今日53日は憲法記念日。安倍内閣の憲法改正をやりやすくする「憲法96条改正」についても、報道で色々言っている。これに対して、私は前から、憲法96条改正で憲法を変えやすくするのは、絶対良くないと言い続けてきた。ここに改めてそのことを述べよう。 

 1.安倍は「憲法改正を国民の手に取り戻そうではないか」等と言っている。これは完全に欺瞞だ。憲法は、そもそも政治家が暴走しないように縛るために国民が持っているものである。安倍が本当に言いたいことは、心ある政治家が憲法を変えたいと思っても、「国会の3分の2」ルールでは厳し過ぎて変えられないということだろう。そして、本音は、それをもって、憲法9条を変えるための伏線にしようということであることは間違いなく、そうであれば、最初から9条改正を前面に出すべきであろう。さて、憲法改正の手続きとしては、国会承認の後は国民投票になるが、それは今でも過半数ルールであり、それを変えるということでない。今回、安倍が変えると言っているのは、国民投票ルールの方ではなく、国会での議決ルールを3分の2ではなく過半数にしたいということだ。だから、彼が目指していることは、「憲法改正を国民の手に」では全くなく、「政治家の手(というか自分の手)に取り戻したい」と言うことだ。よって、安倍の言うことは100%欺瞞であり、これにひっかかってはいけない。 

 2.第二に、憲法も人間の作ったものであるので、永遠に変えられないのではおかしいという点は、全くその通りである。簡単に変えられない憲法を硬性憲法というが、憲法改正に議会の32以上の承認が要るのは、何も日本だけではなく、米、独、仏、韓国など多くの国でそうだ。そして、戦後で見ても、これら多くの国で、憲法の改正(細かい改正も多いが)を、議会の3分の2の承認を得て、ちゃんとこなしてきている。米国の例でみると、米国憲法も議会の3分の2でしか改正出来ないが、1788年の制定以来、奴隷制廃止、黒人参政権、女性参政権など市民の権利に係る根本的なものは、ちゃんと憲法改正出来ている。一方、日本憲法は制定から67年で未だ新しいので改正された経緯はないが、本当に改正すべきものであれば、国会も3分の2が賛成するだろう。それを過半数程度で改正法案が作れるようにすると、政権交代のたびに改正法案が出てきかねない。 

 3.次に、憲法96条の改正で憲法を変えやすくするという手続き問題と、その後、どう憲法を変えるのかということとは別問題なのであるが、結局関係してくる。そこで現憲法の中身についてもひとこと言おう。現在の日本憲法は、戦後、米国が押し付けたものであり、だから、今度こそ日本国民が憲法をつくるべきだという意見がある。(注:日本同様の敗戦国のドイツも、英米提案の憲法を採択した。)結局、安倍の言いたいことはその辺であろう。しかし、現在の日本憲法の中身を見て欲しい。その前の大日本国憲法が女性の参政権をはじめとする基本的人権を認める明文がなかったのに対し、現憲法は、米国譲りであれ、多くの基本的な国民の権利を保証する条文が入り、結構優れた内容である。一方、9条はどうかというと、今では現実との乖離が出ているものの、「非戦」を原則とした9条は、経緯こそ米国の押し付けながらも、当時の日本の政治家も「もう二度と戦争を起こさないようにしたい」という理念に共感したからこそ調印したのである。更に、憲法の草稿段階で、相当、日本側の修正注文も容れられている。よって、「現憲法は米国からの押し付けでしかなく、日本国民の思いを全く反映していないおかしな憲法」と決めつけた上で改正を叫ぶのであれば、それは著しく偏った意見であろう。それでも尚、憲法9条を現在の世界に合うバージョンにどう進化させるかなどの、意味ある憲法書き換え課題は十分あるだろう。しかし、それは、国会の3分の2が賛成するところまで、改正案を練り上げ、それで初めて国民投票に付するべきものであろう。だから、現憲法が部分的に改正すべき点を含んでいるのはそうであるとしても、その改正手続きを安易に過半数ルールにすべきという意見には、合理性は全くない。 

 4.更に言うと、同じく議会の3分の2以上の承認を必要とする米・独・仏・韓などで戦後でも複数回の憲法改正がされてきたのに、日本では同じ3分の2ルールにも拘わらず、何故改正されてこなかったかという点も理解しておく必要があろう。それには、逆に何故、戦後だけでみても憲法改正が米国で6回、フランスで27回、ドイツで58回、イタリアで15回もされてきているのかという点の理解との裏腹である。米国とフランスは200数十年の中で、憲法を時代と共に進化させてきた歴史がある。またドイツとイタリアは戦後、敗戦の中で言わば暫定的に作った、憲法と法律の間のような種々細かく規定したルールが「憲法」となり、だからこそ、その細則を色々修正してきたものだ。一方、日本国憲法は、細則のない理念的な憲法文案であり、かつ、明治以前には憲法などいう概念もなかったものだから、制定以来67年、特に改正する強い必然性がなかったのだ。そもそも憲法は、国民が政府を縛る原則であり、市民革命を経てきた欧米のもので、日本は明治で突然、欧米のマネをして採択、戦後は米国主導でまた新しいのを採択というのが経緯だ。そして、それが結構良く出来ている理念的なものだから、これまで67年間、改正されてこなかったのは、極めて自然であったのだ。何も国会の3分の2承認ルールが非合理的でそれをさえぎってきた訳ではない。だから、「日本だけが、戦後、一度も改正されてない。今こそ3分の2ルールを変えよう」等という、政治家の弁に惑わされてはならない。 

 5.最後にそもそも、日本文化には太古の昔より「原理原則」がなく、融通無碍に皆で話し合いで決まれば何でもありという文化だ。市民革命を経て原理原則が社会の土台にある欧米とは、そこが根本的に違う。だから、日本は特に、簡単に変えられない憲法があることが重要なのだ。私はそう考える。 

以上にて、憲法96条改正には、私は明確に反対したい。その上で、憲法9条については、日本の平和主義を護るための、より現代的な規範(特に国際的な義務)につき、より良い条文を議論するのは賛成だ。そして、それを国会の3分の2の承認を堂々と得て、国民投票に付して欲しい。    Nat