♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)

生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等

2009年11月

日本人はなぜ英語が下手なのか? その2

笑い  私、Natは、おかげさまで今何とかビジネスで英語を使っている。昔の普通の日本人なので、学校卒業して就職するまでは、海外に行ったこともないし外人と話したこともなかった。でも就職後、何となく外人と仕事やっている間に適当にしゃべるようになった。あと、一応、会社からの派遣でアメリカの大学院も出させてもらったし、豪州に駐在もした。てなことで、私の英語もなんとか使える程度にはなったみたいだ。

学校  ところが、私も中高そして大学1年までの7年間、日本の英語教育、言葉としての英語能力を破壊する教育に全身を浸していた。しかし私の場合、亡き母に感謝すべきなんだろう。というのは、私が中学に入学したとたんに、母は私に毎朝NHK教育テレビでやっていたアメリカの英語訓練番組を見て学べと言ったからだ。1年くらいだろうか、毎朝6時過ぎに起きて見させられたのだが、それが良かったのかも知れない。幸い、私はミュージシャンでもあるので、音をピックするのは得意だったのだろう。音から入る英語を吸収した。そして通学の途上で、朝聞いた英語を音楽の歌詞みたいにそらんじて繰り返した。歩きながらI go fishing everyday. I go shopping everydayなどと、ぶつぶつ繰り返したのを思い出す。音から入った英語が素地になったので、それをベースに、学校で学ぶ英語も単語や表現のレパートリーを増やすために活用できた。そうやって、おかげで英語が苦手ではない大人になれた。やっぱり母に感謝。

OK  今、韓国でも小学校から英語を聞かせる英語教育に転じているという。また、中国では、英語をそらんじる教育をしているとも言う。私が中1の時に通学途上でぶつぶつそらんじた、あれと似ているのだろうか。日本でも、新しい学習指導要領に沿い、小学校からの英語教育が試行されだしている。まずは週1時間、英語に触れるということのようだが。ここで、大事なことは、従来の英語能力破壊教育を先ずは明確に反省し、英語に言葉として触れさせる、そんな教育を行うこと。私の例からも言っても、若い頃に音から入る英語、日本語に変換しない英語に触れておくと、その後、翻訳式英語教育に触れても、一定の免疫が出来ていて言葉としての英語の感覚が破壊されないように思う。

笑顔  そして、英語の教師には英語を学ばせるだけではなく、「日本人への英語の教え方」を徹底して学ばせるようにすることだ。たとえば発音。音感人間でない人の場合、日本語だけで育ってしまった今、もはや英語の発音を聞いただけではマネすることは出来ない。そういう人もそこそこの発音が出来るようになるためには、なぜ日本人がある種の発音を出来ないのか、それをどうしたら発音出来るのか、そこを専門的に知った上で指導できる教師を養成することが肝要なのだ。

星 国連や世銀など国際的な活動の場で活動する日本人の比率は非常に低い。島国気質もあるが、圧倒的に英語力の問題だろう。なにせ、韓国と並んでダントツに英語が出来ない国民なのだから。そこを根本的に改善する新教育。これは、日本の将来にとって超重要なことであろうと思う。 にっこり  Nat

日本人はなぜ英語が下手なのか? その1

すいません 日本人の英語下手は国際的にもきわ立っている。例えばTOEFLのスコアで見ても、アジアでも世界でも日本人と韓国人はダントツに低い。もっとも日本人のTOEFL受験者数は人口の割に多く、日本人は下手な人も多く受験するから、そうなるという面もある。しかし、私の実感としても、確かに日本人は非常に英語が下手である。

びっくり なぜか? 言うまでもなく日本の英語教育にその原因がある。日本語の発音が5つの母音×9つの子音という単純構造であって英語の発音についていけないとか、日本語の語順が英語と余りにも違うとか、そういうことも背景にあろう。しかし、圧倒的に英語教育の問題なのだ。しかも、それは日本の英語教育が余り効果的でない等ということではない。日本の英語教育は、日本人の英語能力を破壊するためにあるといっても過言ではないからだ。中学から大学まで、7年くらい英語を学ぶ。しかしこれは実は、7年かけて英語能力を完璧に破壊するプロセスなのである。

まる というのは、日本の英語教育は、英語を外人とコミュニケーションするための「言葉」として教えるのではないからだ。日本の英語教育の目的は、英語を日本語に置き換えて日本語として理解することにある。そもそも大昔に日本人が文化先進国の中国に触れた時は、中国語に対して同じことをした。まず中国の漢字を日本語に当てはめて日本語に取り込んだ。そして、中国語の漢字羅列した文を「漢文」と称して、横に送りカナをふり、返り点をふって、日本語に変換した。中国語を中国語として理解することにも、漢字の中国発音にも全く関心なかった。ただただ、日本語に変換することにのみ関心があった。

落ち込み 幕末から明治維新にかけて、英語の文献を解釈せねばならない時代になって、日本人は漢文に対するのと基本的に同じことをした。しかし漢文と違い、漢字ではなく妙なアルファベットなので、単語を指し示すためには、何らかの読み方が要る。そこで、実際に外人に通用するかどうかは別に、仲間内の読み方としてカタカナ発音で読むことにした。つまり、カタカナ読みにすることで、英語の単語を新しい日本語にしたのだ。この伝統で、今でもカタカナ英語が日本語に溢れることになった。エレベーターもプリンターも日本語なのだ。

本 そうやって、This is a boy. という英語の言葉が、まず ジス イズ ア ボーイ という日本語式の暗号に変換される。その上で、ジス=これ、イズ=は、ア=一人の場合の冠詞、ボーイ=男の子 と翻訳して置き換える。そして漢文の返り点読みと同様に、日本語に置き換えた単語の順番を並べ替える。「これ」、「は」、(一人の)「男の子」。そうやって日本語にして、初めて意味を知る。決して英語を英語として理解することなく、英語を日本語として理解する。英単語の読みもカタカナ日本語にする。どうせ実際に外人との会話では使う気がない。翻訳できればいいのだから。こうやって、日本人は英語そのものに取り組む代わりに、英語を日本語の一部に変換し、日本語にして理解するということをずっとしてきた。そんなことだから、日本人は言葉としての英語には全く対応できない国民になったのである。本来は、所詮子どもでもしゃべる言葉なんだから、もっと自然体の「言葉英語」との触れあい教育をしていれば、他の普通の国のように、カタコトでも英語でコミュニケーションできる国民になっていただろうに。しかし、事実、日本では英語を言葉として教えず、英語能力を破壊する教育のみをしてきたのだ。

学校 私が中学から受けた英語教育は、まさに上記のとおりのものだった。暗号解読。先生の発音は勿論ほぼカタカナ。これを数年間やられたら、たまったもんじゃない。完全に英語そのものを言葉として使う能力は破壊される。しかもほぼ修復不能な状態にまで破壊される。これが日本人の英語下手の根本原因である。韓国人も英語下手だが、この原因は日本が植民地にした時、日本人の英語教師が韓国での英語教育を始めたことにあるとの説もある。本当かどうか知らないが。

笑い そういうNatは英語どうなの?と言われそうなので、それも含めて次回に。  にっこり  Nat

自分の運命を変えることって出来る?

乾杯熱燗 昨晩、ある友人と一献傾けながら話していたら、こんな話が出た。彼の母親は、若い頃はキリスト教シンパだったのだが、結局、創価学会の方に転向したのだそうだ。その理由だが、キリスト教では「全てを神にゆだねなさい」というようなことを言うが、それでは自分の努力で自分の運命を変えられない。一方、創価学会の方では自分の善行・精進により運命を変えていけると教える。そちらの方がいいということで転向したそうだ。

笑い 創価学会に転向されたのがダメとは言わないし、言えないが、キリスト教を捨てた理由が私からすると残念である。「全てを神にゆだねて生きる」ことを説くのが教会という印象、これは間違っていないが、その意味が良く理解されてなかった気がするからだ。クリスチャンの一人として、この点私がどう思っているかをちょっと述べたい。

OK 私も、結局は自分の運命を神にゆだねて生きている。しかし、その前提には、2つのことがある。一つは「神は私のことを愛している」という信仰だ。神は私という命をこの世に創った。そしてイエスキリストの十字架の業を介して私に愛のメッセージを送った。私はそのメッセージを受取り信じた。そして私は神が私の人生の筋書き、「Nat物語」を私への強い愛をもって書いていると信じている。例えば私は20年前に突然の重症網膜はく離で右目の正常視力を喪失した。神が何ゆえに私にそうしたかはサッパリ分からないが、右目のおかしいNatこそが、神が愛したもうNatであって、他にNatはいない。そしてNat物語は「Natへの愛」というテーマで貫かれている。このことを信じているので、神の描く今後の物語展開も、ドキドキ期待しながら読み進むのみである。筋書きが例えば今度は左の手がおかしくなるなどといった予想外の展開になっても、それはそれでいい。それが、神が愛をもって考えてくれている筋書きであることに変わりはないのだから。

OK そしてもう一つ。クリスチャンは自分は何もせず、ひとえに神にゆだねるわけではない。かと言って、クリスチャンがすることは、仏教の言う善行・精進の蓄積とも違う。クリスチャンが絶え間なく行うことは「祈る」ということだ。自分の悩みも苦しみも、不安も、全て神に話す。自分がどういう努力をしているかも話す。それが祈りだ。祈願というより、心を打ち明けるのだ。愛の神が、我々が心を打ち明けて話すことを受けとめないわけがない。我々自身がイメージする「こうなって欲しい」という筋書き通りになるかどうかは全然分からない。それは神の決めることだから。しかし、必死に祈り、神としっかり心が繋がった我々を、愛の神が悪いようにするわけがない。そう信じる。それが「ゆだねる」ということだ。信じ、祈り、そしてゆだねるのだ。

ハート そのように神の愛を信じ、神に心を打ち明ける祈りを続けるクリスチャンの人生。その結果、その人生は、クリスチャンでなかった場合の人生と全く違っている筈と信じる。どう違っているのかは、比べようもないし、皆目分からない。しかし、絶対に違うのである。だから、そのお母さんが思われたかもしれないように、キリスト教では神任せ、あなた任せで、自分の運命を変えられないのではない。神は、我々の祈りに愛をもって応えて、大きく我々の運命を変えてくださっているのだ。たとえ、どう変わっているのかは、人間には全く分からなくても。

笑い 最後に、誤解ないように、一つ付記する: クリスチャンは、難儀にあった時に、ただただ祈るだけで自分では何も難儀からの脱出を図らない??と思われたら、それは大変な誤解。神が自分に与えてくれた能力、この世の技術・仕組みを全部、駆使して努力する。その上で祈り、結果は神に委ねる。私の右目もちゃんと5時間の大手術をした。手遅れだっただけだ。その全ての瞬間において、神に祈り、委ね、そして感謝した。それが神にゆだねるということと思う。 にっこり Nat   

沖縄普天間基地の移設 どう考えたらいい? その2

笑い その1で書いたとおり、普天間基地の問題は、沖縄の人と、一部の政治家だけがわ~わ~言っているだけで、大多数の日本(本土)の人は余り関心を持っていない。せいぜい、新聞などが、余り本気で米国を怒らせないほうがいいのでは・・などと論評している程度だ。しかし、沖縄の基地は、日本の安全保障にとって極めて重大な事柄なのである。

まる このブログで何度も書いてきた(例えば今年の9月12・13日の当ブログの)とおり、日本が憲法9条を守りながら国防・国家安全保障を図るとすると、米国の国防体制の傘の下に入るしかない。そうでないあり方は、基本的に国防日本軍、つまり海外も含めて国防のためには進軍できる軍隊を持ち、その上で、英国や豪州などのように、米国と改めて軍事同盟を結ぶという型である。しかし、このような国防日本軍路線を選ばないのであれば、米国の下で米国に協力するしかない。

まる そして協力の仕方としては、?米国の世界的な派兵に自衛隊がサブ(下請け)として世界の何処でも協力する(今般のインド洋給油はこの例)と、?日本列島を米国の軍事拠点としてフルにお貸しすること、この二つしかない。しかし?(世界中での米国の下請け派兵)は、集団的自衛権を禁じた憲法の趣旨に違反すると断ずる場合は、今回の民主党の主張のように、これにはより慎重にならざるを得ない。とするとどうか? 米国の傘下にあり続けるために、日本がやれることは、唯一上記?の「基地貸し出し」しかなくなるのである。(本当は、あと巨額のお金を米国に払うことで済まそうとする手もあるのだが、そんなお金は日本にもないし、小切手外交として国際的に最も忌み嫌われる手法だから、それは実際にはあり得ない。)一方、沖縄まで含めた日本列島は、中国・北朝鮮から中東までのアジア地域の中で、地理的にいって米国の軍事拠点の場所として最高の所にある。米国に、そのような最高の場所を使わせて上げることは、実は大変な米国への協力になる。日本中の米軍基地は、そういうものなのである。米軍のいいようにやられて、“占領”されているといった被害意識を持つ向きも多いが、実は日本国家の戦略として、意図的に米国に使わせてやっているとも解釈すべきものなのである。

OK 私はこれを主張してきているが、そうは言っても基地が沖縄に集中しているのは事実である。米国がアジアから中東までを睨んだ場合、沖縄に変わる立地はないからだ。だから、沖縄の人が、日本の安全保障のための米国協力路線、その為の大きな「犠牲者」になっているのも、全くその通りである。日本国民の安全保障は、沖縄の人の忍耐の上に成立っているのだ。そして、実際には基地を沖縄県外に移設することが出来ない以上、それを本土の人も沖縄の人も、まず確認すること。その上で沖縄の人が日本人全体のために犠牲になるこの構造を、全日本人がもう一度認識することだ。今回の鳩山政権の現在のジェスチャーが、このような再認識の良き機会となるなら、決して無駄ではない。結局、海兵隊のヘリコプター基地が沖縄県内でしか移設できない、この現実、そして沖縄県民への大きな迷惑、苛立ち、これを全日本人が再認識し、その上で、沖縄県民に如何なる償いをすべきか、それをしっかり検討することが大事だろう。私はずっと、そう主張している。 にっこり Nat

沖縄普天間基地の移設 どう考えたらいい? その1

笑い 今、民主党政権になって、普天間基地の移設問題を振り出しに戻して再考する動きになっている。そして、この問題で現地沖縄の人たちは、改めて県外移設を強く打ち出してきているし、また日米の政治家はお互いの政治的思惑で様々な政治的動きを見せている。一方、それ以外の大半の日本人は、自分には余り関係ない遠い沖縄のことという感じで、さして気にもしていないように見受けられる。

はてな この状況で、まず最大の問題は何か? それは政権党の民主党自身が、国防・国家安全保障について、纏まった政策を何も打ち出していないことだ。民主党の選挙マニフェストの政権5原則、5策、5つの約束では国内政治の話のみで、国防・外交の話は皆無である。勿論それは、国防・外交の話などをしても、全く選挙の票にはならないからだが。そして、マニフェストの各論の55の約束項目を見ても、国防・外交関係では僅かに一番最後の方にちょっと書いてあるだけだ。(1)対等な日米同盟、米軍基地のありかたも見直しの方向、(2)東アジア共同体、(3)北朝鮮の核を認めない、(4)国連重視、(5)核兵器廃絶。そうあるだけだ。日本の国防、安全保障をどうするのかの基本が何も分からない。なんとなく「米国の言いなりだった感じの自民党とは違うようにしたい」という程度の情緒的なことしか分からない。しかも、政権を取った後の今も、国家の安全保障をどうするのかは全くといっていい程触れられない。例えば、なぜインド洋給油をしないのかの理由は避けて述べない。核廃絶の理想には触れても、当面米国の核の傘にどう入るのか入らないかのかには触れない。それは、そういうことに触れようとすると、民主党の中だけでもモメモメになるからだろうが。

アウト それでいて、普天間基地問題は、「沖縄の人たちが嫌がっているのだから、県外移設の可能性も含めて、そもそも論に戻って見直したい」という。ところが沖縄以外の移設可能性については実際には何も検討してない。岡田外務大臣も既に実際には県外は無理と言っている。泡沫政党になってしまった社民党が沖縄基地廃止と最後の叫び声を上げるのは分かるとしても、政権政党の民主党が本当には何をしたいのかまるで分からないのは非常に困る。来年の夏の参議院選挙までのジェスチャーと解釈すると大体理解できるが。

泣く もしそうとすると、沖縄の人たちからすると、実際には結局、従来路線の名護市辺野古沖への移設に落ち着くしかないのに、暫し夢を見させられるだけということか?それでは余りにも気の毒である。この続きはその2で。  にっこり Nat

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