小泉首相が任期切れを控えて、いよいよ8月15日に靖国神社に参拝するとの読みが強まっている。私は、このブログで去年から度々「靖国神社」「A級戦犯の問題」「日本と中国・朝鮮」について書いてきた。今年の夏、私の関係している教会の中高校生の年頃のグループの活動として、一度、靖国神社に行ってみて、そこの展示館も見学、そして、靖国神社に関する意見の模擬討論会もゲーム的にしてみようという計画をしている。とにかく、若い世代の人が、まず日本が戦争中に行なったこと、その結果の戦後処理、そして戦後の日本の発展、こういう歴史の事実と流れを知る必要がある。その上で、しっかり、一人ひとりの平和観を形成していってほしいとの思いからの計画だ。
この計画のために若い人や他のスタッフのための資料を作成していて、いま一度気がつくことは、日本の戦争責任の取り方のとても大事な点について、案外、大人の認識もないことだ。それでは、子どもたちにも伝えられない。
「戦争責任」といっても、国レベルの責任と、個人レベルの責任がある。国レベルは主に敗戦国が戦勝国側との間で講和条約を結び、領土を割譲したり、賠償金を支払うものだ。個人レベルは、専ら戦争犯罪に関するもの。即ち、それまでの国際法上も、国と国との間で戦争が時々起こることは、問題解決手段として仕方がないにしても、「戦争のマナー」は守ろうということで、戦争現場で捕虜を虐待したり、無実な市民を巻き添えにする行為は、戦後、戦争の勝ち負けとは別に罪に問われた。これが個人レベルでの責任。このような、国レベルと個人レベルの戦争責任の取り方は、戦争の質の変化の歴史と共に、変わってきているのである。
これを理解する為、少なくとも第一次世界大戦にまで遡る必要がある。第一次世界大戦は、それまでの歩兵・騎兵戦と異なり、戦車、潜水艦、果ては毒ガスまで登場して、人類史上初めての総力戦となった。このように世界中に大きな犠牲者を出した戦争だったから、その戦後処理の議論としては「今後は、もう、戦争そのものを簡単に起こさないように、重い戦争責任の取らせ方が必要」ということになってくる。そこで、敗戦国側、なかでもドイツに戦後賠償の重い負担を強いたのだ。ドイツからの全植民地の没収、有名なアルサス・ロレーヌ地方の仏への領土割譲、ポーゼン州・西プロイセン州のポーランドへの割譲、そして、1320億マルクという、とてもドイツが払うことの出来ない巨額な賠償金を課したのである。一方、この頃から、戦争の開始・遂行責任者の個人的責任をも問うべきとの議論が出はじめていたが、結局、それは表面化せず、ドイツ帝国のウイルヘルム2世は国内的には退位に追い込まれたが、戦争責任は逃れオランダに亡命している。
このようなドイツの国家レベルでの過酷なまでの賠償責任の結果、却って、ドイツにナチの勃興をもたらし、それが第二次世界大戦に繋がった。そこで、第二次世界大戦後の、米・英・ソ連など戦勝国による戦後処理の協議では、敗戦国のドイツや日本に、国レベルでの過酷な賠償を強い過ぎないようにしつつ、代わりに、戦争開始・遂行の責任者を個人レベルで厳しく責めることとしたのである。この結果、日本も、直接の宣戦布告の相手であった米・英などに対しては、米・英本国を攻めたわけでもないので直接の賠償金はなしにしてもらい、米・英などの植民地であり戦場になったビルマ・フィリピン等に賠償したのと、中国・朝鮮などに築いていた在外資産を放棄させられたことでもって、国家の戦争責任完了となったのである。
一方、その代わりに、戦争そのものの責任を軍部首脳個人に重く背負わせることとし、それを東京裁判で裁いた。これがA級戦犯。他国に侵略した「平和に対する罪」といいう新しい罪の種類を創設し、それをA種の戦争犯罪と呼んだ。一方ドイツは、ドイツのポーランド・ソ連への侵略を不問とし、もっぱら、ユダヤ民族の組織的虐殺だけを「人道的罪」、C級の犯罪として、ナチス幹部を裁いた。従来からの捕虜虐待、あるいは市民の無差別虐殺などの「戦争のマナー違反」はB級の罪といわれた。ちなみに、市民の無差別虐殺の最たるものは、米国による東京・大阪空襲、更には原爆投下であり、これは本来紛れもないB級戦犯の対象であるが、戦後の国際裁判は、敗戦国に多大な国家賠償を強いない替わりに、軍部個人に重い責任を問うことで終わりにするという、戦勝国側が考えた戦後秩序の仕組みであるので、もっぱら敗戦国の軍部の人たちのみが戦犯にされたのである。
以上から、日本は敗戦において、一部の軍部首脳にA級戦犯の罪を負わせて、その代わりに国民にまで負担を強いる大きな国家賠償の負担を免れた(更に天皇の責任も免れた)。ここから二つのことが出てくる。一つは、靖国神社が表明しているとおり「A級戦犯の人たちは我々日本国民の犠牲になって処刑されていった」との見方であり、この見方をする時、A級戦犯者は「一番の悪者」ではなく「最大の犠牲者」になる。一方、国際的には、A級戦犯に全ての責任を負わせて終わりにしたのだから、今更、日本が「A級戦犯はそれ程悪くなかった。むしろ犠牲者だ」などと言い出すと、もう一回東京裁判の蒸し返しになってしまうということだ。このA級戦犯の“二重性”が、問題の本質である。
但し、もう一歩言うと、国際的には「A級戦犯者の復権」などはあり得ず、彼らは永遠の犯罪者でないと困るのだが、犯罪者も処刑された時点でその犯罪の片はついているのではないかとの見方がある。即ち、既に死者となったA級戦犯者の「たましい」までも罪人であるのか、という問題だ。しかも、靖国神社など日本の神道では、死者のたましいは祀られている間に浄化され祖先神になるというのだから話が難しい。昔、朝廷の敵として最後は晒し首になった平将門も神田明神や築土神社に祀られ神となっている。A級戦犯も、もう今は、犯罪者ではなく神になっているという位置づけだ。
結論としては、A級戦犯の問題は、最初から最後まで二重性がある上に、日本伝統の祖先神的な想いまで係わってくるので、日本の内部の思いと、国際的な整理の違いを上手く和解させることは不可能であろう。そこで、まず、両者の思いをそのまま深く理解すること。そして、その上で、全く別の思いから改めて平和を希求すること。これしかない。この「全く別の思い」については、既に何度も述べたとおり、一言でいうと「神の前に全ての人が罪深いことを告白し、一方、全ての人が神に愛されていることを知って、共に神に祈りあうことこそが唯一の平和への道である」という思いである。 Nat
この計画のために若い人や他のスタッフのための資料を作成していて、いま一度気がつくことは、日本の戦争責任の取り方のとても大事な点について、案外、大人の認識もないことだ。それでは、子どもたちにも伝えられない。
「戦争責任」といっても、国レベルの責任と、個人レベルの責任がある。国レベルは主に敗戦国が戦勝国側との間で講和条約を結び、領土を割譲したり、賠償金を支払うものだ。個人レベルは、専ら戦争犯罪に関するもの。即ち、それまでの国際法上も、国と国との間で戦争が時々起こることは、問題解決手段として仕方がないにしても、「戦争のマナー」は守ろうということで、戦争現場で捕虜を虐待したり、無実な市民を巻き添えにする行為は、戦後、戦争の勝ち負けとは別に罪に問われた。これが個人レベルでの責任。このような、国レベルと個人レベルの戦争責任の取り方は、戦争の質の変化の歴史と共に、変わってきているのである。
これを理解する為、少なくとも第一次世界大戦にまで遡る必要がある。第一次世界大戦は、それまでの歩兵・騎兵戦と異なり、戦車、潜水艦、果ては毒ガスまで登場して、人類史上初めての総力戦となった。このように世界中に大きな犠牲者を出した戦争だったから、その戦後処理の議論としては「今後は、もう、戦争そのものを簡単に起こさないように、重い戦争責任の取らせ方が必要」ということになってくる。そこで、敗戦国側、なかでもドイツに戦後賠償の重い負担を強いたのだ。ドイツからの全植民地の没収、有名なアルサス・ロレーヌ地方の仏への領土割譲、ポーゼン州・西プロイセン州のポーランドへの割譲、そして、1320億マルクという、とてもドイツが払うことの出来ない巨額な賠償金を課したのである。一方、この頃から、戦争の開始・遂行責任者の個人的責任をも問うべきとの議論が出はじめていたが、結局、それは表面化せず、ドイツ帝国のウイルヘルム2世は国内的には退位に追い込まれたが、戦争責任は逃れオランダに亡命している。
このようなドイツの国家レベルでの過酷なまでの賠償責任の結果、却って、ドイツにナチの勃興をもたらし、それが第二次世界大戦に繋がった。そこで、第二次世界大戦後の、米・英・ソ連など戦勝国による戦後処理の協議では、敗戦国のドイツや日本に、国レベルでの過酷な賠償を強い過ぎないようにしつつ、代わりに、戦争開始・遂行の責任者を個人レベルで厳しく責めることとしたのである。この結果、日本も、直接の宣戦布告の相手であった米・英などに対しては、米・英本国を攻めたわけでもないので直接の賠償金はなしにしてもらい、米・英などの植民地であり戦場になったビルマ・フィリピン等に賠償したのと、中国・朝鮮などに築いていた在外資産を放棄させられたことでもって、国家の戦争責任完了となったのである。
一方、その代わりに、戦争そのものの責任を軍部首脳個人に重く背負わせることとし、それを東京裁判で裁いた。これがA級戦犯。他国に侵略した「平和に対する罪」といいう新しい罪の種類を創設し、それをA種の戦争犯罪と呼んだ。一方ドイツは、ドイツのポーランド・ソ連への侵略を不問とし、もっぱら、ユダヤ民族の組織的虐殺だけを「人道的罪」、C級の犯罪として、ナチス幹部を裁いた。従来からの捕虜虐待、あるいは市民の無差別虐殺などの「戦争のマナー違反」はB級の罪といわれた。ちなみに、市民の無差別虐殺の最たるものは、米国による東京・大阪空襲、更には原爆投下であり、これは本来紛れもないB級戦犯の対象であるが、戦後の国際裁判は、敗戦国に多大な国家賠償を強いない替わりに、軍部個人に重い責任を問うことで終わりにするという、戦勝国側が考えた戦後秩序の仕組みであるので、もっぱら敗戦国の軍部の人たちのみが戦犯にされたのである。
以上から、日本は敗戦において、一部の軍部首脳にA級戦犯の罪を負わせて、その代わりに国民にまで負担を強いる大きな国家賠償の負担を免れた(更に天皇の責任も免れた)。ここから二つのことが出てくる。一つは、靖国神社が表明しているとおり「A級戦犯の人たちは我々日本国民の犠牲になって処刑されていった」との見方であり、この見方をする時、A級戦犯者は「一番の悪者」ではなく「最大の犠牲者」になる。一方、国際的には、A級戦犯に全ての責任を負わせて終わりにしたのだから、今更、日本が「A級戦犯はそれ程悪くなかった。むしろ犠牲者だ」などと言い出すと、もう一回東京裁判の蒸し返しになってしまうということだ。このA級戦犯の“二重性”が、問題の本質である。
但し、もう一歩言うと、国際的には「A級戦犯者の復権」などはあり得ず、彼らは永遠の犯罪者でないと困るのだが、犯罪者も処刑された時点でその犯罪の片はついているのではないかとの見方がある。即ち、既に死者となったA級戦犯者の「たましい」までも罪人であるのか、という問題だ。しかも、靖国神社など日本の神道では、死者のたましいは祀られている間に浄化され祖先神になるというのだから話が難しい。昔、朝廷の敵として最後は晒し首になった平将門も神田明神や築土神社に祀られ神となっている。A級戦犯も、もう今は、犯罪者ではなく神になっているという位置づけだ。
結論としては、A級戦犯の問題は、最初から最後まで二重性がある上に、日本伝統の祖先神的な想いまで係わってくるので、日本の内部の思いと、国際的な整理の違いを上手く和解させることは不可能であろう。そこで、まず、両者の思いをそのまま深く理解すること。そして、その上で、全く別の思いから改めて平和を希求すること。これしかない。この「全く別の思い」については、既に何度も述べたとおり、一言でいうと「神の前に全ての人が罪深いことを告白し、一方、全ての人が神に愛されていることを知って、共に神に祈りあうことこそが唯一の平和への道である」という思いである。 Nat