格差の実感が強まった理由として、もう一つ仮説だが、遊び・趣味・余暇パターンやファッション等の楽しみの多様化と、それに関する情報量の圧倒的増大の影響だ。昔は、遊び・趣味・余暇も今よりは狭い選択肢しかなかった。情報も限られていた。しかし、今や、昔より生活が豊かになり便利になり、また関連商品も技術も進歩して選択肢がうんと拡がった。しかも、ここ10年で顕著なことは、インターネットが楽しみの手段・事例の情報を革命的に拡げたことだ。昔は夜になると、NHK・民放のテレビ・ラジオを視聴するか、持っているレコードを聴くか、本を読むかしかなかった。しかし、今はテレビも無数の放送の選択肢があるし、音楽も映画もネットで無限大の選択肢があるし、ネット・携帯で様々なコミュニケーションなりゲームなりも出来る。本を読む暇がないくらいに色々ある。
選択肢の拡がった遊び・趣味・余暇などの楽しみだが、広がった選択肢はたいがい多少ともお金のかかるものだ。昔は、自然の中で鈴虫のなき声を聞くとか、子どもも広場で野球をするとか、特にお金のかからない項目が選択肢の中の中心にあった。今はお金を使う項目が選択肢の中にずらっと並ぶ。選択肢は拡がり、その情報はたっぷりある。色々なことで楽しむ他人の映像なども山ほど目に入る。しかし「格差」のせいで自分にはお金がないと思っている人はどうだろう。拡がった選択肢も様々な情報も不愉快なだけだろう。楽しむ他人の映像などは見たくもない。昔はお金が多少あってもなくても、やることにはそれほどまでに大きな差はなかった。しかし今は、お金の差が、人生の楽しさの大きな差を生んでいると強く感じてしまう世の中になったのである。
その1の通り、同年代の他の人に較べての収入の格差感が拡がっている。しかし、それだけはなく、遊び・趣味等楽しみの選択肢・情報の拡がりが、収入格差への不満を生活満足度格差への大きな不満として増幅している気がする。違うだろうか。 Nat
選択肢の拡がった遊び・趣味・余暇などの楽しみだが、広がった選択肢はたいがい多少ともお金のかかるものだ。昔は、自然の中で鈴虫のなき声を聞くとか、子どもも広場で野球をするとか、特にお金のかからない項目が選択肢の中の中心にあった。今はお金を使う項目が選択肢の中にずらっと並ぶ。選択肢は拡がり、その情報はたっぷりある。色々なことで楽しむ他人の映像なども山ほど目に入る。しかし「格差」のせいで自分にはお金がないと思っている人はどうだろう。拡がった選択肢も様々な情報も不愉快なだけだろう。楽しむ他人の映像などは見たくもない。昔はお金が多少あってもなくても、やることにはそれほどまでに大きな差はなかった。しかし今は、お金の差が、人生の楽しさの大きな差を生んでいると強く感じてしまう世の中になったのである。
その1の通り、同年代の他の人に較べての収入の格差感が拡がっている。しかし、それだけはなく、遊び・趣味等楽しみの選択肢・情報の拡がりが、収入格差への不満を生活満足度格差への大きな不満として増幅している気がする。違うだろうか。 Nat