♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)

生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等

2014年08月

日本は戦争の出来る国なのか?

 86日の広島の日。安倍首相は平和へのあいさつをした。しかし安倍首相のことを「日本が再び戦争の出来る国にしようとしている」と見ている国民は多い。いわゆる「交戦権」。日本の現状はどうか。 

 憲法9条は明確に交戦権も禁止している。つまり他国に日本を武力攻撃されても武力応酬は一切出来ないという、実はすごい内容だ。やられるがままになる。これは思想的にも非常にクリアだが、国家政策としては非現実なのだろう。だから、武力攻撃事態法という法律の方で、「(武力攻撃を受けた場合その排除のための)武力の行使は、事態に応じ合理的に必要と判断される限度においてなされなければならない。」と定め、要するに最小限の武力行使を合法化した。 

 しかし、自衛の為であろうが、最低限でも武力行使すると、実質的には「交戦」になってしまうことが多い。よって、安倍首相の集団的自衛権の前から、既に我が国は「自衛のための戦争は出来る国」になっているのである。つまり、憲法9条は交戦権を完全否定しているのに、自衛隊法や武力攻撃事態法では部分容認してしまっている。この曖昧矛盾構造で良しとしてきている我が国の現状は、そもそも異様であるとも言えよう。 

 安倍首相としては、既に法令で認めている自衛のための交戦権を、少し幅を広げましょうと言っているだけのつもりかも知れない。しかし、そもそも憲法と法令の関係が曖昧矛盾なのだから、国民の反応もまちまちとなり、且つ、不安に満ちたものとなってしまう。右翼から見ても左翼から見ても、日本の現状は危うい。      Nat

東京大空襲 : なぜあんな惨事が起こったのか??

 今日、江東区にある「東京大空襲・戦災資料センター」に、教会の中高生と一緒に見学に行ってきた。

 1945310日の大空襲で、米軍が意図的に人口密集地の東京下町を狙って焼夷弾で10万人の市民を焼き殺したことを振り返った。奇跡的に生き残った女性の方のナマナマしい話も聞き、胸がつかえた。どうしてこうなってしまったのか。

 第一次世界大戦後、1922年のハーグ条約で、日本を含む各国は今後戦争になっても「無差別の市民への空爆だけは禁止しよう」と約束した。それを破ったのが、1937年にスペイン・ゲルニカでドイツが小規模に行った無差別空爆(死者1,600人)もあるが、何と言っても日本軍が1938年から中国重慶で200回以上の無差別空襲で1万人の死者を出したことと言われている。

 米軍が終戦間際に日本本土各地で無差別空爆をするに当たり、相当、国内で賛否両論を戦わせているが、結局「日本が始めた無差別な市民虐殺を止めるには、米国もキレイごとでは済まない」という意見が通ったものだ。東京裁判で、米側は「日本軍の重慶無差別空爆の見返りで、日本は大空襲と原爆を受けた」と総括している。これがフェアかどうかは別だ。今のイスラエルとハマスの泥試合と同じく、一旦戦争が始まれば、どちらのサイドも「正義」になるからだ。

 今晩の中高生の平和の礼拝で、大空襲の被災者の高齢者の教会員男性が話された:「戦争に正義はない」。全く同感だ。戦争は始まってしまうと両サイドを狂わす。だから、戦争は絶対始めてはいけない。今晩、私は改めてそう思った。  Nat

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