♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)

生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等

2010年07月

人類はなぜ直立二足歩行したのか? その2

ということで人類は、直立二足歩行を始めた。これはヒトという生き物に対して様々な影響をもたらすことになる。勿論、ヒトの致命傷である「腰痛」などという、他の動物にはないが、私も含めたヒトにはある持病もその一つである。しかし、もっと本質的なことが色々ある。

言うまでもなく、脳の発達はその最たることの一つだ。直立したから、重い脳の入った頭を背骨に乗せて支えることが出来るようになった。猿人は直ぐには脳を大きくはさせなかったが、次第に脳を大きくさせるものが登場する。「人類がなぜ脳を発達させたのか?」は、それ自体、大きなテーマだ。(もっとも発達と肥大化は別もので、脳は小サイズであったホモ・フロレシエンシスの話は2010227日にこのブログで書いた。)脳の発達は、人類が集団で狩りをするようになり、高度の道具を使用するのと、集団で作戦を練り、更に集団で動くためのコミュニケーションをする過程で起こったことというのが、最有力な説明であろう。脳の発達の結果、人類は文明・文化(ハードではなくソフト)という決定的なものを手にすることになる。(20074月のこのブログ記事-「人間はどうやって人間に進化したか」をご参照。)更に、肥大化した頭蓋骨でも産道を通れるためには、赤ちゃんは未熟で生まざるを得なくなり、動物の中で他に類をみない子育て問題が発生する。

しかし、下ネタになるので、余りこの点は大きくは採り上げられないようだが、実は直立したことのもう一つの大きな結果は、性器に係わることだと思う。つまり、オスで顕著だが性器がぶらぶらと前に露出する。同じくメスも乳房が前に露出する。このことが人類にもたらしたことは、まず人類だけは体のわりには性器(オスの下半身と、メスの乳房)が異様に大きいということだ。目に見えるから選択の淘汰圧が働き、モノの大きい人がより繁殖してそうなった。また人類だけは対面セックスを標準とする。これも直立して見つめあい、抱き合って自然にそうなった。更に、前面に露出したブツを保護するために、衣服を着用するという動物には見られない風習を始めた。聖書の創世記に出てくるアダムとイブも、知恵の実を食べて最初にしたことは、恥部を木の葉で隠すことであった。人類はもともと温暖な地で進化した。体毛がなくなったくらいだから。そこで、元々は衣服の必要性は薄い。しかし直立した今、そして体毛が退化した今、性器の保護、隠蔽だけは実際的な必要性であったのであろう。

こうやって考えて見ると、440万年前かそれ以前の猿人が、最初は食物を運ぶために直立二足歩行したことが、後の人類のありとあらゆるユニークな特徴に繋がっていることになる。ああ、だから人類の話はめちゃくちゃに面白い。  Nat

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人類はなぜ直立二足歩行したのか? その1

 人類の進化の話は、私を魅了してやまない。人類とは何か?という根源的なテーマにおおいに関係するからだ。そういう私だから、NHKBBCなどの人類の番組は良く見る。

先日NHKでやっていた440万年前のラミダス猿人の話はかなり面白かった。「アルディ」と命名された女性(メス?)の化石の調査結果、ラミダス猿人は足がまだ木を掴める骨組みでありながら、既に直立二足歩行をしていたと推論される。しかも、まだ森林の中で生活していたと思われるのである。これは相当画期的な発見だ。

・先ず、それより100万年後の「ルーシー」化石で有名なアファール猿人の場合、既にサバンナ気候になっていたので、人類の祖先は、森の生活から気候変動でサバンナにおいやられ、そこでいやおうなしに二足歩行に移ったと思われていた。それが覆された可能性がある。

・また、ある学者に言わせると、足の骨が突然変異で木をつかめなくなってしまったサルが、やむなく直立二足歩行になった等という「人類=奇形のサル」説だったが、これも違いそうだ。

人類は、チンパンジーなどよりもずっと前に進化の枝分かれして直立二足歩行の別グループになっていた可能性が高いことになる。しかも、チンパンジーなどと異なり、犬歯(キバ)が非常に小さくなった別の種類として出てきたのが人類だという。

それでは、なぜラミダス猿人(アルディ)は森の中の生活で立って歩くようになったのか。番組ではその回答の仮説として、既にオスとメスの対の夫婦生活が始まっていて、オスがメスに選ばれる最大の条件が、もはや強いキバではなく、遠くからでもえさ(食物)を探して運んでこれる能力になっていたということを紹介していた。少なくとも森の中で住まいの周辺の木の実などだけでは食べていけない環境になっていたのであろう。そこでオスは遠くまで食物をあさりにいく役割(今のサラリーマンに似ている)になり、メスはオスの帰りを待って赤ちゃんを育てる役割になっていった。森の中で遠くから大量の食物を運ぶには、直立二足歩行で両手を食物を持つのに使うのが最も有利だという話だ。オスとメスのカップルになっていたかは推察だから分らないが、もし大勢の集団・群れであったとしても、森の中で食物を探し運ぶのに直立二足歩行が有利ということには変わりないだろう。だから、これまでも言われていた「直立二足歩行の起源は食物運搬」説はいよいよ有力になってきたみたいだ。 さて、次回は直立二足歩行の結果、どうなっていったかだ。     Nat

参議院は廃止? その3

 両院間のネジレで日本の政治が機能不全になるので、この際、そもそも余り意味のなかった参議院を廃止して欲しいと書いた。そして、そのことを、昨晩私の友人に言ったら、その友人は、「ネジレは悪ではない。ネジレの対立意見こそが、日本を良くする。」と反論してきた。

 

 確かに、激しい意見の対立は往々にしてものごとの思わぬ質的な進歩・進化を生むことがある。そういう意味では、長期的には両院制に戻してネジレも結構、というふうになるのはいいと思う。しかし、現在の日本のように相当重い病気の状態になってきている中では、両院のネジレを許容している余裕は全くない。そして前回、前々回に書いたとおり、日本の政治家も政党も、ネジレがあってもなお国家に必要な法案は良識的な対応で通すといった、英国並みのレベルには全く到達していない。だからネジレは即、機能不全になる。英国など二大政党の入れ替わりで成熟してくると、ネジレ対応も出来るようになってくる。しかし、日本は自民党の与党一極で長い間やってきたところ、突然政権交代になった。どの党もまた国民も全く不慣れで、未成熟が甚だしい。

 

 ゲームの理論で「囚人のジレンマ」というのがある。二人の仲間の犯罪者が捕まり、囚人として別々の牢屋に収監された。検察官から「両方とも自白してくれない場合は、決定的な証拠がないので重罪にはしにくいが、両方ともそこそこの罪として告発しよう。しかし、お前だけが自白してくれたら、お前は許してやろう。その代わり相手の方は重罪になる。ただ、相手も同様に自白したら、お前だけ許すことはもうできない。両方とも有罪になる。」というそそのかしがある。しかも多分相手にも同じそそのかしがあると思われる状況だ。ここで、二人とも相手が口が堅いことを信じて自白しない場合、両方そこそこの罪にはなるが重罪は免れる。しかし、ここでそのうちの一人は思う。「待てよ。あいつは信義がたいから自白しないだろうな。ならば、オレだけ自白したらオレだけ無罪になるな。」そう思って、一人は裏切るのである。しかし、相手も考える。「多分、あいつは自分が口が堅いことをいいことに、自分を裏切るんだろうな。ならば、自分だけ重罪になるのは損だ。」として相手の方も自白してしまうのだ。つまり、本来、信頼し合えばベターな結果になるのに、相手が真面目な対応することが分ると、それを裏切って自分だけ得をしようとする人間のサガがある。その結果、結局、両方とも相手を信じられなくなり、両方とも悪い結末を迎えるという最悪の状態になる。これが囚人のジレンマだ。囚人のジレンマは、何回も繰りかえしていると、いつしか、学習効果が出る。信頼し合う協調路線によって結局両方が得をすること。少しでも裏切りの疑いが出ると共調路線は一気に崩れ、両方とも不幸になることを、痛い目を経て、学ぶのだ。

 

  日本の今の与党・野党のやりとりは、このような学習効果が全く始まる前の騙し合いの段階にある。どちらかが、国家のための高い志から必要な法案を通そうと提案しても、相手には党利・党略にしか見えない。だから、相手はその裏をかこうとする。そうなると、もう片方も、天下・国家のきれいごとは言っていられなくなる。党利・党略の醜いぶつかり合いになる。これが日本の現状だ。だから、衆議院のサイクル4年間を、少なくとも2回くらい、合計8年くらいは、参議院は廃止できないまでも重要な拒否権を剥奪すべきであると強く思うのである。      Nat

参議院は廃止? その2

  前回、参議院は廃止し衆議院だけにしないと国会が機能不全となり、日本はダメになると書いた。勿論、そのような議会制度の大改訂は憲法改正を要するので、実際には非常に難しいことは分った上でそう書いた。今の二院のままで、運営のやり方で、両議院のねじれの弊害を少なくする方法があるのかも知れないが、専門家でない私には具体的な良い方法が分らなかった。

 

  ところが、本朝の日経新聞に、まさにそのことが書いてあった。京都大学の待鳥教授の「経済教室」論文がそれだ。両議院のねじれで法案審議が行き詰まっては困るような基本分野の法案については衆議院優先を制度的に確保する。(注:今でも予算承認はそうなっているがもっと拡大する。)一方、参議院は社会的少数派の保護に眼目を置き、二大政党主導になりがちな衆議院では配慮し切れないテーマを扱うこととして、そのような法案については参議院の強い立場を確保するという案だ。しかし、これも制度の改訂を伴うと直ぐには実現できないので、教授は、実際の両議院の運営上、二大政党の間でそれをルール、マナーとして合意を形成することを進言している。

 

  私も、これには相当賛成だ。しかし、今の自民党、民主党の政局を見ていると、とてもそんなルール、マナーの合意すらも出来そうもない。そうする間に日本が結局どんどん沈没していくのが分っていても、それには知らん振りで、自らのグループの勢力拡大のみにまい進する。これは、いま流行りの坂本竜馬の頃の、薩・長両藩の間の争いや、彼らと徳川幕府の間の争いと同じ構図に見える。日本が世界の中で危機に瀕しているのに、結局、日本の内輪での藩対藩の勢力争いにいきり立つ。それを憂いて「日本のため」を説いた坂本のような人もいたが、多くは自分の藩の観点からしか考えられなかった。「薩摩の奴らめ!許せない!」といったセンスだ。いまの日本も同じで、民主党と自民党が、日本国のために大きな心で国会運営のルールを樹立するなんてのは夢のまた夢だろう。そこに登場した渡辺のみんなの党に対しても、「急に偉そうなこと言いやがって!」と、幕末の「薩摩の奴らめ!」といがみあったのと全然変わらない。

 

  だから、待鳥教授の提案もむなしい。私の「憲法改正して参議院廃止を」という主張は、もっとむなしい。そして、国会の機能不全の中で、日本の経済も福祉も教育も全て今より更に悪くなっていく。なんと悲しいことだろう。  Nat

参議院は廃止?

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 今般の参議院選挙での民主党大敗で、またもや、衆議院・参議院のねじれという深刻な事態に突入することとなった。自民党内閣の頃でも、同様のねじれのため、安倍首相、また特にその後の福田首相が立ち往生したのを思い出す。しかし今回は、多くの人が指摘している通り、衆議院での3分の2の議決による再可決という手法が使えない分、事態はより深刻である。当分日本は、政治の機能不全の中で、いよいよ沈没していくだろう。ビジネスの分野で、日本の活性化のためにささやかながら貢献しようとしているつもりの私としては、まことに残念である。

         

 そこで書くが、日本の場合は、もはや二院制で参議院を持っていることのメリットよりも、デメリットが圧倒的に大きくなったのではないか。参議院はもう廃止したほうが、まだ日本はベターになるのではないかと思う。みんなの党の渡辺代表が一院への統合を主張しているが、あれは専ら制度の効率化、国会議員の人数減らしの観点からであろう。

 

 私が衆議院だけにと思う理由は、国民が余りにも短期的に変わりやすいからだ。9ヶ月前の衆議院選挙では、麻生首相が最後のオミソをつけて自民党が完全に愛想をつかされ、「今度は民主党にさらせてみよう」という国民の意見で民主党が圧勝した。ところが、勿論、民主党もちぐはぐしたりヘマもしたが、数ヶ月もしないのに、もう今度は「自民党の方が良かったかも」と「今度はみんなの党に入れてみよう」になってしまった。私は企業の経営改革の仕事をしているが、企業経営でも改革が実を結ぶには3年はかかる。ましてや対象は国の政治・統治の仕組みだ。その改革には、もっと時間がかかる。半年で、民主党新政権を見限るなら、最初から投票しない方がいい。投票するなら、少なくとも2年や3年は進捗を見守る必要がある。

 

 しかし、日本人は、非常に変わり身が早い。良く言うと「敏感に反応する」が、悪く言うと「信念に乏しい」、「状況対応型」である。食べ物でもファッションでも音楽でも何でもそうだ。皆一斉に飛びつき、さっと飽きる。選挙も同じだ。皆一斉に民主党に飛びつき、さっと飽きた。そういう国民性の場合、二院制ではほぼ確実に毎回両院間のねじれが発生する。衆議院は本来最大4年間の持ち時間がある筈なのに、途中に3年に一度の参議院の選挙が割り込む。すると、衆議院でどこかの党が与党になったとしても、1年とか2年とかもしない間に、その与党は飽きられて、参議院では別の党に投票がなされる。こうやって、毎回ねじれが起きる。ねじれのせいで、参議院では法案一本も通らないか、あるいは少数野党の案の丸呑みなどでおかしな法案が通ったりする、そんなままで日本は沈没していく。

 

 もともと参議院は、良識の府であったり、長期的、政策的な課題に取組むという建前であった筈だが、もはや衆議院との間で意味ある差はなくなった。衆議院の300の小選挙区に比して参議院では県単位の選挙区。比例代表も衆議院の11ブロックに比して全国単位と、参議院ではより広範囲の支持を得た議員が当選する仕組みになっている。また、6年間、解散なしで長期的に仕事ができるという建前もある。しかし現実の参議院は、元プロ野球選手や歌手などが多く立候補する場であっても、決して長期的・政策的な場などではない。

 

 先進国はどこでも二院制である。しかし、日本だけは、国民が超飽き易く、変わり易く、更にそれに便乗するマスコミが短期話題追いかけ型である。だから、日本だけは、もう二院制ではやっていけない。衆議院だけにして、一旦選ばれた政権は、自分で解散しない限り4年間頑張れる。そして選ぶ方も4年間、じっくり託すつもりで選ぶ。そうすべきだ。そうしないと、もう日本の沈没は避けられない。私はそう思う。  Nat

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