「プルーフ・オブ・ヘヴン 脳神経外科医が見た死後の世界」という本は、恐らく、私が今年読んだ本の中で、私にとって最も大きなインパクトがあった本だろう。(本へのリンク)

 全米でも200万部突破の話題作。 本の紹介文では、「名門ハーバード・メディカル・スクールで長らく脳神経外科医として治療と研究にあたってきたエベン・アレグザンダー医師。ある朝、彼は突然の奇病に襲われ、またたく間に昏睡状態におちいった。脳が病原菌に侵され、意識や感情をつかさどる領域が働かないなかで、医師が見た驚くべき世界とは? 死後の世界を否定してきた著者は、昏睡のなかで何に目覚めたのか?」とある。

 いわゆる「臨死体験」の諸事例を研究した本・レポートは他にも多く、また、脳医学的にそれを「脳の最後の幻覚」として説明しようとしたものもある。しかし、この本はまさに画期的。なぜかというと、アレグザンダー医師という脳科学の最先端の科学者で、脳を離れた意識や世界などはないと信じていた人自身が、自分の鮮明なる臨死体験について、復帰後に、意識不明だった7日間の自分の脳の医学的記録を精査し、臨死体験を「末期の脳の幻覚」で説明しようとする9つの科学的仮説を吟味した結果、自分の体験は9つの仮説のどれでも全く説明できないと結論。その結果、脳を離れた広大な「意識」の世界が実存していたのだと結論づけているからである。

 更に、彼の本の主張する考えが、我々にコペルニクス的な転換を強いるのは、次のようなことである。即ち、先ず、この世界・宇宙は、実は物体で構成されているというよりも、「意識」こそが世界・宇宙の存在の本質である。つまり、量子力学の彼方にある「広大な意識の世界」が宇宙の本質だという。

 そして、その本質的な本来の無限の広がりを持った意識が、我々のこの世で生きている間は、この世で物質的な生活をする便宜上、脳の神経機能という物質の制限の中に押し込まれて、著しく限定的・不自由な意識になっているという。しかも、脳の制限を受けた意識自身が、「意識とは何か?」を研究するから、当然、脳の制限を超えた認識には至らず、「意識は全て脳の産物に過ぎない」としか思えなくなってしまうという。生まれてから、小さな部屋にずっと幽閉されていた人が世界を論じようとするようなものだという。

 つまり、普通は、「意識は基本的に脳の機能に根差しているが、果たして、脳を離れて、意体からの離脱した意識などというオカルト的なことが本当にあり得るのか?」という問題設定になる。しかし、アレグザンダー医師は、それが全く逆であったというのだ。本来、我々の意識は広大な宇宙に広がる存在であり、他の人の意識、その根源にある「神」の意識と一体に繋がっている存在だが、生きている時は脳に閉じ込められているという訳だ。それが、臨死あるいは、瞑想などで、本来の意識に解き放たれ、飛躍する可能性があるということだ。

 そして彼の体験では、あちらの世界に最初に引き込まれた際のドロドロとした最初の場から、羽根のついたようなエンジェルのような女性が、彼を無限大の愛の神の世界にまで連れていってくれたとある。アレグザンダー医師は、教会にもちゃんと行ってなかった人で、取り立ててキリスト教の信仰篤い人でないのだが、あちらの世界で実際に神に触れて、目が開けたという。更に、彼自身が復帰後に驚くのだが、エンジェルのような女性が誰か分からなかったのだが、復帰後に見せられた、彼が幼い頃に生き別れた実の妹(既に他界)の写真で、そのエンジェルこそは、実妹の意識だったことに気がついたとのおまけもついている。(つまり、良くある臨死体験では、自分よりも先だったお父さんとかが、臨死体験で出てくるというのがあるが、アレグザンダー医師は逆で、臨死体験で会ったエンジェルの顔を鮮明に覚えていて、誰かが分からず、復帰後に初めて、それが死んだ実妹であることを知ったのである。それもスゴイ。)

 私は、このブログで度々書いてきているように、「意識」とは何かをライフワーク的に追及してきている人間だ。(例えば2015年の325日の当ブログ記事「またまた、意識、心とは何か???」ご参照。(記事へのリンク)) 朝、目が覚めて脳が活動開始すると、昨日までいた「私」という意識の主体が、また昨日の続きの意識を再開するのは何故か? 意識の上に「意識のオーナーとしての私」という上位概念があるほうが分かり易いと書いてきた。アレグザンダー医師のこの本は、まさに、それがその通りと証ししているのだ。私の脳の中の「狭い意識」のオーナーは、宇宙に広がる自由で広大な「私」という意識そのものであったということだ。

 意識を理解するのに、簡単に「神」で説明するのでは科学にならない。だから、科学にもっと発展してほしい。アレグザンダー医師の本は、今後、科学は脳を切り刻んで研究するだけでなく、「脳を越えた本来の意識」というものを探求すべきという方向性を強く指し示している。それと共に、このような「発見」は、科学と信仰とを橋渡しするものにもなりそうだ。

 ああ、非常にワクワクする。  Nat 

追記:なお、私は読んでませんが、同じ著者の次作「マップ・オブ・ヘブン」という本も出ているようです。 Nat