♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)

生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等

2011年10月

ギリシャ・欧州金融危機・・日本にどう影響?

 今、毎日、新聞やテレビはギリシャ危機に対して欧州各国が採ろうとしている対応策を実況中継的に報道する。そのわりには、それが単に対岸の火事なのか、日本にも大きな影響があり得るゆゆしいことなのか、報道の論調では余り述べられない気がするので不思議だ。
 

 2008年のサブプライム危機の際、当時の自民党政権の経済政策担当の与謝野氏が「蚊に刺された程度の影響」と言い、結局、株式の下落においても、経済の落ち込みにおいても、世界で最も日本が打撃を受けたことは記憶に新しい。ということもあり、今回はみな、影響があると言ってしまって影響が余りなくても、逆に与謝野氏のように影響ないと言ってしまって大影響があっても、どちらでも恥をかくから、ひたすらに黙っているのであろうか? こういう時に経済の専門家や報道機関が押し黙っているのは、非常に無責任な気がする。



 この間、日銀の白川総裁がちょっとコメントしていたみたいだが、サブプライム・リーマンの時と、今回の欧州危機では相違点もある。サブプライムの時は、サブプライム金融商品というバブル商品が証券化されていた為、世界中の誰がリスクを負担しているか不透明で、大規模に疑心暗鬼の構造が発生、民間金融機関(銀行)が信用供与を完全にストップしてしまうという前代未門の状況に世界中が陥った。それでそういう場合に一番過剰に萎縮しがちな日本人の経済が沈没した。しかし、今回はギリシャにしても、それに続く予備軍のポルトガルやイタリヤの国家財政破綻問題は、少なくとも「敵」の正体が見えており、世界中が疑心暗鬼だったサブプライムの時とは違う。しかしながら、与信連鎖の破綻という構図では、同様の世界的なショックをもたらし得るとも思われる。更に、前回のサブプライム商品のリスク顕在化に比べて、今回は各国の国債という遥かに投資資産として広がりのある普遍的資産が崩れる話であって、場合によっては、影響は今回のほうが大きいかも知れない。ただ、前回の危機で世界各国が学習した分、今回のほうが対応力があるかも知れない。



 以上のとおり、いっかいのビジネスマンに過ぎないこの私としては、はっきり言って日本への影響が分らない。消去法で円が買われるのがしょうがないのかも分らない。日本政府には重大リスクの警戒信号発信能力がないことは、既に国民が皆知っていることだ。せめて、このような不透明な時こそ、責任あるエコノミストには勇気をもってリスクにつき論じて欲しい。(私がそういうのを読んでないだけなら、すみませんが・・・。)        Nat





 


 


完全に機能不全になった日本の政治

 日本の政治は機能不全状態に近い。しかし、それは日本だけでもなく、欧米の多くの先進国でも大なり小なりその傾向にある。 

 根本的に民主主義政治が行き詰まっている。その背景は思うに二つ。一つはインターネットとモバイルが普及し、情報・意見が瞬時に国民に行き渡るようになったこと。昔は情報が伝わりにくかった分、却って情報・意見が整理・淘汰されたり収束されたりする間(ま)があり、世論形成プロセスは今よりも遥かにじっくりしたものであったと思う。ところが、ネット・モバイル時代で、情報・意見は殆どナマのまま国民に瞬時に伝わり、またそれへの誰かの反応も瞬時に広がる。その為、ある状況に対する世論の形成は瞬時の脊髄反射的なものとなった。しかも、一旦ある方向の意見や反応が現れるとあっと言う間にそれが広がり、じっくりした時間の中で多様な意見が形成されるということが少なくなった。
 

 もう一つの関係する時流は、上記の情報の瞬間伝播とあいまって、市場、特に金融市場・商品市場が瞬時に、しかもグローバルに極端に振れるようになったことだ。一国の政府の金融政策などに対して、瞬時に世界の市場が反応し審判を下す。下された審判には、抗弁の余地がない。市場が大きく変な方向に振れたら、もうそれで終わりだ。やり直せない。 

  つまり、今日、政府、政治家の発信することに対し、世論も市場も瞬時に反応し、しかもいわば“共振”効果で、ひとつの方向に大きく振れる。政府・政治家は、毎日極端に振れる世論・市場の審判の恐怖に曝されるというわけだ。そんな中で、常に選挙で選ばれなければならない民主主義国家の政治家には、もはやまともな政治が出来るわけがない。すべての瞬間、すべてのテーマにつき、世論・市場の審判を意識したポピュラリスト政治をするしかない。真に天下・国家を論じる余地などは皆無であろう。 

 しかし、日本以外の先進国では、まだまっしな政治状況がある。政党に独自の価値軸があるからだ。米国の共和党と民主党の政策は昔よりも似通ってきたが、それでも、それぞれ明確にゆずれない価値軸を持っている。しかし、日本はどうか。そもそもアングロサクソンとは違い、原理や根源的価値観などというものを余り持たない状況対応型の稲作農耕民族だ。イデオロギーは元より希薄である。それが、どちらが与党・野党になるか分らない状況の中で、民主党も自民党もイデオロギーや根源的価値観の軸はなしで、状況対応型の施策だけを主張するから、もう運動会の白組と赤組程度の違いしかなくなった。支持者も、たまたま自分の子どもが白組だから白組を応援するというのと大差ない。それで白組でも赤組でもないという、支持政党なしが非常に多くなった。
 

 日本は、政治家を国民が選挙で選ぶ民主主義で、かつ、政党政治をやっている。それが、民主主義政治は瞬間ごとのポピュラリスト政治に堕し、政党政治は運動会の白組・赤組になってしまった。もう絶対に政治は機能しない。
 

 では、民主主義・政党政治以外の代替案はあるのか? 英明かつ高潔なるスーパーマンの独裁者が国をリードする形? 当ればいいが、はずれると北朝鮮やリビアになる。選挙権を一定以上の見識のある国民に限定する? 限定の基準・プロセスが難しいし、一旦大衆民主主義になった国で、それに戻すのは無理だろう。 人類は、まだ民主主義を越える政治・統治体系を見出していない。となると、日本はどうなる? 見通しは暗い。しかし、欧米に逃げても、いまやどの国にも深刻な重病がある。ということで、我々の多くはこの日本で生きていくしかない。あなたは何という?  Nat







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