ネットの誰かの記事だから、本当かどうかは知らないが、フランシスコ・ザビエルが日本で布教中、日本人に鋭い質問をされ、たじたじとなったという話がある。
どこに行っても日本人は聞いたという。「そんなにありがたい教えなら、なぜ今まで日本にこなかったのか?」と。その上さらに、「そのありがたい教えを聞かなかったわれわれの祖先は、洗礼を受けなかったので、地獄に落ちているのか?」とも聞かれた。ザビエルが「そうだろう」と答えたら、日本人は「あなたの神様は無能だな。全能の神なら、私のご先祖様ぐらい救ってくれてもいいではないか?」と問い詰めたと言う。
この記事に対して、ネットで、あるクリスチャンがコメントしている。「キリストは3日間黄泉に行っていた。キリストは時間も越えるので、黄泉の国の人に対しては、今でもキリストが救っているのだ」と。これにも驚かされる。
私は思う。「なぜザビエルのように教条主義的に対応するのか?」 また「なぜ「3日間の黄泉の国」理論まで出して、無理につじつまを合わせようとするのか?」と。確かに聖書の中には、信じない者の滅びに触れている部分は多々ある。しかし、聖書の伝える圧倒的な真理は、全ての命を救おうとするキリストの十字架である。だから、私がザビエルなら、こういった筈だ。「人の救いを決めるのは神である。だから、洗礼を受けずに死んだ人の救いの有無は、人間の自分には言えない。しかし、主イエスの十字架による救いは、その人たちにさえ及ぶと私は信じたいし、祈りたい」と。
Nat