日本キリスト教団の神奈川県の諸教会の総会で「脱原発」の決議がされたと聞いた。理由は、命を大切にする観点から、原発は(1)事故が起きると取り返しがつかない、(2)放射性廃棄物の最終投棄問題が未解決、(3)原発従業員の被爆の犠牲問題がある、(4)原発から核兵器の材料が出るという問題があるからだとのことだ。私はその総会に出席してないのだが、もし出席していたら少し発言したかったところだ。「脱原発」か「原発容認」か?という二者択一のメンタリティーに基づいた場合、命を大切にしたい諸教会の牧師さんや役員さんが、上記のように「原発=悪」と看做し、「脱原発」を選びたいと思われた心情は良く理解できる。上記の「4つの原発の悪」も概ね間違いではない。
しかし、実はこのような「脱原発」の声が高まると、今回の福島原発事故の原因が却ってウヤムヤにされ、事故の教訓も世界に活かされず、結果的に世界の原発の安全性が全く改善されないままとなる可能性が高いのだ。かと言って、安易な「原発容認」はもっと危険だ。だからこそ、私は第三の路線として「原発改革」を指向したい。
日本の原発部落は安全神話をはびこらせ、そして、いざ「最後の砦」である緊急炉心冷却システム(ECCS)が作動しない場合の対応は、一切想定も用意もしていなかった。そのため、人類初のメルトスルー事故(溶けた燃料が圧力容器の底を貫通してしまう最悪の大事故)まで起こし、日本と地球を放射能でひどく汚染させた。このような人類初の恐ろしい事故を起こしてしまった日本が、世界の人類に対して行うべきことは、原発から目を背け原発を捨て去ることではない。むしろ、事故原因の徹底究明を行い、そして従来の「エセ安全原発」でない「本当に安全な原発とその運営システム」を改めて開発し直して、世界にそれを提供することだろう。
日本で「脱原発」を進めても、世界の原発利用は止まらない。むしろ米国は最近原発新設を再開した。日本のお隣の中国もこれから多数の原発を導入する。昔、原発は米国のWH社とGE社主導であったが、今や、日本の三菱重工・日立・東芝(今や東芝は米WHを傘下に持つ)は、仏アレバと並び、世界の原子力技術の中心をなしている。このような日本勢は、今後世界各地で建てられる原発を、福島事故の教訓を踏まえた真に安全なものに改革していく責任を負っていると思う。ところが、日本で「脱原発」をしてしまうと何が起こるか? どうせ、もう日本では原発を建てないし、既存の原発も最早使わないとなると、それなら福島事故の真の原因を糾明してもしょうがないということになり、原因追求が余計にウヤムヤにされる。また、それに基づく教訓整理と新しい安全技術の開発も進まずに終る。現在の日本の技術では、今回判明したとおり、ハード的にも大きな地震・津波には不十分、更に、ECCSが不稼動の場合などの不測の事態への人的対応のマニュアルもソフトもない、いわば「欠陥商品」であった。それは、教会の人たちが思った通りではある。しかし、日本で「脱原発」をすると、欠陥商品のままの日本の原子力が、中国やアジアなどに輸出され、そこで再び同様の事故を起こすリスクが残るのみである。そして、中国で起こる事故からの放射能は、偏西風に乗り、再び日本を汚染することになる。
かと言って、安易に原発の再稼動をしていくのは、もっと悪い。だから「第三の道」と言っている。第三の道はこうだ:まず、(1)福島の真の原因を徹底糾明する、(2)現在進めている原発ハードのストレステストに加えて、事故対応のソフト(マニュアル・訓練)も含めた総合リスク耐久度を徹底審査して、それをパスするもののみ再稼動させる。(3)パス出来ないものの脆弱性を認識し、かつ又福島の教訓を含めて、現在の原発の弱点を本質的に克服する新原子力技術を中期的に開発する、そのための国家プロジェクトを立ち上げ民間をその方向に仕向ける。(純粋商業ベースだけではダメだ。)(4)開発出来た技術を順次、アジア各国などの原発に適用し、アジアの国民の命を守る。これが、私のいう「第三の道」だ。ところが、こういうことは、完全に「脱原発」してしまっては絶対出来ないのだ。結果的には、日本の責任を果たさずに逃げてしまうのと同じになってしまう。これが私の主張だ。
最後に、神奈川県の教会の人たちが考えた、原発の「4つの悪」についてだが、一つひとつについて色々留保意見を言いたいことはあるが、概ねそういうことである。しかし、今の原子力がそういう「悪」の面もあるから、全て捨て去ろうというのが、人類にとって本当にいいのかという問題を、よくよく考える必要がある。石油・ガスは早晩なくなる。石炭はもう少し長く持つが有限だ。ソーラーも大規模で展開すると環境破壊になる。人類は、将来、必ず原子力に大きく依存せざるを得ない段階に入る。その原子力が、現在のウランベースか、トリウムか、あるいは核融合か等は分からないが、必ずそこに行くしかない。 神さまは、人類に、物質の核エネルギーを恵みとしてくださったのだ。それを人殺しの核兵器に利用するのも、「エセ安全原発」で誤魔化すのも、神のみ心に沿わない。しかし、福島の事故に驚き、日本として、人類として、為すべき「安全な原子力の研究開発」を捨て去るのは、むしろ神のみ心に沿わないのではないか。福島事故を起こした日本こそが真に安全な原子力に取り組む責務を負っている。私はそう思う。 Nat