今朝の朝刊に又、アベノミクス第二段の「1億総活躍」の記事。
保育や介護の待機解消は、社会の大きな課題だから、それに取り組むのはいい。しかし、欺瞞に満ちているのは、それを経済成長の特効薬のように掲げている点。
経済成長を阻害しているのが労働力不足であるなら分かる。しかし、実際には事業体が直面しているボトルネックは保育・介護に回っている労働力ではなく、世界的な競争、地方の疲弊等の厳しい環境の中で、事業を進化させられる高度人材であり、過剰規制や高エネルギーコストといった制約要因である。
労働力が最大のネックなら、もっと賃金が跳ね上がる筈だが現実は真逆である。
そして何より、日本が世界の中で何で勝負していくのかのビジョンがない。自民党の票田への受け狙いで「高度医療」とか「攻める農業」とか言っているし、アニメなんかがリストのトップに出てくるので、もう溜息が出る。
肝心の製造業の進化へのビジョンがゼロ。日本の事業体の経常利益の25%は製造業が創出している。次に大きなのは18%の金融・保険だが、これはもう今さら世界水準は無理。残りは卸・小売・サービスの寄せ集め。製造業も単純生産はベトナム等にシフト中だが、日本の高度生産技術に、これから重要なIoT(機器をネットで繋ぐ)を加えた製造業進化を、規制緩和と電力コスト下げ、法人税下げを含めてバックアップすることこそが重要国策である。それがアベノミクスには全く欠けている。
Dysonに象徴される英国はもうこれを志向している。日本も、もう待てない。 Nat
2015年11月
11月23日は「勤労感謝の日」で祝日だった。
ネットの記事で、「勤労感謝の日」等という名称の欺瞞を非難し、本来の「新嘗祭」(にいなめさい;天皇が収穫を感謝する宮中祭祀の一つ)を回復すべきであるというのもあった。
一方、私のようなクリスチャンからすると、今年では11月22日(日)が教会の収穫感謝の日であったが、そちらに意識が引っ張られる次第だ。収穫感謝日と勤労感謝の日は関係あるのか? あるとも言えるし、ないとも言える。
新嘗祭は、古来11月の中卯の日に行うが、明治6年のその日が11月23日であったので、それ以降は11月23日に固定された。ところが、戦後GHQが日本的なものを全て廃止ということで、11月23日を「勤労感謝の日」に変えた。アメリカでは、11月の第4木曜がThanks Giving Dayで、17世紀にイギリスから清教徒が米国に逃げてきて最初の収穫を得たことを神に感謝するアメリカと教会の祝日。しかし、それでは日本に合わないので、GHQとしては同じくアメリカの祝日である9月のLabor Day(これは教会に関係なく、労働者を祝福する日)と発想を合体させ、「勤労(Labor)感謝(Thanks Giving)日」なる、訳の分からないものを編み出したのである。
ということで、ネット記事が主張する通り、勤労感謝の日は、誰から見ても今いち気合の入らない「ただの休日」になった。私もただただ、日ごろの自分の勤労を自分で労い、ゆっくり朝寝坊した次第だ。 Nat
我が家にもマイナンバーが到着。もちろん受け取った。
世の中では、受け取り拒否しようという呼び掛けもあるが、受け取り拒否には、何のメリットもないだろう。
マイナンバー(MN) に否定的な人たちは、大きく言って二種類。(1) MNで怖いことがあり得ると心配している純朴な多くの人たち、(2)もう一つは、反体制志向で、MNは政府の実務合理化のためだけ、あるいはIT業者のみ利する制度と決めつけ、制度を失敗させるべく、制度へのサボタージュを呼び掛けている一部の人たち。
(1)の、純朴に心配している人達は、MNを人に知られると個人情報も奪われてしまう等と懸念している。勿論、年金情報のように漏れてしまう可能性もあるが、一般的には、MNと写真付きIDの両方がないと、何も出来ない制度になっているから、MN制度になったからといって、特段に個人情報が漏れることになるとまでは言えないだろう。
それなのに、哀れなのは、MNの受領拒否すると、そういうリスクを遮断できると思いこまされて受取り拒否している人たちだ。拒否しても、既に税・社会保障の仕組み上、その番号でどんどん仕組みが進んでいく。番号を知らないなのは本人だけという気の毒な状態になる。つまり、受け取り拒否してもしなくても、漏れる時は漏れるし、漏れない時は漏れない。受け取り拒否して得るものは全く何もない。一部の扇動記事に惑わされないことだ。
MN利用はこれからだが、国民にとっても、いちいち、役所ごとに、書類を用意するのが不要になるなど、利便性が高まる方向であろうと思う。だから、半信半疑でも、まずは受け取らないと愚かになると、私は思う。 Nat
パリでのIS(イスラム国)によるテロで、129人が犠牲で死んだ。
facebook等でも、被害者市民への哀悼の表現が多数。一方、皆が指摘するように、その1日前のレバノンでのISテロによる41名の犠牲者には、殆ど反応がない。何故か?
先ず、日本での報道の度合いが全く違う。また、日本人として、フランスやパリには親しみがあっても、レバノンは、どこにあるのかも良く知らない人が多い。日本政府の反応も、フランスはG7の仲間国、また、フランスは日本も人道支援で名を連ねるIS対抗の有志連合国の有力メンバーであり、レバノンとは親しさが違うので、強く連帯のメッセージを出す。その上、ISのレバノンでの攻撃は、レバノン内で国際的にテロ集団認定されているシーア派武装組織のヒズボラを標的にしたもので、やられても仕方ないみたいな感じもあろう。更にいうと、日本人の感覚上、今や、無意識でも白人の方が近しい仲間で、中東の民族は何となく親しめないという現実もあろう。
しかしだ、どちらも、罪もない市民が巻き添えになっているので、人道的に哀悼するなら、両方に哀悼に祈りを捧げて然るべきところだ。でも、それは、実質無理である。政府やマスコミの取り上げ方が、これだけ違うのだから。
しかし、そうやって政府とマスコミに、ある意味で「操作」された結果、純粋人道的にパリ被害者にのみ哀悼の意を表明した人は、結局、ISからすると、米国を筆頭とする白人勢力の仲間としてカウントされることも認識せねばならない。後藤さんは、それで殺害されたことを、改めて思い出すべきである。白人だけの仲間と思われたくなければ、レバノンで被害にあった41人の命はおろか、米国やフランスの爆撃で死んだISの人たちの命にも、等しく哀悼の祈りを捧げるべきであろう。 Nat
イスラム国(ISIS)の仕業と思われるパリ同時多発テロ。
ネットの意見を見ていると、『米国等が、ISISに対して、「目に目を」の武力攻撃するから、却ってISISのテロ反撃を生む』という「憎しみの連鎖論」からの意見も多い。しかし、そうやって米国を批判する人が、同じ義憤をもってISISの蛮行をも同時に非難するならまだしも、実は、ISISに参加するナイーブな若者同様、ISISを「弱い者の味方」視し、知らない間にISISのシンパになってしまっている人もいるのが懸念される。
ISISは今や、10万人規模の兵力を持ち、巨額資産も持つ、準国家級の集団だ。それが、周辺国に戦争を仕掛け、西側連合国にテロを仕掛ける。これに対抗するには、従来以上に資金源と武器供給を断つ諸策が肝要だが、それに加えて、現在の人類の知恵のレベルでは、残念ながら武力抜きでは対応できない現実もある。
しかし、米国等が愚かにも「目には目を」のリベンジ武力を行使して、武力のエスカレートを生んでいると思う人は、米国が如何に武力行使していないかも知る必要がある。政治的には色々吹聴しているが、とどのつまり、米国の中東・イスラム圏政策は各勢力が潰し合って全体として勢いを伸ばさない状態に保つことだろう。米国はイラクのスンニー派政権を間違えて滅ぼし、それまでのシーア派(イラン、シリア)との均衡を崩壊させてしまったとの反省に立ち、今や大きくなったスンニ-武力勢力であるISISを巧妙に泳がしている面が強い。だから、欧米国自体におけるテロは徹底防止しつつ、中東のISISを壊滅させたりはしないのである。
よって「目には目をではいけない」「憎しみの連鎖を切ろう」論も、気持ちは良く良く分かるし、思想的には全く同感だが、このケースの状況分析としては、それだけでは的を外すと思う。むしろ見抜くべきは、実はISISの存在は所与としつつ、自国の利害を追求している欧米とロシアのエゴであろう。 Nat