♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)

生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等

2010年03月

非核三原則 「持ち込まさず」 その3

  そうこうする間に、今回、外務省の元局長などの証言が出てきて、更にどういうことだったのかが明らかになった。非核“2.5原則”という話だ。つまり、そもそも3番目の「持ち込まさず」といっても、陸上に核兵器を上げて設置することまでは禁止。しかし核搭載の艦船が日本の領海を通過したり、日本の港に一時立ち寄りするのまで禁止するのは現実的ではないということだ。もともと、その1でも書いたとおり、米軍は基本的に艦船などに核を搭載しているかしていないかは、肯定も否定もしないという原則をもっている。いわゆるNCND原則。だから、核搭載の艦船が日本の領海を通過とか一時立ち寄りする場合も、日本に事前協議などするわけがない。ところが従来の日本政府は「非核三原則で、領海通過とか立ち寄りの際も日本に事前協議することになっているのに、事前協議がない。だから、一切持ち込みはないということだ」と強弁を張っていた。しかし実は、実際には通過・立ち寄りがあることをうすうす知っていたというのが、今回明らかになった密約である。

 

  もっとも、その1に書いたとおり、1991年以降の米軍は、実際には戦術核を艦船などに搭載しない方式でやってきているようだ。だから、日本の三原則と米国のNCND原則との間の矛盾が表面化する局面は、今のところはない。しかし、いつなんどき米軍の戦術核搭載の艦船がアジアにも来る事態が生じるか分からない。だから、証言した東郷元条約局長が言っているように、しょせん三番目の「持ち込まさず」という原則は、日本の国土の陸上に設置するのは遠慮してもらうとして、艦船の領海通過と港への一時立ち寄りは認めるのが現実的解決法であろう。しかし、今の鳩山民主党政権はそこまでは、踏み切れまい。また、踏み切らないといけないと思わせる差し迫った状況もない。実際には戦術核は今のところアジアに来ないからだ。だから、このテーマを避けるだろう。でも、いつか急にそういう問題が来る。その時の政権が、慌てて苦しむことになるだろう。それなら、今から、じっくり国会で協議し、現実的に「2.5原則」という形に修正しておくのが本来は賢明であると思う。        Nat

非核三原則 「持ち込まさず」 その2

 日本で完全な矛盾が平気で許容されている理由は、大半の日本人が「米国の核抑止力依存」をほとんど意識していないからである。実際にはそれに依存しているのだが、空気のようなもので、普通の時は完全にそれを忘れているのである。

 

 その1に述べた通り、日米安保条約によって米国は日本を防衛する立場にある。そしてその米国が核兵器を大量に持っているからこそ、北朝鮮などは日本に手出しが出来ない。これが日本の「米国の核抑止力依存」である。これが実際に機能するためには、実際に米国のいわゆる戦術核兵器(通常兵器の延長で使う核兵器)が日本の近くに存在し得る体制でなければならない。米国本土から北朝鮮を目掛けて発射される大陸間弾道ミサイルのみというのでは、いかにも緊迫感も現実感もない。やはり、核搭載トマホークを持った米国の原潜が、日本近海か、横須賀とか沖縄に来れるようになっていないとリアルにならない。しかし、今の日本国民は、そもそも米国に防衛されているという意識が薄い。だから、その中身を具体的に考えてみることも一切ない。北朝鮮が、あるいは中国が、何かの場合に日本に実際に攻撃するかもしれない。そしてその場合、どうやって防衛するのか? といったことを一切考えない国民なのである。だから、「非核三原則」と「米国の核抑止力依存」が不思議にも両立するのである。

 

日本が2000年の歴史の中で実際に攻撃を受けたのは、後にも先にも2回だけだ。一回目は蒙古の九州攻め。これは台風で向こうが勝手に自滅した。それで、それ以降の日本に危機感を植えつけるどころか、むしろ日本は神国なので絶対大丈夫という幻想を生んだ。二回目は太平洋戦争末期の米軍の本土空爆と沖縄上陸。これは完全にやられたが、攻撃を受けたのは1年間にもならない。だから、日本から長年攻撃されて民族の怨念が深く残った中国人の場合に比べて、表現は悪いが相対的に「心の傷は軽い」。そして、日本は海で世界から隔たれている。ということから日本人は、基本的に攻撃されることをイメージしない国民となっている。むしろ秀吉の朝鮮攻めを含めて、時に日本の為政者がアジア侵略を行ってきた歴史はあるが、国民はずっと超平和主義か「平和ぼけ」かでやってきた。

 

ということで、国民の意識の中には「国防」がない。「米国の核の傘」も意識にない。一方、唯一の被爆国として、“原子爆弾”に対するアレルギーだけはある。だから、米国の原子爆弾の抑止力によって防衛してもらっていることは忘れていても、日本に原子爆弾搭載の原潜などが来ることは本能的に忌避するのである。もし本気で「核持ち込まさず」と言うなら、米国が日本を防衛する場合にも、核だけは使用させないと言わないと論理の一貫性はない。ところが、そこまで言う人は聞いたことない。そこまで言わないなら、米国の核の傘はそれはそれで頂いておこうという「身勝手」な立場を採っていることになる。しかし「身勝手」にも気がついていない。これが多くの日本国民の現状ではないだろうか。米国に防衛してもらいながら、米軍基地には出て行ってほしいという「身勝手」と非常に似ている。

 

 こんにちの世界では、通常兵器だけによる抑止力はもうあり得ず、核抑止力こそが世界の平和を維持しているという現実がある。また、日本の防衛のためには米国の核の傘に入るしかない現実もある。そのような現実は直視せねばなるまい。その場合、「持ち込まさず」は撤回するしかないと思う。それと、究極的には核も武器も必要としない理想に到達したいという思いとは別問題であろう。       Nat

非核三原則 「持ち込まさず」 その1

 今般、民主党政府が日米の密約について発表した。その非核三原則の「持ち込まさず」について、すこし考えてみたい。三原則は言うまでもなく「核兵器を持たず、作らず、持ち込まさず」だ。「持たず、作らず」までは、原子力基本法によっても、また国際的な核拡散防止条約によっても、日本が持ったり作ったりすることは禁止されているので分かりやすい。ところが問題は、今回密約で問題になった「持ち込まさず」だ。日本の領土のどこにも、核兵器を搭載した艦船や爆撃機などを入れさせないということだ。この原則は法律にはなっていないが、昔の佐藤首相の答弁、更にはその後の国会決議などでいわば「国の方針」となっているものだ。ちなみに佐藤栄作元首相は、このこともあって1974年にノーベル平和賞を受賞している。

 

今回、密約うんぬんと言われているのは、実際には、米国の持ち込みに対して暗黙の了解を与えていたという話だ。つまり、日本の国の方針で持ち込ませられないので、もし米国がどうしても持ち込まねばならない時は事前協議になるのが建前だ。しかし、米軍は軍事展開上、艦船などに核装備をしているか、していないについては、絶対明らかにしないことにしている。だから、実際には持ち込む場合も事前協議なんて出来るわけなく、黙って持ち込むしかない。日本政府としても、黙って持ち込まれていたらどうせ分からないのだから、知らんぷりをしようということだ。お互いにそういうことにしましょうという「暗黙の了解」があった。これが今回言われている「広義の密約」だ。

 

ではこれからどうするかについての民主党政権の意向はどうか。勿論「持ち込まさず」は改めて遵守としか言えないわけだが、さりとて今さら米国に「持ち込まさず」を徹底させることも難しい。しかし岡田外務大臣に言わせると、90年代から実際には日本立ち寄りの艦船には核兵器搭載しない方針とのこと。本当に米国がそんな「不搭載」などという方針を堅く掲げているとも思えないが、岡田大臣としては、だから今のままで結果オーライ・・・ということのようだ。というように、民主党も依然としてあいまいなことでやらざるを得ないところにこの問題の核心がある。

 

衆知の通り、日本の核政策は実は大きく矛盾している。一方で「非核三原則」を持ち、他方で「米国の核抑止力に依存」という国防政策も持っているからだ。日本の防衛を引き受けている米軍が核兵器を持っていて、それが恐いから、北朝鮮や中国などは日本への攻撃がしにくいという構図だ。つまり日本は、米国の核兵器が日本の敵国に対していつでも使えるということで、それに守られるのである。だから、日本としては、必要な時には米国の核兵器、例えば核搭載のトマホーク付きの原潜なんかが日本の近くにいてくれて、実際には発射されないまでも北朝鮮や中国などに発射され得る状況を必要としていることになる。しかし、一方で、そのような原潜が実際に沖縄やら横須賀なんかにいるのでは、どうしても気分が悪いからイヤだ、やっぱり「核は持ち込まさず」という立場なのだ。なぜ故に、このような完全に矛盾したままで、ずっと日本はやってきているのだろうか。    Nat

記事検索
月別アーカイブ
プロフィール

NAT

タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ