♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)

生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等

2012年12月

ジャズピアノって、どうやって弾いているのか?

 お蔭さまで、1223日に、恒例の田園江田教会における第14回目のクリスマス・ジャズ・ライブを私の仲間のプレーヤーとで行うことが出来た。神さま、プレーヤー各位、サポートの教会の皆さん、有難う。 

 日頃は企業経営改善のビジネスをしている私が、ジャズ・ライブになるとジャズのピアノを弾くのを聞いて、教会の仲間が良く私に聞く。「あれは、全部、暗譜しておられるのですね?」と。いつも、ここからの答えに窮する。確かに譜面は見ていない、というか全部の音を書いた譜面は元々ないので、「譜面弾き」ではない。しかし「暗譜」というのは、もともとは譜面があるが、弾いているうちに、譜面を見なくても譜面とおり弾けるようになった状態を言うわけであろう。とすると、私の場合はそれではない。 

 それでは、私はどうやってジャズピアノを弾いているのであろうか。そのことを、ここで少し書いてみよう。私は正直言って、ジャズを誰かに教わったことが一回もなく、単にレコード・CDで有名ジャズミュージシャンが演奏しているのを聞いて、マネして自分で今のスタイルを作ったものだから、世のジャズピアニストがどうしているかは全く知らない。ということで、これは全くの私の話。 

 今年、ライブで弾いた曲は12曲ほどあるが、例えば、チャップリンの作った「Smile」という名曲。古くはナット・キング・コールが、そして新しくはマイケル・ジャクソンが歌った名曲。まず、私はこの曲が大好きである。だから、頭の中に色々な人の「Smile」がインプットされている。 さて、今回2012年のクリスマス・ジャズ・ライブでこの曲をやろうと決意したのは2012年の初秋だが、まずこの曲を適当にピアノで弾きだす。自慢に聞こえたら申し訳ないが、私は「Smile」を知っているのだから、たとえ前には一回も弾いたことがなくても、ピアノに座って、適当な音の高さで弾きだすと、自然に始まってくるのである。何も「Smile」に限らない。知らない曲は知らないのだから弾けるわけないが、知っている曲は知っているのだから弾き始められる。皆さんだって、知っている歌は鼻歌でいきなり歌えるでしょ。それと同じ。皆さんだって、何故譜面もないのに鼻歌で歌えるのかと聞かれたら、答えに窮するでしょ。それと同じ。思えば、小学校の頃から多少そうであったが、その後、50年くらい、ピアノとかギターとかで、ポピュラーの音楽を色々譜面なしで自分流に弾いてきたから、今となってはそうなってしまったとしかいいようがない。勿論、和声などの理論もあとから本でフォローしたが、それも後付けの理論でしかない。とにかく、説明にならなくて済まないが、知っている曲は、弾き始めることが出来るのである。 

 ただし、ここで「弾き始める」といっているのは、まずその時点では、とにかくメロディーと和声が、最低限、その曲を表しているという段階だ。例えば「Smile」にしても、私の「Smile」の準備はここから始まる。まず、オリジナルの曲そのものにおける和声、アレンジ、メロディーの歌い方がある。YouTubeなどでそれを聞いてみることもあれば、聞いてみないこともあるが、とにかく、まずはオリジナルに近い線で、弾き始める。暫く弾いていると、だんだん私のアイデアなり料理法が個々の部分につき、浮上してくる。「ああ、ここは、こうしたら、もっと感動的だな・・」等と思いながら、ピアノの右手・左手の弾くことを、少しづつ練っていく。そうやって、ずっと練り続けていくと、しまいには「私流のSmile」のメロディー部分の弾き方が煮詰まってくる。それが、今年のライブで先ずこの曲の最初にピアノ一人だけで弾いたイントロの部分のSmileのスローバラード部分だ。 

その次に、サックスが吹いてくれるメロディーのバックのピアノトリオの伴奏につき、検討する。サックスの音を想像しながら、ピアノはここでこう入れよう、ああしようという伴奏の基本パターンを練っていく。(もっとも、伴奏は、その演奏当日の、サックスならサックス、歌なら歌に触発されて、その場で進化するが。) 更に、最後に、ピアノのアドリブ部分がある場合は、それを、ライブの期近になってから、自由にアドリブしてみる。曲の流れに慣れるためで、慣れれば、アドリブもスムーズに湧きだしてくる。(どうやってアドリブするかは、このブログで前にちょっと書いたので、ここでは省略する。) 

 こうやって、私の今回のSmileの準備が出来る。あとは、当日の曲の流れを書いたジャズ式の簡単な譜面、というか、和声と構成を書いたメモを他の人に渡しておいて、当日、直前のリハーサルで、初めて皆でやってみる。全員集合はその当日だけだ。今年のSmileの場合、リハーサルでベースのO氏が、ある部分につき「ここはぱっと止めよう」と言い出して、やってみたら、カッコいいので、本番でもそうした。そういうことを、リハーサルで12曲全部にさっと一回やって、終わり。あとは本番のお楽しみ。ということで、今年もそうやって本番に突入した次第。 

 最初に書いたことに戻るが、「暗譜しているのですか」という問いに対しては、まず、例えばSmileの場合、最初の私のソロのイントロ部分は、前述の通り、自分でこう弾こうと作り上げた弾き方を自分で弾いたものだ。弾こうとする内容は別に譜面には書いてない。自分の頭と指が覚えていることだ。だから、「暗譜」といえばそうかも知れないが、譜面に書いてもいないので「暗譜」という表現がいいのかは分からない。後の全員で弾いた部分は、譜面はなく「流れを書いたメモ」しかないので、これまた暗譜でもないし、かといってめちゃくちゃ出鱈目に弾いているわけでもない。皆で流れを共有したSmileを、皆でお互いの音を聞きながら弾いたということだ。 と言われても、最初に私に「暗譜?」と質問した人への答えになってないかも知れない。でも、ジャズはそういう音楽なのだ。だから、それで許して。あとは、聞いてエンジョイしてください。 Nat

●追伸(2013年2月5日) 結局、上記の通りで、昨年12月23日に行った演奏は以下のウェブサイトに録音のファイルを入れておきます。 中にSmileもあります。 適宜、好きな曲をダウンロードして聞いてみてください。Natはピアノです。 
https://skydrive.live.com/?cid=2060caee80c1da71#cid=2060CAEE80C1DA71&id=2060CAEE80C1DA71%211124

日銀の「物価2%」への更なる金融緩和策は果たして・・・?

 日銀がいよいよ正式に「物価上昇率2%」を目標にするようだ。安倍新政権に合わせて。そのため、国債など買い入れ基金の枠を90兆円から10兆円増やして100兆円にするという。
 

 私としては、後述のとおり日銀の買い入れだけでデフレ克服が出来るか疑問なしとはせぬものの、何もやらないと日本が滅びていくだけだから、とにかく「やってみなはれ!」という立場だ。それに対し、「財政規律がほころび、ハイパーインフレを招来するから反対」という意見は、もう完全に固定観念にはまった愚考と思う。そもそもマネーサプライを増やしただけで簡単にインフレにはならないのだが、それでも少しづつインフレに向かってきたら御の字であって、2%まで来たら大喜びしつつ金融緩和を抑制していけばいいだけのことだ。ハイパーインフレになる前に緩和はストップするに決まっている。次に「長期金利が高騰し逆効果」との反対意見も、好ましくない長期金利率レベルを設定しておき、そこにまで来たら、緩和を見直せばいいだけのことだ。やる前から、効果があり過ぎた場合のことを懸念してやらせない、そういう亡国学者等の意見はこの際止めてもらいたい。 

 だから、とにかく「やってみなはれ!」なのであるが、日銀の金融緩和でデフレが克服できるかは私には全く分からない。国債の買い取りオペはずっとやってきていることで、それを少し量的に更に増やすだけで、いかほどの効果があろうか? 日本の出している国債900兆円のうち600兆円は銀行など金融機関が保有しており、それを時々、日銀が実施する買い取りオペの時に、銀行等が日銀に売却して資金化している。しかし最近は超低金利で、日銀が国債を買い取る価格では銀行に売却のうまみがなくて、入札割れもしている。それでも日銀の買い取りを増やすということは、日銀が高めの価格で国債を引き取るという宣言であろうか? 報道では、そうは書いていない。分からぬ。次に、日銀から資金を得た銀行が、企業や住宅取得者に対してより活発に資金提供するかというと、おおいに疑問。ということで、国債買い取り増やすのは、やってみて欲しいが、効果は不明。一方、株などのリスク資産を日銀が買う方は、まだ分かるが、リスクがあるので限度もあろう。外債を買って円安誘導、円安からインフレにというルートもあるが、今回の策の中心ではなかろう。結局、日銀の金融緩和策の意味というのは、それを発表することのもたらす「心理的効果」みたいなものなのなのであろうか。
 

 そして、その結果、インフレ2%に近づいていき、企業の採算が多少改善して、漸く企業の設備投資への好循環、更に賃金改善をしてくれたら消費にも生活者支援にも繋がる。しかし、気の長いプロセスだ。

 だから、私は、むしろ日銀の追加資金(あるいは思い切って政府兌換券の発行による国の追加資金)は、金融緩和にだけ仕向けるのではなく、日銀の否定する財政の資金に投入すべきと思っている。国の新発国債を日銀がファイナンス(か国の兌換券)して国が得た資金を、日本を支える製造業への戦略的減税に仕向けると同時に、生活の苦しい若い世代への思い切った減税を行うべきだろう。日本の製造業と、生活者の生計と消費を後押ししない限り、根本的にデフレ解消、日本の行き詰まり解消はないと考える。   Nat



 





クリスマス – イエスの処女降誕ってホント?

 クリスマスはキリスト教でイエス・キリストの誕生を祝う時である。イエス・キリストの誕生をめぐっては、衆知のとおり、聖書には母マリアの「処女降誕」物語が書かれていて、クリスチャンとしては、それをそのまま信じるのか、それともそれは脚色として救い主の誕生という本質だけを受けとめるのでいいのかという問題がある。そのことにつき、このクリスマスの時期にあって、少し触れておきたい。

 まず、新約聖書のイエス物語(福音書)の中で最も古いと言われるマルコによる福音書では、もっぱら十字架のイエス・復活のイエスのことを伝えたいということで、乳児・幼児期のイエスには全く触れていない。一方、マタイによる福音書とルカによる福音書では、他の伝承等も集められて追加されており、そういう中でイエスの誕生物語も追加されている。イエスの死後も母マリアや弟ヤコブはまだ生きていたわけだから、新約聖書のネタとなっている元の資料を書きつづった初期教会の人たちの中には、実際にマリアやヤコブから話を聞いた人もいたであろう。そこで、処女降誕物語についても、マリヤを巡る何らかの実際の話が元になっている可能性はある。だから、例えば、マリアはローマの兵隊に犯されて未婚の母となったのでは等という推測が多くの人によってなされている。

 そして、もう一つ、マタイやルカが処女降誕物語を追記しようとした「狙い」についても、良く論じられる。つまり、マタイやルカは、マルコよりも更に「イエスは神のような人であった」ということをより鮮明に後世に伝えたいという向きが強く、誕生についても「神の子らしい奇跡の誕生」として描いたという理解だ。

 さて、このような処女降誕物語に、クリスチャンとしてどう向き合うべきか?  まず選択肢としては:

【1】全て事実として信じる。受精卵からしか命が生まれないとの科学理論に対しては:

 (a)(米国の原理主義者のように)科学よりも聖書の方が正しいと考える。

 (b)神は自分の作った科学の原理を越えることが出来ると考える。 のどちらかになる。

【2】多分、事実は字句通りではなく、脚色もあろうが、他ならぬイエスの場合は、そんなようなこともあったかも知れないと考える。

【3】完全に聖書ライターの脚色と断じて、その部分は特に信じない。その場合:

 (a)処女降誕は信じないし、他の奇跡の多くも脚色と考えるが、復活だけは信じる。

  (b) 復活も含めて、奇跡は脚色として割り切り、イエスの示した事柄だけを受け止める。
 ということになるだろう。
 

 私自身は、【1】(b)と【2】を併せたような立場だ。所詮、2000年前のことだから、歴史上何が実際にあったか、なかったかは、もはや誰にも検証できない。イエスの誕生を巡り、処女降誕そのものかどうかは別にして、何らかの不思議な事象があったかも知れない。そして、その不思議な事象は、神のみ業であったかも知れないし、人類がまだ知らない生命科学の原理によるものかも知れない。あるいは、実質、針小棒大な脚色だけかも知れない。どれが真実か、もう一切分からない。しかし、唯一、真実がある。例えばルカの福音書を書いたルカ。医者であったとも言われる知識人だが、彼が非常に幅広く伝承・資料を集めた上で、取捨選択して編纂した福音書物語。そこにルカは、処女降誕を入れるべきと判断したという事実だ。その当時の人でも、処女降誕がとんでもなくあり得ない事柄であることを百も承知の上で、それを真顔で書きこんだのは何故か?ということだ。間違いなく、ルカ自身が信じ、そして後世に強く伝えたいと思った「イエス像」には、誕生の際から死と復活に至るまで「神の人」であったという思いが込められていたに違いない。即ち、ルカが、処女降誕等という奇想天外な話で是非とも表したかったことは、「あの人は、まさに人間を越えていた。神の人であった。」と信じたということ。そして、ルカたちに「神」と信じさせる「何かとてつもないもの」がイエスにはあったということである。

 私は、イエスが実際にどういう誕生のし方をしたのかは、もはや分からない以上、それをあれこれ考えても意味ないが、ルカたちが何としても後世に伝えたいと思ったこと、「イエスは神であった」と彼らを信じさせた「イエスの何かとてつもないもの」、それをそのまま受けとめたいと思う。それをそう受けとめてしまえば、実際の誕生については字句通り不思議な誕生であったとイメージしても、良く分からないと思ったとしても、どちらでも大差はない。その人の気分で決めればいいことだ。受けとめるべきものはルカたちが信じた「イエスは神の人であった」ということなのだから。私はそう思う。  Nat

 


 


 


 


 

選挙 – TPP反対??

 各党のTPPへの考えは割れている。民主党は与党だったので「自由貿易を目指して交渉参加するが、日本の農業、食の安全、国民皆保険は守る」との立場。みんなの党も「参加賛成」。また公明党はバランス良く「十分審議できる環境を作ろう」。維新は元々「TPP交渉参加すべき」だったが、石原と合流したので「国益に反する場合は反対」と、無意味な表現になった。一方、交渉参加反対派は、まず自民党が「聖域なき関税撤廃が前提なら交渉参加しない。」、未来の党は「全てアメリカルールにさせられるので反対」。社民や共産は勿論「反対」。

 しかし、私の思うに、日本の国内の大問題である「社会保障の破綻、産業の破綻、若い世代の生活の破綻」への対処という本題と違い、所詮、TPPは国際政治の中で米国以下の相手のある話だから、政党が選挙向けに何か口走っていても、所詮、なるようにしかならない面がある。よって、投票する政党をTPPで選ぶのは余り意味がないとも思っている。

 と言った上で、TPP問題への所感を述べる。それは、反対派のアメリカの「侵略」に対する懸念や恐怖の意見を聞いていると、徳川幕府の黒船騒ぎと、もう一つ、戦時中の「鬼畜米英、日本に上陸し婦女を犯す」論を思い起こす。

 まず、関税撤廃での日本農業の“壊滅”問題だが、私は何度も、結局、これは日本の米農家等に対する価格の逆ザヤ補てんに行き着くしかないと言ってきた。そのため、輸入米も含めて米の小売に対する特別な商品税の導入も展望した。TPP反対を叫んでいる農水省も、本音では関税撤廃を受け入れた後の農家への所得補償がポイントと考えているようだ。また、たとえ米の関税が撤廃されても、日本の消費者の味覚に合う輸入米の供給量は限定的で、直ぐに日本の米が壊滅する訳でもない。ところが、農水族の政治家は「米国によって日本中の農業が壊滅させられる!」と絶叫してみせる。彼らも、現実には所得補償などになっていく手もあるとは知りつつも、見え方としては「壊滅するからTPP絶対粉砕」と叫ばざるを得ないのだろう。しかし叫んでいるうちに段々本気になってくるし、叫ばれている農家も本気になるのが怖い。

 次に、「日本の国民皆保険が破壊され、米国流の医療が日本中に蔓延る」論についても、「鬼畜米英、日本に上陸し婦女を犯す」論と同様のものを感じる。日本には国民皆保険という50年に亘り維持されてきた世界に誇るべきものがある。保険の点数制度を通じて、誰でもが全国一律の価格医療・医薬価格での医療を受けられる。これがないアメリカ等他の国では医療は著しく高価なサービスとなってしまっており、貧民は実質医療に与れない。医療については、日本は確かに幸せな国である。ところが、TPP反対論者は、「アメリカは米国流の医療サービスをもって日本に殴り込みをかけるため、医療の価格統制の源である国民皆保険を破壊させようと企んでいる。また日本では今、混合医療が認められていないのを認めさせて、日本に米国流の高度医療が進出しやすくしようとしている。」と言う。米韓FTAで韓国が、新薬審査の迅速化や価格決定に対して製薬会社が意見出せる機会の確保などを認めさせられたことを見て、TPPで米国は日本に米国流で侵略してくると決めつけている。しかし、米国通商代表部は、20123月に公的保険制度や混合医療はテーマとしないと表明している。TPP反対派が「それは、今、そういうフリをしているだけ」と叫ぶのは人の勝手だが、如何にもひきつっている。しかし、米国の医療保険一つとっても、ガン保険など既に十分参入済で、米国としても、健康保険・医療制度の分野で日本を本気で攻めたてる追加メリットもさほどないと私は思うし、米国が日本人の独特の医療業界に進出できると本気で思っているとも思えない。しかし案に相違して、もしもTPPでそういうテーマが出れば、国民皆保険は米国もそれがないから苦労していることからも、日本としてそれは当然それを護持すべく主張すればいいことだ。また、混合医療の容認とか、新薬審査の迅速化は、TPPで取り上げられなくても、元々国民としてはやって欲しいことだ。 だから、医療分野でTPPに反対するのは農業以上に馬鹿げている。反対する人は、米国に反対すると見せて、本来行うべき改革に抵抗する既存の医療業を代表する人に違いない。

 最後に、韓国人が「毒まんじゅう」と言い出して、そういうレッテルが焼付いたISD条項((国家対投資家の紛争処理条項)。これも、反対派は黒船みたいに怯えるが、民主党の金子議員が書いているとおり、既に日本が各国と交わしている経済協力協定にも同様の条項が入っているが、念のため条項であり、日本の実態に関してみると「治外法権」になる等というのは「鬼畜米英」論に通じる極端な見方であろう。

 さて、そもそもTPPは、米国が、自由貿易の名の元に農産物ビジネス等を拡げようという思惑もさることながら、根源には中国包囲網の形成という安全保障問題が存在する。米国の同盟国である日本としては、今、個別の政党が「交渉参加反対」などと国内的に叫んでみせていても、所詮、交渉に参加するしかなかろう。むしろ、そうであれば、参加する中で、日本の主張すべきことを主張する方が遥かに賢い。ただし、所詮なるようにしかならないTPPだから、今回の選挙の投票を検討する上で、今、各政党がこの瞬間に口走っていることに左右されるのはバカバカしい。TPPは自由貿易に資するので、うまくやれば、より深刻な問題である日本全体の産業・経済にもプラスに出来よう。しかし日本の産業の凋落はTPP以前の問題として「自滅」なのである。だから、TPP問題を論じる暇があれば、産業再活性化を論じるべきであろう。   Nat


 


 


 


 


 


 

選挙 - 脱原発??

 いよいよ選挙だ。 Face Bookに何回かに分けて書いた以下の文を、Blogに再掲載させて頂く。

 今度の衆議院選挙。政党で選ぶ場合は政策での評価になる。しかし、結局、原発とTPPは主たる評価点にならない。原発は実際には日本としての選択肢は非常に狭い。だから、今は政治家が色々言っている段階でいい。TPPも、国際政治の中での展開になるので、政党が今選挙目的で何か言っていても、所詮なるようにしかならない。しかし、日本の最大の問題は「社会保障の破綻、日本の産業の破綻、若い世代の生活の破綻」のトリプル破綻にこそある。社会保障破綻はどこの政党も逃げている。産業破綻は、自民党がリフレを突出的に唱えているが、他政党は実質何もないか、口だけ。若い世代問題もなるほどという政策が見当たらない。今のTV報道は原発問題に引っ張られているが、本題は日本破綻だろう! 憂国・憂国の私は強くそう言いたい。

 では、まず今回は上記の「原発とTPPは実は争点にはならない」のうちの原発問題から。各政党が原発問題につき微妙に違う表現で政策を掲げているが、結果的には日本の選択肢は狭い。まず、国民がこれだけ恐怖したからには「原発増設」は実質無理。一方「原発稼働ゼロ」も、ここでずっと書いてきた通り、あり得ない。使用中・使用済核燃料という、福島3号では核爆発して大問題になった厄介モノの総計2万トンを原子炉の外に出して保管し、最終的には狭い日本の国土の何処かに処分という不可能に近い難題に行き着く。

 その点を、もう少し順序だてて言うと、以下の通りだ。

(1)まず原発が危険というのは原発という箱ではなく、中にある核分裂反応をする核燃料が危険ということ。だから箱を止めても、中の危険な核燃料は残る。むしろ箱の外に出して保管・処分せねばならないので、却って危険度が上がるという面もある。

(2)使用済みの核燃料の中にはまだまだ核分裂できるウランやプルトニウムが一杯入っているから、これを再処理して分離し、分離されたもう一度燃やせるウラン・プルトニウムは(実質)無くなるまで使うことで、処分するべき部分は廃棄物だけになる。(廃棄物は核爆発などしない、但し使用済み核燃料同様猛烈な放射能は発する)。廃棄物も最終投棄の問題が残っているが、核爆発し得る燃料をそのまま保管・処分する恐ろしさよりはまっし。

(3)ということで、原発をやり直しで安全度を改善した一部の原発を利用しつつ、使用済み核燃料の再処理、燃料再利用というサイクルをする方が、原発を全部捨ててリスクのより高い燃料を大量に抱えてニッチもサッチもいかなくなるよりも、国民生活は安全だろう。

 と私は考えるのだが、今回の選挙でも脱原発を主張する人の多くが、その理由の一つとして「原発には燃料サイクルの問題がある」と、廃棄物処分問題に言及する。しかし、その人は、脱原発の結果、大量の核燃料(使用中も含む)の保管と直接処分という、より恐ろしい難題が発生することを知らないか、あるいは知っていても隠している。私はそこを問題視している。

 以上が脱原発のもたらす「使用済み核燃料問題」。その上、原発なしの場合、温暖化ガス対策で壮絶な省エネが国家と国民を危機に追い込むだろう。これは皆が気にし始めている電力代金アップ以上に大きな脅威になる。ということから、実際には、既存原発の技術・設備を一からやり直して格段に高い安全性に到達したものから稼働、そう出来ないものは廃炉という方向しか選択肢は無かろう。それが、私が言い続けている「原発やり直し」。ただ、当面は安易な再稼働を絶対阻止するために、私も便宜的に「脱原発・卒原発」派を応援するが、実際には「やり直し」しかあり得ない。幸い、NHKの世論調査では「即脱原発」等よりも「時間をかけて答えを見出そう」という冷静な意見が最も多いようだ。もし、その調査のように国民が本当に冷静なら結構で、選挙目当てで騒いでいる政治家がむしろ宙に浮いているのかも知れない。ということで、今回の選挙で各政党の原発に関する見かけ上の政策に惑わされはいけないと思う。

では次回はTPPも争点でないことを書こう。
   Nat


 


 


 


 


 

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