先日、野田財務大臣が、かねてからの彼の持論を展開し「A級戦犯はもう犯罪人ではない」と述べて物議をかもしている。これは日本の国内的心情としては結構多くの人が内心そういう気持ちをもっていることである。しかし、日本の国際政治上は、それを言うと、賠償金責任からも免除された日本の戦争責任の収拾問題が全て振り出しに戻ってしまうのである。だから、国策としてはそんなことを言わないのが正しい。
戦後の東京裁判における戦犯裁判には、日本国内では不満が多い。ひとことでいうと戦勝国が敗戦国を一方的に裁いたものだからだ。A級の戦争犯罪(というかむしろ「A型」と訳すべきだが)という「平和への罪」(侵略)なる新しい戦争犯罪の型を作って事後的に遡って適用したとか、侵略なら他列強もしていたとか、米国の原爆(市民無差別殺戮)も重大なる戦争犯罪でないのか?等などのわだかまりが心に残る。そして、A級戦犯の人たちが(逃亡したナチス将校と異なり)武士のように従容として死刑を受けた、あの日本人らしい潔さが、国民の中に「あの人たちだけが悪いわけでもない」という心情も生んできている。更に、日本文化では死んで祀られるともう清められ、むしろ「護り神」になるという考えまである。その上、1952年のサンフランシスコ平和条約の締結後、服役中の戦犯の赦免や釈放もなされ、政府として正式にいわゆる「名誉回復」宣言はしていないものの、雰囲気として処刑された人も本当は赦免してあげたかったという気運になった。
しかしだ、国対国の国際政治においては、上記のような心情的贖罪論は論外である。そのことについては、当ブログで2005年10月以降数次にわたり詳述したのでご参考願いたいが、敗戦国は本来、巨額の賠償金を払う必要がある。しかし、第一世界大戦後のドイツへの賠償金責任が却って第二次世界大戦を生んだとの反省もあり、第二次世界大戦の戦後処理においては、極力敗戦国に国家としての賠償責任は負わせない方式としたのである。だから、日本は中国や韓国に経済援助の形の償いはしたが、これらの国に対しても米英に対してもご賠償金支払いはなしで済んだ。その代わりに、政府と軍部の首脳個人に戦争責任を負わせ、彼らの命で償わせたのである。即ち、日本の国民にも大きな負担となる賠償責任を免除して日本が復興に向えるようにする、その代償としてA級戦犯の人たち個人に命を差し出させたのである。(注:サンフランシスコ平和条約締結国ではないフィリピン、ベトナム、ビルマ、インドネシアの4国には賠償している。)
従って、中国や韓国からすると、A級戦犯の処刑という事実と彼らが永遠に罪を担うことこそが、日本に戦争責任を果たさせるための絶対必要条件なのである。それを今さら、野田氏のように「もう犯罪人ではない」などと言おうものなら、その絶対必要条件が崩れ去り、戦後処理に遡って賠償金を払えと等いう話に舞い戻るのである。野田氏がそれを分った上で、国内受けのために言っているなら、一部の自民党系の人や右翼系の人と同様の人物ということになる。分らないで言っているなら無能ということになる。困った人だ。まさか首相なんかにはならないでほしい。
Nat