♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)

生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等

2019年11月

東北電力女川原発2号機の「基準クリア」判定について思う

★★ 東北電力の女川原発二号機の再稼働に向けて、原子力規制委員会が審査書案なる書類を了承、新安全基準に合格しているとのお墨付きを実質出した。

● しかし私には以下に書く、根本的な疑問があるので、規制委員会のHPを見たが、審査書案の要点などの開示がない。そこで、飽くまでも、私の想定に基づくコメントになるが:ダウンロード 女川

(1)東電福島原発事故以前の原発行政は、周知の通り「原発は二重・三重の防御機構に守られ ”絶対安全”」との神話に基づいていた。それが福島で崩れた。そこで、福島事故がもたらしたレジーム・チェンジは以下の2点だともいえよう:
 ①従来の安全基準は甘かった ⇒ 厳しく修正した新基準を作ろう
 ②「絶対的安全」はあり得ず「相対的安全」との「判断」の問題になる。規制委員会は、原発が新基準を十分クリアしているかの検証はするが「安全宣言」はしない。安全判断は、当該電力会社と地元自治体が行う。(注:この点で、規制委員会も中央政府も、直接責任を負わない体制であると了解する。これは原発が民営である日本の体制の根本問題である。)

(2)今回の女川原発でも、規制委員会が間もなく出す決定は、上記(1)①の、新基準に合致しているかどうかだけになる。大問題は、②の「相対的に安全度が高いから再稼働させよう」との判断を負ってしまう地元自治体が、何を材料にどう判断するかだ。 

● 私は、福島の教訓で「絶対的安全はない」になったからには、当該電力及び規制委員会が解析し判断し、かつ開示すべき最も重要な情報は、新基準クリアでも尚残るリスク論であると思う。
・今回の女川の東北電力の適合性審査請求の中身の情報はチラッとしか見れてないが、基準最大規模の津波や地震との関係で専ら述べていることは、基準が引き上げられたので、その規模の津波や地震が原発地域で実際に発生する確率は「ほぼゼロ」である、といった点であるように見える。
・「ほぼゼロ確率」にも拘わらず、万一発生してしまった場合は、如何なる支障・事故が発生し得るか、そしてそれに対する「万一の備え」としてはXXXがある、住民の避難策はXXX、といったように「事故・支障は万一の場合は起こり得る」という前提での確率論と、万一の対策議論を、地方自治体にも分かりやすく整理し開示すること・・・これこそが、福島以降のレジームであるべき、それこそが「原発出直し」の基本である、と思っていた。

● しかし、どうも、結局は、電力会社、規制委員会とも、要は、基準を従来より高めに設定し、基準以内の津波・地震等への対策は追加工事するが、基本的には、昔と同じ「事故は起こらないようにしました」という基本発想は全く変わっていないのではないか、と強く懸念する。「確率は低くても、事故は起こる」への転換、それでも、原発を稼働するメリットが勝るか? このリスク・リターンのTrade-offを明確に関係者が皆理解し共有し、皆で意を決して再稼働するのでないとおかしい。と私は思うが、恐らく、そんなやり方では日本人は結局「No」になってしまう、だから、基準だけ高めにして、結局「原発はこれで安全になった」神話を続けるだけではないのか? と懸念する次第だ。
   Nat

香港区議会選挙ー民主派圧勝; しかし中国化は変わらないだろう 

★★香港の区議会選挙で、突然、民主派が圧倒。ダウンロード 香港区議会

● そもそも、香港の政治制度について殆ど知らなかった私だが、選挙結果の後でちょっと調べてみると、区議会って、世界でも余りない、変わった仕組みみたいだ。
● イギリス由来だから三権分立の仕組みがあって、中身は以下だ:
(1) 香港の行政は、例の林鄭おばさんが行政長官をしている「中央の行政府」
(2)日本の国会に相当する立法府としては、「立法会」
(3)更に、先般、マスク禁止は違憲との判決を出して北京を怒らせた司法府の「司法機構」がある。

● では、今回選挙のあった区議会って何?と思うと、英国からの返還が決まる1984年の少し前の1982年の英国時代に、専ら、行政の細かいことを、個別の地区、アパート団地ごとに、住民の意見を取り入れながら良くしていくために作った、地区・団地ごとの住民の意見を吸い上げるだけの仕組みのようだ。だから、行政府や立法府に直接的な権限を持つものでもない。行政長官や立法府の選挙の仕組み上、若干の間接的影響があるのみらしい。
● ということで、既に報道の解説などで指摘されている通り、
イ) 今回の選挙で民主派が圧勝したからと言って、政治の仕組み上、民主派の力・声が、行政・立法に及ぶものではないが
ロ)北京が懸命に、デモ学生らを市民から浮き上がった暴徒として切り捨てようとしてきたのに反して、林鄭行政長官が逃亡犯条例改正案の取り扱いを失敗し、火を付けてしまった、香港市民の怒りは、市民に広く拡がっていることを証拠づけたとの意義はあろう。 

● 今後、どうなる??
・学生デモが落ち着いてきても、香港市民の自由化運動は根強く続く、高まると見るのが妥当だろう。
・一方、北京の香港自由化への警戒もいよいよ強くなるだろう。しかし、北京も軽率に軍部を動かしたりするのは、却って国内外の反動が大きいのは十分計算するだろう。
⇒ 以上から、これ以上の「第二の天安門事件」的なドカーンはないまま、「睨み合い」、「小競り合い」が当分続くだけなのだろう。しかし、その結果、デモ勢力の要求するような自由選挙等に道が開けることもなく、長い間では、香港の中国化(”中共”化、香港そのものは衰退)に進んでいくとの私のこれまでの読みを、今、修正する場面ではなかろう。・・・ワクワクもドキドキもない話だが。   Nat

日本で核廃絶を訴えたローマ教皇と、人類の現状のギャップ

★★ローマ教皇が38年ぶりに来日し、広島・長崎で核の廃絶を訴える。

● 教皇の広島での発言の中で、特に私が着目したのは
(1)核の抑止力に依存しながら平和を叫ぶ偽善を糾弾した点と
(2)「戦争に原子力(要は核兵器のことと了解)を使うのは犯罪」と言ったこと。
(注:スピーチはスペイン語だったが、その部分の報道上の英語訳では「With deep conviction I wish once more to declare that the use of atomic energy for purposes of war is today, more than ever, a crime not only against the dignity of human beings but against any possible future for our common home. The use of atomic energy for purposes of war is immoral.」)

● 後半(2)の、戦争に核兵器を使うことは「罪」、しかも、聖書信仰的な「神への罪=Sin」ではなく、「人間社会における犯罪=Crime」と英語にされるスペイン語でこの世的にも断罪、そして、その後「immoral」(不道徳)とも言っており、要は、人間世界において、法的にも倫理的にも罪と言った訳だ。但し、敢えて、「today」においてそうだと言い、1945年の米国の原爆投下につき、直接そう決めつけたものではないように慎重に表現はしている。しかし、原爆投下地の広島でそう言われた米国は、少しは、そう決めつけられた感がしたのではないか?・・・米国にとり、広島・長崎の原爆は、狂気の日本軍に已むなくストップをかけ、それ以上の米国兵の戦死を食い止めた「正しい行為」と位置づけてきた。だから米国のカトリック教会も、今回の教皇ほどに露骨に「罪」宣言は難しい中で、広島・長崎現場でのこうの教皇発言は、米国カトリック組織に、どう受けとめられるのだろう?「フランシス教皇、あの人は前からそうだから・・」と片付けて済ませるのだろうか?

● 一方、(1)の核抑止力を言い訳にする偽善への糾弾。これも、今、人類が核廃棄どころが、核軍縮は愚か、むしろ核拡大路線に向かっている今、というか、核だけではなく、通常軍備でもむしろ軍拡に向かっている今、改めて、真摯に受けとめたい気もする。軍拡の根本原因は「敵が軍拡するから我々も」あるいは「敵が軍縮なら、そのすきに我々は軍拡で出し抜こう」である。以前は、米国とソ連の2勢力単純対立であったから、徒らに軍拡にならない為の、2国間の協議・調整・妥協が成立する余地はあった。それが、中国が第三の軍事大国として浮上、更に、前からのインド・パキスタン・イスラエルに目をつむっていたのだが、ここに来て北朝鮮、イランまで浮上してきている今の人類社会である。軍縮、特に決定的な武力である核兵器・核ミサイルの軍縮は、今、人類としては、それへの道のりを全く見出せなくなってしまった問題である。
・・・・核の抑止力を理由にした核保有はある意味で偽善であることは疑いの余地はない。しかし、だからと言って核をどこからどう削減し廃棄すればいいか、人類は全く解を持っていない。
・・・・だからこそ、教皇が主張したことの真の背景にあること、つまり「かかる人類を神が憐み、人類の力で出来ないことだからこそ、その解決を神に痛切に祈る」、これは、いま、人類の出来る唯一のことである。それだけに、祈りを無意味と思うかどうかは別として、今はそれしかないのも事実であろう。しかし「神ってどの神??」という話になるので、人類皆で一緒に祈ることにもならない。結局「私らの神よ、私らの国を守り給え」という詰まらん祈りにしかならないのが、現在の人類の状況であろう。あ~あ。  Nat ダウンロード ローマ教皇 核なき世

韓国のGSOMIA破棄の「延期」-韓国側の追い詰められた思いは??

★★日韓のGSOMIA問題。

● 本件は、本日の日韓協議結果として、私を含めて大方の予想した通りの以下になって終わった。
(1)協定破棄は「いつでも破棄できる前提で」一旦停止
(2)日韓で半導体材料輸出管理問題の協議開始(注:韓国側の発表ニュアンスは、日本を協議に引きずり出すことに成功した・・みたいな感じ)
(3)協議中は韓国のWTO提訴の手続きを停止
・・・と、専ら韓国側の声明が中心だが、一応日韓共同の合意という形で発表されて、取り敢えず一件落着だ。

● 勿論、半導体材料輸出管理問題の日韓協議なんてのは、日本は実際にはやる気もないし、韓国もそれを分かった上で、
ある意味で、下らん「政治的」な落着に過ぎないのは誰の目にも明らかなので、その点の論評の必要は全くなかろう。

● むしろ、日本側からすると「韓国側の錯乱」でしかなかった今回の一件だが、それを忘れる前に、韓国側では、いったい如何なる思いで「錯乱」せざるを得なかったのか、少しだけ推察しておいても損はなかろう。

● 要するに以下だろう:
(1) ことの発端は、徴用工問題。文政権は、日韓併合の不当性にまで遡り、1965年の日韓請求権協定にも拘わらず、人権からの個々人の補償問題は尊重する政治的姿勢を打ち出し、韓国の司法の判決を実質サポートした。
(2) という、国際法的には無茶苦茶でしかない韓国側の動きだから、日本政府は強烈抗議、日韓協定に基づく協議開始を求めたが、韓国側が拒否。
(3) そこで、「信頼感の喪失」ということで、半導体材料の輸出管理でWhite国認定から韓国を外し、個別承認に変えた。これ、7月のこと。
・・・そして、ここから、韓国側の「大騒ぎ」「錯乱」が始まる。
(4) 韓国に対する上記(3)の、日本側の輸出管理制度変更は、韓国政権からすると、恐らく「日本の対韓 ”宣戦布告” 」くらいの衝撃、激憤の対象であったに違いない。
 ・韓国の方こそ人権の正義を貫いているとの政治スタンスで徴用工問題や慰安婦問題も進めてきていた文政権に対して、日本政府が、はじめて具体的、明確な「反撃」アクションをとった、と受け止めた。
 ・韓国では経済不振で苦しんでいる中、韓国経済を支える半導体製造産業を、日本は狙い撃ちにした。要は、韓国からすると、韓国経済への破壊を宣言された、実質、「宣戦布告」と受けとめたのである。
(5) そこで、浮上したのが「GSOMIA破棄」という劇薬。
 ・文政権内でも、当然、軍部は反対したようだが、世論調査も行い、国民は支持すると読んだ。
 ・そして、これの真相が分からんが、一応、米国にも事前打診したという。想像するに米側の打診先も超ハイレベルではなかっただろうから、仮定法での質問には、米側も、生ぬるい返事しかしなかったのではないか。
(6)以上から、文政権としては、日本からの宣戦布告に対して、劇薬だが「GSOMIA破棄の宣言」をするといった、追い詰められた応答するしかなかったのであろう。

● 日本側から見ると、「国際政治上の超未熟」「情勢分析の超お粗末」からの「錯乱」的な、GSOMIA破棄宣言でしかなかった。しかし、歴史上、終始一貫、周りの国から攻められ続け、「格下」の日本からも、豊臣時代、日韓併合時代の屈辱的凌辱を受けた朝鮮民族の「恨」感情からは、日本に宣戦布告されたら、錯乱的でも、それなりの応答をせざるを得なかったのであろう。

・・・今回、日本からすると「茶番」でしかなかった一件の一区切りに当たり、隣の民族のたどった心の葛藤を、少し推察しておいても損はなかろう。だからといって、徴用工問題などで、妥協する必要はないが、GSOMIA問題の総括としては、上記のような面もあろうか。。。ということだ。どうかしら??    Nat

images GSOMIA

旧陸軍の二人の「天才」: 石原莞爾と辻政信

★★ちょっと軽く書くだけだが、帝国陸軍で「天才」と言われた二人:石原莞爾(右)と辻政信(左)。上官に対しても、異論あれば、ド迫力・大声で圧倒するスタイル、双方、頭脳レベルが非常に高かったとかの共通点はあるが、良く評論されるのはその違いであろう。・・・私も、今、ちょっと着目しているのは「違い」だ。

● 私も別に深く知っている訳ではないが:

【石原莞爾】(1889-1949):

 ・1931年の満州事変という日本の仕掛けた策略の首謀者であるので、究極的には日本軍を日中戦争・太平洋戦争へ導くきっかけを作った「悪い奴」と思っている人もいよう。
 ・しかし、石原は、一言でいうと、彼の人類戦争史への深い造詣から、究極的には日本は米国と世界戦争になるという超マクロ展望から、当面は日本が満州の資源で国力を涵養することが必須というマクロ戦略観から動いたものだ。
 ・むしろ一貫して、無意味な日中戦争拡大に強く反対。また、1936年の2・26事件でも、はやる若い士官を無意味と恫喝。(その際、天皇陛下が、石原は満州事件の張本人だが、陸軍の反乱派か体制派か分からん、と戸惑ったとのエピソードもある。石原は何派でもない。終始、高い思想から動いていた人だ。)76765510_2564358113643410_7841850781954211840_n 石原78126809_2564359280309960_3292117338899349504_n tuji
 ・その後、太平洋戦争についても「油が欲しくて南方に攻め込む戦争の愚かさ」を説いた。そこで、強気一辺倒の東条英機と衝突し左遷され、陸軍の中央から消える。
 ・しかし、戦後の東京裁判で「日本の一方的な侵略責任を問うなら、先ずペリー総督を連れてこい」と言った有名な話など、とにかくスケールの超大きな巨星であった。
 ・しかし、戦車の現場的な細かい戦術論などには関心も余りなく、歴史・哲学・思想(日蓮思想)という「思考の上部構造」型の人間であったろう。
 ・また、案外「和」を重んじるので、東条を含めて、皆が愚かで着いてこない場合は、結局、引いてしまい、最後まで一人で戦うタイプではなかった。

【辻政信】(1901-1968):

 ・超有名なのが、1939年に、日本陸軍が史上初の敗北を喫する、ノモンハンの対ソ戦を、関東軍の現場で突出的に指導・首謀したこと。
 ・石原のマクロ史観からの言動とは対照的で、現場の極めて細かい調査も自分で行い、綿密な戦術を立てる、いわば「戦争屋」であったろう。そして、石原以上に、全ての局面で上官を上官とも思わない態度ではあるが、緻密な調査・分析に裏付けられた超絶自信、ド迫力と信念の戦争屋だった。ノモンハンも、圧倒的物量のソ連軍に対し、火炎瓶戦術で善戦はした。彼自身は常に「超強気」ではあるが「無謀」のつもりはなかったであろう。但し、マクロ的・結果的には無謀な戦争のそしりは免れまい。
 ・その後、マレー戦、ポートモレスビー戦、有名なガダルカナル戦線を天才参謀として主導。
 ・その上、終戦時は信念からだろうが、逃亡・潜伏、戦後、議員・文筆家という人生をたどる。
 ・天才戦術家であったろうが、本心からのの反省はない、自己心酔型で、「悪魔」とのそしりも受けている。

● 私を含めて、一般人は、石原タイプにも辻タイプにもなれない、凡庸な能力・意見で、かつ、人との調和も気にしながら、ウジウジ生きて、大したことを成し遂げないで終わる。そこに来て、上司をもド迫力で圧倒したこの二人は、ある意味で魅力に満ちていた。しかし、結局、むしろ「無駄な戦争反対」の立場になり左遷されていった巨星石原、終始、戦争屋で日本の戦争のど真ん中に居続けた辻は、やはり違う。自分がなるなら、どちらのタイプだろう??--- ここまで思ったが、もう、これ書く時間切れ。この話もここでおしまい。
(なお、最後に: 辻は石原に会った最初の瞬間から、石原の大きさに感服し、終生、石原を師と仰いだ。面白いね。)  Nat

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