♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)

生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等

2017年05月

加計学園の獣医学部新設疑惑・・・結局、どうなのか?

  何度も言うが、加計学園疑惑は、本当はどうなのか分かりにくい。新設獣医学部の認可等、国民にはそもそもさっぱり分からない。だから安倍政権も、突っ張り通していれば消えていくと読んでいたに違いない。ところが前川前次官の爆弾発言が出た。それで読みが狂い、現在余計に突っ張っている訳だ。

● 獣医学部の新設は50年以上ないが、獣医学部に限らず、人間の医者の数にもずっと抑制が働いている。「医者」という命に係わる職業が粗製乱造されない為という大義名分がある一方、供給過剰を回避したい医師会・獣医師会は常に自民党の応援団であったからだ。

● 日本の獣医師は、人口当たりの数で先進他国より若干とも多いくらいで、決して不足ではない。獣医師で地方の公務員になる人が足りないようだが、一番収入もいい動物病院については、まず飼い犬・飼い猫の数はそれぞれ9900万匹でむしろ微減中である。動物病院勤務の獣医師の為に、獣医学部新設するニーズは取り立ててないようだ。

● 一方、確かに地方の公務員獣医師はなり手が少ないようだが、これは勤務条件、報酬の改善が検討されている。よしんば、既存の獣医学部で供給が不足するなら、これまで各大学の獣医学部定員も増員されてないが、まず定員増を検討すればいいことだろう。ということで、規制緩和で、特区での新設が議論された時も、石破4条件で、よぼど「なるほど」という例外に相応しい理由がないと、新設の必然性は乏しいとなっていたものだ。

● これからすると、やはり、今治に加計学園の獣医学部を敢えて新設する必然性は乏しかったかも知れない。前川前次官がそう指摘し、自民党で前に担当していた石破氏が疑問に思うなら、やはり「怪しい」と思える。安倍の指示を最初から決めてかかるのは禁物だが、やはり怪しい。

● というなかで、安倍政権・自民党の「強引無視路線」がいよいよ強まっている。ネット世論の中でも、「こういう下らないことばかり追求していないで・・」という議論もある。しかし、私は驕り高ぶる傲慢安倍政権の「一事が万事」的な疑惑として、やはり、国民は注視すべきことであろうと思う。たとえ、安倍は結局、逃げ切るとしてもだ。    Nat

 

「創世記」の“弟殺し”カインの物語からの「三つの法則」

 旧約聖書の最初に「創世記」という書物があり、神がこの世や人間をどう創られたについて書いてある。その創世記に最初に登場する「人生物語」は、アダムの長男カインのものである。カインは世界で最初の殺人者、しかも「弟殺し」をしてしまう人だ。しかし実は、この弟殺しのカインの人生にこそ、神と全ての人間と間に共通する“基本法則”みたいなものが凝縮されていると思うのだ。(以下は、2017528日に、私が田園江田教会のジュニア・チャーチで、中高生たちが中心の礼拝で語った聖書の話である。) 

 最初の人、アダムとエバの間には、二人の男の子が生まれた。兄のカインは畑を耕し作物を育てる人になった。一方、弟のアベルは羊飼いだ。ある日、二人は神に捧げものをする。カインは農作物を、そしてアベルは羊を捧げた。カインにとっての最初の悲劇はここで起こる。神が弟アベルの捧げものにしか気を留められなかったからだ。兄カインは、これに憤ってアベルをひどくねたみ、結局はアベルを殺してしまう。

 しかし、聖書の読者はほぼ全員ここで疑問を抱く。なぜ、神は平等に両方の捧げものを評価しなかったのか?と。それこそ、まさにカインが抱いた強烈な憤りである。しかし、これが神と人との間の「第一の法則」である。人生の中で神のされる事には、ほぼ必ず「なぜ私がこんな目に?神さま、おかしいじゃないですか!?」ということがあるという法則だ。人は憤る。しかし、人には神のなされていることの全体像は見えていない。聖書のカイン物語では、そこまでは書かれていないが、もしかして弟アベルには何か深い悩みあり、必死に神に祈り、その上で泣きながら捧げものを差し出したのかも知れない。これに対し、兄カインは、特にそういう事情にはなく、形式的に捧げただけかも知れない。だから神の反応には理由があったかも知れないのだ。しかし、カインに代表される我々人間には、神の全体像が見えないばかりに、ただただ神に対して憤り、疑問に思うしかない出来事が世にはあるのだ。これが、私がこの話から感じる「第一法則」である。

「第二法則」は、カインのように人間の胸が張り裂けそうになる時にこそ、実は神と人との本当の関係、濃密な関係は、そこから始まるということである。しかも、その濃密な関係は、神の方から始められるというのが第二法則だ。捧げものへの神の「不公平」に憤ったカインに、神の方から語りかけている。「カイン。どうして私にそっぽを向くのか。おかしいと思えば私に言えばいいではないか。今のあなたの心の状態は危ない。罪を犯す一歩手前だよ。」と。しかし、カインは神に応えず、弟アベルを野原に呼び出し殺害してしまう。そこで神は更にカインに語り掛ける。「何ということをしたのか! 流されたアベルの血が私を呼んでいる」と。ここでカインは我に帰る。そして神にすがる。「取返しのつかない罪を犯してしまいました。これから世をさまようしかない私ですが、皆から“弟殺しのカイン”と言われ、殺されてしまうでしょう。私はどうしたらいいでしょうか。」と。ここに、初めて心から神にすがるカインの姿がある。第二の法則は、人が憤り、追い詰められた末には、初めて神との深い関係があり得るということだ。

 殺人までして初めて神にすがるカイン。神はそんな身勝手なカインを撥ね付けられるのだろうか。ここからが第三の法則だ。神はすがるカインを決して見捨てない。神は言われる。「あなたを殺す者は7倍の復讐を受けるようにしよう。それが分かり、誰もあなたに手を出さないように、あなたに印をつけよう」と。そして、恐らくカインの額にと思われるが、カインに大きな印をつけられたのである。神はカインを見捨てないばかりか、全面的にカインを守り、全面的にカインの生きる道を備え給うたのである。これが第三の法則だ。そして、カインは、それに守られ、長く生きたのである。

「なぜ、私にこんな?」ということは、誰にも起こる。そして、その時こそ、神さまがあなたにしっかりと語り掛け始める時だ。しかし、多くの人は、神の語り掛けに気が付かず、人間のドロドロした憤りの「蟻地獄」に深く落ち込んでいく。カインのように人殺しはしないまでも、更に深い不幸に進んで行ってしまうこともある。しかしそういう時でも、神さまは、あなたを見捨てない。あなたに働きかけ続け、あなたを愛し守ろうとして下さる。それがカインの物語が指し示した法則だと思う。これからの人生の中で、そういうことが起こった時、このことを少しでも思い出してほしい。あなたの人生の筋書きはそれだけでも変わってくるはずだと思う。私自身、この法則で、思いもかけぬ人生の筋書きに導かれてきているのだから。   (私のしたお話は、以上でした。)  Nat

精神病の人を警察等がモニターする法律が出来る

 精神保健福祉法の改正案が参議院で可決、最終的に衆議院で可決で、正式に改正が成立することになる。

・ 最近、共謀罪法案と改憲の動きばかりが目立っているが、精神病の人に関する重要な法律が出来ようとしている。

・元々の精神保健福祉法は昭和25年制定。精神障害者の中には本人の同意がなくても所謂「措置入院」、つまり強制入院させ、更に自由を奪わざるを得ない人もいる中で、そのルール化、そして精神病の人の人権も擁護することのバランスを保つ法律だと理解している。

・ところが、今般、これを急きょ改訂することになった背景が、例の相模原の知的障碍者施設での大量殺傷事件。あの犯人が人格障害であったことから、「精神病の人を野放しにしていていいのか?」論が盛り上がった。

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それで、今回の改正では、入院患者が退院した後も、「その人が正常に社会復帰できるのを見届ける為」ということで、市町村で支援調整機関を設けるというのがポイントのようだ。法案の中には明記していないが、趣旨説明の中でその機関には警察も入るという。

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つまり、今、世界的にはむしろ精神病患者の人権を重視する法令の制定が潮流である中で、日本では、一度精神病院に入るとずっと警察を含めた「機関」が追いかけることを制度化する法律が、自公・維新の賛成により可決しつつあるということだ。

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結局、安倍政権は、共謀罪、そしてこの精神保健福祉法改正と、治安維持の為の取締りの強化の為の法制導入を進めていることになる。憲法改定でも、基本的人権への侵害が懸念される。 Nat

安倍改憲案のように、9条に「自衛隊OK」加筆は必要か?

 安倍の改憲主張のように、今、9条に3項で「自衛隊保有」を加筆明記する必然性がどこまであるのか?

●「違憲」論があると自衛隊が安定しない?:
(1)日本国政府自身の公式見解でも、①2項の戦力不保持は1項の「国際紛争で武力行使・威嚇しない」という目的を達する為と書かれているので、武力行使・威嚇のためでない自衛隊は違憲でない、②国家の自衛権までは否定されていないので違憲でないとなっている。
(2)裁判所の確定判決で自衛隊違憲は一度も出てない。(政治判断だからとして合憲判決も避けているが。)
(3)更に、国民も以下の2015年FNN調査のように6割が自衛隊は合憲と思っている。(だから以下のように6割が改憲不要と見ている。)
⇒ 以上から、公明党も言っているが、安倍案のように3項で「自衛隊OK」を加筆しないと、どうにもこうにも不安定という情勢は全くない。

● しかし、2項だけ見ると「一切の戦力を放棄」だから、自衛隊という戦力を持っていることとの整合性が疑問にはなり得る。しかし、それが、自衛隊が自衛を越えることへの制約であり歯止めになっているのだ。それがミソ。
⇒ だから安倍にとって「好ましくない制約」なものは、多くの国民にとり「ぜひ守りたい制約」なのである。   Nat
自衛亭世論 Document-page-001 (40)




現憲法はGHQが1週間ででっち上げたものの押し付けか?

 最近の改憲議論の中で「現憲法はGHQ1週間で作った英語版を日本語にしただけ、今度こそ日本人の手で本当の憲法を」という主張が良く出てくる。1週間の即席手抜き製品かのような言い方で、日本人のプライドを刺激する作戦だ。 

● しかし憲法制定の実際の経緯は以下のようなものだろう。

 1. 194510GHQマッカーサー指示で幣原内閣で新憲法検討開始。各政党が種々提案。結果的に19461月に政府調査委員会の提案がGHQに出る。

2.しかしGHQマッカーサーは不戦条項を必須と判断し、マッカ-サー3原則(「天皇を元首とする」「戦争を放棄する」「封建制度を廃止する」)に沿い、GHQ内で1週間でGHQ案を急ぎ作成させ、1946213日に日本側に提示(。これが「1週間」と言われる所以。

3.それを受け、226日から日本側での草稿作業。数次の修正を経て417日に改正案が公表される。枢密院の審議を経て、67日に可決。824日、衆議院本会議で修正可決。106日貴族院で修正可決。衆議院・枢密院の審議経て、113日に公布。翌194753日に施行。

● 国会図書館の資料によると、上記の衆議院・貴族院等での修正点は以下である: ①衆議院修正点: 国民主権の原則を明確に、戦力の不保持を定めた第9条第2項に「前項の目的を達するため」という文言を挿入、生存権の規定を追加、国民の要件、納税の義務、国家賠償、刑事補償について新しい条文追加、内閣総理大臣を国会議員の中から選び、国務大臣の過半数は国会議員とすると規定、皇室財産は国に属すると規定したことなど。②貴族院での主な修正点:公務員の選挙権の保障、内閣総理大臣とその他の国務大臣はすべて文民である必要を規定。 

● 以上ゆえ、マッカーサー3原則に基づき1週間で草稿したGHQ原案が下敷きではあるが、日本政府が種々修正加筆をしているのは史実であろう。

● ということから、「一週間でGHQが作った英語の憲法案を押し付けられた」説は、半分以上は国民をミスリードするデマに近いと思う。  Nat

 
★追記: 
私の友人から、以下のURLのサイトのとおり、さる4月30日にNHKスペシャルで放送された内容では、更に、GHQ押し付け以前に、昭和天皇が率先して平和・不戦憲法への道を開いた史実があるという内容の放送したことの指摘がありました。私は、その番組見れなかったので、今度、オンデマンドビデオで見てみたいです。    http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20170430 

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