戦争は8月15日で一応終わったが、満州の日本人の真の悲劇は、ちょうど今くらいからだろう。今、それをしっかり思い起こす時だ。
ポツダムでの米英ソ合意で、戦後、日本本土は米国が、満州はソ連が支配することになった。欧州も適宜分割された。そういう中で、鬼スターリンのソ連が露骨に略奪しようとするのに、米国は一定の歯止めしか出来なかった。北海道の北半分を取ろうとするのを阻止したことや、ドイツから賠償金を取るのは諦めさせるなど。そこでソ連は、戦後、負けたドイツと日本(満州)から、国際法違反おかまいなしに、徹底的にモノと奴隷の収奪を行った。
実は、あの戦争で最も壊滅的な国家破壊された国はソ連であろう。対ドイツ戦で2500万人が戦死、国土は完全に破壊された。それを復興するため、スターリンとしては、戦後に収奪するしかなかったものだ。
満州では71年前の今頃、陸軍に見捨てられた一般日本住民150万人ほどから、50万人位が、ソ連軍に殺害・暴行、あるいは集団自決、そうでなくても病死・餓死か残留孤児になる悲劇。そして、陸軍捕虜56万人と1万人の一般日本人が、奴隷としてシベリアに移送されるのが始まったのも今頃だ。
中国に強引に日本の分国「満州国」を作った大日本帝国の末路がこの悲劇だ。
この我が民族最大の悲劇は、戦後となったはずの、今この頃から9月初までの間に起こった。その事を今、しっかり思い起こしつつも、日本人居住者を捨てて一早く家族と日本に逃げた陸軍幹部の卑劣さを憎み、スターリンの残酷さを憎むばかりではなく、戦争という人類全体の神への罪をこそ憎むものでありたい。
Nat
★追記: 日露戦争の結果で日本の領土となった、南樺太(今のサハリンの南半分。)そこにも30万人余の日本人と、日本が朝鮮半島から連れてきた朝鮮人がいた。1945年のソ連の対日侵攻開始で、ソ連軍は南樺太にも攻め入った結果、満州のように非常に多数の一般日本人居住者への残虐行為まではなかったようだが、日本、朝鮮に帰れず、ソ連領に残留した、日本人、朝鮮人が居たようだ。今朝のNHKで、それに触れた報道があった。一応、樺太の方のことも付記しておく。