高にひっかかるよねということを書いた。確かに旧約聖書に登場する神は、試行錯誤する。人間を創ってみて、その人間に憤り罰を与えては、また思い直して許したり愛したりする。人間を試したり、ひっかけてみたりする。意地悪もする。激怒もする。そして自分を信じない別民族を殲滅したりもする。全く、そんな神を良く信じるよね!というのは、非常に正常な反応である。
2007年2月の私のブログでは、もっぱら旧約聖書のそういった限界を、新約聖書の証しする救い主イエス・キリストが克服したという方向で書いたが、そればかり言うのでは「護教的」で、納得感には乏しいかも知れない。そこでずばり、何故、旧約聖書の記者たちは神というものをあれほど身勝手なものとして捉えたのか?この点を述べたい。三十番地キリスト教会の牧師さんの解説にも近いが、私はこう思う: それは、人間から見て、この世はおおいに不条理に感じられるということだ。現代の我々からしても同じに感じられる。若い女子中学生が将来への夢を胸に抱き、ひたむきに生きている時、突然クモ膜下出血で命を奪われる。神がいるとすると、どうしてそんなに残虐なことをするのか?誰もが強く感じる疑問だ。そういう時の人間の反応は二つだ。一つ目は「だから神なんてものはない。この世は偶然の法則のみが支配する」というもの。もう一つは「神は不可解。神は何か人間に怒っているのか?人間が罪を犯したからか?それとも神にはそういう突拍子もない考えがあるのか?」というもの。
旧約聖書全体を貫くものは、神を信じて生きようとする人間が、神の不可解性に対して抱く深い懐疑の心と、それにも拘わらず、結局「神は愛である」として神を信じ、神の名を誉め称えて生きようとする人間の心、この二つである。旧約聖書を書いたイスラエルの人たちは、自民族を巡る様々な試練、苦境の中にあり、このような「懐疑」と「信仰」のはざまで揺れ動きながらも、結局は「信仰」に生きることとし、だからこそあのような旧約聖書を纏めたのである。その中に描かれている身勝手な神、試行錯誤する神、憤る神、意地悪な神の記述。これらは取りも直さず、それを書いた人たちが神の愛を信じて生きようとする中で、なお、「神の不可解性」に対してもがき苦しんだことの何よりもの証しである。逆にもし旧約聖書が一貫して、神を美化し、素晴らしい愛の神としてしか描かなかったとすると、そこには、もがき苦しみながらも信じて生きた人間の真実はないことになる。
現代の世。「神はどこに行った?」と問いかけたいこの現実の中で、なお「神は愛である」と信じる生き方をするかどうか。2000年以上前のイスラエルの人たちが同じ疑問と戦いながらも、結局信仰をもって生き、死んでいったことが、いきいきと分かる旧約聖書は、今も私たちに深い問題提起を投げかけていると思う。
Nat
2008年12月28日
18:31
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ジャズ関係
ブルーノートって何? その2
あと、ブルーノートの不可思議な点をもう一つ。ブルーノートを使った独特の旋律の作り方というのがある。ブルーノート音階(スケール)というやつだ。ブルーノート音階じゃない普通の西洋音楽的な旋律では、コード(和音)進行のつど、使える音階が変わってくる。しかし、アドリブなり歌のメロディーをブルーノート音階に統一して進めると摩訶不思議。少々コードが変わっても、おかまいなし。そもそも西洋音楽の理屈とは別のセンスにのっとった音の使い方だ。さまざまなコードの上にでも、同じブルーノート音階の旋律を強引に重ねて弾いてしまえるのだ。
もう少し詳しく言うと、キーがCとする。ハ長調だ。西洋音楽で使える音階はドレミファソラシド。ここからコードがE7経由でAmになるとする。西洋音楽的にはE7の部分はAm(イ短調)の音階で、典型的にはG#音を含む別のスケールになる。しかしながら、ブルーノート音階は、そんなこと一切気にしない。キーがC(ハ長調)で使うブルーノート音階(スケール)はC, D, Eb, E, F, Gb, G, A, Bb, C。特にこれに基づく5音音階であるC, Eb, F, G, Bb, C。なんとコードがE7になっても、お構いなく、C, Eb, F, Gなんていうメロディーを弾いても、バックの和音とは別の世界で鳴り響く音楽という感じで、さまになってしまうから不思議だ。西洋音楽的には、バックの和音と旋律がやたらと不協和音を生むのに。それが、何ていうか、世の中(=バックの和音)の中で、孤立したり浮いてしまいながらも、魂の叫びを上げるブルーノート旋律という構図を生むのだ。
ジャズの初心者の場合、アドリブを全部ブルーノートスケールでやると、コード進行お構いなしだから、自分の勝手なフィーリングだけでやれるし、そもそもブルーノートスケール上のアドリブは同じような音の動き、指の動きの繰り返しだから、結構簡単に出来てしまう。それで、それが得意になってそれしか出来なくなる人もいる。逆に、コードに忠実な西洋音楽的なアドリブをする人は、ブルーノートのアドリブが苦手なこともある。両方を適宜使い分けると、印象的でカッコよくなるのだが。
ということで、ブルーノートはとても面白いものなのである。でも、ホントはこういう文章じゃなくて、音で聞きたいでしょ。機会があれば、私のジャズを聞いて頂戴ね。 Nat
2008年12月27日
13:43
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ジャズ関係
ブルーノートって何? その1
ジャズで「ブルーノート」という用語がある。南青山のジャズ・クラブの名前にもなっているが、ここではジャズ特有の音の使い方の話だ。ジャズやブルース音楽を少し研究した人は知っておられようが、要するにドレミファソラシドの音階の中に、「ミb」や「シb」という音程が介入してくるものだ。「ソb」もブルーノートの一種だが。前に2006年10月30日の本ブログ記事「ジャズが何故カッコいいか」でも書いたが、St.Louis bluesなんかの節回しの「ラ ド レ ミb レ ド」のように、長調のドレミの音階の中に、「ミb」なんかが登場するのだ。
普通の西洋音楽のドレミファソラシドという“きれいな音階”の中に、「ミb」や「シb」、あるいは「ソb」というような“ずれた”音が割り込むので、きたない音感を生む。しかしそれが、どろどろとした心情を吐露するブルージーな表現となるのである。
このようなブルーノート「ミb」「シb」のことを良く「ミ」「シ」が半音下がったものと説明しているが、私はむしろ「レ」が半音ずり上がって「レ#」に、「ラ」が「ラ#」になったものというほうが本質を突いていると思っている。その理由はこうだ。まず音階の中で一番核になる音はというと、「ド」と「ソ」だろう。次はというと「ミ」という人もいようが、結構「レ」「ラ」が重要なのである。核である「ド」「ラ」の一つ上の音で、核の音からそこに上がり、また核の音に降りていく。「レ」「ラ」は“核に準ずる重要音”だ。ブルーノートである「レ#」「ラ#」は、その重要音の“子分の音”と解釈できる。「レ」が微妙にずり上がり「レ#」になり、そしてまた「レ」「ド」と降りてくる。半音だけずり上がるからいいが、これが全音上がると、「レ#」でなく「ミ」になってしまうし、「ラ#」は「シ」になりドに近付き過ぎてしまうことになるのでダメだ。半音だから子分の音になれる。このように「ド レ レ# レ ド」あるいは「ソ ラ ラ# ラ ソ」という動き、これがブルーノートを使ったメロディーの基本であろう。(あと、準ブルーノートの「ソb」は、むしろ「ファ」の子分として半音ずり上がった「ファ#」なのだ。普通ファはレやラのような重要音ではないが、実は次回の「その2」で述べるブルーノート5音音階というのがあり、その音階ではファが重要音の一つで、それがずり上がるのが「ファ#」という準ブルーノートなのである。)
といっても、難しい理屈で分かりにくいだろうが、ギターを弾く人に分かる話で言う。ギターで「ド、レ」と弾いて「レ」を押さえたまま弦をずらして半音上げるブルース特有のテクニックをご存知だろう。あれがブルーノートの「レ#」だ。ずり上げがブルーノートの基本と思う。歌う場合も同様だ。 Nat
2008年12月26日
20:28
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信じて生きている事
クリスマスはフィクション? その3
イエスの誕生のシーンは惨めである。人並みに部屋の中で生まれず、牛や馬の糞で臭い馬小屋で緊急出産された。この惨めなイメージを描いた聖書記者の意図はどこにあったのであろうか。
成人イエスはどんな生き方をしたか。当時、下層階級の人民はユダヤ教の掟を守れず、その日暮らしで「罪人」として疎外されていた。長年病気の治らない人たちもバチ当たりの「罪人」とのレッテルを貼られた。取税人といった嫌われる職業の人たちも「罪人」だ。ユダヤ教支配者階級は、そういう罪人を神から見捨てられたものとして切り捨てた。そして、このような「罪人」と付き合うことを禁じて遠ざけ、それにより自らを「正しい者」としていたのだ。そこにイエスが登場する。彼は、『むしろ神に近いのはこのように社会の底辺でうごめき暮らす人たちである。神は彼らを「罪人」として放っておかない。神は彼らをそのまま受け容れ、救い出すのである』と説いて歩き、そして、彼らと共に生きたのである。人々は、そのようなイエスの中に、神が人間の一番低いレベルにまで降りてきてくださったのを見た。高い天上世界から愛を降り注ぐ神ではない。一番低いところにまで自ら下り、共に苦しみ、共に泣く神である。それによってこそ、底辺の人は「罪人」のレッテルから解放され、人間性を回復したのである。そして、そのイエスは十字架刑で壮絶な最後を遂げる。人間の死に方で最も悲しいのは、死刑で死ぬことだろう。イエスに付き従っていた人たちは、その後のイエスの復活の姿に接し、イエスの壮絶な死は、神がそのひとり子を皆のための犠牲として捧げてくれたものだったのだと理解したのである。
このように、人々のために自らを低くし、犠牲になり人々を愛しぬこうとした人間神イエス。人々のために最も悲しい死に方をしたイエス。そのような救い主であるからこそ、生まれ方も同様に、「最も低い者」として馬小屋で生み落とされるのがふさわしかったのである。かくして、馬小屋の物語がフィクションであろうが無かろうが、「最も低い者」の形で救い主が来られたという信仰、それは2000年の間キリスト教会を貫いているのである。
私たちが自己嫌悪したり、心に痛みを持って生きざるを得ぬこの人生の中で、その私たちよりも更に下にまで下り、私たちを下から支えてくださる救い主イエス・キリスト。その誕生は馬小屋が最もふさわしいのである。そんな主の誕生を祝い、メリークリスマス!!
教会のクリスマスは、12月25日から1月6日まで続く。
だから、今日もメリークリスマス!! Nat
2008年12月25日
20:32
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信じて生きている事
クリスマスはフィクション? その2
クリスマスの時期は、他宗教の冬至の時期に合わせて決めたことは前回書いたとおりだ。一方、クリスマスのシーン、つまり馬小屋とか羊飼いなどという場面設定は、これはまさにキリスト教のユニークな物語である。しかし、それにどれくらい史実性があるかという点は確たる議論が難しい。聖書以外の関連の考古学的な文献でイエスという人の生まれ、生い立ちの載っているものはなく、今さらそれの調べようがないからだ。
そこで、ここからは推論になる。まずイエスの生まれ、生い立ちを誰が一番良く知っていたかだが、当然母マリアだろう。あとは弟のヤコブ、あるいは近くにいた直弟子のペテロたちも昔の話を聞いて記憶に留めていた可能性はある。よって、直弟子たちは多少とも生い立ちの話しも聞いていたであろう。しかし、その次の時代の初期クリスチャンたちにそういう話がどこまで伝承されていたかは分からない。宣教時代の成人イエス、そして何よりも十字架刑、復活という部分こそが彼らの伝承の最重要部分であったに違いない反面、生まれ、生い立ちは副次的な重要性でしかなかったと思われるからだ。
イエス物語が今の新約聖書のような形に編纂され出すのは、1世紀も後半になってからだ。キリスト教への弾圧・迫害が激しい中で、初期クリスチャンたちとして、自分たちが後世に命を賭けてでも伝えたいと思った事柄を整理していったものだ。そういう中で、イエスの誕生のありさまにつき書きたいという思いがあって、それでそれを含めることにしたものと考えて良かろう。誕生物語の素材になっている事柄は、あるいは母マリアから聞いたことも含まれるかも知れないが、後の世のクリスチャンの想像の産物かも知れない。それは今や確証のしようがない。
しかし、大事な点と私が思うことは、当時のクリスチャンたちが後世にどうしても伝えたかった、彼らの信じた「救い主像」である。救い主、神の子であれば、神の子らしい「神がかった」誕生の仕方をイメージしてもおかしくない。事実、マリアの処女懐妊は、イエスの神格化の象徴的な物語である。ところが、誕生のシーンは全く神がかってない。人間扱いされてない生まれ方なのである。マリアは産気づいたが、宿屋がどこもいっぱいで、しょうがないから馬小屋の一角を借りて赤子イエスを産み落とした。現代に喩えれば、産婦人科病棟が一杯なので、公園のトイレで赤ちゃんを産んだようなものだ。もしこの話が史実であっても神の子の生まれ方には相応しくない。脚色なら、なおさら、もっといい話に出来ただろうに。しかし、聖書の記者たちは、この「みじめったらしい誕生のシーン」を敢えて書き残すことを選択したのである。それは何故なのだろう? Nat
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