2月28日と3月27日の当ブログで、福島原発事故の徹底糾明なしに他の原発の再稼動はあり得ないこと、また、だからと言って「脱原発」に走らず、一からの「原発やり直し」に向うのが日本の責務であると書いた。
福島事故の徹底糾明はまだ殆どされていない、始まってもいないと理解している。政府・東電の発表で「想定外の津波」というのが事故の本質であるかのような印象にもなっているが、全く違うと思われる。米国の原子力技術者のガンダーセン氏が「福島第一原発 – 真相と展望」という本を出している。彼は今や「脱原発」論者になっているが、彼の技術的分析自体は相当的確であるとも思えるので、主にそれに拠り、問題を整理してみたい。
福島原発事故で絶対見逃してはならない最初の点は、第一原発でも1号機から4号機までは炉心溶融や爆発事故まで起こしたのに対して、より新しい5号機・6号機は無事、更に新しい第二原発も無事だったという点だ。何故かというと、5号機以降では、4号機までの設計の脆弱な点を改善していたからだ。例を挙げると、4号機までは冷却用海水取り込みポンプが津波に弱い構造だったのでそれが壊滅した。4号機までの非常用ディーゼル発電機は水がないと機能しない水冷式でしかも海に近い地下階に設置されていたから簡単にやられてしまった。一方5号以降と第二原発では、これらの弱点を自覚し、設計上の改善(防水構造のポンプ、水冷式ディーゼルを海から離して上に設置)をしていたので無事だったのだ。つまり、東電は既に、5号設計の時点で、想定内の津波に対しても1-4号機は危ないことを自覚していながら手を打たなかったことになる。そこで1-4号機への事故は起こるべくして起こった。この点を明らかにしないと何も始まらない。
福島第一の1-5号機までは、GEの一番古い「マークI」と言われるBWR(沸騰水式)の原子炉だ。そもそもBWRの方がPWR(加圧水式)より危ないと言われていたし、マークIは格納容器の構造欠陥を含めて色々な意味で弱いと言われていた。それが、上記の通りモロに事故に繋がった。その点が明確に認識されれば、まず、同じ「マークI」の東北電/女川1号、中部電/浜岡1・2号、北陸電/敦賀1号、中国電/島根1号は、まず再開はあり得ず、廃炉か、巨額費用かけての抜本作り直ししかないだろう。
更に、東電のHPをみると、発電所内で目視できるところについては「目視の範囲では機器は地震に耐えた」とか書いてあるが、肝心の格納容器・圧力容器の内部を見れるのは何年も先のことだ。結局、何がどうなったのか、今はどうなっているのかは、まだ推察の域を出ない。水素爆発に至った道筋も、ベントとの因果関係を含めて解明できていない。更に、3号機の使用済み燃料プールからの爆発は水素爆発ではなく、実は燃料自身の部分的核爆発であったとの疑義が濃厚だが、政府・東電は、その疑義には蓋をしたままである。
このように、本当の糾明・解明はむしろこれからである。教訓は未だ得られていない。だから、ストレステスト分析結果で安全かどうかを判断する為の新しい基準が未だ出来ていないのだ。ということで、GEマークIの10機の再稼動は多分永遠にないだろうが、それ以外、より安全度が高いといわれるPWR(九電、四国、関電、北海道)についても、再稼動を検討する以前の段階であろう。(関電の大飯に関する原子力安全委員会の“安全宣言”も、あいも変わらぬ「仲間内の判定」なので認めてはならない。福島の反省があるなら、民主党政権は、委員会そのものをまず抜本的に変えるべきだ。)このように、福島の徹底糾明、そして、そこから得られる新基準に基づき、抜本的なハードとソフト(事故発生時の人間の対応)の作り変えが必要となろう。それを私は「原発やり直し」と言っている。
それは、何年もかかる厳しい戦いになろう。もし、やり直しが出来ない場合、結果的に「脱、現在方式の原発」になる可能性もある。しかし、今直ぐ「脱原発」を叫ぶのでは、「原発容認」派との間でイデオロギーでの対立となり、容認派に技術的正論で切り込めなくなる。結果的に世界に危険な現在の原発をはびこらすという点、前に書いたとおりだ。だからこそ、人類はここで頑張って「原発の一からのやり直し」の戦いをすべきと私は思っている。そして、人類は結局原子力を必要とする。将来、人類の依存するのは恐らく「トリウム原子炉」だろう。核兵器にならず、より安全で、資源的にも豊富なトリウムを使うものだ。だから、現在のウラン原子炉は福島の教訓で一から出直をし、そして将来のためのトリウム原子力の開発に進む。それが私の言う「原発やり直し」だ。 Nat
● 4月4/6日追記: 4日3日に、上記に、福島事故総括に基づく安全新基準もない今、原発再稼動はあり得ないと書いたら、4月4日朝の報道で、政府(経産省)が「事故の反省に立つ安全新基準(暫定版)を作成することにした」とあった。勿論、小生のブログに応えたものではなく、大飯原発のある福井県が前から要請していたことへの応答である。これで一見、進歩のように見えるかも知れないが、私には全くそうは思えない。暫定新基準は、原子力安全・保安院が提示すると報道されている。この組織は、原子力推進官庁である経産省の傘下で、そもそも平常時に保安点検するのが主たる任務だ。事故の後、いつもテレビに出てきていたあの人たちだ。このような異常事態に、大局観を持った新基準などがこの組織に提示できるのであろうか。むしろ、慎重派の専門家も入れた、新基準のための第三者委員会などが主体になるべきではないのか。
一方、原子力安全委員会は、去る3月末に大飯原発のストレステストで安全宣言をした。原子力安全委員会というと原発推進官庁の経産省とは一応別に、国家としての中立的な安全判断をする為の組織である。しかし、実際の分析は原子力安全基盤機構 (メーカー系の人員で構成)に下請けさせているから、実質「従来の原発推進体制」の延長線上にある。この体制の下で安全神話を流し、安全と認定した福島原発が大事故を起こしたのだ。だから、それを徹底的に自己反省し、原因の根っこから洗い出す徹底糾明を、同じ体制にさせようとしてもダメである。新たな安全神話が出るだけで、却って有害である。政府は一応この体制をそのまま環境省に移管して、原子力規制庁に模様替えしようとしてきたが、野党の異論もあり、それも実現していない。現体制に批判的な専門家を起用する動きもない。よって、現在の政府の「新基準」は、すべて「再稼動ありき」のみせかけのもの、地元説得の道具に過ぎない。私はそう思う。
● 4月7日追記: 昨日、政府4大臣から「原発再稼動の安全性の判断基準」が発表されたの、一応全文を読んでみた。これまで「暫定安全基準」を出すと言っていたのが、拙速と言われて「安全性の判断基準」になった。まだ「安全基準」というより半分は「チェックリスト」である。問題は、事故の徹底的反省に立脚しているかどうかだが、(1)「地震で原子炉機器破損があったかについては現時点ではそういう事実は確認出来ていない」、(2)「運転開始60年の老朽化が原因かというとそれは考えがたい」としており、まだ「想定を超える津波が原因」で、「過去の安全判断は間違いでない」との立場が貫かれている。だからであろうか、全体として、津波で冷却装置と非常電源がダメになったことを主因としており、もう一つの重大問題である水素爆発の仕組みと格納容器の破損については、マークⅠ特有の脆弱性との関連含めて追求が弱い、あるいは避けている印象が強い。
むしろ、再開させたい大飯原発が満たせる事に合うようにこのチェックリストを作ったのでは・・という勘繰りすらも湧いて来る。これから作る免震棟等、まだないものは「これから作ること」となっているし・・・。 なお、津波は15m(乃至は従来の想定が5.5m以上の場合、それに9.5m加算)を想定しろとあるが、この間の南海トラフ地震からの津波予想(浜岡で21m)というのとの関係はどうなっているのだろうか? かくかように、全くすっきりしない。 Nat
●4月10日追記: 関電大飯原発の安全策工程表を政府が「概ね基準に沿う」として再び安全宣言した。しかし経産省のHPでは何ら説明がない。今一番必要な説明は、「概ね安全」つまり例えば99%安全なら、残りの1%のリスクは何であって、何故それは許容すべきかである。枝野大臣は関電に電力余裕があるなら大飯は再開させないと言った。逆に言うと、1%といったリスクはあっても、電力不足になるなら許容するということだ。今年8月の時点では、福島で問題になった冷却海水取水口が塞がらないための柵も未だ出来てない。防波堤かさ上げも来年。それでも、関電の工程表からは、例えば冷却水問題は蒸気を逃がし空冷で凌ぐという当面の策が垣間見られるが、そういう当面の応急手当で何とかなるという判断をどう政府がしたのか、まるで分らない。これでは再稼動ありきだと言われてもしょうがないだろう。 Nat
●5月15日追記: 保安院の2006年の資料に「福島第1原発に14メートルの津波が襲った場合、タービン建屋に海水が入り、電源設備が機能喪失する可能性がある」と書かれていたことが、今日、報道されていた。本ブログ本文に書いたとおり、東電も保安院も、大きな津波が来たら福島第一は危ないことを十分に認識していたが、手を打たなかったことの証明になっている。今の原発が危ないのは、技術が不足しているからではなく、やれば出来ることをしようとしなかった原子力関係者のせいである。だから、「もう原発は救いようもなく危ない。脱原発しよう。」と決めつけるのではなく、一からやり直すつもりで安全技術を開発・導入することこそが進む道なのである。 Nat