
いよいよ明日がイースター!!

昨日はイエスが十字架で刑死したことを想う日(受苦日)であったが、今日の土曜日はイエスの死体がお墓の中に安置されている「復活を待つ時間」だ。そして、明日の朝。日曜の早朝、墓に行ったマグダラのマリアは空の墓に驚く。そして弟子たちの隠れていた家に行って、そのことを報告するのである。

このことは、このシリーズのその5にも書いたとおりだが、弟子たちは、前の金曜の夜、そして土曜日と、自分たちにも類を及ぶのを恐れて隠れ家に潜んでいた。多分、落胆と恐怖で余りよく寝れなかった2晩ではなかったか。そうやって、日曜の早朝、疲れ果ててうとうととしかけていた弟子もいたであろう。そこにマリアの驚くような知らせが舞い込むのである。「皆、大変よ。起きて。イエス先生の死体がなくなっているの。」そのまま寝ているには余りにも驚くような知らせだ。中でも飛び起きたペトロは妙に胸騒ぎを覚えた。そこで若いヨハネを誘って一緒にお墓の所まで走っていったのである。

こんにち、私たちは、このペトロの走った後の物語り展開を知っている。ペトロたちが復活のイエスに出会い、そして変えられていったと事を記した聖書が残っているからだ。そして、復活の日である日曜日は、キリスト教文化圏においては一週間の中で休日になった。また日曜の朝、毎週、目には見えなくても復活のイエスに会うために教会で礼拝があるようになった。イースターの日に限らず、毎日曜に会うのだ。

ところで、私は朝起きるのが得意ではない。日曜も遅くまで惰眠をむさぼっていたい方である。しかし、日曜の朝には女房に頼んであって、早い時間に起こしてもらう。私の教会で一般の礼拝の前に、子どもやそのお父さん・お母さんと一緒の礼拝もあり、私はその担当もしているので、結構早く起こされる。でも、それは、あの朝、ペトロがマグダラのマリアに起こされたのと同じなのだ。私は「起きて!イエス様が教会であなたを待っているのよ!」という呼び声で起こされているのだと思う。毎週のことだから、さすがにペトロのように胸を高まらせて走っていくことまではしないが、「今日もまた会える」という喜びで教会に向かっていくのだと思う。

イースター。それは、これを読まれているあなたにとっても、復活の主イエスとの出会いの時になるかも知れない。復活の主イエスに会って大きく変えられていったペトロらのように、あなたも、そこから変わるかも知れない。私はそう思う。

Nat