朝日 イエスが最初にマグダラのマリアに復活の姿を見せたのが日曜日の朝だが、その日曜日も夕方になった。弟子たちは、マリアから話は聞いていたが、とても信じられないし、それよりも当局が自分たちも逮捕するのではないかと恐れ、皆で家に隠れて鍵をかけていた。泣く そこへ突然、イエスが姿を現し、皆の真ん中に立って「あなた方に平和があるように」と言われた。(ヨハネによる福音書20章19節。)そして十字架のはりつけで釘を打たれた跡の生々しい手と、槍で刺されたわき腹をお見せになった。弟子たちはそれで初めて信じ、喜んだのである。そして魚を一切れ食べられた。(ルカによる福音書24章36節。)

本 ところが、この話には非常に意味の深い後日談がある。この話がクリスチャンの心を捉えてやまないのだ。弟子たちの一人でトマスという人がいたが、最初の日曜の夕方、イエスが姿を見せた時、その場にいなかった。そこで「自分はそんなこと信じない。自分で手の釘の跡を見てわき腹に手を入れてみるまで絶対信じない。」と主張した。怒る 至極当然の反応ではある。その日から8日の後、また皆は一緒に隠れていて今度はトマスもいた。そこに再びイエスが現れた。それでトマスに向かって「私の手をみなさい。わき腹に手を入れてみなさい」と言われた。更に「あなたは見たから信じたのか。見ないのに信じる人は幸いである。」と言い残された。

笑い この話が人の心を捉えて離さないのは、先ず一人だけ最初の出会いから漏れたトマス、彼一人のために、イエスはわざわざ再び現れてくださっている点だ。ドキドキ大 復活のイエスは一人一人の置かれた事情を十分踏まえて、一人一人に対応して下さる救い主なのだ、との信仰の原点がここにある。また、「見ないのに信じる人は幸い」とのメッセージは、その後、弟子たちからイエスの復活の話しを伝え聞いて、それで純朴に信じた多くのクリスチャンたちの大いなる励ましになったことであろう。クローバー

国旗 2000年の後の現代の日本で、復活のイエスを見たり、わき腹に手を入れることはもう出来ない。そのような私たちにも「あなたがもし見ないで信じられるなら幸いだ」とのメッセージドキドキ小が活き活きと投げかけられているのだ。そして事実、信じられる人は本当に幸いなのである。笑顔 Nat