♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)

生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等

2012年09月

尖閣諸島問題 - 落ち着け!日本政府は 

 9月15日に「尖閣諸島問題の本質」につき書いた。その時、補足の中で、ICJに提訴する手もあることも書いたが、本朝(9 月28日)の日経の世論調査の報道を見て、少し私の軌道修正をしたい。ここは、もう少し落ち着き、ICJ提訴などの更なる中国刺激行動を採らない方が賢いとの思いのほうが強くなった。

 尖閣諸島に関する今朝の日経の世論調査では、56%が「中国に対して強い態度で臨むべき」だそうだ。中国の激しい暴徒と中国政府の激烈日本批判に接して、どうしても国民感情としてそうなるのは分かる。しかし太平洋戦争直前に、日本を挑発する米国に国民が強い反発して、ついには米国と開戦してしまったことを連想するのは私だけであろうか。

 1972年に田中首相は大人の対応で周恩来に「尖閣諸島、どう思う?」とオープンに聞き、周恩来は「石油が見つかってから問題になった。今、尖閣問題を話すのは良くない。」と大人の対応をした。更に、1978年の日中平和友好協定の際には、鄧小平が「時間かかる事なのでこの問題は棚上げしよう」と言った。両国の昔の大政治家は、互いの主張は知りながら、問題を先送りする知恵と勇気があったのである。

 今の日本政府のように「領土問題は存在しない」等と突っ張るだけでは何も解決しない。日本政府の購入はもう元には戻せないが、中国との意思疎通上、知らない間に礼を欠いていた点があったとすると済まない等と、その点では大人になって謝る。そして、どうせ日本が実効支配しているのだから焦らない。折を見て石油の共同開発を提案すればいい。ここは「強い態度」の局面ではない。   Nat

●9月30日追記:
 - 
ある大学教授が「尖閣諸島や竹島の問題を、実利で考える人は本質を理解していない。本質は民族のプライドと国家の原則だ。」と書いていた。勿論、その通りだ。しかし、プライドと原則のぶつかり合いでは、エスカレートするのみだ。日本は、尖閣諸島を海保で警備出来ても、自衛隊が中国と戦火を交えてまで守り通す用意があるのか?と問いたい。

 - 鉄の女サッチャーの英国は、
1982年にフォークランド島をアルゼンチンから奪還するのに、米国が援軍を出せない中でも72日間の全面戦争を、256人の死者を出して自力で徹底的に戦い抜いた。まさにそうしないと英国のプライドと原理原則が守られないと考えたからだ。日本には同じことは出来ない。

 - 中国の言う「日本が日清戦争で盗んだ」は悪辣なデ
マだから、冷静な反論を提示すべきだ。しかし、それ以上は全く不要。日本は既に実効支配している一方、エスカレートした場合に戦争等出来ないからだ。むしろ今後、石油を共に開発し、実利を分かち合うのが賢い。安倍・石破両氏にもそう言いたい。  Nat 
 
●10月15日追記: 

当初報道では、9月11日の国有化発表の直前の9月9日の野田・胡錦濤の立ち話で野田から一切持ち出さなかったので中国側は面子を潰されたという話であった。だから根回し等の稚拙さかと思った。ところが、その後の報道で、9月8日の外相同士の面談で玄葉外相が「石原知事の購入を阻止するため」と説明したが全く通ぜず、更に9日に胡錦濤は野田に「国有化は絶対反対」と明確に言ったとのこと。全然話が違う。先ずこれが遺憾である。
次に、石原知事の突出行為が今回の大問題を引き起こした犯人であることは間違いない。しかし、国有化には事前にそれだけ激烈反応があり、丹羽大使からも強い警報が出ていたのだから、一旦留保する形とする策はなかったか?日中政府で波長を合わせて「日本政府国有化はしない。しかし、それで石原が購入し突出行為に出れば、日本政府としては遺憾であるが、法的に阻止出来ないこともあり得る。」として置き、その後、石原が何をしようと、日本政府としては「困ったものだ」と言い続けていれば、中国側も日本国家にこれほど反発せずに済んだのではないか。余り、そういう議論は聞かないが、違うだろうか?

●同日、更なる追記: 中国からすると、日本政府国有化でも石原東京都の都有化でも同じだったか?:
私の感じでは、中国政府からすると、日本政府の国有化と、狂犬石原東京都の私有化は、全く意味が違ったと思います。だから、狂犬石原が私有化を目指していた時は、それほど強烈な反対を唱えてませんでしたが、国有化には事前に強烈反対をしたのです。ここで大問題なのは、外務省・野田政権が、なぜ、国有化を考えたかです。一見、狂犬石原に買われては日中関係がおかしくなるからと言いながら、国有化にもっと強い反応が事前にあったのに国有化を思いとどまらなかった。それは何故か?それは、外務省・野田政権の国有化は、日中関係を表面的理由にしつつ、単に、石原にとられてたまるか!という、日本国内の見栄の張り合いであったからです。見栄のために国を危うくしています。その上、事前に強烈反対があったことを隠ぺいしたとも思われます。だから、本件のA級戦犯は、もはや石原ではなく、野田・外務省です。違いますか?皆さん??

 
●10月21日 また追記:  
丹羽元中国大使が講演で、今回の日中関係のこじれ方はこれまでと次元が違う、日本が泥棒と若い人にまで刷り込まれたので、修復には40年は掛かるとの意見が述べたようだ。全く同感。最初、日本政府が流した嘘情報で、我々は胡錦濤が面子を失ったのが原因と思いこまされた。しかし実際は全く違い、むしろ野田政権は中国に完全にはめられたようだ。日中間で長らくそっとしてあり簡単にふたを開けるのが難しい尖閣諸島問題だった。しかし、海洋支配を戦略とする現在の中国政府は、ふたを開ける絶好の機会が欲しかった。そこにきて野田政権が国有化を検討開始してくれたから、中国は小躍りしたであろう。中国は当初意図的に特に反応しない罠をしかけた。それにまんまとはめられた野田政権が国有化を決めてくれたので、正々堂々と半日運動を展開、世界中に尖閣諸島には領土問題があることを喧伝開始した。これが真相だろう。野田政権のお蔭で、領土も危機に瀕し、日中関係も40年間後退してしまった。

●10月23日 追記の追記:
10月21日に、尖閣諸島の件で、日本の国有化に対して中国側は当初、強い反対はしないフリをして野田政権をはめ、いざ国有化したら、それっとばかりに強烈反日運動を繰り広げたのだから、野田政権はまんまとハメられたようだと書いた。今日の夕刊フジに黄文雄氏という中国通の人のコメントで、当初日本に現状凍結を前提に強い反対はしないとのシグナルを送ったのは胡錦濤一派で、一方国有化以降に強烈反日運動を組織したのは、今度トップになる習近平一派であるという。そういう新旧のトップの権力争いが背景にあったのかもしれない。しかし、そうであれば、中国に何ら人脈を持っていない外交アマチュアの野田民主党だからその新旧の争いを見抜けたなかったことになる。いずれにせよ、野田政権が、国難を惹き起こした主犯であることには違いない。早く退場だ。もっとも、代わりの適切な政権の目途が全くないことが更に大きな悩みだ。ああ憂国・憂国・・・


結局、Natも新しい情報の入るたびに、軌道修正もあるが、最新の情報では、喧嘩を買い過ぎると戦争になるのでそれは絶対回避だが、中国の意を決した尖閣奪還作戦には負けないように、国際世論形成へのロビーイングは中国に負けないレベルでやるべきと思う。日本はロビーイング(この場合、世界の主要各国に根回ししし、中国の言うのがもっともだ・・という世界世論にならないようにすること)が下手で、世界の中で直ぐ孤立し、最後には窮鼠猫を噛むで突出的戦争に打って出る体質がある。 日本よ、中国の悪辣なプロパガンダに負けるな。しかし、絶対戦争になるような行為はしてはならない。そう思う。 Nat

 

橋下「日本維新の会」って変?

以下の文章をFaceBookに、ちょっと書きましたら、割と「いいね」と言っていただいたので、Blogにも掲載します。

 橋下氏の新党「日本維新の会」の英文名「Japan Restoration Party」には、発表直後から国際派筋から違和感が多く表明さ
れてきている。

 日本人は「維新」という言葉が好きで、古くは二・
二六事件も「昭和維新」と自称していた。「維新」は「維(これ)新たに」だから改革・革新(英語的にはReformation)の意味になる。ところが、明治維新の英文名を誰かが付けた時、Meiji Restorationとした。英語でいうRestoration(Rが大文字の場合)は、英国の1660年の王政復古の意味になるのだが、明治維新の際の明治天皇への大政奉還を王政復古になぞらえてMeiji Restorationと呼んだようだ。それで日本国内では「維新=Restoration」という認識になったみたいだが、残念ながら、海外の人や国際派からすると「Japan Restoration Party」では「日本王政復古党」にしか聞こえない。しかし、どうも維新の会でそれを改める向きもないみたいだ。

 ところで、日
本維新の会ってホームページも見つからないが、書く内容がないということか? 何か日本は大丈夫かと言う気になる。   Nat

「原発ゼロ」は、逆に核の恐怖を拡げる!

 多くの国民が「もう福島のようになる原発はイヤだ!」ということで、「原発ゼロ」を願っている。しかし、それに迎合して「原発ゼロ」を口走る政治家。そして、実はそれは国民を、より大きな核の危険にさらすことを分かっていながら、何も言わない経産省の役人。皆、日本を滅ぼす人たちと思う。 

 原発が危ないのは、中に核燃料があるからだ。原発をやめても、核燃料が残る限り、危険性は残る。いや、原発をやめると、むしろ核燃料の危険性は却って高まってしまうのだ。このことが、ほとんど報道の解説などでも言われていないのではないか? そのことに私は危機感を感じる。だから、ここでそのことを言いたい。 

 日本中に、これから使おうとしていた核燃料と、更に大量の使用済み核燃料が、合計2万トン規模存在する。しかも、使用済み核燃料は、未使用のものよりも、圧倒的に“たち”が悪い。使用済み核燃料は、核反応で出来た、ありとあらゆる強烈な放射性物質の塊りだ。それが多大な余熱を出し続けるからずっと水で冷却し続けないと、この間の福島の3号機みたいに溶けて爆発する。しかも、爆発は水素爆発に限らず、再臨界で核爆発もあり得る。福島の3号機で使用済み核燃料が冷却水を失って爆発した。あれは、実は核爆発であったと思われることは何度かこのブログにも書いた。更に福島の4号機の大量の使用済み核燃料が、いまや時限爆弾と言われているのはご存じの通りだ。もし、原発ゼロにしたら、日本中の54基の原発の使用済み核燃料が全部、福島3号機・4号機状態になって日本中を恐怖に陥れると思われる。 

 何故そうなるかというと、原発から出てくる使用済み核燃料は、そもそも、「使用済み燃料」 → 「再処理工場でもう一度燃やせる核燃料の抽出と、残りの廃棄物への分離」 → 「抽出した燃料は原発で燃やす」 →「又発生する使用済み核燃料を再び再処理」・・という、いわゆる「核燃料サイクル」で回していくことで、初めて、上記の「使用済み核燃料の恐ろしさ」がむき出しにならないように制御される予定だったのだ。尤も、このサイクルでも、排出される廃棄物(高レベルの放射能物質)の最終投棄問題はあった。しかし、このサイクルを回すことで、使用済み核燃料の“むき出しでの恐しさ”は制御され、原子炉と再処理工場の中に閉じ込められる手筈であったのだ。 

 ところが、原発ゼロにするとどうなるか? 上記のとおり、どうにもこうにも“たちの悪い”使用済み核燃料が、原子炉や再処理工場という「檻」の中から解き放たれ、むき出しになってしまうのだ。永遠にどこかに保管しては?と言っても、どこにそんなものを保管させてくれる住民がいる? 今の福島の4号機の使用済み核燃料が世界中で超危険視されているが、それと同じ超危険状況が、日本中の54基の原発に拡がるのだ。獰猛なトラのような核燃料は、原子炉という檻の中で燃やし続けることで初めて制御できるものとなる筈であった。そういうものが2万トンも既にあるのに、原子炉をやめて、それを檻の外に出すのでは、日本中の国民を大きな核の恐怖に永遠にさらし続けることになる。 

 アメリカが怒っているのは、再処理で出てくるプルトニウム燃料が原爆にも出来るので、普通の国には再処理を認めてないのが、日本はそれを原発ですぐに燃やす体制も技術もあるから例外で認めていた。だのに、原発やめたら、前提が崩れるということだ。だから、アメリカの言い分を容れても、やはり、使用済み核燃料という悪魔のような「トラ」は、再処理されずに、日本中にはびこることになる。 

 という非常に簡単明瞭なことなのだが、政治家も経産省も何も言わない。「原発ゼロ・・いいね、いいね」とFaceBookみたいなノリで大衆迎合しているだけである。核燃料2万トンの恐怖を抑えるには、これまでの原発を一からやり直し、各段に安全な原発技術に作り替えて、核燃料を燃やし続けるしか道はない。だから、私は去年からずっと「原発やり直し」を主張している。   Nat


● 補足します。 

使用済み核燃料は、ほぼ永遠に崩壊熱というものを発し続けますが、大量の水で冷却し続ける必要のあるのは最初の数年です。これを過ぎると再処理工場に送って再利用可能燃料と廃棄物に分離出来ます。これが核燃料サイクルです。ところが、原発ゼロにしてこれを止めてしまうと、使用済み核燃料のまま、永遠にプールの中に保管し続ける必要があります。数年ではなく永遠にです。しかも、まだ、中に核分裂連鎖反応し得るウランなどが入っているわけです。だから、再処理してそれを抽出しない限り、プールに保管した使用済み燃料は、水がなくなる等の事故の場合、この間の福島3号機で起こったと同じような核爆発に至るリスクがあります。それが全国至るところに拡がるのが「原発ゼロ」の結果なのです。ただ、使用済み燃料化を再処理しても、発生する廃棄物は長期間熱を出し続けますので、それはそれでガラス固化して中間貯蔵、そして、最終的にはマグマの中に押し戻すといった「最終投棄」をせなばなりません。しかし廃棄物の場合、「核物質」であるウラン・プルトニムは除去済みですので核爆発リスクはありません。それを言っております。

このように、核燃料は確かに取扱いを間違うと大変なことになる厄介な代物です。しかし、圧力容器という強固な入れ物で防護された原子炉の中に入れてあるか、あるいは、使用済み燃料の場合は再処理する限り、核燃料の恐ろしさは十分制御可能と思われます。といっても、福島のように安全設計でなかった原発があった訳ですから、ここからは、すべての原発を一から徹底的に見直しやり直すことが絶対に必要です。しかしそうした上であれば、やはり、既に日本が持ってしまっている2万トンの核燃料は、既定の取扱い方法、すなわち、原発で燃やして再処理という方式でしか制御できないと思います。それなのに、「原発はもうイヤだ」で原発を全てやめてしまうと、危険な核燃料だけが日本に残り、しかも、防護された原子炉の中ではないプールの中に保管などという危険極まりない状態に永遠に置かれるのです。このように、原発は、いったん始めてしまった以上、途中でやめると、却ってもっと危険になるということです。だからこそ、根本的に安全な原発に一からやり直し、改修した上で、日本にある核燃料は使ってしまうしかないと思います。 この問題は、どうもそういう点の情報発信が弱いと思います。 私は、大昔に一時関連する仕事をしていただけなので、間違っているかも知れませんが、日本の将来のために、思うことを書きました。 Nat 

● 追加の補足します。 日本で原発をやめて、使用済み核燃料の処理(再処理)に困れば、以前と同様、イギリスとフランスに再処理の委託をして処理してもらえればいいではないか・・とのナイーブなご意見がある。イギリスとフランスへの再処理委託契約はもう終っている。なぜなら、青森の六ヶ所村の日本の自前の再処理工場がもう直ぐ動くと思われていたからだ。(もっとも六ヶ所村が遅れているので、日本中で再処理待ちの危険な使用済み核燃料が数千トンも冷却プールで待機している状態だが。)ところが、これで原発ゼロになると、回収するプルの問題もあり、米国が日本での再処理を許さない。となると、どんどん使用済み燃料が溜まる一方になる。そこで英仏にまた泣きつくのか? 英仏でも、政治的に他国の再処理をすることへの懸念もある。日本から英仏に使用済み核燃料を輸送する際のリスク問題もある。そして、なによりも、中国を筆頭とするアジアの原発ラッシュがある一方、上記のプル問題もあり、米国からすると中国のような管理能力の乏しい国での再処理の拡大(プルの大量貯蓄)に待ったを掛ける可能性も高い。少なくとも今後原発のシェアを倍増する計画の韓国はそうされるだろう。そうなると、アジア中の使用済み核燃料を英仏で再処理せざるを得なくなる。勿論、そんなキャパは英仏にない。要するに、日本で原発をやめた場合の、使用済み核燃料の再処理は英仏に依存はできない。一方、日本で原発止めたら日本自身でも再処理できなくなるので、日本国内で全量の「直接廃棄」(核燃料のまま捨てる!!)という恐ろしいことを想定せざるを得ない。ということを、私は言っている。報道機関でも未だほとんど注意喚起してないが、私はこれを多いに懸念しているのである。 Nat

尖閣諸島問題の本質

 日本政府が尖閣諸島の国有化を唐突に決めたことが、政府の想定以上に中国側の反発を生んでいる。中国側の主張は基本的には「尖閣諸島はもともと中国のもの」ということだが、「明治時代の富国強兵の日本が力で奪い取った」ということが主張の中心にあるみたいだ。とすると、この問題の「本質」はその辺にあると思われる。 

 中国民族、なかんずく漢民族は、「中華」というくらいで、世界の中心は中国民族であるという意識で歴史を生きてきた。それが、清の時代の最後の頃、1840年のアヘン戦争で英国に負けて以来、欧米列強の言いなりになるしかなかった。そして、とどめを刺されるように、1894-1895年の日清戦争で、2000年の間見下してきた近隣の小国日本にすら敗戦するという耐えがたい屈辱を得たのである。 

 この日清戦争の戦後処理の下関条約が締結された1895年の3月に少し先立つ、同年の1月、日本の明治政府は尖閣諸島の領有を国際的に宣言する。勿論、それまでどこの国も占有しておらず、領有の宣言もないことを調査した上での宣言であったので、国際法的には手続きを踏んだ正当なる領有である。つまり、それまで清国との間で領有の紛争があったのを、日清戦争の勝利が実質決定した勢いで、力で領有宣言したということではない。下関条約で清国から領土割譲されたのは遼東半島・台湾・澎湖列島であって、尖閣諸島は条約の対象にもなっていないまた、その時点では中国の人も、日本の尖閣諸島領有権宣言を特に大きな問題とは思ってなかったのではないか。中国が尖閣諸島について主張しだしたのは、周辺海底に世界第二位級の石油資源がありそうなことが調査で分かった1968年以降だ。 

 上記の石油資源発見以降、中国は主権の主張を始める。その根拠は: 明の時代の文献で同諸島が、ずっと中国の朝貢国であった琉球の領土であると書いてあること(注:琉球ではなく明自身の支配地域という理解の人もいるようだが。)日本が武力を背景に1872年に本来中国の朝貢国であった琉球を日本に併合したこと。更に、日清戦争で勝利が確定した1895年の1月に、その勢いで尖閣諸島への領有宣言をしたこと。ついでに、中国の朝貢国であった朝鮮まで、1910年に併合してしまった。これが中国側の主張だ。つまり、本来、中国の近隣の諸国は(日本以外)全て中国への朝貢国であり、また近隣の海も諸島も、全て大中華民族の支配に属するものであった。それが、新興勢力の日本が、明治になって武力で中国から琉球を、尖閣諸島を、そして朝鮮を奪ったというわけだ。領土と朝貢国とは違うのだが、彼らの伝統的な意識の中では余り違いはないらしい。そして、日本の中国への武力侵攻で1932年には日本の勢力下の満州国が樹立。そしていよいよ1937年から1945年には日中戦争で、日本軍の侵攻は中国の国土広域に至る。 

 韓国との竹島問題、慰安婦問題の根っこには、日本が朝鮮を日本に併合し植民地支配したことへの朝鮮民族の怨念があると何度も書いてきた。日本は中国との間では、満州以外には、朝鮮のような植民地問題はない。しかし、世界一誇り高い中華民族を、小国日本が武力で圧倒したという歴史、あるいは、その結果1000万人以上の中華民族が命を失ったという歴史、これは、我々が想像する以上に、いまだに中国の人の心に残っているのであろう。否むしろ、史実以上に、現代の中国国民の心に植え付ける教育を政府がしてきたのであろう。今、尖閣諸島問題で気勢を上げている中国の人たちの心の中にあるのは、必ずしも尖閣諸島の海に眠る石油資源ではあるまい。それは指導者たちが狙っているものであっても、庶民の意識には強くあるものではないだろう。庶民の意識の中には、ずっと教育されてきた、日清戦争以来の日本の武力による中華民族へのハラスメントこそがあるに違いない。 

 私は、これが尖閣諸島問題の本質であると思う。そして、野田政権が、石原知事が買いそうなのを聞いて、それなら日本政府が・・と決めた今回のことで、このような「中華民族への新たなハラスメント」を新たに実行することで、どれだけの衝突を生むのか、それに対してどれほどの軍事的な備えも要るのか、そこまで十二分に考察をしていたのかは疑わしい。私はそう思う。  Nat

●追記(9月24日): 中国が最近主張している言い分は、どうも、日本の1895年1月の領有権の宣言は、日清戦争で日本が清国を武力で圧迫する中で、清国への通告もなしで、一方的に行ったもので無効ということのようだ。 確かに、日本の領有権の宣言は、日清戦争の終結する2カ月前のことだから、日本は日清戦争で既に勝利しそうな勢いの中で領有宣言したのも事実であろうし、戦争中の相手だから、領有の宣言を清国にわざわざ通告などもしていないと思われる。しかし、日清戦争の前に明らかに清国のものであれば、それこそ武力による略奪であるが、歴史的に明らかに清の支配地というようなことは全くない。もっとも日本の支配地ということもない。誰も支配していない岩島だ。しかし、国際的には、そういう場合は、先に占有したものに領有権があることになっているので、竹島で訴え出ている国際調停機関のICJに持ち込めば中国の勝ち目は先ずなかろう。更に、前にも書いたとおり、中国は1968年に尖閣諸島海底に膨大な石油資源が眠っていることが判明するまでは、抗議も何もしていなかったのだ。69年以降、にわかに主張始めたのだから、そもそも魂胆ミエミエである。そして、今回、意図的に、直接は関係ない日清戦争のことを尖閣諸島に絡める作戦に出たのも、中国らしいイヤらしい戦術だ。しかしながら、それが妥当な問題意識かどうかとは無関係に、とにかく中国では、日清戦争・日中戦争の屈辱が今や、尖閣諸島問題として噴出してきているというわけだ。こうなったら、ICJにでも持ち込み領有権を主張する一方で、前にも言ったとおり、石油資源の共同開発に持ち込むしかなかろう。 Nat

原発の「3つの選択肢」の愚かさ

 民主党が、選挙を意識して、ぱっと聞くと「完全脱原発」にも聞こえるあいまいな施策の表現を言い出した。国家の根幹にかかわることで、選挙の人気ばかり意識せざるを得ない政党は、選挙前からもう終わっている。 

 ここで、改めて「脱原発」について一言書いておきたい。いま、民主党が迎合しようとしている通り、国民の5~7割が「脱原発」気分である。なぜそうなるかというと、原発村の人の言うことは全く信用置けないことが明白になった今、どう言われようが福島以外の原発の安全性にも疑問が残ることが一つ目。二つ目には、ひとたび大事故が起これば、それは国土を破壊するすさまじさであることを知ったからである。そこで余程、安全性について納得できない限り、「原発はもう絶対嫌だ」にならざるを得ない。そこで、国民に従来計画の原発45%の代わりに、これから25%か、15%か、ゼロか? 3つの選択肢のうちどれがいいか、それだけを聞けば、当然多くの人が「ゼロがいい」というに決まっている。 

 民主党政権が、この3つの選択肢を国民に聞くステップを入れようとした時の狙いは何だったのだろう? 本当に、このように国家の根幹に関わる重大な事柄を、そそくさと「3つの選択」とかいって国民にアンケート的回答をさせて、国策に纏めるつもりであったとしたら、いよいよ無責任な人たちということになる。しかしどうも、3つの選択肢を出すと大体真ん中の15%辺りに落ち着くなどと思っていた節もないではない。本当にそうだとすると、無責任を通り越して愚か者になる。国民の5~7割がゼロと回答した今、慌てて枝野は、「ゼロでは省エネ投資が100兆円も必要になってしまう」等と、恰も「実は原発ゼロは無理」とでもいいたげな発言をし始めた。しかし、私が前からこのブログで主張している通り、そもそも政府の7月の「3つの選択肢」の資料中にそういうことは初めから提示されていた。原発25%でも省エネ投資は80兆円要るし、日本中の屋根の強度が持つ家屋の全てである1000万戸の全戸にソーラーを搭載することが書かれていた。即ち、そもそも原発45%で計画していた国が、突然それを最低でも半分以下にするなら、企業にも国民の生活にも凄まじいインパクトがあることを最初から国民に説明しているべきであった。それを、クイズ番組みたいに、3つの選択肢なんてやるから、この問題が余計におかしくなってしまった。 

 そこで私の強い思いを言うと、そもそも「原発のあり得べき比率」なんてものをまず先に決めるのはナンセンスであると思う。それは、以下のような、これからの我が国の苦しい模索の結果、初めて、結果として決まってくるものだと思うからだ。

1.まず、再開してしまった大飯を含めて、従来の原発技術は、運営の人的ソフト面を含めて、ゼロから見直す必要があることにつき、国民的合意を形成することが出発点であるべきだ。つまり出発点は「脱原発」ではなく、「原発のゼロからの見直し」であるべきなのだ。

2.次に、原発依存度を相当減らすことが国民にどういう甚大なる影響をもたらすかにつき、脱原発派、原発擁護派の対立を越えて、冷静に見通しを立てることだ。省エネ義務・電力コスト上昇等に留まらず、日本だけが原発依存しないことによる日本の安全保障の脆弱化、急に原発をやめた場合の日本中の既存原発廃棄と使用済み燃料という大問題、そういう問題を担う国内技術者の維持はどうなるのか・・これらを全て、客観的に国民的認識にまで高めることが必要だ。

3.選択肢として原発への一定の依存を国民が残したい可能性がある限り、国策としては、従来レベルを超える高安全性の原発への「原発やり直し」が出来ないかの研究・開発を進める必要がある。即ち、既存原発の大幅修正改良工事の技術開発と、新設原発の可能性のための次世代型原発の設計だ。これらには、最低数年から10年、あるいはもっとかかる。

4.その間は、既存原発は非常に数少ないものしか再稼働の基準を越えさせない。そして、上記3.の「やり直し」基準での改良工事を終えたものだけは少しづつ再開される。結果的にはほとんど再開出来ないかもしれない。逆に案外、多くの改良後のものが再開されるかもしれない。

 以上の長くしんどいプロセスを経て、結果として、原発比率が何%かに落ち着くのだ。案外35%くらいになるかもしれないし、5%くらいになるかもしれない。その時までに、それに応じて、省エネや再生エネルギーも開発が進む。原発の問題は、そういう性格の話だと思う。それを考えると、民主党の「3つの選択肢」がいかに愚かで、国を過つが分かるはずだ。    Nat


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