♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)

生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等

2010年10月

日本企業の法人税は高いのか、そうでもないのか?

 今般、民主党政権が法人税の5%下げを言い出して、色々議論を呼んでいる。経団連の御手洗氏が前から主張している点だし、多くの論者も主張してきている点だ。一方、それに反論して特にネットでは、民主党が御手洗氏の欺瞞の乗せられているといった論調も多い。一体、どちらが正しいのか? 

 法人税に社会保険料負担を入れたら日本企業の負担は案外重くないという反論は、何年か前に共産党「赤旗」が言い出した。ネット上の論文でもそういう記事が多い。赤旗の引用していた数字は2004年度の統計で、日本の税と社会保険料の企業負担で見ると、対国内総生産(GDP)比で8.0%で、スウェーデンの14.6%、フランスの13.9%、ドイツの8.4%と比べ低い水準だというもの。しかし、このように「GDP比」で言われても、私には全くぴんと来ない。そもそもGDPにおける企業付加価値の割合が相当違うだろうから、上記の数字は殆ど意味がないのではないだろうか? 違いますか?

一方、経産省の今年6月の報告ではGDP比などではなく、ちゃんと企業の所得に対する負担率で見ている。それでは、法人税・固定資産税・その他の税負担プラス社会保険料の事業主負担も含めて算出していて、日本の50.4%に対し、 米国が42.8%、英国は41.6%、オランダが31%。(日本 の50.4%の内訳 は、税と社会保険料の事業主負担が合わせて31.8%で、地方 税は18.6%。)これだと確かに日本が一番高い。ところがこの経産省の数字には、昔の赤旗で引用していたスウェーデン、フランス、ドイツなどが入っていない。(意図的かしら?)。ということで、今ひとつすっきりとは分からない。しかし、多分、社会保険負担の特に重い北欧などと比べるのは、そもそも状況が違い過ぎて意味ないかも知れない。その辺が分からない。 

 もうひとつ良くある議論が、日本の大企業は海外事業で払った税額の日本における控除などで実効税率はもっと低いから、法人税下げるのは大企業を更に優遇するもので許せないという話しだ。日本の単体所得における日本法人税の比率で見ると、そうなんだろう。しかし、その企業の世界の連結所得に対して、海外で払った税金も総合すると、日本の大企業が結局楽しているのかそうでないか定かではない。 

  このように、そもそも経団連は大企業のための立論をするし、一方、ネット等でよくある反論意見は、そもそも「アンチ大企業」のものが多い。どちらも最初から自分のいいたい主張があって、自分の一方的な意見をサポートする数字しか挙げないような気がする。結局、本当はどうなんだということを、冷静に、客観的に誰か専門家が提示して欲しい。しかし、そういうものはなかなかない。金儲けか社会主義的イデオロギーに偏った論調が殆どのような気がする。私のようないっかいのビジネスマンからすると欲求不満になる。 

 日本経済は日本の中堅・中小企業によって支えられている。(それの証拠の統計は省略するが、そうなんです!) その中堅・中小企業にとって、日本国の法人税・社会保険料負担はやはり重い。中堅・中小企業は、だからといって海外に出て行くことも出来ず、法人税負担が海外企業との競争力の点で一つの大きなハンディになっていて、消えていくリスクを抱えていると思う。最初に欧米先進国の法人税・社会保険負担料合計の比較数字を書いたが、実は、日本の中堅・中小企業にとり、実際のライバルはアジアの企業、あるいは欧米企業のアジア法人でしょう。これらのライバルのアジア企業・法人の税負担はどうか?アジア諸国では社会保険料負担は軽いので法人税比較で十分だろう。アジアの法人税(国・地方計)負担率は、タイ、シンガポール、中国、韓国でどこも20-30%だ。そことの比較では、間違いなく日本企業(40%法人税)は重税負担のハンディがあると思う。 

但し、日本の企業の元気のないのは、高い法人税が主因ではなかろう。日本人の村社会の悪い所と、日本のガラパゴス的な閉鎖文化的教育、つまりグローバルに通用しない人材しか育成しない教育の問題あたりに、より本質的な病根があるような気がする。とすると、法人税を下げるくらいでは、日本企業は活性化しそうもない。ああ困った。  Nat

 

 

生物多様性: 絶滅っていうけど新種の発生も?

 今、生物多様性条約会議(COP10)が日本で開かれているので、生物多様性問題がいろいろ採り上げられている。なにやら年に4万種の生物が絶滅してきているので、保護する必要があるとか言う話のようだ。 

 そもそもこの地球上に何種くらいの生物がいるのか? ちょっとネットと調べると、1000万種くらいという説から1億種くらいという説まであって、さまざまらしい。発見されている種から未発見の種までを推定するから幅広いレンジになる。まあここでは5000万種くらいとしておこう。そして、COP10の関係者の唱える危機論からすると、Nマイヤースとかいう学者の推計で、恐竜時代には1年に0.001種しか絶滅しなかった、つまり1千年で1種絶滅するだけだったのが、今や1年に4万種も絶滅して危機だという。そういう急速な絶滅の原因は、人類が惹き起こした環境破壊(熱帯雨林等の縮小)、乱獲、地球温暖化等という。つまり人類の活動が生物種を急速に減らしており、これは大変だ・・という話しのようである。 

 私はあまのじゃく人間なので、そういう風に強く主張されると「本当にそうなの?」と思ってしまう。長い生物の進化の歴史の中で、生物種は急速に増えたり、急速に減ったりしているはずだ。 5億年ちょっと前に、有名な「カンブリア大爆発」といわれる生物種の爆発的な多様化進化が起こった。化石から類推するだけだから一概には言えないが、ここで一気に1000万種に迫る多様な種が進化して発生したらしい。そして、それから現在までに5回、大量絶滅が起こっている。原因としては、恐竜を滅ぼした大隕石の衝突から、大陸移動などの地球環境変化などが挙げられている。例えば4.3億年前のオルビドス紀末の大量絶滅は、一説によると超新星の爆発によるガンマ線バーストが原因だそうだが、とにかく85%の生物種が絶滅したという。その後、3.6億年前のデボン紀後期絶滅では何らかの環境変化で、82%の種が絶滅。更に2.5億年前のペルム後期絶滅では火山活動等で9割の種が絶滅。一番最後の、恐竜の滅んだ白亜紀末絶滅でも巨大隕石で7割が絶滅した。 

 しかし驚くべきは、絶滅の後、新しい環境で新しい種が進化・発生、生物は長い目では却って種の数を増やしてきたということである。1億年くらい前までは概ね1000万種くらいで絶滅・新種発生のサイクルを繰り返していたのが、ここ1億年くらいで5000万種にまで種の数が増えてきているといわれる。化石から類推する種の数と、今生きて発見された種から類推する数の差かも知れないから、本当に生物種がここ1億年で急速に増加しているのかは、学者でも意見が分かれるようだ。しかしもしここ1億年での急速増加説を採るとどうか。そろそろ、人類による環境破壊がなくても、生物の種は一旦、何らかの環境変化で一気に絶滅・急減するサイクルに来ているということはないのか? その辺の解説がないので、COP10とやらで「種の急減」とか言われても、億年単位での地球の生物進化の歴史の中で一体どうなのか?と思ってしまう。 

 また、過去においては、大量絶滅と新しい環境の到来で、却って多くの新種の発生を見ている。となると、人類の環境破壊とか温暖化がきっかけになって、これから新しい種が進化して発生してくることはないのか? 勿論今生きている我々の人生の数十年の間では見ることの出来ない、数百万年単位での進化・発生であろうが。COP10の言うのは、要するに、自分達の生きている間に生物種が急減すると寂しいというだけの話しか? 私は何も生物多様性保護に反対しているのではないのだが、COP10の人たちから趣旨の解説を聞きたい。 

 このブログで何度も書いたが、海水温の上昇で人類の好きなサンゴ礁が白化して後退することは観光産業には痛手であるが、サンゴの居なくなった海に別種の生物が繁栄するかも知れない。人類にとって好ましいかどうかは別だが。ということで、年に4万種(多分0.4%)の絶滅というペースで行くと一見250年後には地球から生物が全く居なくなるような印象を与える。しかし過去5回の大量絶滅でも一旦は1~2割にまで減っても、そこから又おおいに増えている。とすると、非常に長い目では単に生物種が入れ替わるだけではないだろうか? 人類の好きなサンゴやコウノトリが居なくなり、新種のゴキブリなどが増えるとかいう具合に、人類の都合には悪いかも知れない。しかし、生物というのは人類のそのような都合や「環境破壊の罪の意識」を越えて、進化・変遷し続ける存在ではないのだろうか? COP10では、そのような議論は聞かれないような気がする。        Nat

● 追記: 2007年に英国のスターンというエコノミストが出した調査では、生物の多様性を失うと世界のGDPの7%が喪失されるという。森林の喪失での関連産業の壊滅、サンゴの喪失で漁業や観光業のロス、蜜蜂の喪失で多くの農業への打撃などなど。生物多様性がなくなると、わびしいだけではなく、経済的打撃が甚大だという論説だ。そういわれた方がまだ分かりやすいかもしれない。日本では余り、そういう銭金に絡めた議論は聞かない気がするが。。。   Nat

結局、円高の原因って ?

 円が80円近くにまで上がってきてしまった。誰もが、日本経済へのダメージを心配する。しかし円高の原因は?というと、エコノミストでもその答えは様々であるから困る。 

 政治家は「ドル安であって、円高ではない」ようなことを言う。しかし見てみると、このところ、スイスフランを除き、米ドル以外にも、ユーロ、カナダドル、豪ドル、NZドルなど殆ど全ての通貨に対して円は強くなっているので、ドル安だけではなく円高でもある。そして、米ドルを売りたい人が特に円に替えたいのには理由があるはずだ。 

 まず、古典的な理由であった日本の貿易収支。2007年まではずっと安定黒字だったが、輸入する資源価格の高騰のため2008年からは縮小してしまっている。だからもはや貿易収支が原因でもあるまい。しかも、今では貿易決済という実需資金の動きより、ヘッジファンドを筆頭とする金融資金の動きが為替レートを決めるから、日本の国際収支に緩やかな変化があったとしても、それは円高の主原因ではなさそうだ。 

 2008年秋のリーマンショック以降の円高は、もっぱら(1)金融危機のダメージが欧米でより大きかった分、消去法で円に資金が向かった、(2)金融危機脱出に向け欧米が金利を下げたので日・米欧の金利差が縮小して、いわゆる円のキャリートレード(金利の低い円資金を借りてする投資)の解消が起こり、借りた円資金返済のための円買いが増えた・・以上の2点で説明されていた。私も一応それで分かったような気がしていた。 

 しかし最近では、日米とも金利がゼロに近くなり、金利差と言われてももはやそれが主因とも思いにくいところまで来ている気がする。もう直ぐ米FRBが一段と金融緩和するから米ドル売りで円買いだといわれるが、それだけでこんなに円高になるのだろうか? では、消去法説はどうか? 米国の失業率は最近10%くらいで横ばい。日本も5%で横ばい。その後特に「日本の方がまっし」という要素は増えてない。また露骨な失業はなくても「社内失業」を抱える日本の5%は、実質的には米国の10%より決してまっしではない。 

 次に国の財政状況を見ると、言うまでもなく先進国の中で日本の財政赤字は非常に悪い。通常これは円安を意味する。しかしそうならないのは、前にも書いたが、日本の800兆円とかの政府の借金(国債等)が日本の中で十分賄われており、なんと1%以下の金利でも国債発行が消化されるからだ。つまり、日本は当面、国債については変な話だが、超優等生国なのだ。今後、日本の国債の国内消化が出来ないレベルにまで来ると、金利が高騰、そこからは円が奈落の底に落ちるように暴落していく可能性あるが、当面それはない。ということで、少なくとも日本の大量国債問題は円安要因にはなっていない。しかし、だからといって円高かよ?と思う。 

 とすると、結局、なぜ円高なの? 私には良く分からない。敢えて推察すると、まず背景に米国がいまや当面の国内経済のために「強いドル」の建前を棚上げし、「弱いドル」を是とする国策に転じていることが一つ。また市場から「日本には円高対策を講じることが出来ない」と足もとを見られていることが二つ目。つまり市場と対話・かけひき出来ず、完全ゼロ金利もインフレ誘導政索も何も出来ない日銀。為替介入も一回やったが、あとはびびって出来ない政府。このためヘッジファンドが円買いの仕掛けを出来るのだ。ファンダメンタルな理由がなくても、投機筋からすると「円は上がる。だから買う。そしてだから更に上がる。」でいいのである。わずかな材料があれば、更に円高に出来る。今は11月に予想される米国のバーナンキFRBの追加緩和政索が材料だ。それが終わると、また別の材料を見つけるだろう。日本政府・日銀が何ら有効な材料を出せない限り、この一方的なゲームは続く恐れが強い。 

 劇薬になるが、日銀が圧倒的大量の円通貨を発行するというだけで、市場は流石にインフレリスクを見るだろう。それだけで円高は止まるはずだ。劇薬の副作用は残るが。そういうことまですべきか? 素人の私には分からない。しかし今の為政者に任せておいて良さそうにも思えない。どうする日本?       Nat

たましいって何?

 科学的な理詰めで聞かれると、肉体とは別に「たましい」とか「命」があると強く主張出来る人は少ないだろう。そうは言っても、何となくやっぱり肉体とは別に「たましい」というものがあるのではと思っている人は多い。葬式に参列し死んだ人のたましいに語りかける。もう肉体の死とともにこの世から消滅してしまったのではと頭の中で思いつつも、「たましい」はどこかに移ったという気もして、それに向って語りかける。また日本を含めたアジアでは、お盆や彼岸に祖先のたましいがこの世に戻るという想定で、たましいを呼び込む儀式をしたりもする。更に我々はお墓参りもする。お墓はただの石であり、その下には古びた遺骨しかないのに、なぜかお墓に行くことで死者の「たましい」に気持ちが通ずるように思うのである。

  では、皆が何となく想定している「たましい」とはどういうものなのだろう?通常では目に見えないふわふわとしたものだろうか。人が死ぬ瞬間に、頭のてっぺんや鼻の穴から「エクトプラズム」なる煙のような半物質が抜け出るという。それはたましいが形になったもので、我々には見えないが、霊能者には見えるとも言う。本年82123日の「死んだらどうなる」続編で、死んだ後に暫くあの世にいて、そして別の人が赤ちゃんとして誕生する際に、突然その赤ちゃんの中にたましいとして送り込まれる体験をした多くの人の話を書いた。それも、煙のようなたましいが、すーーっと赤ちゃんの体に入るのだろうか?

  キリスト教の新約聖書には、イエスキリストが復活しそして最後には昇天した後、残された弟子たちに「キリストのたましい」として「聖霊」なるものが与えられたという記述がある。舌のような形の炎のようなものが天から降りそそぎ、弟子たちに入った。そして弟子たちは力に満ち、外国語でもしゃべれるという不思議な力を得たともある。こんにちでも、キリスト教ではイエスキリストを信じて洗礼を受ける瞬間に、キリストのたましいがその人に注ぎ込まれ、キリストと一体になるという信仰がある。

  先日、私が役員をしている教会で、あるおじいちゃんが死ぬ前の日に病院で洗礼を受けたのに立ち会った。そのおじいちゃんは、若い日に色々あってこの世的には激しく身を持ち崩し、何年か前には家族とも別離し、うちの教会の近くのアパートに一人住まいとなっていた。そのおじいちゃんが、ある日ふと教会に来られたのである。それから数年、私も日曜ごとにお話をしたりしていた。そのおじいちゃんが、先般、くも膜下出血になって倒れた。病院に運ばれたが、脳の中に血があふれ、もう意識はない脳死状態に近いという。おじいちゃんは、自分の葉茶目茶な人生を振り返り、クリスマスごろにはイエス様を信じて生き直す洗礼を受けることを希望していた。でも、もう意識不明になってしまって、翌日にも息を引き取りそうになった。そこで、教会としては病院で洗礼を授けることにした。私はそれに役員として立ち会った。おじいちゃんは昏睡状態だった。血圧表示は、高い方が145。もともと高血圧だったおじいちゃんだ。ところが、牧師による洗礼式が始まると、なんと上の血圧がどんどん上昇!! 最後には190にまで上がった。そして式が終わると177にまで下がった。偶然だろうか? それとも、その瞬間に昏睡状態と思っていたのが意識が少し戻り、洗礼の感激で血圧が上がったのだろうか? でも、病院によると、もう意識は全然ない筈という。瞳孔の反応もなく、脳死状態という。だのに、血圧が190にまで。私は、一瞬思った。イエスの弟子たちに、激烈に与えられた聖霊、イエスキリストのたましい。それは炎のようなものだったという。病床のおじいちゃんに、洗礼でそういうキリストのたましいが注ぎ込まれたとしたら、そのたましいがおじいちゃんの体に何らかの作用をし、血圧を上げた・・・そういう可能性はないのだろうか?

  こんにち、クリスチャンの信仰は、ややもすると抽象的、観念的な信仰になりがちだ。キリストのたましいが、なまなましく熱く与えられ、その人を突き動かすといった話は、オカルト的で嫌がられたりもする。しかし、2000年前の弟子たちが体験した聖霊は、熱く強烈なものだったと書いてある。そうであれば、今なおそういう強烈なキリストのたましいが、死ぬ直前のおじいちゃんの体に、物理的にも注ぎ込まれたと信じることも出来るのではないか。

  おじいちゃんは、その翌日天に召された。別離していた家族も最後には病院に駆けつけた。人生の途中は波乱万丈だったが、最後には最高の「人生のゴール」があった。たましいは目には見えない。しかし、肉体よりも、もっと人間の本質に繫がるものとして、たましいというものが本当にあるように思う。私も理科系人間として、相当科学は研究してきている。しかし、これまで人類の到達した「科学」では未だ理解の端緒にもついていないものとして「たましい」というものがあるように思う。皆さんはどう思いますか?        Nat

尖閣諸島 ― 日本のアピールは?

  今回の尖閣諸島の衝突事件で、日本政府がとってきた態度は「尖閣諸島は疑いもなく日本領土である。領土の海で故意の衝突という違法行為があったら、粛々と国内法で対処するのみである。それ以上でも、それ以下でもない。終わり。」ということだ。衝突の最初の時から、日本政府は「尖閣諸島は日本領土である。根拠もXXXと明白である。」といったアピールはしなかった。多分、疑いもなく明らかなものをわざわざ主張すると、却って疑いがあるような印象を持たれかねないという考え方であろう。政府が何も言わない。だから新聞などで、領土である根拠の解説が必要であったし、921日の当ブログでも私の理解での解説を記載したわけである。 

 その後、中国側は強烈な攻めに出る。「尖閣諸島は中国の領土であり、中国の領土で日本が中国の漁船を不当に拿捕した。」と主張する。しかし日本政府は、同じレベルの議論に応じて熱く反論したら、あたかも「領土問題」が実際存在するかのような印象となると判断。それまでの「淡々・粛々」路線を継続する。中国の領土主張には殆ど直接的な反論をせず、単に「国内法に沿い粛々と・・」を繰り返すのみであった。基本的には、このままの構図で今日まで来ている。この結果、世界でも他国でも、専門的によく分かっている人以外は、尖閣諸島には領土の紛争があり中国がそれを強硬に主張している、しかし日本はおとなしく殆ど何も言わない・・・こういう印象になってきたと思われる。そして、中国では政府に都合の悪い報道はされないが、国民はネット等で調べて政府発表情報以外の情報にも一定アクセスできる。しかし中国語で日本が尖閣諸島の領土権につき主張しているものが少ないので、中国の国民はますます日本が悪いと思いこむ。 

 「淡々・粛々」でずっといくのかと思いきや、先日、国会で野党から「外務省のHPで尖閣諸島の領有権に関する日本の立場を書いた文章が日本語と英語だけで中国語がないのはいかがなものか!」と指摘された前原外務大臣は「中国語も載せるよう検討する」と回答した。多分、最初の頃はわざわざ中国語でも載せると中国を刺激するとか、ムキになっているみたいに見える・・とか思って、載せてなかったのであろうが、いまごろになって、野党に言われて遅ればせながら載せるという。原理・原則の一貫性は非常に乏しい。中国の日本大使館のHPは中国語だが、ここには中国政府に真っ向から挑みかかる文章は載せられないのであろう。私の見た限り、尖閣諸島に関する日本政府の主張はどこにもない。(私は中国語がよく分からないので、みつかったら教えてください。) 

 最新の状況でも、政府の要人は国会とか記者会見で日本人に対して「領有権は明らか」とか言うが、日本人に対して言うだけでは余り意味がない。当初から、国際向けの記者会見発表や外務省HPも含めて、世界に対して、くっきり「尖閣諸島は1895年に日本領土になって以来、中国も認めてきた通り日本領土である。」とアピールしていて然るべきであったと思う。今ごろから言い出すと、無理なロジックを今頃考え付いて急に言い出しているようにも聞こえかねない。全てが後手後手だ。 

 そもそも日本人には、当たり前のことは言わない、主張しないという文化なり美徳がある。欧米、あるいはそれに結構近い中国人の文化では、当たり前のことこそ、先ず最初にきちんと言って、大前提を明らかにする。日本人の美徳は、日本人の間では美徳だが、国際政治では日本を「何も言わない愚か者」にしか見せず、国益を害する。 日本人の美徳は大事にしたい。しかし外交には別の知恵もいる。私はそう思う。
     Nat

 ●10月18日 追記: 外務省のHPには尖閣諸島領有権に関する中国語の解説も漸く掲載された。但し、前はHPのトップに出ていた日本語・英語の解説と一緒に、今では日中問題のコーナーの奥深くに掲載されているだけで、非常に控えめにしてある。そうこうする間に、中国で反日デモが多発している。中国のことだから、中国国民は中国政府の一方的な主張をそのまま真に受けざるを得ない立場に置かれており本心から憤っているのだろう。もう少し日本の政府の従来からの立場が中国の国民にも情報として知らされる手はないものだろうか?そうすると、一旦は余計に騒ぎを大きくするかも知れないが、実質何も言わない日本でいていいのだろうか?    Nat 

 

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