♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)

生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等

2019年04月

「平成」「令和」-時に区切りと色をつける日本文化

★どうでもいいのだが、明日で「平成最後の・・」も終わりだ。・・・と思うと、明後日からは今度はやたらと「令和初の・・」が始まる。

● 斯く斯様に、日本文化では、時に区切りを入れるのが大好き。春夏秋冬の季節の区別のはっきりした日本の気候の中でずっと続けられた稲作農耕は、季節・時期ごとに、ムラ全体で一斉に区切りをつけるのを好む日本の文化を生んだ。

● だから、日本人は着るものでも、ある時で区切りをつけて、一斉に切り替える。年末には「仕事納め」の儀式があり、正月が明けると「仕事始め」の儀式がある。

● 一年の中の小さな区切りに加えて、大きな時代の区切りも好きだ。「xx時代」「xx世代」とのレッテル付け。だから元祖の中国でももうやってない、元号で時代を区切るのを今も国民全員でやる。という具合に「皆で一緒に時の区切り」が大好きな日本人。

● とはいっても、「区切り」意識は、案外、軽い気分的なものであって、命や存在をかけてケジメを付けるために戦うという程のものではない。「時の区切り」で大きく得るものも、失うものもなければ、それにより、世界の中で尊敬を得るものでも、迷惑を与えるものでもない。その都度「区切られた時間」に「ムラ社会共通の色」とかを付けて仲間意識を味わう、日本人の軽~~い趣味である。

● だから、「平成最後の・・」も「令和初の・・」も、軽~~く聞き流していればいい。はい。 

 
 Nat 

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以下、更に加筆

★昨日、「平成」から「令和」への切り替えに関連、日本文化が稲作農耕文化をベースとし、「ムラ全体で一斉に時に区切りを付けて時の切り替えをする文化」であると書いた。

●今日こそが「平成最後の日」なので、例により報道機関も大晦日のように「感慨深く」語っている。今日の夜中にカウントダウンでもするのだろうか??

●ぞれでだ、、「平成とはどんな時代であったのか?」という歴史的振り返り論も盛んだ。

● そういう中で、しらけ気味の私で恐縮ながら、「平成はどんな時代であったか?」と聞かれると「平成は、昭和天皇崩御から、平成天皇が85歳で高齢によるリタイアされた時までの時代」としかいいようがない。たまたまその期間中に起こったことを羅列することは可能だが、天皇が憲法上「象徴」であり世の中で起こることに「影響」があってはいけない建前である以上、「平成はどんな時代であったか?」について、世の政治・経済・社会の事象から論じるのは、建前違反であるとすら思う。
・・・しかし、てなこと言うのは、日本文化の中では「屁理屈」となり、全然好かれないと思うので、ここで筆を置きますね。。。はい。
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更にに加筆

★私の先ほどの意見:「平成がどう時代であったか?」につき、政治・経済・社会の推移で述べるのは筋違い、論に絡み、更に一言。

●「平成時代」は「平成天皇が天皇であった時代」以外には意味があり得ない訳だから、「平成はどう時代だったか?」については、唯一、天皇制のあり方として平成天皇がどうであったか?に絞って述べるべきであろう。

● 平成天皇の最大の特徴は、現行憲法の「国と国民統合の象徴(シンボル)としての天皇」という規定との関係で、昭和天皇よりも、平成天皇が圧倒的に国民の中に降りて行ったことだろう。

(1)憲法の定める、天皇の行うべき「国事行為」とは総理大臣や最高裁長官の任命や法令・条約の公布行為等である。それ以外の、国事行為ではないが、公的な感のある行為は「天皇の公的行為」とされ、国会開会式や国民体育大会などへの臨席、外国への公式訪問などは、誰でもが「準国事行為」と理解するだろう。

(2)一方、公的行為の中で、議論の分かれるのが、「国内巡幸」。国民との距離を保ち近寄りがたい「象徴的存在」が車とかで巡幸し、国民は日章旗を振る。そういうのに留めるのか、それとも、平成天皇ご夫妻の通り、被災地の被災者一人ひとりに膝を折って対面し、手を握って声をかける所までするのか?(しかも、右派の人が猛烈に反発している通り、皇后陛下が、天皇とは別に、天皇の片割れのように国民と接するのがいいのか等という問題まで包含する。)・・・ここまで来ると、憲法上の天皇の役割(象徴としての国事行為あるいはそれに類する”儀式”)を越えること、つまり”儀式”ではなく、天皇のより積極的な新しい役割を、平成天皇が開始したことを意味する。儀式の国事行為だけなら85歳でも出来るはずとの議論もあったが、平成天皇の拘った国民一人ひとりに向き合う役割は85歳でリタイアだったのであろう。

● 安倍首相を筆頭とする日本会議派(右系)の人たちは、天皇はむしろ、象徴・儀式にとどまり、国民から遠い「スクリーンの向こう」で良しとする。一方、憲法の規定を殆ど気にもしない一般庶民は、天皇ご夫妻の一人ひとりの手を握るのに感動し喜びを感じている。かくかように、為政者と庶民の受け止め方にかなりギャップが出ているテーマでもある。

● さて、令和天皇は、恐らく、平成天皇路線の更なる推進の方向なのであろう。それに対し、右の巻き返しなどが出て来る、それが令和時代であろう。

そもそも原発になれ合いの規制委員会: テロ対策ドタバタの茶番

★再稼働中の原発のテロ対策施設完成期限のこれ以上の延長はなしとの規制委員会の判断で、5年前に再稼働した九電の川内(せんだい)原発が一旦停止になりそうとのことだ。

●5年前、川内原発の再稼働が規制委員会から承認された際、既に、私は以下のブログで、委員会の ”新安全基準”では、本来は行うべき追加安全改造工事には時間かかるので、5年以内にやるように・・などとの、超大甘な基準でしかなく、大問題だと指摘していた。5年間、大地震・大津波が来ない保証はない。だから、私は、数年かかっても追加工事を終えてから初めて再稼働の検討をするべきと主張していた。

● 以下ブログにも書いた、5年以内に行う追加工事の(1)フィルター付きベント、(2)免震設計の緊急時制御室の設置、(3)電源ケーブルの難燃化入れ替え等は、その後、私としても九電がちゃんとやったかフォロー出来てはいないが気になっていた。ところが、少なくとも「5年以内追加工事」の一つのテロ対策施設が積み残しだったことが、今回分かった。

● 更なる期限延長を求める九電・関電・四電に対し、今回は規制委員会が「もうダメ」と筋を通し、強い姿勢を示した形だ。

● しかし、私から見ると違う光景に見える。そもそも規制委員会といっても事務局は原子力基盤機構というメーカー出向者等の集団だし、そう簡単に従来の「原子力ムラ」が生まれ変わるわけもなく、「新安全基準」も中身を良く見ると、電力会社の原発再稼働がやりやすいように、色々妥協・配慮しているものに過ぎない(「世界最高の基準」等と良く言うよ!)と判断していた。その最たるものが「追加工事は5年以内でいいから・・」であった。

● 斯かる、「なれ合い」の延長の「新体制」であったが、なれ合いの結果、電力会社側が規制委員会に甘え過ぎたのであろう。規制委員会は「ナメラレた!」と憤り、今回の「フザケルナ。 延長しない!」になったのだが、今回の委員会の一見毅然たる態度は、仲間内の大甘対応の裏返しに過ぎない。本来は、電力業界との一切のなれ合いを排除し、ひたすらに安全を追及すべきのが規制委員会だ。それが「ナメラレた!」「委員会の面子がつぶれる」的な対応しかできないのは非常に由々しい。

● だから、私は、本来は「原発ゼロからのやり直し」論者なのだが、実際には「現在の安易な再稼働は反対」にならざるを得ないのだ。   Nat

(以下の私のブログは、まだクリックで読める筈です。)
昔の私のブログ

日本政府が地球温暖化対策に見せかけた「水素」提案を国連に!

★ここで何度も何度も「水素社会」構想の欺瞞性を糾弾してきたが、今日の日経夕刊に、日本政府が国連に「炭酸ガス対策として水素が主役」との日本国方針を提出すると報道されている。

● もう毎度の繰り返しになるが、

(1)水素は燃やす(燃料電池で燃やすものも含めて)場合、酸素と結合して水になるだけなので、一見「完全クリーンエネ」に見える。それで人々は欺瞞される。

(2)しかし、水素はどこかに埋もれているのではない。基本的に天然ガス・石油から改質して作るが、分離して作った水素は炭素フリー、しかし分離後に大量の炭素(炭酸ガスの元)が残る。それをどこかに隠すのか? 水の電解でも出来るが、エネ効率悪く、電解エネを得る際に炭酸ガスが発生。それを隠蔽して初めて「クリーンエネ」に見える。

(3)そんなことなら、何度も言う通り、電気のまま送電するといういのだが、それでは既存の電力インフラが使えてしまって、税金投入の新手の公共事業は生まれない。そこで、政府の陰謀は、水素を作り、運び、貯蔵する膨大な新手のインフラを国民の税金で作る新公共事業をしたいというものだ。

(4)しかも、何度も言うとおり、水素は爆発しやすく、かつ金属を侵す(水素脆化)厄介な物質で、インフラ構築には、ガソリン等の比にならない膨大な投資が要る。かつ、そのインフラ機器を製造するのに、膨大な炭酸ガスを発生する。

● もうこれだけ言うと、「水素クリーンエネ」がいかに虚構か分かるだろう。しかし、トヨタやエンジニアリング会社等は新手の税金投入公共事業に色めき立つ。

● そして、今回政府が国連に、こんな欺瞞的な「水素の話」を提案するのは、原発が行き詰まり、地球温暖化への妙案の対策が実質全くない日本の窮状を誤魔化すための苦肉の策、それがこの「水素物語」なのだ。でも、国連は騙されないかもしれないが、日本国民が騙されるのが心配される。   Nat

イスラム教 対 キリスト教の殺し合い?

★また、スリランカでも、イスラム過激派と思しき集団のキリスト教集団への同時多発テロ殺人。

● 宗教が理由の大量殺人・・・胸が痛むが、人類史上、国対国などの「戦争」(領土・経済利権などを巡る争いからの戦争」以外の大量集団殺人はその非常に多くが「宗教殺人」であるから悲しい。

● 旧約聖書は紀元前1200年くらいの古代イスラエルの歴史から始まるが、そこにはユダヤ民族とそうでない民族との間の血なまぐさい殺戮の歴史が描かれている。それは上記のような領土・経済利権からの「戦争」であると共に、イスラエルの神でない神を奉じる異教徒は抹殺してもいいという「宗教戦争」=「聖戦」でもあった。

● イエスとその使徒たちのことを書いた新約聖書では、イエスをフォロ-した、後の「キリスト教」となる新興宗教の一派を、ユダヤ人たちは伝統に沿い、「神に代わって」殺戮したことが書かれている。

● そういうキリスト教徒は、まず11~13世紀にはエルサレム奪還とかで、欧州のキリスト教軍団がイスラム勢力と200年以上の殺し合いを繰り広げた。更に、キリスト教内でプロテスタントが発生すると、16~17世紀には、カトリックとプロテスタントが殺し合いの戦争する。それが近年までアイルランドの内戦のように続いてきた。

● 近代まで、大量殺戮の主体は、専らユダヤ教かキリスト教勢力と思っていたが、現代のテロはイスラム過激派主体になってきている。Anyway、全て「聖戦」だから、たちが悪い。信じる神の為に、別の神を奉じる人達を抹殺して、それを是とする。

● しかし、私の信じる神は、あの自らの命で捨ててまで人を愛そうとしたイエスキリストの証しした神である。私の信じることの中からは「聖戦」で異教徒を殺戮するロジックは絶対に出て来ない。そして、今まで3000年続く「聖戦」の大量殺人に、何よりも、心を痛めているものがあるとすると、神そのものと思う次第だ。「待った!溝口さんの言う神とはどの神??」と聞かれたら言おう「私の信じる神、あなたの信じる神、全ての神が、人類の大量殺人を嘆いていると信じる次第」と。そして、皆で一緒にそれぞれの信じる神に人類の平和を祈りたい。   Nat

日本の電力:太陽・風だけでは全くどうにもならん!!

★ここに連続で、日本の将来の電力では、実は新設石炭火力を忌み嫌うのでは成り立たないという点を書いてきた。

● 先週、元の勤務先商社の石炭関係者と飲みながら話した際も、「太陽や風力さえあれば、原発も石炭もなくても、回っていく」と誤解している人が多くて疲れる、、という話があった。そうだろう。
● その誤解が非常に多い。そこで、ここで改めて、日本で太陽・風力などだけでは全くダメな理由を書かしてもらう。

(1)そもそも、日本の現状で石炭・LNG・石油火力が80%である点を分かっていない国民が多い。原発は3%程度だが、残りの10数%が「自然エネ」でうち半分が水力、太陽・風は数%に過ぎない。・・ただ、これ国際的に異様ではなく、米国もフランスも同様に数%である。

(2)しかし、やる気になれば、全部、自然エネで出来るのに、やる気が不足と、決め込んでいる人も多い。良く指摘されるのが、2016年5月にポルトガルで4日間、風力・水力・地熱+少量の太陽、等自然エネで電力100%を賄ったこと。という人も、ポルトガルの年間平均での自然エネ比率は21%に過ぎず欧州でも高い方でない点を知らない。自然依存だから、大雨の後の水力と大風が吹いている時は、偶々100%行ってしまうことはあるのだ。ポルトガルの例まで行かなくても、2018年5月3日に九州電力で太陽が照り輝き、再生エネ比率96%(うち太陽81%)となり、むしろ、太陽が多すぎで大問題になり、九電が引き取り制限をしたのは記憶に新しい。

(3)そもそも、日本における太陽光発電等の大問題は:
①世界どこでも同じな通り、お天気次第な太陽・風はベースロードに出来ないから蓄電池等で均さねばならず、かなり、限界がある。そもそもベースロードは、原発やらない場合は、石炭火力と水力(あと地熱)になる。
②福島事故の直後2012年に民主党政権が太陽発電を40円で買い取るという、狂気の政策を実施、日本は太陽バブルになり太陽発電の設備・工事が馬鹿高い国になってしまった。これが今だに尾を引く。
③太陽も風力も設置に適した広い土地が要るが、日本は国土の殆どが山林で、国民一人あたりでいうとポルトガルより、10分の1くらいの平地しかない、、この点が大違い。
④日本列島は南北に細長く、太陽・風力のしやすい北・南から真ん中に送電する必要があるが、ポルトガルでは実質電力会社EdP1社なのに対し、日本は10社がそれぞれの体制をもっており、10の別の国みたいになっていて融通が難しい、その上、東と西では周波数が違う。
⑤まだ政府が原発の建前を捨ててないので、原発再稼働用の送電キャパを留保しており、太陽用のキャパが不足。
⑥余り知られてないことだが、太陽光発電は直流なので、無理に交流に変換する必要あり、太陽が増えると周波数が乱れ、各種制御機器に狂いを発生する。

・・・以上の通りで日本政府の長期エネ計画でも、太陽は7%、風力は2%程度に留まっている。しかし、これはやる気がないのではなく、これ以上は無理があるからなのだ。・・・それでいて原発がイヤなら、あとは新設ハイテック石炭火力を順次入れ、古く炭酸ガス放出も多い老朽化石油火力をリプレースしていくしか日本の生きる道はないのだ。・・これが中々理解されない。    Nat

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