★日中国交正常化50年。
・しらじらしい祝電の交換と、ローキーの行事が行われた。
・そして、世の浅薄な評論には「50年を契機に、関係悪化の修復への対話が望まれる」みたいな美辞麗句で締めくくるものも多い。
・・・しかし、私としては、中国のような専制主義国家との関係の持ち方には、おのずと「基本原理」があるだろうという点を、確認しておくべきだと思う。
(1)相手国が同じく専制主義国家であろうが自由・民主主義国であろうが、専制国家との間で成り立つ連携・協調の中身は、おのずと、特定の政策分野における限定的、条件付きなものにしかならない。具体的政策レベルよりも高位の「基本的価値観」においては、殆ど共通点があり得ないからだ。例えば日本が、中国、あるいはロシアと何等かの連携・協調合意をするとしても、それは、日本が中国なり、ロシアの国としての基本的価値観を評価し信頼するからではない。単に、中国・ロシアのその時点での専制政権と、特定の政策分野で、利害関係が一致する事項があったからがゆえの連携・協調合意でしかない。
(2) これに対し、自由・民主主義国家同士の連携・協調合意は、どうか? 勿論、どの国も自国の利害が第一だから、博愛主義的かつ献身的な協調関係はあり得ない。所詮、エゴとエゴの握手ではある。しかし、同じエゴ同士の握手でも、基本的価値観において共通であると思えば、選挙ごとの政権の交代を越えて、国家・国民同士が、より長期的に、より広範に連携・協調合意するベースがあり得るのだ。その好例が国防安保連盟だ。基本的価値観の基盤に基づく、中長期の「貸し借り」もありの、その時々の政権を越えた「国家・国民間の長期的信頼関係」があって初めて成立する。
◆ 以上から、中国、というか、1949年に発足した「共産主義政権;中華人民共和国」との間では、どんなに、直ぐ隣国であろうが、どんなに通商関係があろうが、中国が専制主義国家である限り、米欧日にとって、(あるいは、別の専制主義国家であるロシアにとってすら)限定的な連携・協調しかあり得ない。即ち、上記(1)の通り、基本的価値観では全く溶け合わないが、個別政策事項において、限定的に連携・協調する。これしかない。これが根本だと思う。勿論、中国の個々人と我々との間の、人間同士としての尊重・相互愛は絶対にあるべきだが、私がここで言っているのは、国家間の「取引」関係の話だ。
◆ 1972年に米国ニクソン大統領の電撃訪中から始まった、米国と日本と、共産主義北京政権との間の国交回復だが、基本的価値観では全く相容れない相手同士であるにも拘わらず、高まるソ連への脅威に対抗するための、全くの「便宜的」思惑から、北京と握手したものである。だから、形式的な台湾との断交、「一つの中国」論への“尊重”、など、米日が中国との間で「握った」事がらは、全く価値観の伴わない、つまり「心」は込めない、専ら功利的な「deal」でしかなかったのである。
・・・しかし、1970年代には想像もつかない程の巨大な副産物があった。それは、西側と「政治的deal」した中国が、経済面において大きく伸長することが出来、米日欧との巨額の通商関係が出来たということだ。そして、1991年のソ連崩壊で、米欧日としては中国との「政治的deal」をもう継続しなくても、良くなったにも拘わらず、むしろ、巨額の通商が中国との主関係となり、通商関係がゆえに、価値観では絶対合わない中国との「deal」を維持しているのである。
◆ しかし、ここのところで、それに大きな変化が生じている。
(1) 中国がついに軍事覇権国家ぶりを剥き出しにしてきていることだ。今や日本の南西諸島の近くに5発のミサイルを撃ち込む中国になった。よって、従来の「功利的なdeal」は、むしろリスクのほうが大きくなってきつつある。巨額の通商関係も、高度半導体など「中核技術」では、米欧日としては、中国とのサプライチェーンの断絶を指向する時代になっている。
(2) 更に、中国が一人っ子政策もあって労働力タイト、今や、労賃が高騰、「巨額の通商相手」として地位が相対化してきている。巨大市場の意味は未だあるが、グローバル生産拠点としては大きく後退だ。
◆ という現実を踏まえると、中国と我が国の関係は、無用の憎悪的敵対関係は禁物だから、習・岸田会談などは実現すればいい。しかし、方向としては、協調は、より限定的なものになって行かざるを得まい。岸田首相の昨日の祝電では「50年前に両国の国交正常化を成し遂げた原点を思い直し」と書いているが、現実は、全くそうではなかろう。そもそも50年前の「原点」こそが、言わば「相互、動機不純」であったのだ。(注:日本の場合、米日の対ソ戦略上で中国とDealしたという面もあるが、巨大な通商機会もある中国との国交で、キッシンジャー・ニクソンの米国に先を越されるのを恐れたものである。)そして、50年後の今、世の中は全く変わってしまっている。むしろ習主席の「新しい時代の要求にふさわしい中日関係を構築するよう」のほうが当を得ていよう。 Nat