♪♪ NATの独り言 (心・ジャズ)

生きていく上で信じてること。大好きなジャズのこと等

2022年09月

★変わり行く日中関係

★日中国交正常化50年。ダウンロード (1)
・しらじらしい祝電の交換と、ローキーの行事が行われた。
・そして、世の浅薄な評論には「50年を契機に、関係悪化の修復への対話が望まれる」みたいな美辞麗句で締めくくるものも多い。
・・・しかし、私としては、中国のような専制主義国家との関係の持ち方には、おのずと「基本原理」があるだろうという点を、確認しておくべきだと思う。
専制主義国家の典型は、中国であり、ロシアである。そういう国家との連携・協調のあり方は次の通りだろう:
(1)相手国が同じく専制主義国家であろうが自由・民主主義国であろうが、専制国家との間で成り立つ連携・協調の中身は、おのずと、特定の政策分野における限定的、条件付きなものにしかならない。具体的政策レベルよりも高位の「基本的価値観」においては、殆ど共通点があり得ないからだ。例えば日本が、中国、あるいはロシアと何等かの連携・協調合意をするとしても、それは、日本が中国なり、ロシアの国としての基本的価値観を評価し信頼するからではない。単に、中国・ロシアのその時点での専制政権と、特定の政策分野で、利害関係が一致する事項があったからがゆえの連携・協調合意でしかない。
(2) これに対し、自由・民主主義国家同士の連携・協調合意は、どうか? 勿論、どの国も自国の利害が第一だから、博愛主義的かつ献身的な協調関係はあり得ない。所詮、エゴとエゴの握手ではある。しかし、同じエゴ同士の握手でも、基本的価値観において共通であると思えば、選挙ごとの政権の交代を越えて、国家・国民同士が、より長期的に、より広範に連携・協調合意するベースがあり得るのだ。その好例が国防安保連盟だ。基本的価値観の基盤に基づく、中長期の「貸し借り」もありの、その時々の政権を越えた「国家・国民間の長期的信頼関係」があって初めて成立する。
◆ 以上から、中国、というか、1949年に発足した「共産主義政権;中華人民共和国」との間では、どんなに、直ぐ隣国であろうが、どんなに通商関係があろうが、中国が専制主義国家である限り、米欧日にとって、(あるいは、別の専制主義国家であるロシアにとってすら)限定的な連携・協調しかあり得ない。即ち、上記(1)の通り、基本的価値観では全く溶け合わないが、個別政策事項において、限定的に連携・協調する。これしかない。これが根本だと思う。勿論、中国の個々人と我々との間の、人間同士としての尊重・相互愛は絶対にあるべきだが、私がここで言っているのは、国家間の「取引」関係の話だ。
◆ 1972年に米国ニクソン大統領の電撃訪中から始まった、米国と日本と、共産主義北京政権との間の国交回復だが、基本的価値観では全く相容れない相手同士であるにも拘わらず、高まるソ連への脅威に対抗するための、全くの「便宜的」思惑から、北京と握手したものである。だから、形式的な台湾との断交、「一つの中国」論への“尊重”、など、米日が中国との間で「握った」事がらは、全く価値観の伴わない、つまり「心」は込めない、専ら功利的な「deal」でしかなかったのである。
・・・しかし、1970年代には想像もつかない程の巨大な副産物があった。それは、西側と「政治的deal」した中国が、経済面において大きく伸長することが出来、米日欧との巨額の通商関係が出来たということだ。そして、1991年のソ連崩壊で、米欧日としては中国との「政治的deal」をもう継続しなくても、良くなったにも拘わらず、むしろ、巨額の通商が中国との主関係となり、通商関係がゆえに、価値観では絶対合わない中国との「deal」を維持しているのである。
◆ しかし、ここのところで、それに大きな変化が生じている。
(1) 中国がついに軍事覇権国家ぶりを剥き出しにしてきていることだ。今や日本の南西諸島の近くに5発のミサイルを撃ち込む中国になった。よって、従来の「功利的なdeal」は、むしろリスクのほうが大きくなってきつつある。巨額の通商関係も、高度半導体など「中核技術」では、米欧日としては、中国とのサプライチェーンの断絶を指向する時代になっている。
(2) 更に、中国が一人っ子政策もあって労働力タイト、今や、労賃が高騰、「巨額の通商相手」として地位が相対化してきている。巨大市場の意味は未だあるが、グローバル生産拠点としては大きく後退だ。
◆ という現実を踏まえると、中国と我が国の関係は、無用の憎悪的敵対関係は禁物だから、習・岸田会談などは実現すればいい。しかし、方向としては、協調は、より限定的なものになって行かざるを得まい。岸田首相の昨日の祝電では「50年前に両国の国交正常化を成し遂げた原点を思い直し」と書いているが、現実は、全くそうではなかろう。そもそも50年前の「原点」こそが、言わば「相互、動機不純」であったのだ。(注:日本の場合、米日の対ソ戦略上で中国とDealしたという面もあるが、巨大な通商機会もある中国との国交で、キッシンジャー・ニクソンの米国に先を越されるのを恐れたものである。)そして、50年後の今、世の中は全く変わってしまっている。むしろ習主席の「新しい時代の要求にふさわしい中日関係を構築するよう」のほうが当を得ていよう。  Nat

イタリアの前に、英国がポピュリスト政策で揺らいでいる

★ 一昨日、イタリアで政権を取りそうなメローニ女史の右翼ポピュリスト政権が、今後、減税・バラマキ政策をとると、ただでさえ、ガス・電力高騰問題などで大きく揺らいでいる欧州経済・財政・政治が崩壊にまで追いやられ、ロシア・プーチンが一人ほくそ笑む、それが最悪シナリオであることを書いた。リンク
◆ ところが、イタリア・メローニの前に、英国で新首相になったトラス女史の新政府が、とんでもない危機を産んでいる。images
・就任前から、首相候補対抗馬であった元財務大臣のスナーク氏が健全財政再建派であるのに対し、元外相のトラス女史は、それに真向から反対するポピュリスト政策を主張。それで、英国保守党内の支持を得て、首相になった。
・それで、スナーク元財相の計画していた増税、社会保険料負担引き上げを徹底的に覆す路線、特に減税アドバルーンをぶちあげた。
⇒ しかし私は、イタリアのメローニのような危なさを感じながらも、イタリア人には悪いが、英国人は、財政問題ではそうイカレタ施策を本気でやる所までは愚かでないだろうと想定していたのだ。
◆ しかし、しかし、英国トラス首相の減税アドバルーンは、「本気でやりそう」とのメッセージを世界に発信。即、英国に財政・金融危機ショックをもたらした。国債の暴落(金利高騰)とポンド暴落である。英国中銀は慌てて、ポンド札を印刷し大量の国債を買い支え、当面の危機回避した。しかし、トラスは政治的に軌道修正出来ないだろう。危機は続く。
・・・以下の米CNNの記事を見ると、恐ろしくなってくる。
・私は、もう少しトラス首相チームが、今回の「危機リスク」は一応想定した上で、減税アドバルーンを上げたのだろうと思っていたが、どうも、そういうことが起こるかも知れないリスク認識が全くなかった可能性がある。トラスは、今回の英国の危機も、「ロシア侵攻のせい」だと、人のせいにしているようだが、本当に自分が何をしたのか、分っているのか、心配になる。
CNN報道
◆ 先進国各国において、「ポピュリスト政治」が潮流になってきている。それは、民主主義の悪い面が表面に出てくる、非常に危険な兆候の一つであるように思う。
・米国でもFRBが制御不能のインフレと戦っている。幸い、バイデン政権は、トラスやメローニの如く、中銀がブレーキを踏む中で、アクセルを目いっぱい踏む愚は犯していないが、その「愚」の第一号が英国新政権だ。そして、第二号がイタリアになりそうだ。
・こんなことでは、民主主義自由圏は、専制・侵略王プーチンと戦う前に、自滅しかねない。
・・・民主主義、どこへ行く?? だ。  Nat

★いまだに日本読みの中国人の人名

★ 日中国交正常化50年の際に、つまらん話を書いておこう。
・・・中国の人の名前を、日本では、いまだに日本読みしていることだ。
◆ 韓国の人の名は、既に、前大統領の文在寅を日本語読みの「ぶん ざいいん」ではなく、現地読みの「ムン・ジェイン」とし、もっぱら「ムン大統領」と読んでいる。現大統領の尹氏も「ユン大統領」と読む。
・・・しかし、中国の人の名前は、習近平は今でも「しゅう きんぺい」と日本読みであって、「シージンピン」(Xi Jinping)とかの現地読みに近い読み方をしない。ダウンロード (1)
昔、アメリカ人と話していて、中国の話になった時、邓小平 =英語読みで Deng Xiaopingの話になり、私が「Deng Xiaopin? 誰、それ?」と聞いてしまって、「えっ!? 中国の
Deng Xiaopin代表のことも知らないの?」と言われたことがある。そこで、慌てて「Oh、We call him Toh Shohei.」等と言ったが、Toh Shoheiなんてのは、日本でしか通用しない、無意味な読み方だ。それ以来、私は、中国の要人については、極力現地読み、あるいは英語読みを必ず覚えるようにしている。
◆ 韓国人は現地読みなのに、中国人はそうならないのは何故か、ご存知だろうか。それは、昔、韓国人名を日本語読みするのは侮辱的だと、韓国政府から日本政府に注文がついたからだ。一方、中国政府は、さすが中華思想で、世界の隅っこで日本の人が勝手に日本読み、それは、概ね、昔の漢字の「呉音読み」(中国南部の発音が日本に伝わったもの)なのだが、そういう読み方されようが、されまいが、そんなツマランことにクレームつけるようなチマチマしたことは言わんのだ。
・・・しかし、私としては、もうそろそろ、日本政府が、NHKのアナウンサーの読み方あたりから始めて、中国に言われなくても、少なくとも現地読みに近い英語読みをカタカナにしたのに統一すべき時と思う。
・・・国交正常化50年で、大した目玉もない今、せめて人名の現地読み転換でも出来ていたら、良かったのに、、、と思う。  Nat

★再エネ拡大の課題 – 送電能力増強へのハードル

★日経は9月26日に、再エネ7割をベースとする「エネルギー提案」を掲げ、早速私は「学生の夏休みの宿題論文」なみとコメントした。リンク
◆ 日経は、一昨日から、そのフォロー記事を上・中・下の三回で書いている。
・・・本朝の「下」では、日本の再エネ拡大のための課題として、送電能力の増強を掲げており、更に、特に、海底送電線事業が欧州のように日本でも開花するため、民間投資資金呼び込みのスキームが欲しいとの金融機関担当者のコメントを引用している。
◆ 送電能力増強問題は、日経も書いている通り、地域に偏りの大きい再エネ活用のための重要課題である。そして、海底送電線は、地上の送電線増強が送電塔設置の土地確保・住民合意など困難が多いのに対し、そういう問題が少なく、有望な手段であることも、その通りだろう。 北海道で太陽光・風力発電した電力を海底電線で本州に届けるなどだ。
・・・しかし、これがちっとも進展しないのは、日経の書いている「民間投資資金呼び込みスキームの欠落」は付随的な事でしかなく、本質問題は別の処にある。その点を、またぞろ日経は書かない。
・・・海底送電線に限らず、送電能力増強が日本で難しいのは、①もともと10地域バラバラ電力会社体制であったこと、②そこに再エネ運動、福島事故での原発全面停止が加わり、特に2013年以降、10地域バラバラ体制が困難になってきていたのに、③2016年電力自由化で、10社バラバラの地域電力会社が地域送配電だけをする会社(”一般送配電事業者”)に退化させられ、発電と小売りは自由化され、実質、日本全体の電力長期計画が、集団無責任になってしまったからだ。
◆ それをもう少し詳しく書くと:
【1】2013年:10電力バラバラ体制に、再エネと原発停止問題がかぶさる。
・日本はずっと10地域バラバラ電力でやってきたが、各地域電力会社が各種火力・原発・水力を自由に選んで発電事業をやれている間は、各地域ごとの「地域最適」でも、事業は回っていた。
・しかし、2011年の福島事故で原発は全停止し、電力需給に余裕なくなる一方、地球温暖化対策として2013年再エネ法で、独立事業者による太陽光発電などのFIT買取りも始まった。このことから、従来の地域電力会社が地域独占・自己完結という構図だけでは問題あり得ると認識され始めたのだ。従来自己完結だった地域独占電力会社が、地域を越えた送配電網の長期計画を自分自身で率先するわけもないからだ。そこで2013年11月の改正電気事業法で広域的運営推進機関(“広域機関”)なる「全国的な電力体制の調整機関」も発足した。img_shikumi02
【2】2016年:電力自由化。
・ 更に何が起こったかというと、地域独占電力会社は、地域独占の送配電だけを担う事業会社に退化させられ、従来の発電機能、小売り機能は分離。そして自由参入ありの発電市場、小売り市場の中で自由競争する立場になった。(注:事業の分離完了は2020年4月。)
・・・この結果、地域送配電を独占する地域送配電会社は、自らは発電事業も発電事業計画も持たない、単に、送電ケーブルを保有して黙々と送電するだけの会社になったのである。つまり、元々、自己完結的が故に、地域をまたがる送電網長期計画を率先する体質のなかった地域電力会社だが、将来の地域を巡る発電量計画が、自分の事業の外のこととなり、かつ、それが自由競争の結果論でしか決まらないことになってしまったのである。ならば、長期的に送電能力増強を計画するわけがない。
・・・これではイカンので、勿論、経産省は長期電力マスタープランを作るし、広域機関が地域送配電会社と各地の発電計画の “調整” は図るが、根本的に、発電、地域送配電、小売りがバラバラなのである。
・・・EUは、日本の10地域バラバラの真逆で、EU全体で電力融通ネットワークを完備しているし、また、長期の送配電網整備は、EU委員会が中央主権で決定・指示権を持っている。日経の言及している、英国東部とドイツとを結ぶ海底送電線「ノイコネクト」プロジェクトへの民間投資資金の呼び込みは、民間投資資金呼び込みスキームの前に、EU委員会主導による欧州全域の長期計画があってのことなのである。
⇒ 日本は、まず、10地域バラバラ体制の限界と、2016年自由化が地域独占会社を送配電だけをする会社に退化させてしまった弊害の反省に立ち、それらの根本的欠陥を矯正する新政策が必要なのだ。・・・経産省も問題意識はあるが、自らの失政の反省は難しく、歩みはのろい。日経が敢然と指摘すべきは、その点なのである。  Nat

★強烈安倍氏の国葬が終わった。

★安倍氏国葬が終わった。
・・・もう、これだけ多数の評論が出たことなので、ひと言だけ、私の感想を書かせていただき、もうこのことは終わりにしたいと思う。
◆ 私の感想は、政治家安倍氏は、とにかく「強烈」であったと言うことに尽きる。
・政策の推進も強烈・強引、政敵・反対意見を力でねじ伏せる。政策につき同意見の人にとり、これほど頼もしいリーダーはいないが、反対意見の人にとっては、これほどケシカラン人もいない。
・安倍氏の暗殺、国葬決定、それらの背景には、全てこの「強烈な安倍氏」ということがあったと思う。
(1) 強烈だから、統一教会も、最もアプローチしがいのある政治家だった。だから自民党内の「教団票分配の黒幕」にまでなり、だからこそ、山上に暗殺された。
(2) 強烈だから、その暗殺でリーダーを失った安倍派の不安定化が、自分の政権基盤を揺るがすのを恐れた岸田氏は、暗殺後、僅か6日で慌てて国葬を決め、安倍派・右派の自分への支持を固め直そうとしたのだ。まさに「死せる安倍、生ける岸田を走らす」だった。
(3) 強烈だから、国葬は大賛成な人と、大反対な人に完全に分かれるしかない。
・・・戦後の国葬は55年前1967年の吉田元首相の葬儀以外では、1989年の昭和天皇の「大葬の礼」(あれも国葬)しかない。大反対の人からすると、“国賊みたいな人を、天皇同様に祀り上げるのか?” とまで思うわけで、安倍国葬は、仮に非常に丁寧な意思決定プロセスを経ても、大きく揉めるしかない、そういう「強烈な人の国葬」だったのだ。・・・それを、岸田氏は、上記 (2)の通り、自分らだけで急ぎ決め、国会を完全に無視して一方的に発表してしまうという、決定的な政治的大ミスを犯した。丁寧に国会に諮っていても、紛糾した上で、多数決決議にはなっていただろうが、国会で多数決で決めたら、こんなに国民も怒らなかった筈だ。「国葬に賛成か反対か?」の質問には6割くらいが反対だったが、「国葬の決定プロセスが適切だったか?」では、おそらく9割以上が「No、不適切だった」だったろう。
◆ という具合に、安倍氏は、皆を喜ばせ・憤らせ、皆を恐れさせ・走らせる、強烈な政治家だった。
・・・・敵が皆恐れた、蜀の大軍師の諸葛孔明は、死んでも尚、魏の軍師、司馬仲達を走らせた。私は、安倍氏を孔明に譬える気は全くない。しかし岸田氏のことは、怯えて走った司馬仲達に譬えたいと思う。 Nat

images 岸田images 安倍


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