♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)

生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等

2020年10月

★★米国人の 「マスクしないイデオロギー」

★★それにしても、マスク問題に象徴される米国人のイデオロギーはスゴイ。
● 共和党の支持者の多くは「個人の自由」こそ命を懸けて守るべき価値観と信じている。政府の強権でマスク着用、握手・ハグしない、自己防衛の銃を持てない、そういうのはみな、米国の建国の価値に反する。そういう圧力には断固戦う。だから、最高裁判事候補のお披露目式典(写真)でも、トランプへの忠誠心とかではなく、マスクをせず、人と自由に至近距離で話しハグし合う、それこそが、彼ら・彼女らの共有の重要価値観の確認であり、それによって「きずな」感を高揚させた。その結果、コロナのクラスター化しても動じない。・・・・日本のように、自民党員はマスク拒否、民主党はマスク着用などというような「マスク問題のイデオロギー化」が殆どなく、日本人特有の非常にプラグマチックな判断と、「人の目気にする」同調圧力で、皆がマスクする文化とは180度違う米国だ。
● 更に米国の共和党支持者の多くの気質を言うと、権力からの自由の為に、「自分で自分を守る」イズムだから、おのずと、カーウボーイ的な「強さ」信奉になる。政治リーダーに一定の強さを求めるのは日本でも同じだが、米国では殊更に「強い大統領」を指向する。それに乗っかっているのが、「コロナも吹っ飛ばす強いトランプ大統領(イメージ)」だ。
● ここから、話がそれるかも知れないが、「米国の建国の価値」は「カーウボーイ」の価値観だけではなく、そもそもは、英国国教会から逃れて「約束の地」を求めた清教徒の価値観でもあったはずだ。キリスト教・聖書の価値観と「自分のことは自分の力で守るカーウボーイ」文化は、必ずしも相容れない。あるいはもう少し言うと、旧約聖書のように神に選ばれた民族が神の力をバックに他民族を武力制圧する物語は、カーウボーイ文化信奉者には都合がいい。従って、キリスト教原理主義者(多くは共和党だったりする)は旧約聖書を好む。天地創造物語がゆえに進化論完全否定してみたりする。しかし、清教徒も含めたキリスト教の究極の拠り所は新約聖書における主イエス・キリストへの信仰である。イエスにしても、後の宣教者パウロにしても、「カーウボーイ的な力」、特に「この世的な力」を依り頼む生き方には全く依拠しなかった。逆で、イエスは権力に逮捕され無抵抗のうちに十字架刑死した。そして、パウロが書いている通り「神の力は、人の弱さに宿る」のである。この点、米国の「キリスト教 兼 カーウボーイ教」の共和党支持者たちは、上手く、心の中で箱を分けて整理してしまっているのだろう。何せ、クリスチャンが過半数の国だから、その辺の心の中の仕分けは、米国社会全体が構図として持っている。

● しかし、日本のクリスチャンのように、そもそも少数派で、そういう心の中の仕分けが “上手に” 出来ないクリスチャンからすると、米国のカーウボーイ信奉的クリスチャンは理解できない人たちにもなる。この辺、この記事の読者でノン・クリスチャンの人には、今いち分からないだろうが、そうなのである。
● 一つ言っておくが、米国でも教会自体は、コロナ対策を誠実に実施している処が多い。そこに通うクリスチャンの中で、カーウボーイ信奉の共和党的な人が、その人たちだけで集まる時、皆、カーウボーイスタイルになるのだ。ここが面白い。
● その結果、ホワイトハウス、共和党関係集会がコロナのクラスターに。でも、あの人たちは変わらない。人生の信条だから。コロナごときに負けないのである。 Nat


★菅首相 の 学術会議会員任命拒否は どこまで計算ずくか?

★やっぱり、今ひとつ、分からん。菅首相が何を考えて、学術会議の6人の委員任命拒否したのか?
●学術会議は学者の会議とはいえ政府から毎年10億円の費用負担を得て運営されている「国の機関」であり、会員は「国家公務員(特別職)」である。だから会員の人選については、首相は、会議からの人選推薦に基づきつつも、任命権を持っている。しかし、同時に、学術会議は学術会議法により「会議が政府から独立して科学に関する審議などを行うこと」も明記している。
●という若干とも矛盾の内包された構図だが、菅首相は、学問の独立性等には勿論一切関心はなかろうゆえ、会議の独立性の方は軽視し、自分の嫌いな反政府的な学者の排除にのみ関心があったのはそうだろう。ただし、拒否の前に、自分に法的な拒否権があることは事務方に確認してから拒否したであろう。そして、ここで拒否して置くことで、もっと重要な官庁人事、委員会人事などにおける「菅の強烈な人事専権」をデモンストレーションして置こうとしたのだろう。
●そこまでは読めるが、今ひとつ、私が分からんのは、菅首相が
(1)ここまで世論も含めて「説明責任」問題などの追及があることを読み切れず、ある意味で勢いでやってしまったのか?(つまり、彼自身が学問に関心のないこと、学術会議は色々問題視されてきたので、会員任命拒否しても、大した反発出ないと読んだのか?)それとも
(2)今後の彼の専横的な一連の人事の嵐を巻き起こす為の号砲として、世の反発は織り込み済みで、意を決してやったのか?  
・・・この点だ。
・・・・直感的には、前者(1)であったのではないか?と想像する。もし、そうであれば、菅という人は、案外、自分の思い込みの強さの余り、客観的な形勢が見えない人物かも知れないと思う。どうだろう?    Nat
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