共産党の志位委員長がポツダム宣言に絡めて安倍首相に、「日本の侵略」「間違った戦争」を認めるのかどうかと執拗に追及。安倍首相は逃げた。
安倍首相の肩を持つものではないが、人類史の中で日本だけがその戦争行為を「悪・罪」と断罪されたという歴史的事実がある。近代史で特に欧州各国は戦争を繰り返し、負けても「悪・罪」とはならず、賠償で償うだけであった。
ドイツは戦争責任を深く表明している等と大きな誤解が拡がっているが、第二次世界大戦で、ドイツはソ連やポーランドへの侵略戦争の責任は一切問われていない。戦時中に、戦争とは別にナチスがユダヤ民族を大虐殺した「人道的な罪」だけを問われているのだ。ドイツはソ連等にも賠償金も支払いもしてなければ、連合国と平和条約も結んでない。(注:一部、ソ連内に放置したドイツ資産をソ連が没収等したが、それだけで、賠償金は一切なしで済ませた。)ずっと戦争をし合ってきた白人同士という事もあろう。ドイツは「戦争やりっぱなし」で放免されたのだ。勿論、戦後の東西冷戦開始の中、ドイツは東西分離支配になったので、責任を負わせるべき「単独ドイツ」がなくなってしまったということも関係している。しかし、要するに、ドイツは戦争の「罪」は一切問われていないし負ってもいないのである。(本年3月10日及び5月5日の当ブログ記事、ご参照。)
これに対し、日本は、ポツダム宣言でもそうだが、日本の戦争行為そのものを「侵略」や「罪」として断罪されたのである。一つは白人の秩序の中での唯一「アジア人(日本人)による挑戦」ということも背景だろう。それよりも、既に東西冷戦開始で、米国が日本へのソ連支配を排除するため、日本に本来人類史上最悪の戦争犯罪となるべき原爆を落してまでソ連を威圧した経緯の中で、「日本=軍国主義の悪」、「米国=民主主義の善」という構図に持ち込みたい国際政治上の思惑があったからである。かくして、日本は人類史上唯一、戦争に負けた上に「罪・悪」と断罪されたのである。しかも安倍首相の言うとおり、原爆で威圧された中で、無理やりそのような歴史観を日本に押し付られたのは、間違いなく歴史的事実であろう。
そこで、安倍首相ら自民党右翼は、この屈辱を晴らそうとする。しかし、ここから、私と安倍首相とは道を分かつ。安倍首相は、流石に「日本だけが罪・悪であったわけではない」とまで露骨には言わないまでも、国際的にはそれに近い位置づけにまで修復されることを目指しているだろう。しかし私は言う。日本国内で、戦勝国に押し付けられた卑屈な断罪を、客観的に振り返り、そうでない面を再認識するのはいいだろう。でないと、若い人を含めた国民も徒らに偏った認識のままになってしまうから。しかし、国際的に、日本(軍部)の罪・悪を断罪した東京裁判の結果を受諾したサンフランシスコ講和条約を今更のように蒸し返すに等しい言動は、日本を再び孤立化させるだけであり、日本のためにならない。国際的には、どんなに言いたいことがあっても、ここは ”大人に”なり、「屈辱でも、耐えるべきものは耐えるべき」である。そして、何度も言うとおり、日本が中国などで行った行為については、もはや、国対国の懺悔ではなく、神が創り給うた命の大量抹殺であったとして、「人類から神への懺悔」として深く祈りを捧げるべきであろう。
だから、私は共産党の志位委員長にも全く組みしないが、屈辱を国際的に晴らしたい安倍首相にも組みしない。しかし、日本人、特に若い人には、戦後の日本・ドイツそれぞれの戦争責任の処理につき、冷静に的確に認識して欲しいと思う。
Nat