昨日のこのブログ記事で、原発シナリオでゼロか15%か25%かといった選択の論議をやっているが、それよりも、従来の原発計画である45%はもう無理で、どの場合でも半分かそれ以下にせざるを得ないという事の方が、国民の生活にとっても経済にとっても、よほど重大な影響があるという点を書いた。即ち、原発がゼロとか15%とかに関係なく、もう日本では凄まじい超省エネを家庭も企業も強いられることが必須になった訳だし、更に、電力料金が相当上がらざるを得ないことも必須になった。国民としては、原発を何時までにどれくらい減らすという選択の討論会などをしているよりも、先ずは、超省エネと高い電気代の結果、どういう国になっていくのかを想像し、対応に頭をめぐらすべきであろう。原発がなくなっても、毎日の生活の変わりはない。しかし、壮絶なる省エネ義務は我々の生活を大きく変えてしまう。しかし、今のところ、多くの人は、自分の生活は変わりないという前提で、原発がどれくらいないほうがいいかという議論だけをしている。
ということで、政府の国家戦略室の3つの原発シナリオの資料で、私が目をむいたのは、原発の部分ではなく、原発カットの結果としての、超絶レベルの省エネが必須という点だ。具体的に政府が課す施策はまだイメージ段階ではあるが、「重油ボイラーは原則禁止」とか「省エネ性能の劣る空調を全部取り換える」「省エネ性能の劣る住宅・ビルの賃貸禁止」などという凄いものが並んでいる。要するに日本中の自動車・住宅・ビル・工場の空調設備やらボイラー類を全部刷新するくらいの話だ。20年間で設備取り換え等の費用に合計80~100兆円掛かるという予想を書いているが、それくらいは要る話だろう。しかし、この80~100兆円は誰がお金を出すのか? 政府ではないだろう。とすると、家庭や企業が自分で出さざるを得ないことになる。政府はその代わり、省エネでないものにはペナルティーをかけ、省エネにすると税金が優遇されるというような新しい規制・法令を乱発するのだろう。
この超絶レベルの省エネは、国民や日本経済に何を意味するのだろうか? 毎年5兆円レベルの省エネ対策市場が登場するわけで、関連の機器メーカーや、スマート住宅などの業者にとっては大きな新しいビジネス機会になる。という前向きの気分になってもいいが、むしろその費用を出す国民・企業の負担の方が重いのではないか。もちろん、省エネ投資の結果、エネルギーコストが下がる分だけの投資の回収機会はあるが、どうせ投資効率はそう高くないものになるだろう。むしろ、国民、特に若い層が貧民化してきている日本で、こういう超絶省エネへの支出を強いられるとどうなるのだろう。支出出来ない人には、税金が重くなる等のペナルティーが待っている。やはり、前向きの気分になるより、後ろ向きの気分になる話ではないか。
また、電力料金が相当上がる大問題もある。家庭の負担増もさることながら、前に8月2日に書いたとおり、これ以上電力料金が上がるとそれが致命傷になる日本のビジネスが多くある。もともと日本の電力料金は韓国などよりも相当高い。それが更に高くなると、日本ではもうビジネスが出来なくなる可能性が高い。そこで、前に書いたとおり、脱・縮原発の分だけ上がる電力料金は、国が電力会社に助成金を出してでも低く保つ必要がある。韓国の電力料金が安いのは、燃料の契約の中身の違いもあるが、何といっても韓国電力という国営電力会社がやっていることで政策的に低料金に出来るのだ。日本も、類似のことをやるしかない。しかしそれだけ税金が要るので、その分は結局また国民の負担になる。でも、日本中から工場や企業が消えていき、雇用が消えるよりもまっしだ。
以上を考えていると、高齢化・少子化、日本企業の競争力の低下で、ただでさえ衰退しつつある日本という国は、これでどうなるのだろう。脱・縮原発で福島事故のような恐怖は減るものの、たぶん、今以上に相当住みにくい国になっていくだろう。しかし、多くの国民にとって、日本脱出は選択肢になり得ない。日本に留まるしかないが、その日本は、原発こそないか、少ない国になるが、経済超低迷、重税、高齢化の上、超絶省エネ義務が襲いかかる、そういう国になるということとも思える。 脱・縮原発の程度とタイミングの議論をする前に、そもそもこの国が向かっている方向を国民にきちんと説明し、皆で覚悟をしてから、そういう議論に入るべきではないか。それを痛感する。違うだろうか? Nat