♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)

生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等

2012年02月

「脱原発」vs「原発容認」よりも、第三の道を!

 日本キリスト教団の神奈川県の諸教会の総会で「脱原発」の決議がされたと聞いた。理由は、命を大切にする観点から、原発は(1)事故が起きると取り返しがつかない、(2)放射性廃棄物の最終投棄問題が未解決、(3)原発従業員の被爆の犠牲問題がある、(4)原発から核兵器の材料が出るという問題があるからだとのことだ。私はその総会に出席してないのだが、もし出席していたら少し発言したかったところだ。「脱原発」か「原発容認」か?という二者択一のメンタリティーに基づいた場合、命を大切にしたい諸教会の牧師さんや役員さんが、上記のように「原発=悪」と看做し、「脱原発」を選びたいと思われた心情は良く理解できる。上記の「4つの原発の悪」も概ね間違いではない。 

 しかし、実はこのような「脱原発」の声が高まると、今回の福島原発事故の原因が却ってウヤムヤにされ、事故の教訓も世界に活かされず、結果的に世界の原発の安全性が全く改善されないままとなる可能性が高いのだ。かと言って、安易な「原発容認」はもっと危険だ。だからこそ、私は第三の路線として「原発改革」を指向したい。 

 日本の原発部落は安全神話をはびこらせ、そして、いざ「最後の砦」である緊急炉心冷却システム(ECCS)が作動しない場合の対応は、一切想定も用意もしていなかった。そのため、人類初のメルトスルー事故(溶けた燃料が圧力容器の底を貫通してしまう最悪の大事故)まで起こし、日本と地球を放射能でひどく汚染させた。このような人類初の恐ろしい事故を起こしてしまった日本が、世界の人類に対して行うべきことは、原発から目を背け原発を捨て去ることではない。むしろ、事故原因の徹底究明を行い、そして従来の「エセ安全原発」でない「本当に安全な原発とその運営システム」を改めて開発し直して、世界にそれを提供することだろう。 

 日本で「脱原発」を進めても、世界の原発利用は止まらない。むしろ米国は最近原発新設を再開した。日本のお隣の中国もこれから多数の原発を導入する。昔、原発は米国のWH社とGE社主導であったが、今や、日本の三菱重工・日立・東芝(今や東芝は米WHを傘下に持つ)は、仏アレバと並び、世界の原子力技術の中心をなしている。このような日本勢は、今後世界各地で建てられる原発を、福島事故の教訓を踏まえた真に安全なものに改革していく責任を負っていると思う。ところが、日本で「脱原発」をしてしまうと何が起こるか? どうせ、もう日本では原発を建てないし、既存の原発も最早使わないとなると、それなら福島事故の真の原因を糾明してもしょうがないということになり、原因追求が余計にウヤムヤにされる。また、それに基づく教訓整理と新しい安全技術の開発も進まずに終る。現在の日本の技術では、今回判明したとおり、ハード的にも大きな地震・津波には不十分、更に、ECCSが不稼動の場合などの不測の事態への人的対応のマニュアルもソフトもない、いわば「欠陥商品」であった。それは、教会の人たちが思った通りではある。しかし、日本で「脱原発」をすると、欠陥商品のままの日本の原子力が、中国やアジアなどに輸出され、そこで再び同様の事故を起こすリスクが残るのみである。そして、中国で起こる事故からの放射能は、偏西風に乗り、再び日本を汚染することになる。 

 かと言って、安易に原発の再稼動をしていくのは、もっと悪い。だから「第三の道」と言っている。第三の道はこうだ:まず、(1)福島の真の原因を徹底糾明する、(2)現在進めている原発ハードのストレステストに加えて、事故対応のソフト(マニュアル・訓練)も含めた総合リスク耐久度を徹底審査して、それをパスするもののみ再稼動させる。(3)パス出来ないものの脆弱性を認識し、かつ又福島の教訓を含めて、現在の原発の弱点を本質的に克服する新原子力技術を中期的に開発する、そのための国家プロジェクトを立ち上げ民間をその方向に仕向ける。(純粋商業ベースだけではダメだ。)(4)開発出来た技術を順次、アジア各国などの原発に適用し、アジアの国民の命を守る。これが、私のいう「第三の道」だ。ところが、こういうことは、完全に「脱原発」してしまっては絶対出来ないのだ。結果的には、日本の責任を果たさずに逃げてしまうのと同じになってしまう。これが私の主張だ。 

 最後に、神奈川県の教会の人たちが考えた、原発の「4つの悪」についてだが、一つひとつについて色々留保意見を言いたいことはあるが、概ねそういうことである。しかし、今の原子力がそういう「悪」の面もあるから、全て捨て去ろうというのが、人類にとって本当にいいのかという問題を、よくよく考える必要がある。石油・ガスは早晩なくなる。石炭はもう少し長く持つが有限だ。ソーラーも大規模で展開すると環境破壊になる。人類は、将来、必ず原子力に大きく依存せざるを得ない段階に入る。その原子力が、現在のウランベースか、トリウムか、あるいは核融合か等は分からないが、必ずそこに行くしかない。 神さまは、人類に、物質の核エネルギーを恵みとしてくださったのだ。それを人殺しの核兵器に利用するのも、「エセ安全原発」で誤魔化すのも、神のみ心に沿わない。しかし、福島の事故に驚き、日本として、人類として、為すべき「安全な原子力の研究開発」を捨て去るのは、むしろ神のみ心に沿わないのではないか。福島事故を起こした日本こそが真に安全な原子力に取り組む責務を負っている。私はそう思う。     Nat

東日本大震災の記録映画のこと

 

 東日本大震災の直後、アメリカ人の映画Directorが石巻市に入り、人間模様を記録映画にしたものがある。今度、日本でも上映される「Pray for Japan(「日本のために祈ろう」)だ。 

 36日(火)夜7時に、新宿のシネマート新宿で上映される。そして上映の収益は全て震災からの
復興に寄付される。 
 映画そのものが、ボランティアー活動的に製作されたものだ。たまたま私のアメリカにいる息子が
活動に参加しているので知ったものだ
 皆さんも、関心あれば、上映を見てくださり、応援してくださればありがたい。
(切符は、「チケットぴあ」等で。) 

http://www.prayforjapan-film.org

 Nat
 


人口減少時代の日本って・・

 人口の大幅減少こそが、我が国の将来ビジョンを描く上での最大の考慮点であると、16日の当ブログに書いた。それで、今週、国内出張で新幹線に乗るのの暇つぶしに、人口減少問題が特集という「週刊現代」を買って読んでみた。大衆娯楽誌的な同誌だから、しょうがないのだろうが、日本中がゴーストタウンにでもなるような書きかたであったので、憤慨しながら読んだ。

 16日に書いた通り、2050年ごろには、日本の人口は全体で今の7割くらいの8000万人台に減る見通しであるのはその通りだろう。しかし、週刊現代のトーンだと、全てのものが7割に衰退してしまって何ももう成り立たない、国そのものが成り立たないかのような話しになる。それは違うだろう。もともと1950年ごろの日本は、それくらいの人口であった。また、例えばお隣の韓国は5000万人弱だけど、人口が少ないから国が成り立たないというようなことは全くない。よって、日本が8000万人台になること自体、何も悪いことではない。国土の狭さを考えると、それでも決して少な過ぎることはない。
 

 では、何が問題か? まず、1950年ごろに比べて、社会のインフラの固定費割合が大きい社会構造になっていること。公共交通手段にしても、物品の流通の仕組みにしても、何から何まで、資本の掛かった大型のものになってしまっている。大昔のように、インフラ・サービスが変動費的な構造(たとえば公共交通手段が籠なり人力車)であれば、人口が7割に減ると、サービスの規模が7割に縮小され、自動調節されるだけだ。しかし、巨大資本を投入した固定費構造のインフラを作ってしまったので、人口が7割になると、固定費がまかなわれないという大問題が生じる。しかし、これは、日本中全体で生じるわけではない。地方だけである。16日に書いたとおり、地方では、鉄道・バス、あるいはスーパーといった全てのインフラが固定費割れを起こし、廃止になる。よって、住民が江戸時代のような生活に戻らない限り、その地方は廃墟となる。これは必須だ。しかし、都会は別だ。このようにして地方から脱出する人口が都会、特に首都圏などの大都市に流入。大都市の人口はむしろ増えるくらいになる。週刊現代はこの点を全く認識していない。大都会ではインフラサービスの固定費も十分まかなわれ、経済が持続する。但し、都市の人口構成が急速に老齢化するので、サービス内容の高齢化シフトが必要になる。
 

 もう一つの問題は、これも前に書いたが、サービス・商品提供のプレーヤーの数がどうにもこうにも過多となることだ。もともと日本はどの業種でもプレーヤーの数が多い。歴史的に、競合他社をMAして統合する文化がなかったからだ。それが、市場が7割になるので、おのずと淘汰されて少数プレーヤーしか残らない。しかし残ったプレーヤーは7割になった市場に適合し、生産性を上げ、むしろ残存者利得を享受することとなる。ここで踏まえておかねばならないのは、淘汰される企業から、残る企業への人員のシフト(M&Aを通じてそうなるのと転職)が起こるのと、シフトし切れないリストラ人員の低所得層への転落である。

 即ち、人口7割化に向って、日本はどうなるかというと、大都市部へのより集中と地方の完全荒廃、また勤労世帯が、残る強い企業で働く比較的裕福な層と、非定常雇用しかされない低所得層の二分化されていくこと、この二つが最も大きなインパクトではないだろうか。

 そのような展望の中で、政府にはそれに合う国家施策を練ってほしい。上記のようになることが必須の日本で、増税を、貧者からも税金を取る悪平等的な消費税中心でやるのが本当にいいのか? そういう議論がなされない点に、大きな危惧を感じているのは、私だけであろうか? Nat  

 



 


 


 


 

やっぱり沖縄に海兵隊基地は要らない!? 

 121日と23日に、当ブログで「沖縄の辺野古新基地って、本当に必要なの?」(「その1」と「その2」)を書いた。その時点では判明していなかったが、米海軍のトップのグリナート作戦部長の発言が、沖縄タイムスに掲載され、ネット記事に転記載されていたのに、おおいに着目したい。普天間から出て行き、豪州に行くほうの部隊に、なんと緊急即応部隊である31MEUが入るらしいのだ!!! 31MEUは、海兵隊の中でも最も戦術上大事な部隊で、有事の際に、6時間以内に戦闘態勢に入り、敵国に上陸なり急襲をかけることが任務のものだ。3隻の揚陸艦、1200人の地上部隊(それが揚陸艦かヘリで敵陣にまで輸送される)、そして20機超の輸送用・攻撃用のヘリ等で構成されている。


 その31MEUが沖縄(普天間)から出て行くらしいというのが、なぜ衝撃的な新情報かというと、これで、日米政府が建前上で言い続けてきた「抑止力維持の為に、普天間基地は沖縄内で移設が必須」もウソであり、更に、「今般の普天間移設とは切り離して沖縄海兵隊をグアムや豪州に先行移動させる新しい計画にも拘わらず、辺野古新基地建設は必要」というのもウソであることが明らかになったと思われるからだ。これまで、日米政府の建前説明では「有事の緊急即応力を沖縄に維持することこそが抑止力になる」、即ち「31MEUが沖縄には必要」、そして「普天間の飛行場を沖縄内の辺野古に移設する必要があるのは、沖縄に必須である31MEUのヘリのため」ということになっていた。それが、何のことはない。作戦部長がポロっと漏らした話では、31MEUが沖縄から出て行くらしいのである。これまでの政府説明が全て崩れる。だから、沖縄タイムスは報道したが、政府に逆らわない本土の主要な新聞はこれを採り上げなかったのだ。


 前述の当ブログでも書いている通り、そもそも沖縄海兵隊のグアムなどへの移設は、そもそも米軍の世界再編の一環で、米国自身の考えでそうするものだ。簡単に言うと、冷戦の頃とは違い、北アジアと欧州に米軍を集中するのではなく「不安定な円弧」と言われるアジアから中東までの広域に対応できる体制に変更させる必要があること。それを、軍事費用を節約する形で実現する為に、グアム等の太平洋地域に部隊を集中させ、そこから広域対応する体制に合理化すること。無人攻撃機などハイテックの新しい武器も登場、従来のような人海戦術の海兵隊の役割も変わってきていること。中国に余り近すぎるところに駐留しているとミサイルで壊滅されるリスクがあること。以上のような戦略的考察から、自分の考えでグアムに移設するものである。ところが、その移設費用を日本に出させるため、極力、恩着せがましく「沖縄地元の声を反映、半分くらいはグアムに出て行ってあげましょう」と言ってきている。更に、沖縄内に新しく海兵隊辺野古基地が必要という話しにし、しかも、それは米軍の為の基地なのにその建設費用2兆円全額を日本が出させる計画になっていたのは、どう考えても、基地利権も絡めた日本の防衛官僚・防衛族と、そしてそれに結託し日本から様々な費用を吸い上げたい米政府との間の謀略としか思えない。


 但し、私は、それとは別に、最早、辺野古基地は本当に実現不可能になったと思う。沖縄地元の声を圧殺して工事の強行は無理だからだ。米国内でも、もともと無理と考えて、グアム・豪州・ハワイなどへの分散移設を主張する声が根強くあった。今回の、普天間問題とは切り離したグアム・豪州への先行移動は、単に、本来の姿に向かっているだけであろう。それがどこまで進むと、日米政府は辺野古基地を諦めたと発表するのであろうか。多分、必須と言い続けてきた辺野古基地だから、諦めたというには様々な政治的な言い訳の材料が必要なのであろう。恐らく「絶対必要だった辺野古基地なんだけれど、どうしても沖縄の人の賛同を得られなかったので、已むなく諦めた。」と言う時が来るのであろう。いずれにせよ、菅・野田のエセ民主党政権がどう誤魔化そうが、本来の民主党(鳩山・小沢)が言っていた「沖縄に海兵隊は要らない」の方向に進んできているのは、結構なことだ。


● 誤解を避けるために、書いておくが、小沢さんも言っているとおり、横須賀や佐世保等の米海軍基地(と横田や
嘉手納等の空軍基地)の必要性と、日本がそれを支えて初めて米国に防衛してもらえる構造には些かも変わりはない。しかし、沖縄に海兵隊はもはや要らないということだ。そもそも、海兵隊は、人間の兵隊を多数、敵地にヘリや船で送りこんで、人海戦術で殴り込みをかける部隊だ。本質的に、動き回る「旅芸人」部隊であって、兵隊さんのホームベースは、乱暴に言うと沖縄でもグアムでも豪州でもいい。所詮、動き回る部隊だから。一方、海軍や空軍は、空母・軍艦、あるいは戦闘機というハードの基地、メインテナンス機能を含めて基地に腰を据える型の軍隊だ。仮想敵国の中国にも近い日本、基地を置く環境としては先進国である日本は最適の立地だ。そして、兵隊が殴りこみをかける海兵隊と違い、中国等からのミサイルへの迎撃ミサイルも、グアムからではダメだ。もっと近い日本にないとダメなのだ。(注:既に日本での米軍・自衛隊協働迎撃態勢が出来ている。)ここが、切り込み部隊の兵隊をどこにでも派遣する海兵隊と、迎撃ミサイルも含めて設備を設置し日本に腰を据える海軍・空軍基地との大違いだ。極東における戦争抑止力のためには、日本の米空軍・海軍(一応陸軍も居るが)の基地は必須。一方、動き回る海兵隊は、グアム・豪州でいいということが、いよいよ明らかになったということだ。 Nat 


 


 

作曲をもう少しカッコよくする方法

 シンガー・ソング・ライターといっても、作曲については、相当素人同様のレベルの人が多い。でも、その素人っぽさがかえっていいという人もいるので、良し悪しは別だが。 

素人か、素人並みの人の作った曲を聞いて、まず気が付く特徴的なことは、使っている音域が狭いこと。たとえば、|ミミミミファミファ|ソ~~~~~ドレ |ミミミミファミレド|レ~~~~~~~|といった感じで、「ド」から「ソ」までの5度の範囲内でのみ音が動くのが圧倒的に多い。それは、作曲する時、ギターかなんか弾きながら、鼻歌で歌って作るから、楽に歌える、音のジャンプのないものになるからだ。
 

 でも、上に例としてあげた曲でも、そこそこの歌詞をつけて、そこそこのコード進行をつけると、結構サマにはなってくる。例えば、歌詞は:|あなたと歩い|た~~~~~あの|思い出の浜辺|で~~~~~~~~|。コード進行は、キーをCとすると、例えば|C / Dm7|Em7 / Dm7 | C / A7| D7 / G7 |。 つまり「思い出の」の「の」のところを「A7」にすることで、そこがぐっとロマンチックな雰囲気になったはずだ。素人作曲でも、このように、A76度セブンス)等のコードを上手く使うと、ちょっとカッコよくなる。
 

 更に、カッコよくしようとすると、鼻歌の音域からちょっと冒険して、音のジャンプを入れてみることだ。上の曲で「あの思い出の」の「の」の部分、A7になる部分、上の例では「ファ」だったが、それを「ラ」にしてみよう。つまり、3小節目から、|ミミミミミレド|レ~~~~~~~|に変える。「思い出の」の「の」の部分で、音が「ミ」から「ラ」にジャンプすることで、一気に素人作曲から玄人作曲っぽくなる。更に、|ミミミミラシドラ~~~~~~~|とすると、上の音程に拡がっていくので、感動がもっと盛り上がる。但し、この場合、音の都合上、そこの部分のコードは|F / F#dim| C onG /A7|といったことになるが、それで、より劇的な展開になる。
 

 これでお分かりの通り、音の動きを少し冒険してジャンプさせて見ることで、ぐっと盛り上がるし、また、コード進行は、少し専門的に分る人に頼んでカッコいいコードにしてもらうと、それだけで相当カッコ良くなる。どうでしょう?  Nat





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