
その5で書いたとおり、復活のイエスはエルサレムに隠れていた弟子たちの部屋の中に2度姿を現した。エルサレムではそれで終わり。ペトロたちは一旦驚くやら嬉しいやらで大変元気づけられたが、結局、そのままずっとエルサレムに隠れていることも出来ず、故郷のティベリアス(ガリラヤ)湖畔の村に戻っていった。それで、また、元のように漁師になり、元の平凡な生活に戻りつつあったのだ。弟子たちが、そのまま田舎で漁師に戻ったきりであれば、その後のクリスチャン集団の発生も、原始キリスト教会の誕生も、キリスト教の宣教開始もなかったはずである。神は、漁師に戻ろうとしていたペトロたちの魂を再び揺り動かし、後の「宣教するクリスチャン集団」を率いるペトロたちに転換する必要があった。そこで、最後の復活のイエスの物語が登場する。

聖書(ヨハネによる福音書21章)では「その後」として、以下の物語を記している。ペトロたちは漁をしていた。その日の朝はさっぱり魚がとれなかった。岸に一人の男が立っていて、その人が「舟の右側に網を降ろしてみなさい」と言った。ペトロたちが言われた通りにすると網が破れるくらいの大量の魚がとれた。その瞬間にペトロらは、それがイエスであることを知った。そのまま、イエスも一緒に皆で朝の食事をした。その食事の席でイエスはペトロたちに、これから自分のことを証しし述べ伝える人となるようにと話された。それを受け、ペトロらは、再びエルサレムに戻り、迫害と戦いながらエルサレム教会を創立するのである。後の世で「聖ペトロ」(St.Peter)と呼ばれることになる使徒ペトロはこうやって誕生した。

この話から私が感じることが2つある。まず、3月14日の当ブログで書いた通り、イエスの復活の出来事は、弟子たちにとって強烈な「愛の衝撃波」で、弟子たちの魂を一旦は根底から揺り動かした。しかし、肝心の揺り動かされた弟子たちが、自分たちの動いていくべき方向性を全然分かっていない。だから、方向感を喪失し、田舎に戻り漁師になるというように、早くも「失速」状態に陥りかけていたのである。いわば私もこれだった。若い頃に教会で聞いたこと・感じたことに突き動かされ、クリスチャンになる。しかし、それだけでは失速するのだ。人間は、どんなに強烈な感動でも、それだけで一生突き動かされるほど上等な存在ではないのだ。これが一点目。

そんな弟子たちや我々を神さま、あるいは復活のイエスはほってはおかない。勘違いしたり、失速しても、追いかけてきてくれる。しかも、ペトロたちの最も日常的な生活の現場にまで降りてきて、生活の現場で「舟の右側に網を降ろしたら」とまで言って、弟子たちの当面の関心事にまでレベルを合わせてくれる。いきなり「漁をすぐに止めて、本来の宣教に戻りなさい」とは言わない。どこまでも我々のレベルに合わせてくださるのである。これが2点目。

復活のイエスが弟子たちに現れたのは、聖書によれば、当ブログ記事のその3,4,5で書いたそれぞれの出来事の3回であるとされている。どの回も、非力で疑いに満ちた弟子たち、方向感の分かっていなかった弟子たちに、レベルを合わせた形での現れ方だ。こんにち、復活のイエスは今も活きて我々と共にいる。しかも、我々のレベルに合わせた形で共にいて下さる。これが我々クリスチャンの信じていることだろう。 Nat