♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)

生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等

2010年12月

日本はこのままでは危ない その2

◆ 今の日本で、もう一つの極めて危ない分野は安全保障・国防体制だろう。実は日本政府は、今年大きな路線転換をした。それ自体は極めて大きな進歩だと、私は思う。

◆ 8月に諮問機関「新しい時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」からの画期的な報告書が出て、「基盤的防衛力」から「動的抑止力」への転換が提唱された。要するに冷戦時代の昔の発想である「ソ連軍が日本のどこに上陸しても応戦できるよう日本中に特に陸軍の部隊を面のように敷き詰める」という「基盤的防衛力」、これはもうやめる。代わりに、中国や北朝鮮が日本の島などに上陸するような周辺部の局所攻撃に機動的に兵力を動かす「動的抑止力」に切り替えるという案だ。あと、武器輸出三原則の緩和(でないと日本のメーカーが技術的に脱落)、また非核3原則に拘り過ぎの見直しなどが書かれていて、それに賛成の人にも反対の人にも極めて重要な内容であった。


◆ これに、菅政権はどう対処するのだろうかと思っていたら、この間の1217日に新しい防衛大綱が閣議承認されて発表された。そこには、まさに「動的抑止力」への切り替えが大方針として謳われているではないか。こんな大きな安全保障・国防の方針転換、それは私に言わせると基本的に良い方向の転換なのだが、少なくとも外から見ていた印象では、国会を含めた真剣な議論なく、さらっと決まってしまったことに懸念を覚える。一方、武器輸出三原則緩和は、その頃には民主党が社民党と連立を復活させようとしていたので削除されたようだが、それも議論なしにそんな理由で削除されたのなら大問題だ。


◆ 動的抑止力は、大きな方向としては全く正しいと思う。冷戦時代の発想で日本本土の至る処にソ連などとの地上戦を行う重厚な陣構えをするより、周辺の島などへの中国などの進出を監視し検知し、特に空・海で機動的にそれへの対応をする。この方がよほど実際的な意味がある。しかし、誰かが懸念していたが、周辺の島などで何かがあった場合、自衛隊の空・海の機動部隊を素早く現地に派遣するといった新しいパターンに対して、政府も自衛隊も国民も、また関連の法制度もまだ全く対応力がないし、更に自衛隊の暴発を抑える仕組みもまだこれからだろう。だから、本来、国を挙げて新しい体制を作っていく努力が必要なのだ。ところが、そういう話が菅政権の中で真面目に取り上げられつつあるように見えないから非常に心配になる。逆に、なんと、これで自衛隊の予算を小回りの「集中と選択型」に効率化できるといった財務省発想でこれに賛同している向きも多そうで、本当にわが国をどう守るのかという議論が全く欠落しているように思われる。そもそも菅首相にはそういう問題意識がなさそうなのが大変心配だ。悪いが、あの人はほとんど「空っぽ」にしか見えない。


◆ そして、武器輸出緩和問題も、何も日本のM重工などの武器メーカーを世界の死の商人にしようということではなく、日本が自衛の為に持つ武器の技術につき、一定の国産技術の力を保持し続けたい、そのためには日本国内の市場向けだけでやっているのではメーカーが持たないという話だ。これも安全保障・国防上の重大な問題である。それを、社民党を連立にもう一度引き寄せるためというだけの政治的戦術で、今回即封印をしてしまった。国を思わず、党を思う・・・。非常にゆゆしい。


そもそも民主党は、安全保障については右から左までの寄せ集めだから、もともとまともな統一政策が出てくるわけもない。しかし、予想以上にひどい。こんな調子では、菅政権には安全保障・国防問題を全く任せられないとしかいいようがない。沖縄含めた日米の体制問題も全く進展しないだろう。韓国・豪州・インドとの中国包囲網形成でも、皆に相手にされまい。更に、北朝鮮だが、金正日の死去が迫る今、どこでどう転んで日本に化学兵器でも搭載したロケットなどが打ち込まれるか本当に分らない。いざそういう時に、尖閣諸島問題の時のような政府のアタフタしかなさそうだ。だとすると、ロケットで死ぬ国民は浮かばれない。


◆ しかし、これまた、自民党に戻せばいいということでもなかろう。我々国民は今何をすればいいのだろう? 本当に分らない。困った。 Nat








日本はこのままでは危ない その1

 本はどんどん貧しい国になりつつある。2010826日の当ブログ「日本はこのまま貧しい国に?」で、世界の中でも日本の国民所得のレベルがどんどん落ちていること、日本の貧民の比率が先進国でも高いことなどを数字を挙げて述べた。ここで改めて日本国民の可処分所得総計をもう一度見てみると、2007年度には418兆円だったのが2009年度には373億円と合計11%も減ってしまった。リーマンショック後の日本経済の2年連続マイナス成長の煽りだ。多分今年2010年には漸く1-2%程度の微増に転じるかも知れないが、そんなペースでは、一旦下がってしまった所得レベルがなかなか元に戻らない。日本の経済活動の体温が下がったままだからだ。このまま行くと、今は貯金を取り崩してやりくりしている家庭もそのうち行き詰まり、まとまな生活や子どもの保育が出来ない困窮家庭が続出するだろう。


 そのような手詰まり感を打破できないか・・・という期待をこめて、国民は民主党政権を選んだ。官僚と癒着した従来の自民党政権では、思い切った国民本位の政治が出来そうにもない一方、民主党なら出来るかも知れない・・と期待したからだ。しかし、その期待は完全に裏切られた。特に菅政権になり、参院選挙で大負けして以降がひどい。各地の市長選の連敗に続き、来年春の統一地方選挙でも大負けしそうだと、完全にビビってしまっている。だからもう怪我をしないように、各省庁の官僚から上がってくる小粒の施策を寄せ集めて、政権を運営しているフリをしているだけになってしまった。先日発表の来年度予算案がその最たるものだ。全てが超小粒の施策の羅列。どれも何のインパクトもない。そして経済を元気にする減税は、財源がないから・・との財務省に負けて全て増税との見合い、結局、実質減税もゼロ。むしろ増税感の実感の方が強い。


 今は、日本という国が大きな病気になって死につつあるような危機的状況である。このような時には、アレクサンダー大王やナポレオン的な戦時対応型の強烈リーダーシップの宰相が不可欠だ。しかし、首相公選制も馴染まない日本では、ご存知のように政権与党が党の内部論理で選挙をして選ばれる首相だ。だから菅首相のような、戦時対応には一番向かない、サラリーマン的ダメ宰相を選んでしまった。憎憎しくても、リーダーシップでは小沢さんの方がまだ10倍くらいましであったはずだ。


★ ずばり、今の日本では以下のような大施策を早くやらないといけない。でないと、本当に国が死んでしまう。

●まずここ3年間くらいは、体温が冷え切っている経済に巨額のカンフル注射を打つ必要がある。手法は、基本的に消費を大幅に喚起する個人への減税を軸にする。つまり所得税の大規模減税、更には住宅・教育などの政策的な減税をどでかい規模でやることだろう。(あとは、無駄な道路などでなければ、保育園とか林業再生とか意味のある公共事業でもいい。)財務省は「財源」がない等と平時の議論をするが、ここ3年ほどは「死に至る病」の集中治療期間中だ。癌と闘う患者のためには家族は借金をしてでも闘うだろう。同じだ。財源としてはお札を大量に刷ることを本当にやる。正確に言うと日銀の借金になるだけの日銀券ではなく、政府発行紙幣を大量に刷るのだ。これこそ最後のどでかい財源である。それではインフレになるのでは?と思う人もいようが、巨大な需給ギャップを埋めるためにやるのだから、ギャップが埋まるまではインフレにはならない。ギャップが埋まればもうお札を刷って需要を創るのは止めればいい。また、部分的には若干のインフレもあろうが、死に至るデフレより全然いい。

●同時に、中長期的な経済・財政改革が必要。一つは、一次産業(農林水産)、三次産業(医療・介護とか保育、教育)の業態改革と規制緩和・撤廃による、新しい産業形態の創出。もう一つは、勿論、年金・医療・介護保険の負担と税金とを総合した、トータルでの財政改革(勿論、消費税は不可避。)


この二つをやるしかない。それをやれば、日本は蘇る。


 しかし、こういうことは、今の民主党政権には全く無理だ。かといって自民党に戻しても、ダメだろう。一方、みんなの党などの新政党は元気のいい発言は目立つが、所詮人数が少なく力は出せない一方、大人数になろうとすると結局「自民党化」・「民主党化」する。とすると、日本は座して死を待つだけ・・ということになる。しかし、死はじわじわしか来ないせいだろうか。年末の銀座とか渋谷とかをはしゃぎながら歩く人たちを見ると、その表情には、国家の危機感は余りみちみちてない感じがする。そう思うのは私だけだろうか?     Nat



 


 


 


 


 

White Christmasのコードの話

 もう直ぐクリスマス。私Natも、1223日の夜8時半から、横浜市青葉区の教会で恒例のクリスマスジャズライブ(無料)を行うので、今その準備で忙しい。でも、長らくジャズ・音楽系のブログ記事を書いてなかったので少し書いてみる。(12/24追記: 昨晩は百数十名の方が教会ライブに来てくださいました。有難うございます。以下に述べるWhite ChristmasのJazzコードの方の演奏もしました。次のURLでWhite Christmasの曲の録音が聞けます。(15番の曲です。最初のあたり、ナレーションが長くですみません。)

https://skydrive.live.com/?docsf=1&BICIRefSrc=OLW&BICIRefPub=SDX.Docs&sc=documents#cid=2060CAEE80C1DA71&id=2060CAEE80C1DA71%211006&sc=documents


 クリスマスの曲で皆が一番好きなのは、やはりWhite Christmasだろう。甘い歌手の声でI am dreaming of a White Christmas と歌われると、ほんわかクリスマス気分になる。そこで、あの曲を自分で歌いながらギターなどの伴奏したい人のために、ちょっと和音(コード)のお話。


 やさしいようにキーはC(ハ長調)で話しする。Cの主要3和音は、みなさん良くご存じのとおり、C(ドミソ)、F(ドファラ)、G7(シレソ)。ほぼこの3和音だけで和音をつけるという最も基本的な伴奏でも、結構雰囲気は出る。(二行目から歌詞は省略)


 I’m      Dreaming  of    White    Christmas

||:   C    | F C  /  C     F    |    G7    |

 |  F     |   F  /  G7   |    C     |    C     |

|   C     |    C7      |    F    |    Fm     |

  __ 1_

 |   C    |  F /  C   |    G7  |  G7  :||(頭に戻る)

__ 2_

 |   C    |   G7    |      C     |      C     ||


 この曲は所々でメロディーに半音が出てくるので、上記の素朴なコードでは若干不満もあるかも知れないけれど、これでもいけるはずだ。


 次に比較のために、今度私がライブで伴奏として弾くコードを紹介する。ちょっと難しいコード記号もあるかもしれないが、これでも若干単純化して書いてあるつもり:


||:  C    |  A7  |    Dm7   | Ab7G7/  F#7 |

 |   F    | F#m7-5 / B7 | Em7 / Eb7| Abmaj7/ G7 |

 |   C    |   C7   |    F   |   Fm    |

  __ 1_

 |   E7  |  A7 /  D7|  Dm7 |  G7  :|| (頭に戻る)

__ 2_

  Em7 / A7 | Dm7 / G7 |  C  |   C ||



 一番ジャズ的な特徴のあるのは、2小節目のA7と、6小節目の F#m7-5 /  B7だろう。ジャズではこのような主要3和音の合間に入れる経過和音を好む。特に7thDiminishコード。それを入れることで、次に移りたいというエネルギーが生まれるからだ。また、7小節目で歌が伸ばしている間にバックの和音がEb7Abmaj7と動くのは、別にそうする必要もないが、そうすることで一瞬別のキーに移って戻ってくるようなダイナミズムが生まれる。


 音楽をやらない人には全く意味ない記事だったかも知れません。ごめんなさい。エニウェイ、メリークリスマス! Nat






 


 


 


 


 


 


 


 



 


 


 


 

人工生命は「命もただの物質」の証明?

 今年の5月のScience誌に、生命を人工的に合成したとの記事が出た。アメリカのVenter博士が、ある細菌の染色体を、彼が化学的に合成した人工の染色体に置き換えてみたところ、その置き換えられた細菌がちゃんと増殖したというニュースだ。テレビでも増殖した細菌のコロニーの青い色の画像が報道されていた。彼は「これで生命というものも、単なる化学的に合成できるものに過ぎないことが立証されたとするとどうだろう?」とコメントしていた。

 

 これで命のある生きものも、石ころなどの無機物の物質と変わりない、ただの肉の塊りであることが立証されたのであろうか? 私はこのブログで何度も書いている通り、「生命体にはそれを支える“乗り物”としての物質が必要だが、物質だけでは生命にはならない」という仮説を持っている。このブログで過去に何度も書いてきたとおり、少なくとも我々ヒトという生き物については、死ぬ瞬間の臨死体験、エクトプラズム(たましい)の離脱現象や、輪廻転生で赤ちゃんにたましいが入り込む瞬間の体験など(例えば本年105日の当記事ご参照)がある。また、植物も含めた全ての生命の放つオーラ(キルリアン現象も含めて)。このような「たましい」「オーラ」といったものへの科学的な研究がもっと進むと、生き物及び命は、今はまだ解明されていない「いのち」というものが「肉の塊り」という乗り物に乗って成立っていることが分ってくる可能性があるのではという仮説だ。

 

この仮説では、「いのち」は、栄養を取り込み自己増殖する物質を乗り物として必要とする。つまり、乗り物となる生命物質がこの世に発生すると、そのつど、どこからか(別次元の世界?)からか「いのち」がその生命物質に吹き込まれ宿るという仮説だ。太古の昔の海の中で何らかの過程で自然にそういう生命物質(乗り物)が発生したので、そこに「いのち」が宿った。その後、その生命物質(乗り物)は進化を遂げ、人間も出来たが、人間を含めて、生命物質(乗り物)に「いのち」が外から宿るという構造は変わりない。

 

 今回の実験は人工DNAを天然DNAに置き換えてみただけの実験であるが、本当に一から全て生命物質が人工的に合成されたとしても、それは何ら驚きではない。太古の昔の海の中で起こった出来事が、永遠に再現できないというほうがおかしい。まさか、神さまが太古の海の中に降りてきて、指でこねて最初の単細胞生物を創造したわけではあるまい。最初の単細胞生物も、この世の物理的・化学的な物質の法則の中で発生したはずだ。神はそういう法則も含めて天地を創造したのだから、神が生命を創ろうとする場合、自分の創造した法則の中で生命物質を発生させたと考えるのが自然だ。だから今人間が、同じくそういう法則の中で、なんとか人工的に生命物質を合成できないかと努力するのは当然である。今回Venter博士がそれを部分的に成し遂げたのは大変素晴らしいことである。

 

 ではVenter博士が合成した細菌は「いのち」なのか? 私の仮説からすると、合成された細菌が「いのち」の宿れる乗り物としての生命物質(外から栄養を取り込み自己増殖できる物質)として合格なら、それが出来た瞬間に、そこにも「いのち」が宿り、ちゃんとした生命として動き出す可能性があると思う。しかし、Venter博士は、乗り物の物質を合成しただけであり、「いのち」を合成したわけではない。「いのち」は物質のDNAの解明に比して、ほとんど何も解明されていない。どこから来て、どこに帰るのか、人類は未だ知らない。ましてはその合成など全く及びもつかない。

 

 最後に、なぜ「いのち」の科学的解明が進まないのか?というと、理由は二つ。一つ目は研究が難しいことだろう。DNAなどの物質をいじくる研究ならいじくっている間に何らかの発見もあり得る。しかし「たましい」とか「オーラ」とかは扱いが難しい。更に、二つめは、「たましい」「オーラ」から「いのち」に繋げる仮説が、結局、研究の結果全く誤りであった場合、研究に捧げた研究者の人生は無駄になり、人の笑いものになるだけだから、研究者がそういうリスクをとらないということだ。というか、もう少し簡単に言うと、そんなテーマは危ういかマユツバなので関わりたくないという態度だ。前にも書いたが、もし私に巨万の富が転がり込んできたら、ただちに今の仕事を辞めて、Nat研究財団を結成、私の仮説につき巨額の予算で研究開始するであろう。しかし、どうも今の状況ではこれは全く実現しそうもない。誰か、お金とガッツのある人、研究して頂戴!!  Nat

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