普天間の日米合意が発表された。結局、元のキャンプ・シュワブへの移設+訓練の県外分散だ。マスコミは「迷走の末に、この様か!」と叫ぶ。しかし果たして本当に迷走してきたのか?「迷走」の意味が「一貫性を欠く」ということなら、鳩山政権の道筋に十分一貫性はある。多分「迷走」の意味は、特に県外への移設が実現すると思わせて、結局元に戻ったことを指すのだろう。今回県外になるかもしれないと本当に期待した人にとっては「迷走」だろう。しかし、今回は将来への一つのステップに過ぎないと思っていた人にとっては、迷走でも何でもないことになる。
経緯をたどろう。まず2008年の民主党の沖縄ビジョンの中に「在沖海兵隊基地の県外への機能分散をまず模索し、戦略環境の変化を踏まえて国外への移転を目指す」とある。そして昨年の衆議院選挙の際の8月の選挙演説で、鳩山民主党代表は党の沖縄ビジョンに沿って「出来れば国外、最低でも県外に」とたびたび述べた。これが後に問題になる。一方、昨年7月27日の民主党のマニフェストでは「日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む。」としか明記されなかった。3党合意もこの線までだ。
つまり、民主党、あるいは民主党の政治家の目指したい中・長期的努力の方向感としては、「長期的には出来れば国外移設、中期的には最低でも県外への分散」を目指したいということになる。しかし、短期的に必達すべき政権公約(マニフェスト)となると、そこまでは入れられない。「折角政権が替わったこの機会に、県外などが本当に出来ないのか、一度はレヴューしてみる」というのが精々になる。当面の結論が結局同じでも、基地が永遠の固定化にならないためのステップとして、まずは出来るレヴューから始めようという趣旨だ。しかしそれだけでも一定の意味のある短期施策であった筈だ。
このように「中長期的な努力の方向性」と、「短期実現の政権公約」の二つの間には、大きな時間軸の差があったのだ。しかし、政権発足時に、この辺の解説をしっかりやらなかった。社民党までいる政権内の安全保障問題での意見・立場の違いに相当幅があるから、曖昧にせざるを得なかった面もあろう。また、これは飽くまでも推測だが、鳩山個人の心の中には「ひょっとしたら県外なんて案も見つかるかも」などという楽観があったかも知れない。それで敢えて「今回はレヴューだけ」とは強調しなかったのかもと思う。しかし、結局、短期・中長期の目標の差を明確にしなかったことで、関係者によって受け止め方に差が出てしまった。これが、これが今回、沖縄県民、国民、マスコミそれぞれの立場でのイライラや憤懣、失望を生んでいる根本要因であり、それが「迷走」と言われてしまう背景だ。冷静に考えれば、去年の秋の段階で、レヴューをしてみても結局はキャンプ・シュワブに戻るしかないことは誰の目にも明らかであった筈だ。民主党政治家の多くもそう考えていた筈だ。それなのに、特に沖縄県民に過剰な期待を生んだのは、3党連立のあいまい妥協の結果であり、政治的稚拙さ・不用意の為す業だが、その代償は大きい。
もう一つ問題を大きくするのが、鳩山首相の発言が良く練られていないことだ。軽いとも言われるが、政治的に稚拙な発言が多すぎる。特に問題にされているのが、5月4日午後、名護市の稲嶺市長と会談した後、記者団の質問に答えて、昨年の衆院選挙演説で「最低でも県外」と述べたことについて「党の考え方ではなく、私自身の代表としての発言だ」と述べた点。マスコミ等で言い逃れとの批判が噴出した。党の考えと、代表個人の考えを使い分けるのは、これは全く当を得ない。批判あって当然である。彼が言うべきであったのは、「①党の中長期ビジョンに沿い、中期的には県外への分散、長期的には国外移転を目指したい、しかし、②政権の短期必達施策としてとしては、元々レヴューだけで、県外移設の実現までは入っていない」という、本当は政権発足時に解説しているべきであったことだろう。それを「代表個人の発言」などと言って別の話にするのはいけない。
さて、今回、結局移設先が元に戻ったとしても、政権が約束通り「レヴュー」をしたのは、それ自体は進歩であったと思う。私も当面何故グアムなどではダメなのか、今回のレヴューで初めて理解した。海兵隊の位置づけも改めて良く考えることが出来た。そして当分の間は日本の米軍基地は絶対必須だが、長期的にはそれがなくなっていくのを目指す方向感も正しいと受けとめることが出来た。民主党政権が政治的に素人風だった分だけ、国民もこの「迷走」に付き合わされた。それは長い目で見るとプラスかも知れない。このような長期的な日本の歩みの中で、現在起きている混乱や苦しみは、必要な通過点なのだろうということだ。
それにしても、名護市ではもはやキャンプ・シュワブへの移設の受け入れが政治的に困難になった。かといって普天間での凍結も問題が大きい。前にも後ろにも進めない。必要な通過点としての苦しみではあるが、この苦しみはいかにも大きい。政治家もマスコミも国民も、この問題に対しては長期的視野を持ち、冷静に合理的に対応することを望みたい。
Nat