改めて、安保法案に関する議論対立について。

 国際情勢インテリ的な意見と、「平和を守ろう」的な意見の対立は、突き詰めていくと、「世界の中での日本」についての、2つの異なる究極的ポジションの違いに行き着くと思う。

A. 国際的な安保体制の為には米を核とする西側の集団安保体制が必須だが、“集団体制”は互恵が基本ゆえ、日本だけが憲法9条の制約で集団的自衛権行使できないのでは、日本だけが落ちこぼれて危険。

B. 日本が憲法9条で「紛争解決の為の武力を永久に放棄」したことは人類史上の新しい理念の先駆けでもあり、米国を核とした集団的安保体制の中でも、日本はあくまでも、その理念を真摯に説き、その範囲で可能な体制の一員であることを追及すべきである。


 ・・・A論は軍事・安保の実利論であり、B論はイデオロギーである。そして、A.B.に「既に自衛隊もあり理念は欺瞞化している」といった水を掛け、B.A.に「一人前の武力行使国家になると、却って危ない」とか言い議論が始まるが、実は違う話をしている。喩えて言えば、夫婦間で今後の家計の話をしているのと、二人の間の永遠の愛の話をしているくらいの違いがある。それでも、A.B.も相手を「悪魔」や「アホ」視せず、共に生きていくには、どうしたらいいのであろうか。私は今、そのための妙案を持たない。  Nat